苦い涙 : 特集
鬼才フランソワ・オゾンが描く愛の本質、映画界への
痛烈な風刺 奇妙かつ美しい人間ドラマに心を奪われ、
体の底に眠る“生々しいエゴ”が剥き出しになる強烈作
「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」。哲学者フリードリヒ・ニーチェのあまりに有名な言葉だ。
6月2日から公開される「苦い涙」。息を呑む芸術性と静謐な衝撃を兼ね備えた作品を創出する鬼才フランソワ・オゾン監督のこの最新作は、まさしく観る者を逆に見つめ返し、体の奥底に眠る“生々しいエゴ”を剥き出しにするような強烈作である。
描かれるは密室のパワーゲーム。2人+3人による奇妙な人間ドラマが、あなたを魅惑の境地へと誘う――。
オゾンファンにとっては“キャリア初期の傑作”のムードを色濃く感じられ、ファン以外にとっては「こんな映画体験があったのか」と飲みこまれてしまうような……今作の魅力と実際に観た感想を、たっぷりと綴っていこう。ぜひ映画館でご覧あれ。
※キャストやあらすじなどの詳細はこちらでチェック!
“人間”を描き続ける鬼才フランソワ・オゾン。今作は
初期の傑作を彷彿させ、変化し、やがて進化する――
まずはフランソワ・オゾン監督の経歴と特徴、そして今作「苦い涙」の見どころについて語っていこう。
●オゾンの魅力とは? これまでの歩みから紐解く
1998年の「ホームドラマ」から、今作「苦い涙」(2022)、そして本国で公開されたばかりの最新作「Mon crime(原題)」まで長編22作、ほぼ1年に1作というハイペースで新作を発表しているフランソワ・オゾン監督。
愛、喪失、アイデンティティ、欲望などをテーマに、巧妙なストーリーテリングと魅力的な配役で、コメディ、スリラー、社会派まで、毎回異なるスタイルのドラマに挑戦しながら人間の心の光と闇を様々な角度から描出し、芸術的なビジュアルで魅せる万華鏡のような作品群だ。
同性愛者であることを公言しているオゾン監督は、セクシュアリティ、ジェンダーロールについて向き合う作品や、シャーロット・ランプリングら名優たちを起用し、女性の生き方を描いた作品も多く、人生の美しさと儚さ、心の機微を繊細に描くことで定評がある。またピリリとした小姑的視点も軽妙なユーモアで包みながら、物語の絶妙なさじ加減のスパイスとして機能している。
「焼け石に水」「8人の女たち」「しあわせの雨傘」などダンスやミュージカルを取り入れた作品も多く、歌曲を効果的に用いた示唆に富むストーリー展開もオゾン作品の魅力だ。今作「苦い涙」では、レオス・カラックス監督作「アネット」にかかわったクレモン・デュコルがオゾン作品に初参加。音楽劇としての一面も楽しめるだろう。
●そして今作は、原点回帰×変態(メタモルフォーゼ) 「圧倒的に最高の映画」を観に行こう
今作「苦い涙」は、オゾンが敬愛するドイツの映画監督ライナー・ベルナー・ファスビンダーの「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」(1972)を現代的な視点でアレンジしたもの。「焼け石に水」(00)に続き、ファスビンダーの戯曲を20年ぶりに映画化している。
最大の特徴は、多くのオゾンファンが心の奥底に大切にしまっている“初期の傑作”のムードを色濃く残しつつ、さらなる変態をもみせてくれること。ゆえにファン必見であり、原点回帰にして進化の一作――新たな衝撃を映画館で味わうことができる。
また、オゾン監督が今作で何を表現しようとしたのかにも注目してほしい。オリジナル版で描かれた女性同士の恋愛関係を“男性同士”に変換。さらにファッションデザイナーだった主人公の職業を映画監督に変更している。監督たる自身の投影はゼロではないだろう。
自主製作(セルフ・プロデュース)にもこだわったということからも、その思い入れの強さは容易に想像がつく。結果、アートシネマをこよなく愛するジョン・ウォーターズ監督の2022年のベストシネマでは1位に選ばれ、「圧倒的に最高の映画」と絶賛されたが、果たして、どんな作品に仕上がっているのか?
【映画ファンが実際に観てみた】作品と“視線が合う”
ゾクゾク…搾取への痛烈な風刺も描く、今観るべき一作
映画.comに所属する記者が今作をレビュー。“得られた感情”や、映画として優れているポイントにフォーカスして感想をつづっている。
●人間の愚かさをえぐる“密室のパワーゲーム” まるで心を見透かされるような85分間
ほぼ主人公・ピーターの自室で展開するが、ただの会話劇ではない。“支配と隷属”に強くフォーカスしたパワーゲームの様相を呈する、ここが面白い。
例を挙げよう。ときにピーターが魅力的なアミールを支配し「配役を握る映画監督と、出演したい俳優志望」の関係が出来上がる。しかし、ときにアミールがピーターを支配し「恋愛に自由奔放な男(アミール)と、彼に捨てられたくない恋人(ピーター)」という逆転が描き出される……。
これらのシーンは観る者の心を見透かし、人間の愚かさを浮き上がらせ、「人を愛するとは何なのか」という根源的な問いを投げかけるようでもある。濃密に、エモーショナルに、それでいてとことん軽やかに。
●権力者による搾取…映画界、いや、“人間の悪どさ”も残さず描破、ゆえに今観るべき一作
レトロなムードが漂うが、転じて“現代社会”を風刺するタイムリーなテーマもそこかしこに潜んでいるからたまらない。
特に上述のピーターとアミールの関係性は、近年盛んに報じられる映画監督やプロデューサーたちの不祥事、そして#MeToo問題を彷彿させる。権力を悪用する心理が巧みに描かれ、「なるほどこのように映画界の搾取は起こったのか」と別角度から知ることができたが、もうひとつ、はたと気付いたことがあった。
支配と隷属は、映画界に限ったことではない。人類が始まって以来切っても切り離せない“宿命”だ。人間自体の原罪を残さず描破している点は、まさに今の時代にドンピシャリと即しており、ゆえに筆者は“今観るべき一作”と断言する。数ある作品のなかから今作を手に取れば、現代社会の悪どさが見えてくる。
●映画と視線が合い、自分のなかの“生々しいエゴ”が顔を出す…あなたはこのラストに何を感じるか?
うまく言えないが、鑑賞中ずっと、映画と、オゾン監督が、筆者を見つめているような奇妙な感覚をおぼえた。
“登場人物への共感”とも少し違う。物語という抽象的な概念を通じて、映画と監督が「あなたは何を思う?」と筆者を観察しているような……。そんな視線を感じながらの鑑賞は、味わったことのないゾクゾクが絡みついていた。
そして視線は、終盤からラストにかけてグッと圧力を増す。映画自体が前のめりに身を乗り出して観客を見つめる。クライマックスはきっと観る者の立場や人生によって解釈がわかれるだろう。筆者は劇中のセリフ「人間はおそろしい 何にでも耐えられる」をしきりに思い出していたし、ある人は「体の奥底に眠るエゴイティックな自分が、ムクムクと鎌首をもたげてきた」と言った。
じっと目を凝らして、作品に没入していれば、驚くことに“「苦い涙」と視線が合う瞬間”がやってくる――。さて、あなたはどう感じるか? ぜひ映画館で確かめ、その体験を誰かと語り合ってほしいと思う。