マイ・ブロークン・マリコのレビュー・感想・評価
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原作を知らなかったので、それも少し確認してみた
映画としてのこの作品、少し現実離れした印象を持ってしまいました。確かに漫画をみると、多少ファンタジックな印象。悲しい物語が土台になっているので敢えてそういう雰囲気になっているのかなということは理解できます。でも、人が実際に演じるとなると、物語が物語なだけに結構リアルさを求めてしまうわけで、文字通り絵で描かれたような演出は極力切り捨てて欲しかったと、個人的には思います。例えフィクションであっても、内容は現実世界の写しだと知らしめるべきではと─。でもそれだと悲惨すぎる作品に仕上がってしまうのかも・・・とまぁなかなか難しいテーマを扱っているのだなぁとまじまじと思ってしまいます。そのテーマこそが何気に魅力的だったりするのですが。
色んなわだかまりはあったものの、基本的にはかなり興味をそそられました。それでもなお、永野芽郁の台詞回しとか演出にはどうも違和感を覚えてしまい、それがリアルさを感じない最大の要因であったりしたわけです。永野芽郁と奈緒の絡み合い─確かにそれだけでも見たくなります。だから、決して永野芽郁がミスキャストだとも思わないし、ラストのシーンなんて素晴らしいパフォーマンスで、あの部分だけでも泣けます。この作品の役は彼女にとってはかなりのチャレンジだったのでは─。正直、本当の永野芽郁さんはどんな人なのか分かるわけないのですが、明らかに役柄と彼女の人柄が全く乖離しているように思うわけで、それ故に相当頑張っている永野芽郁さんをそこに見いだしてしまって、作品に馴染んでいるようには見えませんでした。別に原作のキャラに寄せなくても・・・台詞にしてももっと自然でいいのに・・・たばこもあんまり似合わないな・・・なんて、色々と勝手な不満を持ちながら─。
漫画原作の作品が実写の映画になるまでには、想像以上の難しさがあるのでしょうねぇ
遺骨を奪い取るとこが一番胸熱。けっこう序盤。 マリコみたいな子って...
遺骨を奪い取るとこが一番胸熱。けっこう序盤。
マリコみたいな子っていますよね…。救おうとしても自ら沼に浸かりに行く人。どこでどうしてたら…って考えるけど、死ぬことが一番本人が楽になれる方法だったんだろうな。
主人公女性の性格の演出に共感できない
繊細な女の子の対比として、主人公の女性がズボラで荒い性格として描画されているが、そこがちょっと行き過ぎていて共感できないポイントとなってしまった。中学生の時からタバコを吸っている、初対面の人にタメ口、など。
役者さん達の演技に魅せられる85分
自宅レイトショーAmazonプライム『マイブロークンマリコ』
この作品は、予告が何気に衝撃的だったので観るつもりでしたが・・・・・
レビューと上映時間85分って事で配信待ちにしてましたが、年明けからAmazonプライムで配信スタート
食堂で昼食とってたらテレビのニュースで、親友マリコ(奈緒)の死を知る主人公永野芽郁演じるトモヨ
純粋で真面目って役の多い永野さんのヤサグレ感と、奈緒さんお得意の心壊れた演技は今回も見応えあり!
マリコの実家に行き遺骨を奪って旅に出るシーンが、予告にも使われてたシーンですが、あんな台詞があったとは・・・・
吉田羊さんや窪田正孝さんを贅沢に起用してるって部分もあり重い内容ながらあっという間の85分でした。
ラストのマリコの残した手紙の内容は気になりますが・・・
私的にアマプラで正解って感じかな^^;
主人公のグリーフワークがテーマ
窪田正孝演じる男のセリフがこの映画のいちばんのメッセージだろうか。私にはそう感じた。
「風呂に入って良く寝てちゃんと飯を喰わないと、人間ろくなこと考えられなくなります。」逆に言えば、どんなにつらい事があっても、お風呂入って温まって良く寝て、ちゃんと食べなさい。そうしたら徐々にまた日が昇りはじめるよと、そんな言葉を受けとった。
そしてもう一つ「もういない人に会うには、自分が生きているしかない。」男にプラットホームでの別れ際もらった言葉の余韻が残った。
「自分を大切に」と彼は2回言っていた。
最後、手紙を読みながら主人公が笑顔になっていったことに救われた。
良い作品だとは思われたのですが‥
(ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
シイノトモヨ(永野芽郁さん)の演技も意外性があって、イカガワマリコ(奈緒さん)との関係性も感じが出ていて良い作品だなとは思われました。
ただ、シイノトモヨのモノローグ的な直線的な話で、他との展開するドラマ性に欠けいてて、邦画の広いマイナスポイントである内向した単調さが自分は評価できない点だなとは正直思われました。
しかし、だからといってダメな映画だとも思われませんでした。
個人的には邦画の内向した単調さは脱する時期だと思われています。
日本の映画(邦画)は、リアリティの乏しい大掛かりな作品か、リアリティはあっても内向して単調な作品かの両極端に分かれているように感じています。
大掛かりでもリアリティの深さにこだわるか、小さな話でもリアリティありつつちゃんと展開や観客を満足させる構成も深める努力を惜しまないことが、韓国などに差をつけられた日本映画界がやらなければならないことではと、この映画も含めて僭越ながら思われました。
本当はこんなぶっきらぼうな言葉遣いや態度はしない人なのでは?と思わ...
本当はこんなぶっきらぼうな言葉遣いや態度はしない人なのでは?と思わせてしまう永野芽郁の隠しきれてない生来の品の良さが邪魔してあんま入り込めなかった
生きてゆくことが最大の供養
他の方も書いていらしている通りワイルドな女性のロードムービーです。
正直マリコの親父さんに刃物向けてこれまでの悪行を叫ぶシーンは胸スカでした。が、海に着いたあたりから眠気との戦いでした。
山場もオチも少し弱いです。
しかしながら最後の主人公の笑顔にすべて集約されている。
この瞬間のための旅程だったんだな、と。
違和感拭えず...
永野芽郁ちゃんが、
机バンッてして、泣いて、叫んで、
彼女に合っていないキャラを頑張って演技しているなーっ
て、終始思ってしまいました…。
彼女ではなかったかな…。
無理して、あそこまでガサツにしなくても良かろうに…。
割り箸の割方とかねぇ…。
二人の高校生役も、違和感を感じちゃって…
さらっと終わっていた。
『このご恩は一生忘れません』
原作未読
永野芽郁のヤサグレ演技に、本年度の"頑張ったで賞"を授与したい作品。
勿論、実際のヤサグレ感を表現するにはかなりの不足なのだが、清純派俳優の脱却を目指しての幅広い役柄を模索しているその七転八倒感は非常に好感を抱く。だからこそ、その役柄と実際の俳優としての人間性がシンクロした時に、人は感激を憶えるのではないだろうか。唯演技が上手いというだけの壁をブレイクスルーするには過程も大事なんだと、今作品を通じて強く感じた。
発露の頂点、クライマックスは崖での遺骨を置いての身投げのシーン。正直、涙が止まらなかったのはその前迄のキチンと描かれた構成であろう。キチンと耕せば綺麗な花が咲く。身を以て体感したストーリーテリングである。
マリコのキャラ、ブレすぎ。
自殺した親友のマリコの遺骨と共にまりこが見たいと言っていた海を見に旅に出るトモヨの話。
私はシスターフッドものが大好きもうこんな映画大好きに決まってるのに、今作何かが違った。それも、マリコの置かれた環境や暴力や女性に向けられる視線やらは作中に確かに存在しているのに、その状況は全て宙ぶらりんのままマリコとトモヨの良い話に落ち着いてしまったから。
だから全体を通してリアリティが薄くすごくふわふわしてるなって感じ。例えば、トモヨの旅中、ひったくりに合うものの女性の一人旅にしてはトモヨが無事すぎる。ひったくりに合うものの、バイクからリュック取られて肩と腕無事すぎるし、居酒屋でおっちゃんに絡まれてるのに何故か次の日無事に船の上で爆睡してる。良い方に解釈するなら、マリコが守っていたとも思えるけど、それならひったくりにも合わないだろ。
そして、道中出会うマキオも偶然にしては会いすぎ。魚屋かなんか知らんが、さすがに断崖絶壁たまたま通りかかるかよ。歯ブラシ持ってるのも弁当くれるのも、お前は妖精なのか?そして引ったくりと女子高生がなぜあそこで出くわすのか。ご都合主義すぎる。
(ちなみに最近見た『SABAKAN』も少年2人だけの旅で、同じ人と何度も出会うけどちゃんと理由付けは納得行くもので、その人この仕事してればそりゃここにいるよねとかその人と繋がってれば出会うよねと納得がいくものだった。)
そして個人的に1番問題だなと思ったのは、トモヨのキャラが学生時代と現代でブレてる。学生時代は完全にサバサバして男気って感じだけど、現代はかなり永野芽郁ちゃんみが混入しすぎてる。特にトモヨの独り言がキャラブレブレに拍車をかけている。これ、漫画の吹き出しなら何の違和感もないのだろうけど、それを一人演技でやらせるとこうなるよ。
これも好意的に解釈するなら、トモヨとマリコの髪型が入れ替わっているように、お互いがお互いを取り込もうとしてた、だからマリコのあざとい性格がトモヨにも入り込んだとも見える。しかしそうだったとしても、劇中で何もそれが生きてないからな。
まぁでもひとつ共感出来たことと言えば、彼氏と別れた時とか自分が話を聞いて欲しい時だけ連絡してくる厄介な子って多いのよね。友達を都合の良い女として扱ってるの気づけ~。
マンガと映画、メディアの特性と時間
原作はいきなり頭を殴打されたようなインパクトで一躍話題になったマンガ。私も当時夢中になって読みましたが、細かい内容は大体忘れたところでの鑑賞です。
原作マンガはそれこそインディーズ映画のような、突き進む勢いとエネルギーが魅力だと思いますが、実際に映画になると同じストーリーを描きながら全く印象が異なる。時間の流れをいかようにでも扱えるマンガと、一定の時間の流れの中で進まざるを得ない映画というメディアの特性をとてもよく現した例なのではないかと思いました。
例えば冒頭、食堂でたまたま流れていたテレビのニュースで親友の死を知るシーン、原作を読み直すと、1ページ目の3コマと2ページ目の扉絵という、たった2ページで描かれている。これを実写ドラマ映画で状況がわかるように組み立てると、どうしても1、2分はかかるということになりますね。
結果、主人公の無謀で衝動的な行動とともに一気に読ませるマンガに対して、映画は死者との対話を軸に構成された内省的な内容という印象が強い手触りとなっていました。骨壷との逃避行でたどり着く海岸は、原作読んでいた時には何となく九十九里程度の印象を持っていましたが、映画では青森でしたね。これもスピード感の違いから生まれる印象だと思います。
やや暗い映画。
実の父親から幼少期より虐待を受け、思春期には父親に性的虐待まで受けていたマリコ。顔の傷と心の傷が痛々しい。社会人となりマリコにも彼氏ができるが彼氏にまで手を挙げられてしまう。
こんなことがあったら死にたくもなるよなぁと感じる。
そんなことがあってもマリコはシノイの前ではずっと笑顔。
シノイがマリコの父親に包丁を向ける姿はマリコと重なり、また悲しい。
旅の途中で出てくる窪田正孝が味があってとてもいい。
出てくると思ってなかったからなんか得した気分だった。
最後のマリコからの手紙は内容が分からないならこそいい演出なんだと思った。
痛々しいマリコの人生のストーリーを、全力で演じきった永野芽郁と奈緒の瑞々しい表現力に感嘆!
とにかく、永野芽郁、奈緒の演技力が期待以上にスゴかった!
シイノにとっても、自分の孤独を癒し、
生きがいのような存在だったマリコの突然の死
ぶっ壊れるしかなかったマリコとマリコの人生に
言葉にできない怒りを爆発させ、暴走するシイノを
永野芽郁が好演
正直、ここまでできるとは驚きだった
シイノのがさつな荒っぽさと、繊細で温かいところを巧みに表現していた
奈緒も、
つかみどころのあるようなないような
難しい役どころのマリコを
バカっぽくなりすぎず、暗くなりすぎず、
ビミョーに可愛らしさを加えながら、
これもまた、巧みに演じていた
ここに、アクセントの窪塚正孝!
通りすがりの人物でありながら
マリコを失った喪失感に打ちのめされる
シイノの心に「生きる」という気持ちを
再び思い起こさせる
その、出すぎず、引きすぎずの演技は
さすがの一言だった
見ていて気が滅入るようなマリコの人生も
この3人が演じることで、
ただ暗くて、救いようがない話で終わらず
生を実感し、日常生活があるささやかなありがたさ
を感じさせる、
希望をにおわせるラストへうまく繋がったと思う
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