太陽と桃の歌のレビュー・感想・評価
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3世代続く農園の今と大家族の肖像をリアリズムタッチで描く
シモン監督は長編2作目にしてカタルーニャ地方の大農園を描くことに加えて、おじいちゃんから幼い孫まで実に幅広い世代の目線を交錯させた群像劇という手法で勝負に出た。この意欲と挑戦。皆、素人でありながら本当の家族に思えるほどのナチュラルさで彩られ、ドキュメンタリーを見ているかのような手触りが日々を奏でる。その分、家族の集合場面はこちらまで笑顔になるほど楽しく、逆に農園の未来を憂う場面ではどうしようもない切実さが身を覆う。企業による大規模農業。それがもたらす価格下落。不意に生じる土地問題。桃の木を伐採してソーラーパネルを建てようとする地主。それによる家族の分裂・・・。昔どうりに永続できるものなんて何もない。今の団欒もすぐに歴史の残り香へと変わるだろう。明瞭ではないラストや誰に感情移入すべきか悩ましい語り口にやや感慨の度合いは割れそうだが、農業と家族を揺るぎない目線で見つめたリアリズムを評価したい。
太陽の行き先の差
【地主から立ち退きを求められた三世代大家族の桃農家の、家族の絆の揺らぎを諍いや笑いなどを絡めながら描き出した作品。エンドロールで流れた太陽と桃の歌は、何だか沁みたなあ・・。】
■スペイン・カタルーニャ地方の小さな村で、桃農家を営む三世代大家族のソレ家。ある日地主のピニョールから農地にソーラーパネルを設置するので、立ち退いてくれと告げられる。
祖父のソヘリオは地主の父から、スペイン内戦時に土地を借り受ける約束をした際に、キチンとした契約書を交わしていなかった事で、息子のキメットに責められる。
又、農家を取り巻く経済環境も厳しい状況が続く中、それでもソレ家は桃を作り続けていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作の監督のカルラ・シモン監督は実際にカタルーニャ地方の桃農家で育った方だそうで、キャスティングもプロの俳優ではなく、地元の人達に演劇指導をして登場して貰ったそうである。
観ていて、気付かなかったなあ。逆にそれが、どこか素朴なソレ家の人達の雰囲気を醸し出していた感じがする。
・テーマ的には、悲壮感が溢れても仕方がない気がするが、ソレ家の人達は抗いようのない運命の中でも、どこか明るい。
寡黙なソヘリオは桃農家のプライドを持ち、息子のキメットも同様だが一番危機感を持っている感じである。孫のロジェーもそつなく作業をこなすが、どこか楽天的な感もある。
三世代の価値観の違いが、良く描かれていると思う。
・ソヘリオは村の喫茶店でトランプの賭けで土地を得ようとするし、キメットは常に苛苛している。ソヘリオを詰るが、息子のロジェ―の作業は認めている。そんな中、孫5人はヤンチャに遊んでいる。何処か、牧歌的である。
・ソヘリオが自身の畑で取れた真っ赤に熟した自慢のトマトや、イチジクをピニョールに渡したり、ロジェ―と妹のマリオナが桃畑の害獣ウサギを撃ち、夜にピニョールの家の戸の前に並べて置いて、ピンポンダッシュをする姿なども切なくも、可笑しいシーンであったよ。
・キメットとロジェーが争った時には、キメットの妻ドロレスがイキナリ、びんたを二人に食らわせるシーンや、キメットが先行きへの不安が爆発して泣き出すシーンで、その姿を見た家族が黙ってしまう姿は、何とも言えなかったな。
・けれども、そんな中でもソレ家の人達は昼食を共に摂り、お喋りをしながら、楽し気に過ごすのである。それにしても、スペインの桃って、ネクタリン見たいな感じなのかな。黄桃みたいな桃もあったなあ。
<だが、その日は意外と早くやって来て・・。ラスト、ショベルカーが桃の木が植えられているソレ家の畑を、不気味な音を出しながら掘り起こしていくシーンは、矢張り哀しかったなあ。>
<2025年1月26日 刈谷日劇にて観賞>
ソーラーパネル
家族と地球の未来
カタルーニャで代々引き継がれる桃農園の大家族。
ソーラーパネルの事案で大家族に大きな亀裂が入る。
キャストもカタルーニャの方々を使いリアリティが
増す。ドキュメンタリーに近い演出。
広大な自然な土地に警笛を鳴らしてる感じ。
散々と降り注ぐ太陽の光と眩しさとソーラーパネル。
続けたい人々と新しい事をしたい人。
色々な葛藤と気持ちが対比してた。
沢山な場所に秘密基地を作る子供たちは無邪気
で可愛いかった。唯一の救い。
歌うのは友のため、土地のための歌詞は印象的。
綺麗な太陽の下にあった桃は甘酸っぱく
せつなかった。
フルーツ缶詰に入っている桃を思い出しました
太陽光パネルで農園を切り崩して、、、
そこがラストシーンになっているのが切ないです。
その直前の父ちゃんの涙もグッときました。
農家で生計を立てるのが厳しい状況も描写され、
主人公家族も今のままではやっていけないことは
うっすら分かっているのだろうと思いますが、
にしても、やっぱりせつないですね。
家族のドラマというよりは、
ドキュメンタリー的なアプローチになっていて、
すごくリアルな描写でした。
ただ淡々と終始進んでいくので
エンターテイメントとしては厳しいかなと思います。
傲慢と横暴
最初から最後まで苦境のただなかにあるんだけど、なぜか明るさを失わない一作
日本でも農業の苦境をたびたび見聞きすることがあるけど、農業国のイメージもあるスペインでも農業経営者は決して楽観的な状況ではない様子。一家の全員が本作の主人公といっても過言ではない、カタルーニャのソレ家もまた、家業の桃農園経営を維持できるかどうか、という瀬戸際にあります。
祖父は土地の権利関係をあいまいにしたままだし、妹夫婦はソーラーパネルの方が実入りがいいんじゃ、と勝手なことをいうし、長男は反抗的だし……、と一家を束ねるキメット(ジョルディ・プソル・ドルセ)の顔色と機嫌はどんどん悪くなってきますが、それも無理ないよねー、と思わず同情してしまいそうになるほど問題山積、前途多難な状況。
そんなお先真っ暗な農園経営見ても心が沈むだけなんじゃあ……とも思ってしまいそうだけど、土地柄なのか降り注ぐ陽光のせいなのか、なぜか映像も人物も明るさを失いません。大人たちはせっせと収穫に励むし、子供たちは農園のあらゆるもの、場所を遊びに変えていきます。そしてたとえ口論していても食事の時は楽しく食卓を囲む一家。気分がどうこう以前に、「生きてる!」って感触が画面から伝わってきます。
魔法も奇跡もない世界で展開するごく普通の生きている人々の物語。結末に彼らが向けるまなざしの先に何があろうと、このひと時の輝きが忘れられなくなる作品でした。
スペインは、世界一の桃輸出国とか
この作品は、カルラ・シモン監督の第1作がそうであったように、多分にジュネス(青少年)向けの色彩が強い。極めて多くの映画祭やアワードで受賞やノミネートに結びついている。どうしてだろう?
本作品は、スペインのカタルーニャ地方の3代にわたる桃農家に訪れた危機を描いている。経済が発展しているスペインは、同時にEUにあってフランスと並ぶ代表的な農業国、大地が厳しい印象があるが50%以上が農地で、桃の栽培も盛ん、世界最大の桃輸出国とか。見渡す限り、桃の花が咲いている景色をどこかでみたことがある。生産額が増えたのは90年代だから、家族経営から大規模経営に切り替わったのも、その頃だと思う。監督の家は桃農家だそうで、背景は熟知しているに違いないが、一番大変な桃の収穫の季節には限りがあるから、機械化が進んでいるにせよ、家族だけでできるはずもなく、季節労働者やアルバイトを導入せざるを得ない。本作では、太陽光パネルの導入と言う現代風の味付けがあったが、その辺でリアリティの欠如があり、その分ノスタルジックで、シンボリックに、何が起きたのかを若い世代に伝えたいと思ったのでは。百歩譲って、その経過は理解するとしても、映画の冒頭と最後はともかく、その間が非常に長く、私には退屈だった。それが、日本公開まで2年間以上を要した一つの背景か。それでも、この映画を楽しんだ皆さんには、本当に申し訳ないのだが。
シスコムーン
何がテーマなのか
映画としてつまらない
ドキュメンタリー作品を観ていると錯覚するほど演者の皆さん自然でした。ただ、逆に言うとあまりにも自然すぎて悪い意味で映画を観ているとは思えませんでした。近代化や合理化に押しつぶされる農園の現状を伝えたかったのでしょうが、問題提起するだけで解決策は何も提示されず、気分が暗くなるだけの作品でした。
邦題はどういう意味?
スペインの北東部カタルーニャ地方で、桃農園を営んでいる大家族のソレ家。収穫しようとしてた頃、地主から今年の収穫が終わったら土地を明け渡すよう通達された。桃の木を伐採して、その場所にソーラーパネルを設置するとのこと。父は激怒したが、母と妹夫婦は楽に稼げるという話に乗ろうとしていた。祖父、父、長男が別々の方法でなんとかしようとしてたが、最後の収穫が始まり・・・そんな話。
桃ってすぐに傷むのにあんなに適当に扱って良いものなのか?
直接食べるのではなく、缶詰かジュースにするのだろうか?
もっと良い品種にして高級桃で販売すれば収入も増えるのに、と思って観てた。
太陽と桃の歌???最後まで観てもなんちゅう題なんだ、と意味不明だった。太陽=ソーラーパネル?歌は何?
原題のalcarrasってどういう意味だろうとスペイン語を検索しても出てこず、カタルーニャ語で検索すると、逃げる、と翻訳された。
なるほどね、逃げる、ならなんとなくわかる。
これ、ドキュメンタリーなら良かったかもしれない。
末娘の明るく無邪気な行動が癒される。
優しくて強いビンタ
子供が救い
契約書は大事
3代続く桃農園に、土地の権利者からソーラーパネルを設置する話が来てしまったことからギクシャクしだす家族を描いた作品。
終始、ドキュメンタリーのような雰囲気を醸し出したドラマ作品。
農園に関する想いは皆それぞれあり、登場人物がどんなことを考えているのか考察しながら見ると良いのかもしれないが…。
ワタクシ的にはちょっと起伏がなく、大変なんだろうということは伝わるが淡々としていて少し物足りない印象。
まぁでも逆にいえば、変に映画映画していないというか、本当にリアルな生活を描いているのだろうなぁという意味では刺さる人も多いかもしれません。
ただ1つ、娘が「ドレスにストレスはなんちゃら」…と歌って踊っているのに対する母親の冷ややかな反応には声を出して笑いそうになった。もっとなんか言ってやんなさいよw
ということで個人的には合わなかったかなと言ったところですが、リアルで厳しい現実を感じ取りたい方には是非お勧め。
リアルでまるでドキュメンタリーのようでした。
自営業者(小作人)は、つらいよ
桃農家における"感動のドキュメンタリー映画"だと思って、映画を観ましたが。。。
原題は「Alcarras」で、単に監督の故郷である町の名前らしい。
監督はドキュメンタリー風映画として、この作品を撮影している中で、鑑賞者に映画を通して、田舎町の現状を観てもらい、何かを考えて欲しいと願ったに違いないが。。。
映画には、この地での特殊性がなく、舞台が日本でも同じような事が せっかく当てはまるのだが
それを日本の配給会社は"ヒューマンドラマ"の如く、宣伝してしまっているので、
映画自体の趣旨を失いかけてしまっているが、このテーマを描くのが30年前なら良かったが
今更 問題定義されても、社会派映画としての新鮮度はない。
また、監督の言いたい主張がない事も、映画の質を落としている。
この映画の舞台となる農家は、桃農園ではなく、いちじく農家でもなく!
メインは、出稼ぎ労働者を使ってまで収穫する"オリーブ農家"であって、いちじくや桃は連産品でしかありません。
カタルーニャ地方の名産は、桃ではなく
あくまで映画冒頭のオリーブであるが故
農協にいた他農家もみな"オリーブ農家"です。
この映画の中で語られている 色や大きさ等の作物は桃ではなく、オリーブの事を言っています。
そのオリーブの収穫期である3月頃から9月までの収穫の"打ち上げ"としての 町の祭り があり
桃は、その年の"最後の締めの収穫物"という位置づけがあるだけなのですが、
その意味を映画では、きちんと説明ができていないので、
イタリア人以外の人間が、この映画の内容をまるで理解できないのは、この監督の力不足と言えよう。
また、地中海性気候であっても、2月から 真夏を過ぎ、秋になるまでの季節感が まるでなく
いかにも「1月間で撮影しました」という演出も、最低レベルだ。
ちなみに、乱雑に扱うオリーブの15ユーロセントは、25円/個です。
あの乱暴な扱い方では、ジュースにしかできません。
ちゃんと農業すれば、食用として売れて、30ユーロセントの単価には成るでしょう。
そういう意味では、邦画「奇跡のリンゴ(2013年)」「種まく旅人(2012年)」をこの映画のダメな主人公に見せてあげたい。
映画の内容からすると、50年前ではなく、パソコンもインターネットも、携帯電話もある現代なのに
社会から取り残されているのは、主人公だけでなく、監督自身も時代の流れを感じていない お花畑に住む人なのでしょう。
私見としては、このようなダメ農家には、行政指導が必要なのと同時に
農業高等教育を農園経営者子息には受けさせる必要があると思う。
この映画を観たら、「プレイス・イン・ザ・ハート(1984年)」を観て、
僕が今回期待した"ヒューマンドラマとしての農家"を味わってもらいたい。
太陽と桃の歌と言うタイトルは如何なものか?
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