去年マリエンバートでのレビュー・感想・評価
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短期記憶と考察と
男と女は一年後に、約束通り再会した。
しかし、女は一年前の出来事どころか、約束したことさえ覚えていない。
去年マリエンバートで出会ったことや二人の出来事を、なんとか女に思い出させようとする男と、その回想。
静止する人々の中で自分と男だけを動かして、女は記憶を徐々にクリアにし、回想する。
だが、夫も介在してくる。
複数の視点で特定の事象を観るという代表的な作品だが、ホテルとその庭園が舞台で、時制や誰の視点・回想なのかキャッチアップするのに苦労する。
ココ・シャネルのデザインしたドレスに注目しても、モノクロなので、途中からこんがらがってくるし、静止してるはずの人が少し揺れたり、浮いてる男を見つけて、そっちに気を取られたり(笑)、本当に集中力を要する。
あと、ゲームも思考の邪魔をするし…。
黒沢さんの羅生門は、同様な手法で、人間のエゴを炙り出したとされるが、この映画は何を言いたいのだろうか。
きっと、そこがポイントではないのだろう、とても実験的な映画だ。
難解と言われているが、僕は、男と女は、「去年マリエンバートで」死んでいるのだと思う。
男は庭園の高い場所から落ちて、女は夫に撃たれて。
そして、死んだことを当初はお互い理解していない。
男も実は死んだことを理解してなかった。
最後に。女と男は記憶を取り戻し、ホテルを出た。
もしかしたら、二人は一年もの間、約束の日まで、そこにとどまっていたのだろうか。
考えると切ない気もする。
映画研究では重要な位置づけの作品なので、興味のある人は調べてみてください。
4Kリマスターで、ココ・シャネルのドレスは余計きらびやかになりましたが、どのみち、あれ?あれ?みないな、集中力は途切れましたね、僕は。
読むのに必死でした
“計算された迷宮”に混沌と迷い込む
1人の男の繰り返されるセリフを聴きながら、華麗に装飾された天井の、延々と続く長い廊下を進むカメラ。この冒頭シーンで、レネ監督は我々を幻想の世界へ誘う。綿密に計算して構成された物語をバラバラにして再構築した本作は、黒澤明の『羅生門』からイメージされた、3人の登場人物の“記憶”の違いを描くものだ。しかしレネ監督は、1つのストーリーの一人称をぼかし、我々を混乱に貶める。何が真実なのか?何が嘘なのか?しかしその真実も嘘も、いったい“何”に対してのものなのかさえ判らない。
ゴテゴテと装飾過多な暗い城(ホテル)の中と、幾何学的に整えられたシンメトリーの人工的な庭園の陽光、対比が鮮やかな美しい映像。その城に集まる人々はまるで彫像のようだ。「去年、マリエンバートでお会いしましたね」執拗にヒロインに思い出話を聞かせる男は、本当にヒロインがかつて愛した男なのか、卑劣な詐欺師か、それとも単なる勘違い男なのか?
覚えていない男の愛の言葉を聞くうちに何が本当か嘘か見分けのつかなくなるヒロインも、果たして本当に貞淑な妻なのか、不倫に燃える情熱家なのか、それとも男を手玉に取る悪女なのか?
“計算された迷宮”に迷い込む登場人物と、それを観ながら“混沌とした迷宮”に迷い込む私。おびえた鳥のように大きな瞳を見開き肩を縮ませるヒロインの表情が眩惑的で、ますます虚実の判断がつかなくなる。
そんな中で、泰然としている夫の存在が何やら不気味だ。いつも妻の愛人とゲームで勝つ彼は、針金のような容姿にもかかわらず、常に2人を上から見ている。「真実」を知っているのはこの夫だけなのかもしれない・・・。ではその「真実」はいったい何なのか?そもそもこの登場人物は存在しているのか?城に住み着く亡霊ではないのか?我々が迷い込んだのは、虚実の迷宮ではなく、この世とあの世の境ではないのか?だとしたら、この夫は黄泉の扉を開く番人なのではないだろうか?そう考えると本作に漂う寂寥感の意味が解る・・・ような気がする・・・。
いや、そんな“答え”などいらない。映画史上最も難解とされる本作においては、恐ろしいほど美しく詩的な迷宮に、ただただ身を任せばいいだけだ・・・。
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