「怖くて泣いた」PLAN 75 くーさんの映画レビュー(感想・評価)
怖くて泣いた
「住民票がなくても大丈夫」
この文字に寒気がした
年寄りをこの世から追い出す制度は優しさと節度を持っているように装っているが、無慈悲で節操がない。
高齢者の健康診断会場、炊き出しの公園、
この世から追い出したい人が集まる場に容赦なく置かれる【プラン75】ののぼりやポスター。
希望者には10万円。好きに使っていいと言いながら、お葬式の費用にする方もいらっしゃるとさりげなく誘導する担当者。
お年寄りのさみしさを知っていて、
そこにつけ込み絡めとり、
孤独だし、生きてても仕方ない、に追い込む手法。
コールセンターからの電話、15分でチャイムを鳴らしそれ以上お年寄りの相手をさせない制度を作った人は、
自らの親はプラン75の合同プランに送ったりしない。
最期はこれを身に付けたいと思い入れのあるものを手に
最期の場所に集まった人もいるだろうに、
こと切れれば、服以外ははぎ取りゴミ。
そういうやり方を決めた人は、自ら孤独なお年寄りの相手をすることもなく、彼らの現状に目を開くこともなく、心を痛めない。
ユダヤ人だという理由で殺すことを肯定したナチスとどう違う?
磯村勇斗が演じた役人は、
自らの叔父を自ら手を貸して会場まで送ったのでなければ、この制度の恐ろしさに目覚めなかった気もしてしまう。
公園のベンチに横になれない排除グッズをみつくろうとする場面でそう思った。
「いつでもやめられる」の言葉通り、本当の直前になって制度の手にかかるのをやめたミチ。
彼女は部屋の中も持ち物も自分でキレイに処分していた。
これから生きるよすがもなく、
頼れる人も
眠る場所もなく、
どうやって生きるのだろう。
それを考えると怖くて怖くて。
キレイな景色や
他人の一瞬の優しさは
生き続ける術にはならないと思えてしまう。
つらい。
まともな人間なら、プラン75に関わる仕事をすることは辛いはずだが、
こういう制度があっても、などと言う人は自分が実務者として死を選ぼうか迷う高齢者に向かい合うことはないし、絶対に自分の親はプラン75に送らない。
年寄りは集団自決を、なんて絶対間違ってる。
ひきこもりの子を、世間に迷惑かける前にと親が殺めるのも、それを他人が絶賛するのも、絶対間違ってる。
たとえ死ぬとき孤独で
その人が死んで泣く人も悲しむ人もいないとしても、
死んでいい人なんていない。
倍賞千恵子が「今は孤独だけどきちんと真面目に生活してきたごく普通の一老婆」だけど「配偶者に先立たれ子はなく、解雇されて家も仕事も探せず、死ぬしかないと思い至ってしまう孤独な老婆」になっていて、
大好きな倍賞さんの最後の映画がこれなのは嫌だと思ってしまった。
演技は最高です。
この映画も最高です。
人生は良いことや楽しいことばかりじゃない。
重いことをそのまま描いて見せてくれたこの映画はすごいです。
だけど、大好きな俳優さんの最後の映画は
幸せそうな笑顔が見たい。
そう思ってしまうくらい、この映画は誤魔化さず、逃げずに、今の日本のうしろ暗い闇を描いてました。
重たいとか暗いを嫌がる風潮だから、
茶化してしまう映画も多いのに、暗い物語を暗く撮ってくれてありがとうと思います。
そうですね。この映画は絶対に間違っている事を題材にしています。しかし、何も怖がる事はないと思います。今のままでも日本は世界から比べれば、大変に良い国だと思います。今より年金が半分になってもアメリカよりもいい国だと思います。
それと、この映画の現実はお若い方の未来であるとお考え下さい。
賠償さんはお金持ちで何も困らない女優さんですし、山田監督は東大卒の立派な監督です。
失礼しました。