「ウォーカー・ブラザーズの「in my room」を聞きに出かけた。」苦い涙 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
ウォーカー・ブラザーズの「in my room」を聞きに出かけた。
予告編を見て、この映画ではウォーカー・ブラザーズの「in my room」が流れることを知って、出かけた。
この曲は、1967年「孤独の太陽」として、日本で大ヒットした。その頃、ウォーカー・ブラザーズの日本での人気はすごかった。少なくとも関東でAMラジオを聞く限り、ビートルズを上回っていたのではないか。ただ、この曲がシングルカットされたのは日本だけで、彼らの本国、米国はもちろん、ヨーロッパでもヒットしたとは聞こえて来なかった。それなのに、なぜ、この映画で取り上げられたのだろう。
映画館に足を運んで、この映画が二層構造を持つことはわかった。基層は、1972年ファスビンダー監督のドイツ映画「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」。それを現在のフランスを代表するフランソワ・オゾン監督が、70年代のケルンを舞台にして、ファスビンダー監督を反映していると思われる主人公を含めて、かなり大胆にアレンジし「苦い涙」とした(一部を除き、フランス語)。
確かに「in my room」は出てきた。中心は、Thinking how lonesome I’ve grown, all alone, in my room(自分の部屋に一人でいて、どれだけ寂しさを募らせてしまったことか)か。この曲は、ほぼ同じ室内でのみ展開される、この映画の雰囲気をよく伝えている。主人公ピーターは、「in my room」を「若いころ好きだった」と言ったように聞き取れた。すると、この曲は、オリジナルの「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」でも出てくるのではないか。その通りと知って、本当にうれしかった。
ところが映画の中で、もう一曲、気になる曲があった。ピーターのいわく付きの友人で女優、シドニーに扮したイザベル・アジャーニがドイツ語で歌った「人は愛するものを殺す」。こちらは、オスカー・ワイルドの「The ballad of Reading Gao(レディング牢獄のバラード)」という詩から採られている。しかも、ファスビンダー監督の遺作「ファスビンダーのケレル」(1982年)の中で、フランスの名優、ジャンヌ・モローが歌った原詩(英語)の一部をドイツ語に翻案したものと判った。Doch jeder tötet, was er liebt. と Nur stirbt nicht jeder dran のレフレイン(誰もが自分の愛するものを殺す。しかし、それで誰もが死ぬわけではない、の意か)。イザベル・アジャーニの母親はドイツ人だそうだから、さぞかし、感激しただろう。かすれた声でアジャーニが歌うこの歌は、演劇的な色彩の強いこの映画とぴったりだった。
それにしても、映画の中でシドニーが連れてきて、さんざんピーターを惑わすことになる青年アミールを演じたマグレブ出身らしいハリル・ガルビアに、若い頃のイザベル・アジャーニの面影を見たような気がしたが、もちろん幻だろう。
全体として、ファスビンダー監督に対するフランソワ・オゾン監督の深いオマージュ(賛辞)が感じられる映画だった。