スージーQのレビュー・感想・評価
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ロッカーだけじゃない、スージーを知る
学生時代その風貌と歌に魅了され、少ない小遣いでアルバム買いましたー。辞書片手に英訳し、スージーの写真片手に美容院に行って同じ髪型にカットをお願いし、学園祭のポスターにスージーを描いて選ばれ…。
しかしその後は仕事に明け暮れ、結婚して子育ても終了し孫もでき、すっかりスージーを忘れておりました。
生い立ちを含めヒット飛ばした後に女優やミュージカルに挑戦し、大学にも行き脚本や本も書き、いまだロックもしてるということを知り、大いに驚きました!どんだけ才能あるの?
でも、成功と同時に手放したものも一杯あるとスージーは言う。姉妹でデビューしたのにソロに転換したことで、家族と断裂。両親が亡くなった今も、兄弟姉妹とのしこりは残っている。
だからといって、自分の選択に後悔はないそうで、過去に戻っても同じ道を歩いただろうといいながら、何処が寂しげ。
現在スージーは離婚したが、2人の子供に恵まれて新しい家族を築いた。それでもこの映画のそこかしこに親や兄弟姉妹に認められたい、仲良かった頃に戻りたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。どんなに成功して世間から賞賛されたとしても、結局家族に認められたくて頑張るのが人間の本質なのだなあと感慨深かった。
サイコー!サイコー!サイコー!
偉大なるロケンローラーでベーシストであるスージー・クアトロ先輩のドキュメンタリー上映と聴き、忠誠心を証明するために公開初日に参拝してきました!サイコー!
高3の時に地元の図書館で『グラムロック大全2』を観て以来、俺はスージー・クアトロに忠誠を誓い現在に至ります。ラモーンズやメタリカ、クラッシュらと同じく、自分の人生で聴かなかった時期のないミュージシャンです。しかし、どことなく語られづらいミュージシャンに思われまして、音楽雑誌等でもあまりスージーについての論評は乏しいように思います。なので、本作で語られる素顔のスージーパイセンやその歴史はかなり新鮮でした。何を語られても「ハイハイ知ってますよ〜」となりがちなストーンズのドキュメンタリーとは大違いだ!
(とはいえビルのドキュメンタリーは絶対に想像を絶するゲスエピソード満載と見ているが)
スージーパイセンはデトロイトの音楽一家に生まれて、4姉妹とひとりの男兄弟の中で育ちました。姉妹と近所の友だちとバンドを組んだことがキャリアのスタート。ベースを選んだきっかけは、他の人たちがギターやドラムを選んだため、消去法で決まったそうです。うーん、以前中島らもか誰かのコラムでパイセンがベースを選んだ理由は「アタイが何故ベースを弾くかって?ハッ!それは低音がアタイの股間にジンジン響くからたよッッ!」とあったので、今の今まで信じてましたよ。
バンド活動は上手くいかないながらも、スージーだけがイギリスのレコード会社の目に留まり、スージーだけデビューすることになりました。ここでスージーと姉妹や家族との軋轢が生まれてしまいました。この辺の話は一切知らなかった。
イギリスに渡ってもスージーは持ち前の根性で男ばかりのバンドを仕切り、ステージ衣装等の演出も自分で決めていたようです。ソングライティングは外部なのですが、基本的にお仕着せのアイドルロッカーではなかったですね。めちゃくちゃ主体性のあるバリバリのロケンローラー!そして73年にデビューしてヨーロッパや日本、オーストラリアで成功しました。
本作を観て感じたことは、スージーはめちゃくちゃ優秀で安定していてバランスが取れたハイスペックな人だなぁとの印象でした。非日常のステージを離れれば、ちゃんと地に足のついた日常に戻って生きることができる。この軽やかさと安定感は凄まじい。子育てとかも、スターの子どもとして特別に育てたくなかったと言ってましたし。ビビったのはロッカーとしての活動が停滞した80年代以降は、俳優やミュージカルに挑戦し、演じるだけに留まらずに作品も書いていたこと!てっきりバンで貧乏ドサ回りとかしていたと思ってましたが、ぜんぜん違った!パイセンまじでスゴいです!
そして、お決まりのドラッグ依存とかあるのかと思いきや、そういうのは全く無し!セルフコントロールがバッチリなんですよ。ロッカー時代も、ちゃんとステージのオン/オフを意識してましたし、酒とタバコ以外は手を出さずドラッグは全くやらない。90年代くらいでもこれだけコントロールできていたのはジョンスペとかごく一部なのに、70年代でこのきっちり感!しかも、きっちりしている人にありがちなダサい真面目さ(例:ザ・バンドのロービー・ロバートソン)がなく、ピュアにロケンローラーなのがめちゃくちゃ、マジでめちゃくちゃカッコいい!
スージーパイセンって、なんか現代的なんですよね。自分の中の多様性を受け止めて、それらを排除しないで大きな器で受け止めて生きる感じがあります。
逆に言えば、これまでのわかりやすいロッカーの定番パターンを生きていないので、わかりやすいドラマティックさはなかった。しかし、そんなモノはどうでもいい!わかりやすくはないかもしれないけど、このような複雑さを抱えて生きる姿こそ21世紀のロックですよ!スージーパイセンは未来人だった!現在のパイセンはどことなくオジー・オズボーンに似たふっくらフェイスの明るいオバちゃんなんですが、それもまた説得力があります!インタビューの時も表情がくるくる変わって面白い。
そして、スージーはアメリカで成功しなかった。パイセンをリスペクトして止まないジョーン・ジェット先生やランナウェイズ仲間のシェリー・カーリー(なんとエンディングでパイセンを讃える曲を歌っていた!)、デボラ・ハリー、L7のドニータらは口を揃えてこう言います、「アメリカでは早すぎた」と。
音楽的にはヘヴィなブギーでAC/DCが受け入れられるのであれば売れそうですが、いわゆる『女だてらに』ベースをかき鳴らし、男どもを従えたロックが実は何処よりも保守的なアメリカでは受け入れられなかったのではないか、と本作では語られていました。
そのような背景を持ちながらも、パイセンは特にフェミ発言はせず、煽りもしなかった。その理由はパイセン曰く「あえて言う必要はない。私はここに存在しているから(here I am)」。存在で、態度で示しているというワケです。この説得力、パイセンかJBかってレベルでありますよ!スゲェ!
このパイセンのイズムを受けて、ジェット先生はギターを持ってランナウェイズを結成!初期はルックスもパイセンをトレースしすぎてきてボーカルのシェリーに「アンタはスージー・クアトロじゃないのよ!」とたしなめられる始末。しかもジェット先生、若い頃にスージーのポスターをパクった疑惑があり、現在のインタビューでそれを詰めらても微妙な顔で誤魔化していたの最高!いいわ〜!
パイセンの最大の功績は、これまで男の専売特許と思われていたロックでの楽曲演奏を、女であっても関係なくできるということを存在で証明したことでしょう!その意味ではラモーンズに通じる革命的な存在だったと思います。まさにジェット先生なんかはこのイズムでギターを持ったワケだし。
トーキング・ヘッズのベーシスト、ティナ・ウェイマスもパイセンの影響を受けていた。トーキングヘッズに入る前までは、ロックバンドで演奏するのは男とばかり思っていたようで、想像もできなかったようです。しかし、彼氏でドラマーのクリス・フランツにスージーパイセンを教えられ、ティナは開眼!こうしてトーキング・ヘッズのベーシストが誕生したとのことでした。パイセン偉大すぎる!
先に述べたように姉妹との軋轢を抱えて生きたスージーパイセン。パイセンは家族大好きなので受け入れてほしいと願っていますが、姉妹たちの反応は結構辛辣。妹とかは「彼女はすごい、でも私はファンじゃない」とか言っており、しこりはまだある様子。とはいえ、ちゃんとドキュメンタリーにも出てくるし、恩讐を超えていないものの、それなりに仲良くはできている印象です。
これもまたスージーパイセンの多様性を語る上で重要かも。完全な和解はなくとも、7割くらいの和解でも意味があることを伝えてくれているように思えたのです。パイセンも寂しそうに姉妹について語りましたが、それでも受け入れつつ、現状を肯定している印象でした。
人は完全に解り合えないように、完全に赦し合えないのかもしれません。それでも、断絶せずに折り合うことは可能でしょう。その折り合いを学んでボチボチのところをキープしながら、その不完全性を受け入れつつ肯定しながら生きることが、22世紀にむけて獲得すべき人類のスキルだと感じています。スージーパイセンはやはり未来人!スライと一緒!
ドキュメンタリーとしては普通の造りでしたが、スージーパイセンの想像以上の傑物ぶりに感動感動、また感動!サイコーでした!
私はずっと自分を生きたかった
そして、ついに私は自分を生きて、
いまここにいる
私は自分が得たものを解ってるし、
誰も私からそいつを奪えやしないよ
よく聞きな
私が何者なのかを
Suzi Quatro ”The Wild One”
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