劇場公開日 2022年6月17日

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「貴方はカラオケで何を歌うだろうか?」PLAN 75 pipiさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0貴方はカラオケで何を歌うだろうか?

2022年6月27日
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鑑賞方法:映画館

悲しい

知的

難しい

本作を「高齢者問題」と捉えているうちは、まだ心のどこかに「他人事」という視点があるのではないだろうか。
PLAN75に申し込む人物に、自分自身、或いは自分にとって大切な誰かが重なった時、初めて本作を充分に味わう事が出来る気がする。

本作の最重要テーマは
「他者の痛みを感じる想像力」と「寛容さ」だと考える。
そして、それは鑑賞者自身の人生における実体験からしか生まれないと思うのだ。物語を読み解く時、幾らかの経験があれば同カテゴリーの追体験は読書からでも可能となる。しかし、最初はある程度の「実体験」が不可欠だ。

私は現在、義父の介護問題で東奔西走の日々を送っている。闊達で豪放磊落できっぷの良い大好きな義父が突然脳梗塞で倒れた。嚥下機能の低下で口から食事が摂れず胃ろう手術をし、排泄も自分では処理出来ない。義母も小脳変性症の障害で、義父の自宅介護は不可能。また、義父はせん妄が出る時には無意識のまま介護者に暴力を振るってしまうのでリハビリ病院や老健施設でも受け入れが難しい。

この数年で、福祉事務所や老健施設、特別養護老人ホームの見学や申請に必要な家族面接に幾度となく足を運んだ。
この映画はあまりにもリアルだった。
PLAN75ではないが、行政サービス、民間委託、相談やら申し込みやら散々経験している真っ最中だが、本当に書類だのトークだの、色々と受ける印象がこの映画の通りだ。東南アジアや南米から働きに来ているスタッフも見かけた。
また、生活費問題など誰だって突然苦境に陥る。義父も持ち家だし、私個人もそれなりに収入はあるにも関わらず、医療措置を常に必要とする義父が心地良く過ごせる環境を用意するには余りにもお金が足りない。
年金だけでは暮らしていけず、セーフティネットなんざ実際には穴だらけなんだ。
義両親の心の問題もある。西に呼び寄せ同居したいと考えているが、住み慣れた街や家を離れたくないという固い意思を尊重したくもあり、やるせない。
また、あの世代には「生活保護受給だけは絶対に嫌だ!」という方々が多いのも上手く描かれている。

PLAN75が導入されたら、実際のメインターゲットになるのは、義父のような状態の患者であろう。脳梗塞後遺症の高次機能障害で覚醒しない時間が多い。コロナ禍で会話の機会が少ないから滑舌が回復しない。私は義父の言葉が聞き取れるが、技量の未熟な医師に当たると「まともに会話が出来ない」と思われてしまう。認知症ではないのに能力の低い行政書士に当たってしまえば意思能力を欠くと見做されかねない。彼らが聞き取れないというだけなのに。

義父がPLAN75の存在を知ったら、きっと申請してしまうと思う。家族は必死でそれを防ごうとする未来が瞼に浮かぶ・・・。

事実は小説より奇なり。
PLAN75が導入される未来なんか、簡単に現実化すると思う。
貴方はコロナ対策にはマスクすべきと思うか?
マスクの効果は低くく、むしろ有害と思うか。
コロナワクチンは有効と考えるか?
それとも得体の知れない毒だと考えるか?
どちらの考え方だとしても、ほとんどの人は自分の意見を曲げず、反対する奴らの方がおかしいと思う事だろう。
誰がウクライナの悲劇を予測したか?
そして、それが明日の日本の姿になる可能性がどの程度高いと思っているだろうか?
同調圧力や絶対的暴力の前に、法律や倫理観は案外 無力だ。

PLAN75は、導入当初はミチや岡部のような「まだまだ働ける人物の自己申請」からスタートするだろうが、すぐに介護度の重い老人や住所不定の人々を掠め取るシステムに変貌していくだろう。
多摩川河川敷や大阪西成でPLAN75の受付をすれば短時間で多くの申請を稼げるのではないか。本作にも排除アートが登場していた。ヒロムが屋外受付設営を指示されたのは所謂「そういう場所」なのだろう。
やがては年齢関係なく「生産性が低い」とレッテルを貼られた人々に、罪悪感を植え付けて希死念慮を誘発するシステムに成長するだろう。ご丁寧なマニュアルも開発されて・・・。
(映画冒頭のショッキングなエピソードが物語っている。モチーフはもちろん「例の」K県殺傷事件である事は言うまでもない)
安楽死を行う施設は行政にとってゴミ焼却工場に等しい。設備もセキュリティもその程度だろう。金をかけるわけがない。

本作は、鑑賞者に「他人事」ではなく「自分事」と捉えて貰う為の努力に満ちていると思う。
どの世代にも、自己投影しやすいメインキャラクターが設定されている。
若い世代はヒロムや成宮。子育て世代はマリア夫妻(国際電話の向こうにいたって、経験と想像力があれば自己投影可能だ)。
世の中を回す中堅どころはフィリピンコミュニティのリーダー的女性・成宮のコールセンターで指導側の女性・ヒロムの上司等が相当する。
高齢者世代はもちろんミチや同僚達、ヒロムの叔父などだ。
彼らに共感できる人もいれば、同世代の友人・知人に近いと感じる場合もあるだろう。(どちらにしても自分の身近な現実を投影しやすい。)
寛容さの低下している日本と、寛容性を維持しているフィリピンとの対比も実に良い。
まだ5歳のマリアの娘の命。87歳のミチの命。河井醉茗(かわいすいめい)の詩「ゆずり葉」が浮かんだ。

「電話先の相手」や「ネットのハンドル名しか知らない相手」は自分にとって「記号」でしかないものだ。
心地よいやり取りをしているウチは親しいと錯覚しているが、一つ不快感を抱けば途端に「者」ではなく「物」と化す。他人を害する事が出来るのは、怨恨以外ならば、相手を「物」としか感じていないからだ。自分にとって血肉の通った大切な人間ではないからだ。
ヒロムも成宮も、相手が「記号」から「生きた人間」に変わった時、PLAN75に疑問を抱く・・・。

日本人は優しい・・・。
しかし昨今、優しさと平和と便利さに浸りきってしまって、痛みを経験する機会が激減していないだろうか。
だから過剰なほど「自分の痛みには弱い」し、その割に「他人の痛みには鈍感」だ。

若いうちは、老人になると痛みに鈍くなるとでも思っていやしないか?
私も子供の頃はなんとなくそう思っていた。
でも、ある時期から「歳を取っても自分の中身は10代の頃となんにも変わらないなー!」とつくづく思った。
好きな音楽も、趣味も嗜好も何一つ変わらない。そして、痛いものは変わらず痛いし、苦しい事は同じように苦しい。
きっと60になろうと、70になろうと、80になろうと、人の中身や感じ方は何にも変わらないんだ。
そう考えたら、高齢者に対する見方がガラリと変わった。彼らは自分の明日の姿だ。身体は衰えても、中身は自分と何一つ変わらないのだ。
自分にとって本当に大切な人を、自分は殺せるか?
もし、貴方を大切に思ってくれる人が誰もいないと感じるならば、PLAN75に申し込む前に「大切な人々」を得る努力をしてみないか?

本作には余白が多いという監督の言葉だそうだが、まったく感じなかった。どのシーンにも、これまで体験した事や印象に残る本の一コマなどがオーバーラップして思索を刺激してくる。ボーリング場の場面のように見知らぬ若者達と心通じた時。路上生活者の皆さんと酒盛りして身の上話を聞いた時。
山の上で満天の星空や、荘厳な峰々を眺め「世界はなんて美しいのだろう!」と心打たれ涙が止まらなかった時。
とことん憂き世に打ちのめされ、いつ命が消えても構わないと感じた時。紫色の夜明け前の清冽な空気と深煎り珈琲が生きる意欲をくれた時。

無駄なシーンは一つもなく、費やされる時間(これを余白と呼ぶのか?)は記憶の再生に丁度良い。
もし、本作の説明が不十分だとか不要なシーンがあると感じたならば、自身の経験が増えた時、再度鑑賞してみてはどうだろうか。(或いは己れの知性に自負がある場合はロラン・バルトの物語の構造分析でも読んでみてはどうか)
例えば主人公は10万円を本当に使いきれないはずがない。そう言ったのは謝礼を受け取って貰う為の方便だ。鑑賞中の疑問を脚本非難に直結させるのではなく、今までの認識と違った観点を知る為の手がかりにしたいものだ。
個人的には、非常に深く練り込まれた素晴らしい脚本だと高く評価したい。

具体的に細かく描く事ばかりが深掘りではない。テーマが大きければ大きいほど、抽象度を上げる方がかえって深い表現が可能となる。
マリアの娘がどうなったか?
ヒロムはあの後どうなったか?
ミチはどうしたのだろうか?
そんな事はむしろどうでもいい。
娘は助かったかもしれないし、亡くなったかもしれない。
ヒロムは処罰を受けたかもしれないし、逆に警官が火葬施設まで送ってくれたかもしれない。
ミチは長生きしたかもしれないし、孤独死したかもしれない。
個人の命運なんてサイコロの目程度の違いで簡単に変わる。
しかし人類の歴史は、私達一人一人が傍観者から主体者となる事で変える事が出来るはず。

美しい太陽を眺め、ミチが歌った吉田日出子の「りんごの木の下で」(ディック・ミネじゃないよな?その頃に青春時代なら100歳過ぎてる)
もし、これがアリスや山達、サザンにユーミンにみゆき、YMOや千春や元春なら?
もし、これが尾崎や氷室や米米なら?
もし、これがB'zやプリプリやミスチルやドリカムなら?
もし、これがスピッツやpuffy、宇多田やGLAYやELTなら?
MISIAやCHEMISTRYやケツメイシや倖田やラルクなら?
福山やEXILEやきゃりーや米津玄師なら?

貴方ならカラオケで何を歌うだろうか?想像して欲しい。
ラストシーンのミチは、未来の貴方自身かもしれないのだ。
「りんごの木の下で」が貴方のカラオケ十八番だったならと考えてみて欲しい。

自分事と捉え、主体者として生きたいものだと、気を引き締めさせられる映画であった。

※ここからは蛇足。
現行の法律に細かく照らし合わせて本作をマイナス指摘するレビューが散見されたが違和感を覚えた。
ちなみに撮影監督・浦田秀穂氏のご家族には非常に優秀な弁護士がいらっしゃる。
私も大変お世話になっているが、まったく杓子定規ではなく「車」と「食」に大変造詣の深い、気さくで面白い人物だ。
東京・大阪の名だたる弁護士達をどれだけ当たってみても「難易度の高い案件」と断られたり法外な見積りを出されたりして困りきっていた折、浦田先生にご縁を頂き、要介護5の老人を救って頂いた。我が家の民事問題などは難易度は高くとも些細だが、先生は日本中の誰もが知っている重大な事故の案件にも携わっておられる。
そんな浦田先生から「家族が撮影しているので」と本作をご紹介頂き、公開を楽しみにしていた次第だ。
つまり、浦田監督も早川監督も、そんな超一流のプロフェッショナルが大変身近にいるのだから法律に疎いはずがなく、脚本制作上の必要があればいつでも気軽に助言を貰えるのだ。
敢えてそれをしないシーンは、現行法律などまったく不要だからに他ならない。(法学書もいいがロラン・バルト読めやw)
枝葉末節に捉われ木を見て森を見ずの鑑賞はすまいと、己れの戒めにしたいものである(笑)

pipi
sow_miyaさんのコメント
2024年2月4日

pipiさん、コメントありがとうございました。
pipiさんのご経験に裏打ちされたレビューを拝読し、とても心が動きました。
浦田撮影監督さんとご縁がおありだったんですね。私が感じ取った部分についてのpipiさんのご指摘はきっとその通りだと思います。
教えていただきありがとうございました。

sow_miya
きりんさんのコメント
2024年1月7日

10〜20代で祖母の猛烈な認知症徘徊を体験し、縁あって特別養護老人ホームで介護職をしていた僕です。
あの経験は僕にとっては宝ですね。
能力主義への敢然拒否と、圧倒的なる命の尊厳への従服を学びました。
映画は、「普段考えずに逃げていた問題を、イメージとしてでもいいから想ってみなさい」というアプローチであったように思いました。
力んでいないように見える、これは力作であったと思います。

ちなみに僕が自分の親には観せたくないなぁと思ったのは「ロング,ロングバージョン」でした。ヘレン・ミレン主演です。

きりん
2023年6月20日

古い葉が落ちて新しい葉が生えてくる、詩とレビューに親からの慈しむ愛を感じました。

美紅
2023年6月20日

亡くなった母を思いながら見た作品でした。
ゆずり葉の詩は聞いたことがあります。

美紅
2023年6月20日

マイナス指摘のレビューあったそうですが、私自身
違和感なく見られました。
pipiさんも義理の父、親御さんの介護を経験しているのですね。私も一昨年、亡くなった実母は感染症とリューマチで車椅子、心療内科の病気を併発しており最期まで闘病していました。
介護をした短い期間に自分が学ぶことはたくさんあり
ました。

美紅
momokichiさんのコメント
2022年9月20日

>「りんごの木の下で」が貴方のカラオケ十八番だったならと考えてみて欲しい。

言われた通り私の十八番に置き換えてみると解像度が上がった!自分毎として考える。身に染みました。

momokichi
レントさんのコメント
2022年8月3日

お気遣いありがとうございます。優しいお言葉が身に沁みます。実はかなり凹んでましたので(笑)。
拙い文章ですが、やはり自分でも気に入ってるものもありましたので、随時
他のサイトに書き写そうと思います。
これからも末永くお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

レント
レントさんのコメント
2022年8月2日

早速の御返事、有り難うございます❗
今までのレビューは私のマイページには残っているのでフィルマークスの方に書き写そうかと思ってます。あっちでも削除されるかも知れませんが。
闘病中の大変な時期につまらないコメント失礼しました。

レント
はなもさんのコメント
2022年7月15日

こんにちは。
 あっついレビューです、感じ入りました。また、介護東奔西走、お疲れ様です、体験したのでよーく分かります。

 『罪悪感を植え付けて希死念慮を誘発するシステム』『記号から 実物になる』など、ホントに同感です。
 若者にとっても私の様な年寄りにも 今更ですが 希望が持てる社会になってほしいものです。

はなも
chikuhouさんのコメント
2022年6月27日

フォローいただきありがとうございます 介護施設に勤めていて、HPなどの高い崇高な理念とはまったく異なる「産業としての」業務を感じることは多々あります  それでもこういった「文化」が私たちを戒めてもくれます

chikuhou
talismanさんのコメント
2022年6月27日

何歳になっても変わらない。本当にそうです。考えさせられ、心にも頭にも響いたレビューありがとうございます。

talisman
もーさんさんのコメント
2022年6月27日

pipiさん、フォロー有り難うございます。私は還暦を過ぎましたが、中身は10代の頃と何ら変わっていませんです。

もーさん