ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュのレビュー・感想・評価
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このお母ちゃんキャラの魅力と信念には誰も抗えない
なんの専門知識も持ち合わせていない主人公が、誰よりも強い信念を胸に抱き、巨大な岩を動かそうと奔走するーーーハリウッド映画が飛びつきそうなジャンルと題材ではあるものの、このトゥルーストーリーがご当地のドイツで映画化されたことで珍しい手触りの良作に仕上がった。魅力的なのは主人公がまさに”肝っ玉かあちゃん”なところ。こうと決めたらテコでも動かない。息子のためならどこへでも足を運ぶ。そんな姿と性格と行動力を一目見ただけで、世界中の観客がなんだか妙に放っておけない身近な人に思えてしまうはず。彼女の情熱に突き動かされように行動を共にする人権派弁護士の頼りがいのある人柄も本作の魅力を担っている。ただし、彼らにできるのは各所に働きかけること。あとはキャンペーンを張ってただひたすら結果を待つのみ。その過程がいささか単調で、展開力に欠けるきらいもあるが、観る者の人間性に訴えかける作品であることに変わりはない。
やや薄味
9.11のテロ以降、アメリカはなりふり構わぬ復讐戦に打って出ます。キューバ国内にあるアメリカ領のグアンタナモ収容所はその象徴で、少しでも嫌疑が掛かった人は、米国法の及ばないここに閉じ込められ非人間的な拷問が繰り返されたのでした。
本作は、ドイツ居住者でありながらトルコ系であるが故にグアンタナモ収容所に拘禁された息子を取り返すべくブッシュ大統領を相手取って訴訟に立った母ちゃんの実話に基づく奮闘記です。諦めない彼女の執念を軽やかに描いているのは心地よく、主演のメルテン・カプタンの愛嬌たっぷりの表情には観る者の頬も思わず緩んでしまいます。しかし、事件の経緯説明やアメリカ政府の理不尽な対応の描き方もやや薄味だったのが少し勿体なかったかな。
ミセス・クルナスvs.ジョージ・W・ブッシュというより、・・・with! 人権派弁護士
あまり期待してなかったのと、主人公がドイツ在住の「トルコ系移民」であることを見始めて初めて知ったので意外と引き込まれた。
不幸な偶然からか息子がタリバン派の疑いで数年も収監された状況で、あの能天気な母さんぶりはないだろ、と思わないこともなかったけど、思い切りフェミニストとして解釈してみた。
・頼りない夫、まだ幼い息子たちという残された家族・家庭を盛り立て生きていくには、深い悲しみや怒りは普段はぐっと胸の底にしまって過ごさないと前に進めないことを知っている肝っ玉母さんの哀しみ。
・全然痩せないところも真実の表れ。人はやるせないと食べて食べて、ストレス太りもする。
・だからこそ、公式な会見の席での即興のスピーチでは、嘘のような本当のシリアスさで彼女の心の吐露が。それが初対面の記者たちの心まで動かす。あれは日頃の様子との矛盾ではなく連続。
弁護士さんとの「純愛」っぷりが素敵でしたね!それが一番の好感度の源かな。
妄信的息子愛
世界中の母が胸をかきむしられるような内容に思いがけず涙か止まらなくなりました。
あまり情報を入れずに鑑賞したためもありますが。
序盤からお母ちゃんパワー炸裂で、猪突猛進やかましか〜wwと。
しかし大小はあれどお母ちゃんは子どものためならリミッター解除も都合の悪い情報を遮断する事も自動で発動するものなのでしょう。
凄いよね親ってさ。
自分の命尽きるまで諦めないよ。
多分。
脚色はあれどどこまでが真実なのか分かりませんが、なんと民間の力の弱いことか。政治の道具として命や人権の軽いことか。
信じることを貫きたいだけなのに削られて疲弊して、それでも手を取って背中をさすってあるかどうか分からない希望に向かって進むしかない。
その中でメルケル首相の対応の速さは尋常じゃないのでは?
ことが動くとはこういう事なのか。
そしてやはり戦いは人を狂わせる。
自分の足元を確認し、周りを見渡し、己の目と耳で考えて生きなければと痛感。
お母ちゃんパワーがなかったら暗い要素しかないストーリー。
何事も明るく鼓舞するように大音量で音楽を流しながら猛スピードで運転をする彼女と家族に幸多かれと祈らずにはいられない。
アメリカって国はほんとにもう…
エンディングに表示される字幕に暗澹たる気持ちになる。映画事態はトルコ系のおっかさんが、ちょっとミーハーで肝っ玉かあさんでたくましいなと。実際の親子と弁護士の写真も出てくるが、そっくりに演じていたのが驚き。
母は強し!
人種系の問題って他人事とは思えない。
だいたい観ていてしんどい。でも観ずにはいられない。だって『人』が決めたルールに基づいてるものなんて『人』によっていとも容易く変容してしまう。そんな掌返しの大変さを色んな国で幾度となく経験している自分の父親の話を聞いていると、今ある幸せが当たり前だと思うな、と心底感じるようになる。
でも、この作品は陽気なおばちゃんのおかげで重苦しくなくて観られた〜ε-(´∀`; )
最初は世間知らずなお気楽おばちゃんになんだかもどかしさを感じたりもしちゃったけど、年単位で時間がかかるこういった問題ではこの明るさがとっても大事なのね。おかんの心が折れそうになったりするとこっちまで辛くなる。
こーゆー『子を想う母』を見てると、人種も国も文化も歴史も何もかも違っても、母親だけは万国共通だなーと感じで安心する。
本当にあったこと、という話だけど、オカンの元に息子ちゃんと戻ってきて本当に良かった😭
ラビエおかんも弁護士ベルンハルトも本人と演者さんがそっくりやん(*´艸`*)よく見つけてきたなwww
ミセス・クルナスはアメリカのショッピングモールにいそう
前半はわりとコメディタッチ。
グアンタナモは『モーリタニアン』で知ったけど、いろいろ厳しめな印象。
そんな所に息子が収容されたってのに、観光気分で悲壮感もなくて、ラビエおばちゃんすぎ。
とはいえ、何年も拘束されているあの状況で終始ふざけてばかりもいられず、ちゃんと社会派ドラマ部分も描かれている。
人権派弁護士って、変に攻撃的であまり良いイメージは無いけど、ベルンハルトさんは良い弁護士だった。
けっこう好きな映画。
実話恒例のご本人登場、今回は写真だったけど、2人ともよく寄せてる。
デジタルタトゥーとはよく言ったもんで、米軍の女性兵士も20年経って、あの写真を蒸し返されるとは。
普遍的な法と人道主義
2022年。アンドレアス・ドレーゼン監督。9・11とアフガン紛争以降、アメリカ軍の収容所として悪名高きグアンタナモ。息子がそこにいると聞いたドイツ在住トルコ人の母親が息子を取り戻すために5年にわたって苦闘する。
まずは単純なアメリカの独善的行動やグアンタナモの非人道的扱いを批判するものではないところが特徴。ドイツにいながらトルコ国籍にこだわり、イスラム教原理主義に惹かれていた主人公の姿もしっかり描いている。だからこそまさに、そのような疑わしい人であっても推定無罪の論理によって、法と人道主義は犯すことはできないのだ、という逆説的な描き方になっている。だから、からっと明るい一直線のヒューマニズム映画ではないし、母親のユーモラスな言動がそこかしこに見られてくすっと笑っても、どこか重苦しさが漂っている。
ここで問題になっている法と人道主義は内容を問わない極めて形式的なものだ。日本語タイトルとはことなって、具体的な法の条文を巡って法廷で戦う展開にはなっていないし、人道主義の具体的なあり方として解放を訴える展開にもなってない。法は法であるというだけで、人道主義は人道主義というだけで、内容とは関係なく形式的に持つ意味があるのだ。要するに、普遍的法と人道主義をめぐる映画。
トルコ人 ムラート・クルナス 悲劇の物語
ミセス・クルナス vs. ジョージ・W・ブッシュ
神戸市内にある映画館シネ・リーブル神戸にて鑑賞 2024年5月7日(火)
パンフレット入手
グアンタナモ収容所に収監された無実の息子を救おうとするドイツの母の実話を映画化
この作品は「年表」が詳しいです。最後にはドイツのメルケル元首相が登場します。
実際の事件の年表(パンフレットより)
2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ事件発生
2001年10月 ドイツ在留資格を持つトルコ人の造船見習いムラート・クルナス(19)が、フランクフルトからパキスタンへ出発、翌年の冬にトルコ人の妻を呼び寄せる予定で、イスラム教の信仰を確かにするためコーラン講座を訪れようとしていた。
アメリカがアフガンに侵攻。
ラビエ・クルナス(メルテム・カプタン)がブレーメンの警察に訪問。息子の情報を提供し彼にかけられている罪状を知る。検察はムラート・クルナスに対する訴訟手続きを開始。最初の容疑は「犯罪結社の結成」であった。
2001年12月 犯罪の容疑が不十分にも関わらず、ムラート・クルナスはパキスタンで逮捕され、地元警察からアメリカ軍に3,000ドルで引き渡される。アメリカがテロ容疑者の引き渡しに懸賞金を出していた。
2002年1月 ドイツの社会民主党・緑の党の連立与党は、ドイツ在住のムラート・クルナスというテロ容疑者がアフガニスタンの地でアメリカに拘留されていることを知る。ドイツの連邦刑事庁はFBIとの情報交換に協力する。
グアンタナモ湾収容キャンプ内の写真が始めて公開される。被収容者たちは、戦争捕虜としても拘束された民間人としても認められていない。国際法や憲法に反して、アメリカ政府らは彼らの法的地位を奪っている。
複数の報道機関が初めてラビエ・クルナスに接触し事件を報じる。嫌疑不十分なことや場所、拘束状況も知らずに、ムラート・クルナスは「ブレーメンのタリバン」と呼ばれた。
2002年2月 ムラート・クルナスがグアンタナモ収容所に移送される。ドイツではラビエがヨシュカ・フィッシャー外務大臣に手紙を出す。フィッシャーはムラートがトルコ国籍ということを踏まえ、アメリカはドイツを交渉相手として受け入れないと返答する。ラビエは国際赤十字とトルコ大使館にも支援を求める
2002年4月5月 ムラート・クルナスから初めての手紙が届く。そこには「僕が逮捕される根拠はひとつもない」と書かれていた。ラビエはブレーメンを拠点とする弁護士ベルンハルト・ドッケ(アレクサンダー・シェアー)の事務所を訪れ、弁護を引き受けてもらう。
2002年9月10月 ドイツの連邦憲法擁護庁と連邦情報局(BND)の3人の職員が、グアンタナモでムラート・クルナスを尋問する。彼らは、ムラートは不適切な場所におり、テロリストである疑いはないと、結論づける。アメリカもまた、彼は無実であり危険ではないと考えた。その時点でアメリカはムラートをドイツに保釈しようと試みるが、連邦首相府とドイツの治安当局の責任者に拒まれ、失敗に終わる。さらにムラートの在留資格をはく奪し、ドイツへの帰国を阻止する手続きを開始。その理由は、彼がドイツ国外に6ヶ月以上し、在留資格の更新を申請していなかったからである。こうした状況が明らかになったのは、数年後のことだった。
ベルンハルト・ドッケはドイツ国民に、この事件の状況や、とりわけアメリカが行使する権利欠如の違法性について、定期的に情報を提供している。
クルナス家は、いまだにムラートと個人的な接触を持てずにいる。
2003年 法的な進展がないまま1年が経過。自身の著書に書いているように、ムラート・クルナスは収容所で非人道的な拷問を受けた。こういった悪習の数々が公になるのは、それから2年後のことである。
2004年3月 ラビエ・クルナスとベルンハルト・ドッケは、他の被収容者の親族とともにワシントンを訪れる。その目的は、ムラートのようなグアンタナモの囚人が不当に拘束に対して法的な行動を起こす権利を認めるよう、公の行動やメディアへの出演を通じて、アメリカの政治や司法に圧力をかけることである。アメリカの人権団体と協力し、ラビエは最高裁で息子のテストケース裁判に参加する。
2004年4月 ラビエ・クルナスとベルンハルト・ドッケは、最高裁での公判に参加するため再びワシントンを訪れる。
2004年6月7月 2004年6月末、最高裁判所は、法的訴訟を起こす被収容者を支持し、ブッシュ政府を非難する判決を下だした。弁護士であるバヘア・アズミー教授が、アメリカの法廷においてムラート・クルナスの弁護を担当することになる。7月下旬、ワシントンの連邦地方裁判所に拘留の見通しや、調書の閲覧、面会を求める訴訟を起こす。
2004年10月 ベヘア・アズミー教授が初めてムラート・クルナスと面会。アズミーとドッケは、ムラートに対する申し立てを含む調書を受け取る。告発の中には不合理なものもあり、反証するのは簡単なものばかりであった。それにもかかわらず、グアンタナモの特別軍事法廷はムラートを'敵性戦闘員'に分類する。
2005年1月 連邦地裁判事のジョイス・ヘンス・グリーンが、グアンタナモでの拘留は違法であるとの判決を宣言。特にムラートのケースを取り上げ、「無罪を証明する証拠は無視されていた。逮捕状は発行されるべきではなかった」と述べた。アメリカは控訴を申し立てた。
2005年3月 メディアによって、ムラート・クルナスがトルコに送還されると報じられる。家族と弁護士はトルコに向かうが、誤報だと判明。ムラートは依然としてグアンタナモにいた。
2005年11月12月 ドイツで政権交代が起こる。ムラート・クルナスの事件に深く関わったフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー前連邦首相府長官が、連邦外務大臣に就任。
ブレーメンの行政裁判所が、ムラートの在留資格取り消しを違法と判断。
ベルンハルト・ドッケがアンゲラ・メルケル新首相に手紙を書く。彼女は返事の中で、保釈を支持すると約束する。
2006年1月 ムラートのドイツ移送のための独米交渉が始まる。
2006年8月24日 ムラート・クルナスはドイツ南西部ラインラント=プファルツ州にあるラムシュタイン米軍基地に降り立ち、家族と弁護士に迎えられる。
以降
保釈後、ムラート・クルナスは連邦議会の2つの委員会で証人尋問を受ける。連邦情報曲の調査委員会ではドイツが早期釈放を妨害したかどうか、国防委員会ではカンダハールにおいてドイツ陸軍の特殊部隊「KSK」の兵士から虐待を受けたかどうかについて。また欧州議会と米国議会から証人として質問を受けた。
ムラートに対する罪状や申し立てはすべては虚偽であることが証明され、ブレーメンの検察庁が開始した予備手続きは嫌疑不十分でうち切られた。
ムラートは現在まで、彼が被った不当な仕打ちに対する保証も公式謝罪も受けていない。
ムラート釈放に尽力した人々の多くは、以後もその仕事で活躍し続けた。
グアンタナモでの拷問の責任者は起訴されなかった。
ムラートと弁護士ベルンハルト・ドッケともに、学校の講演会や数えきれない程のインタビューで人権の重要性を訴えた。
現在ムラートはブレーメンに住み、3人の子供の父親である。青少年のためにスポーツを教えたり、言語・文化のメディエーターとして活動している。
監督 アンドレアス・ドレーゼン
感想
コミカルな母親ラビエが気になるが
息子のムラートはなんの罪もないのに逮捕されたり、テロの容疑者になったり、グアンタナモまで行って拷問受けたりとかなり残虐なストーリーではと感じます。
もっと取り上げてもいい作品
9.11の直後になぜか素早く「アルカイダ」が実行犯であることを特定され、アメリカ国民のみならず世界中で「アルカイダ」=「イスラム教徒」=「テロリスト」の(間違った)認識が広まったところに、イスラム国家であるトルコから(国籍変更していない)ドイツに来て定住していた家族の長男が「嫁さんのために」敬虔なイスラム教徒になろうとしたことが全ての悲劇の始まり。
9.11の実行犯とされたテロリスト=アルカイダ=イスラム教徒すべてをアメリカの敵と決めつけた当時のブッシュ政権と、それに乗せられたアメリカ人により、無関係なトルコ人がイスラム教徒と言う理由だけで拘束されその後も憎悪される。
ドイツに住んでいながらトルコ国籍のまま・・・日本にも同じような「特定外国人」がいるため他人事とは言えない・・・ドイツの役所もトルコの役所も「自国民ではない」ことを言い訳に本気で動こうとしないお役所体質。
キューバに残された唯一のアメリカ領であるグァンタナモ収容所は「国外」であることを言い訳にアメリカの施政権が及ばない「無法地帯」と化している。
これらすべてのネガティブ要素と何年も辛抱強く戦い続けた弁護士と母親の奮闘には(実話であるだけに)感嘆しかない。SNSの無い時代に数少ない(良心を持った)味方を見つける苦労。乗り気でないマスコミを抱き込んで、やっと釈放にこぎつけたが、喜ぶには時間がかかりすぎた。(幕間に挟まれる・何日経過の数字が重い) エンドロールで更に気が重くなった。
唯一クルナス母さんの底抜けの性格とタクシー運転手の逸話に救われた。
日本でも過去の冤罪事件が少しずつ解決を見ているが、それらに関心を持った人、アメリカの中東政策に関心を持つ人、ドイツに移住したトルコ人の境遇と移民問題に関心がある人・・いろんな人に見てもらいたい。
事実を伝える作品
68本目。
大阪のオバチャンな感じ。
そういう事があると言う事実を受け止めつ観てるけど、キャラが強すぎなのか、ストーリー自体、淡々と進んでる感じ。
感動を押し付ける作品ではなく、事実を伝える為なのかなとは思う。
うるさめなオカンだけど、あのパワーじゃないと闘えなかったかもね
9.11後のアメリカですから、対テロにセンシティブになっていたのでしょう。
それにしてもグァンタナモ収容所に長いこと幽閉され、それでいて罰せられもしない。
そんな理不尽な仕打ちに拳を振り上げる母!とにかくパワフルです。
お国柄の違いがあるので、子供の頭をひっぱたくようにかわいがるシーンや車の停め方が荒いなどに違和感を抱いてしまうし、子供に対する過干渉のような接し方、あれじゃぁ息子もウンザリして行く先告げずにフラッといなくなるのも分るよな、なんて思いながらスクリーンを観ていました。
それでも、あの自己中心的とも思われるグイグイ加減があるから最後まで闘い抜けたのでしょうね。下の子供たちの生活だってあるのだから、現実を見据えた父親の諦めにも似た言動と対照的でした。
理不尽なことには屈服せずに手を尽くす、子供の行く末を案ずる「食べているのだろうか?眠れているのか?」その思いは万国共通なのだと、ちょっと胸アツにもさせてもらいました(あと、弁護士さんは本人とそっくりでしたね!)。
それにしても、ドイツじゃベンツの従業員はオープンタイプのベンツ、新車を購入できるんだ!とか、足枷をはめられ続けたせいでチョコチョコ歩きになった息子を見て「ゲイシャ(芸者)歩きやないかい!」と突っ込む辺りは新鮮でしたね。
まず、グアンタナモってオバマの時に解決したんだと思い込んでた この...
まず、グアンタナモってオバマの時に解決したんだと思い込んでた
この映画の最後に今も収容されている人がいると知ってびっくりだった
■ ■ ■ ■ ■
続いて映画としての評価
テーマは良いし好きなんだけど、
映画作品としての魅力が、、、
キャスティングも良い気がするんだけど、
何がいけない?
編集?
脚本?
ユニークだけど考えさせられた作品
ドイツ版エリン・ブロコビッチかと思わせる
作品だったがスケールが大きく中身が濃い。
ユニークな作品設定。
クルナスの喜怒哀楽が、家族・ドイツの人権派弁護士・アメリカの人権団体に伝わり息子を奪還できたのはクルナスの熱意、熱い思いからだろう。物凄く伝わった。
2001年9月11日の同時多発テロは忘れてはならない。
観なければいけない映画
だった。
9.11の反動で、タリバン容疑者であれば、法を逸脱した厳しい扱いをしていたアメリカと、アメリカによってキューバに設けられた収容施設に囚われたトルコ国籍ドイツ在住の息子。息子を助けようとする母親と弁護士、の話。
まるで戦時中の捕虜の扱いかのように感じる逮捕収容者への対応。テロ後の少なくとも5年間は、アメリカは心情的には戦時下だったのだろうな。そこで無実なのに逮捕された者たちの悲劇を、残された家族の目で描く。
あまりにも重たい話を観続けることができるのは、解決に向かって前向きに進み続ける母親のキャラクター、それを息長く支え続ける弁護士のおかげ。
ただ、俺には母親のキャラクターは受け入れにくく、感情移入することなく映画は進んだ。時間を守らず、約束も忘れてしまう性格を俺は好きじゃないんだな、とあらためて感じた。自分も比較的そうである癖に。
母親の猪突猛進があって、半歩、一歩と進む息子を救出する戦いだが、いつまでも解決することはない。その途方もなさを肌で感じられることが、この映画の最大の価値だろう。
弁護士や周囲が凄い
無知で人の事を考えず自分の都合のみで行動する人間は大の苦手だが、周囲を動かす息子を思う真っ直ぐな気持ちは偽りのない本物なのだろう。
ストーリーよりも母親のキャラクターがウリの作品のように思える。
トルコ移民なのでメンタリティや生活慣習がトルコ系だからか、家族思いで常に美味しそうな料理を作りアイロンがけをするような働き者だが子供への過干渉は鬱陶しがられており、長男の友人からも嫌味を言われている。
予約を無視し弁護士事務所に乗り込み、ベンツ(ドイツでは大衆車)をブッ飛ばし、息子が帰ってくると世話になった弁護士やメディアへの会見も買い物で忙しいから来ないという傍若無人ぶり。
結局あの弁護士や周りの努力のおかげということもあり、主人公への感情移入は全くできなかった。
エンドクレジットで本人たちの画像が出たが、役者達の役へのアプローチには頭が下がった。
特に弁護士は痩せ型、丸メガネ、口髭と特徴的だったこともあってか、そっくり過ぎて笑ってしまった。
メディアの有効利用
法を無視して責任もとらない国家権力に市民が対抗するには、同じぐらい無責任なメディアを情に訴えて活用するのが得策、という話。
論点がどんどんずれたり、そもそも相手の話を聞いてなかったり、目先の事が一番大事だったりとおばちゃん度マックスのカプタンの演技に圧倒された。
暗闇があって初めて光は意味を持つ
グアンタナモに5年間勾留され拷問されたムラート。どんなに辛くて苦しくて孤独だったろう。イギリス映画「モーリタニアン 黒塗りの記録」(2021年公開)を見てなければグアンタナモがどれだけ酷い所か想像つかない。その映画も実話に基づいていて無実で勾留されたモハメドゥの解放まで本当に時間がかかった。人権派弁護士(ジョディ・フォスター)と共に戦い、米軍所属の弁護士(ベネディクト・カンバーバッチ)の協力も得た。モハメドゥは優秀で若い時にドイツ政府から奨学金を得てドイツに留学していた。アフリカから出てヨーロッパに暮らし勉強した経験は彼の強さの基盤になったろう、もともと前向きで明るいメンタリティが自分と周りの人間を助けた。
この映画ではママだ。上述の映画「モーリタニアン」でこれでもかと映される収容所内部。一方で息子がどうなっているのか全く知らされず安否もわからない家族の思いを映し出したのが本作だ。泣いて辛くもなるが息子ムラートへの思いと明るさと強さがあったからこそ周りはだんだんと喜んで彼女にムラートに手を差し伸べる。彼女も弁護士ベルンハルトも本物とよく似たキャスティングで素晴らしく演じていた。
メルケルが首相になった際の宣誓シーンのテレビ映像は光輝いて見えた。メルケルほど、支持政党に関係なく長年ドイツで頼りにされ支持された首相は居ないだろう。そのメルケル内閣でさえできないこと、しないことがエンドロールで流れた。グアンタナモはまだある。アメリカ合衆国は不正の象徴であるこの収容所を一日も早く撤去すべきだ。
おまけ
1)トルコはどうか知らないけれど、ドイツ人のアイロン愛と情熱はすごい。下着もTシャツもデニムもソックスもベッドリネンも何にでもアイロンする。イタリア人にとってもアイロンがけは主婦に求められる欠かせない仕事だ!
2)北ドイツの方言あいさつ「モイン」が可愛い。ケーキのBienenstich(ビーネン・シュティッヒ)が出てきて嬉しかった。ドイツのケーキはシンプルな外見で甘すぎずとても美味しい!
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『イタリアのシェフ』(2017)101分
"The Space Between" Amazon Prime Video
鑑賞日:2024/5/7
「イームズの椅子が好きなオリビアと料理が上手なマルコ」
イタリア的でイタリア的でない映画でした。静かでうるさくなくてゆっくりしゃべってセリフが少なくてお料理大事。パパとママと親友大切。いつもサングラス。美しい緑溢れる自然と石の街。20~30分遅れは遅刻にならない。リルケの『ドゥイノの悲歌』の道があるから街はトリエステだろう。山が背景によく見える。主人公のマルコはニューヨークのレストランで料理長として働いていたが、ママの危篤でイタリアへ戻りパパの面倒を見ながら工場勤務。オーストラリアから来た銀行員のオリビアは本当はデザインの仕事がしたい。マルコの親友のクラウディオはセンス抜群のお店を持っていて(パパは著名な建築家)、LPレコード、紙の本、デザイン写真集を売っている。その店で偶然出会ったマルコとオリビア。クラウディオが交通事故で突然死んだ後で。タイトルのThe Spaceはクラウディオの店「CODO」かな、それとも色々な文化が交差する街トリエステのことかな?
風邪ひいて喉がとても痛くて咳して喋ることが殆どできない今の自分にちょうどいい優しい映画でした。
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