去年マリエンバートでのレビュー・感想・評価
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難解!男女の普遍性を時間の円環で描いた?
20~30年前に見て以来、そういえば難解な映画があったなと思って視聴。冒頭、ゴシック調の直線のホテルの廊下に、様々な装飾、陰鬱な暗さと音の無い空間。そこだけ時間の流れが止まっているかのような。廊下を突き当たると、男女二人の演劇が行われていて、何十人かの観客が彫像の動きをするかのように見守っている。その演劇は、どうやら、この映画の主人公の男と女の物語のようだ。終わると、スタンディングオベーション。その後の観客のセリフは、この演劇と主人公二人の出来事について説明しているようだ。その出来事は、28年か29年の夏?に起きたよう。客のセリフを通じて二人の状況を語らせる。男の名はフランクで、女の父の友人で監視役としてドイツから来た。フランクと女の夫とのゲームは、夫が勝ち続ける。夫は、かなり賢そう。フランクは、1年前に女とこのホテルで出会って、愛を育んだと伝えるが、女は覚えていない、人違いと言う。女の記憶がない状況でのホテルの風景は、無機質で、フランクには意味を失った空間のよう。
二つの彫像のシーンは、男は女を止めるような仕草で、女は何か素晴らしいものを示すかのような仕草。過去の出会いは、女の方が男を誘うかの仕草で、男は女の真意を探りつつを示唆しているよう。女は、男が見つめているのに気づきながら、視線を合わせず。そうされるほど男は、女を追いかけたくなるのでは?
恐らく、二人の心象風景を中心に描くため、他の人物は表情やセリフを発しない。フランクのモノローグの説明と、夫妻のセリフで物語は進む。自分は、ピカソの絵を映画にしたような感じがした。二人の心象風景をそのまま映像表現にすると、こんな感じになるのではないだろうか。ピカソが遠近法を無視した如く、時間軸を破壊して表現をしたということ。
フランクは、ホテルを二人で出ようと誘うが、女はできない。「なぜ、自分でなければいけないのか?」去年は、夫がベッドに寝そべる妻を拳銃で撃っていると男は告げるが、女は覚えていない。これもフランクの妄想なのか、「女が死んでしまうのは違うと」。その後、フランクが妻の部屋を訪れるが、彼女と結ばれたのは決して力づくではなく、彼女が喜んで迎い入れたのだと。これも妄想の臭いがした。フランクと妻が夜に逢引きしていて、妻は1年間待ってと懇願。夫が近づいてくる時、妻がフランクに「消えて」でフランクは手すりが崩れて落下。妻が叫び声をあげる。場面はホテルに暗転。驚いた表情の妻に夫が声をかける。過去と現在が繋がったかのような表現であった。
鏡の前の妻が立っているシーン。フランクのモノローグ「もうこのホテルには住めないはず、このだまし絵の建築の中で」。この時、鏡の中には、妻の姿が3つ。まるで時間が循環するかのように妻が映っている。
夫は妻が出ていくのを引き留めない。フランス式庭園の迷いようのないホテルで二人は永久に迷っているで、FIN。
物語の要約を綴ってみたが、これだけでは解釈が困難だ。更に踏み込んで解釈しようと思う。
フランクに、何年も待つというようなセリフがあるところ、二つの彫像の使い方、時が止まったかのようなホテルと人々の動きを止める演出、妻の行動を知るはずない箇所でもフランクがその行動を説明をしていることから、客観的、普遍的な視点で描いているように感じた。と共に、二人が永久に迷っているという演出から、円環のように時間が繰り返されている映画かと。そうなると、男性と女性の普遍性を描いているのではないか。女性が思わせぶりで誘い、男性が追いかける。女性の心は変りやすく、人々の噂になることを好まない。夫にばれれば、妻が殺される場合もあるし、一緒になれなければ、男が悲観して亡くなる場合もある。ずっと時間の円環構造から逃れられない中、毎年のように二人の物語が繰り返されていくというストーリーではないか。それによって、男と女の関係の普遍性を描くことになるのではと思う。
謎は謎のままという魅力、魔力
E.jongの小説に出てきて、興味本位で見た映画です。これを観ないと小説のほうの中身が理解できないような気がして。が、結果として忘れられない映画になりました。
あらすじもネタバレも解説も、何度も読み込んでから観ました。
でも、正解はこれ、と自信を持って言える解釈にたどり着いたかというと…
ストーリーは、ものすごく大ざっぱにまとめると、Xが、人妻のAに迫って、夫のMが傍観者…というものです。
で、XとAの記憶?は妄想で、Mの記憶だけが事実…なのですが、それ(と、現在のできごと)がシャッフルされていて、まさに客観的な事実は観客にはそうそう分からない仕掛けになっています。
そして、モノクロ映像なのにというか、むしろモノクロだからなのか、影が、庭が、衣装がとにかく美しい。何の暗喩なのか異常に長い影(だいぶ怖い)。計算され尽くしたような庭。もっと人工物であるはずの衣装よりもさらに人工的に見える庭。
衣装が謎ときの鍵になっている(衣装で時系列や誰の記憶かわかる)んですが、衣装はシャネルらしいです。途中、Aが真っ黒なファーが袖口についた衣装で安楽椅子にもたれ、甘い口調のフランス語で「およしになって」みたいなことを言うシーンがあります。少し俗で、相手にむけた媚やふくみがあって、謎めいてもいて、ぐっと惹き込まれました。
楽しいわけでも、悲しいわけでもないし、感動するかというと、それも少しずれた感想になりますが。謎、人工美、抑えつけられた官能、そしてスノッブな一面…そういうものが混ざり合って、妖しい毒のように出来上がった映画だと思います。
カラーにリマスターされたんですっけ?見たいような、見たくないような。もし、見る機会があれば、考えるのを放棄して観ようかな。
凡人には分からない
絵画なら抽象画、音楽なら前衛音楽というジャンルの映画版だ。というわけで凡人には理解不能だった。
モノクロによる、お城の内部、外の庭園をバックに人物を絵画のような構図による見せ方は素晴らしかったので、単純なストーリーだったらもっと高い評価を与えていたかもしれない。実際には肝心のストーリーは難解で字幕を読むだけでも苦痛であり、時々居眠りをして、なおさらストーリー展開がわからなくなってしまった(居眠りをしなくてもわからなかったかもしれないが)。
音楽については、パイプオルガンが流れるシーンとそれ以外の音楽が流れるシーンとで、何か意味を持たせていたのかもしれないが、いずれにしても訳のわからない映画だった。
ただ、アフレコがこの時代にしてはぴったりと合っていて、モノクロの綺麗な画像とともにフランス語の語感の響きが気持ち良かった。
世界一難解な映画(らしい)が世界一退屈な映画ではない
正直に言おう。鑑賞中うつらうつらし通しであった。豪華なホテルのインテリア時々庭園を延々と写し続ける映像、淡々と続く男のモノローグ。これで眠くならない方が無理という話だ(と自己正当化)。うつらうつらしていると突然大きな音や叫びでハッとする。そして今度はしっかり眼を開けておかないと思ってもしらずしらずのうちにウトウト。それから又ハッ。それの繰り返し。でも退屈なわけではない。何か大層なものを観ているという感じ、また観ないといけない思わせる何かがある。最初は、男のモノローグがほぼ途切れなく続くので(同じことを何度も繰り返すし)、モノローグは説明に過ぎず映像を追うべきではども思ったけれど、やっぱるウトウト…話自体は単純な三角関係、不倫、前の男と別れるのに踏み出せない女、待てない男、みたいな感じ。でも本当にそうなのであろうか分からなくなってくる。もしかすると男の勝手な妄想かもしれない。恋愛が存在していたとしても昔の追想かも知れない。全ては出口のない(過去か現在か未来かわからない)ホテルの中をぐるぐる回っているだけなのかも知れない(
何度やっても同じ結果になるゲームのように)。(淀川長治先生が仰ったように)またこの映画と格闘する気になったら又観ましょう。
“計算された迷宮”に混沌と迷い込む
1人の男の繰り返されるセリフを聴きながら、華麗に装飾された天井の、延々と続く長い廊下を進むカメラ。この冒頭シーンで、レネ監督は我々を幻想の世界へ誘う。綿密に計算して構成された物語をバラバラにして再構築した本作は、黒澤明の『羅生門』からイメージされた、3人の登場人物の“記憶”の違いを描くものだ。しかしレネ監督は、1つのストーリーの一人称をぼかし、我々を混乱に貶める。何が真実なのか?何が嘘なのか?しかしその真実も嘘も、いったい“何”に対してのものなのかさえ判らない。
ゴテゴテと装飾過多な暗い城(ホテル)の中と、幾何学的に整えられたシンメトリーの人工的な庭園の陽光、対比が鮮やかな美しい映像。その城に集まる人々はまるで彫像のようだ。「去年、マリエンバートでお会いしましたね」執拗にヒロインに思い出話を聞かせる男は、本当にヒロインがかつて愛した男なのか、卑劣な詐欺師か、それとも単なる勘違い男なのか?
覚えていない男の愛の言葉を聞くうちに何が本当か嘘か見分けのつかなくなるヒロインも、果たして本当に貞淑な妻なのか、不倫に燃える情熱家なのか、それとも男を手玉に取る悪女なのか?
“計算された迷宮”に迷い込む登場人物と、それを観ながら“混沌とした迷宮”に迷い込む私。おびえた鳥のように大きな瞳を見開き肩を縮ませるヒロインの表情が眩惑的で、ますます虚実の判断がつかなくなる。
そんな中で、泰然としている夫の存在が何やら不気味だ。いつも妻の愛人とゲームで勝つ彼は、針金のような容姿にもかかわらず、常に2人を上から見ている。「真実」を知っているのはこの夫だけなのかもしれない・・・。ではその「真実」はいったい何なのか?そもそもこの登場人物は存在しているのか?城に住み着く亡霊ではないのか?我々が迷い込んだのは、虚実の迷宮ではなく、この世とあの世の境ではないのか?だとしたら、この夫は黄泉の扉を開く番人なのではないだろうか?そう考えると本作に漂う寂寥感の意味が解る・・・ような気がする・・・。
いや、そんな“答え”などいらない。映画史上最も難解とされる本作においては、恐ろしいほど美しく詩的な迷宮に、ただただ身を任せばいいだけだ・・・。
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