「政治はしばしば、貧困層と貧困層の対立をあおって安定を生み出す」PLAN 75 マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
政治はしばしば、貧困層と貧困層の対立をあおって安定を生み出す
スイスなどの安楽死、そして『楢山節考』(40年も前の映画だということに驚き!)を思い浮かべながら、この映画を鑑賞しました。安楽死、『楢~』ともに、命の尊厳と個人の意思に関する答えの出ない問題がテーマで、この映画でも必然的にそこに思いは向かいます。でも、この映画、見終わってよく考えてみると、ちょっと違う気がしてきました。本質は、経済格差の映画です。
早川千絵監督もよく分かっていて、何度も貧困層の困窮が描写されます。PLAN75という法が自由意志による選択という立て付けでありながら、角谷ミチが高齢であるというだけの理由で首切りにあい、経済的に立ち行かなくなって、“自由意志で”PLAN75を選択せざるを得なくなる、という筋立てです。
そもそも、PLAN75は国会が立法したという話で、もしこれが現実となったとしたら、議員のお年寄りはいったい何人がPLAN75に申し込むことになるのでしょう。「下々の民のためにPLAN75という選択肢を作ったのであって、自分事とは想定していないし、自分は申し込む必要もない」ということでしょうか。政治家でなくとも、富裕層もまたしかり。貧困層と富裕層の対比を、この映画の中心のストーリーに据えたら、もっと本質に迫った描きができたはずです。まぁ、できるわけないか。
一番気になるのは、こうしたPLAN75という考え方が、世に出てしまったということです。1つの問題の解決方法として認知され、人道的な危うさを認識されながらも、人はどんなことにも慣れてしまうものです。監督がこの映画を作った動機とは裏腹な方向へ、一歩を踏み出してしまったような。善意は、時に利用されることを、心しなければなりません。相模原事件の問題を深掘りするのなら、別の設定で挑むべきだった、のではないでしょうか。
ちなみに、映画の始まりに、笹川財団から助成金が出ているとの表示があったような。見間違いでしょうか、ね。