チェルノブイリ1986のレビュー・感想・評価
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体調がいい時に観て下さい。そして被爆が怖すぎる
明日親知らずを抜くという恐怖の前日に観てしまったものだからなんだか気分が悪くなって自分も作業員達のようにパニックになってしまわないかと不安になりました。
映像が映像だけに、体調がいい時に観るのをオススメします。
誰もが聞いた事あるチェルノブイリ原発事故。
当時命を張って過酷な作業に送り込まれた戦士達がいたとは…自分なら絶対にやりたくないのに彼らに脱帽です。
それにしても最前線なのに軽装でマスクもつけずに作業するわ、病院では医者がタバコすぱすぱ吸うわと、これは時代もあるのか?
主人公がいかにもといった自己中男すぎて女性を振り回す系で何も同情を得られなかったので、
こういう恋愛ストーリーにしたければ、もっといいパパとかにした方が最後はもっと良くなったかもしれない。
女も女で、医者から被爆の恐れがあるから極力接触は控えるように、と言われたのにもかかわらず、手袋もマスクも服も全部取って生身で主人公の身体に寄り添う始末。
最期だと思ったからかもしれんが、自分の身を危険に侵す程の価値のある男でもなかっただろうに…オリガもバカなのかもしれない。
(被爆者に触れたくらいで被爆するのかというのは疑問だが)
そしてあんな近くで被爆した息子が治療終えて少し元気に帰って来てたが実際の被爆の脅威はそんなものではない気がする。
とりあえず原子力発電所の近辺に住むのは恐ろしいので絶対にやめよう、そう思いました。
今はゴーストタウンと化したチェルノブイリは植物や動物で溢れてまるで人間が滅亡した後の世界みたいで今後も目が離せません。
錯乱の果てに〈狂気の使命感または無私〉を感じさせるシーンがいい
ダニーラ・コズロフスキーという人が主演、監督なのか。鬱陶しそうな人だなw
恐らく米国「ディア・ハンター」が念頭にあったのだろう。冒頭30分にもわたって、延々とコズロフスキーさん演じる消防士がかつての恋人に再会し、やたら執念深く付きまとう姿が描かれて、何ともウンザリさせられる。「ディア・ハンター」はあの日常風景に映像の快感が満ちていたのだが、いかんせんこの凡庸な監督の描く日常は退屈なだけ。途中でギブアップしかける頃、ようやく原発が爆発してくれるので最後まで見る気になったのだったw
さて爆発に続き、原子炉が溶解して直下の大量の冷却水に接触でもしたら、水蒸気爆発によりヨーロッパ全域が汚染される危険の迫っていることが明かされる。
この緊急事態に対し、原発技術者、消防隊員、そして諜報機関KGBの職員2人の4人が炉心近くまで排水作業に赴く。
原発が爆発したという状況で、炉心近くまで行くのだから、生命がけだということは誰にでもわかる。ここで米国映画だったら、愛国心とか家族愛とか使命感とかをクドクド嫌になるくらい描きまくるところだろうが、不思議にもこの作品にはそうした生命と交換の理念、ナショナリズムや愛は、主人公の女性への思入れ以外ほとんど描かれていない。本作の魅力は、実はそこにある。
原発技術者の若い男性は「部下には命令できないから自分が行く」と、淡々と歩いていく。KGB職員はただ「職務だから」と言う以外、余計なことは何一つ語らないまま率先して危険な作業に取り組む。
そしてほぼ使命達成が不可能と分かった段階になって、KGBの上司は錯乱の挙句、狂気の表情で「排水バルブはもうそこだ」と呟きながら、鉄筋やコンクリがマグマのようにドロドロに溶けた炉心の下に歩いていくのである。この狂気の使命感または無私を感じさせるシーンが不思議に胸を打つ。
作品の良さはそのシーンに尽きている感じで、その後、主人公たちが再び排水に挑んで成功するシーンとか、被爆治療が無事終わって帰国してくる主人公の子供の話とかは、オマケにすぎない。
ろくでもないラブストーリーと余計な登場人物がたくさんあるのに、一つのシーンで救われた作品だった。
題材に比して矮小なスケール感
まずはアレクセイ(主人公・消防士)の自己中心性を冒頭30分を費やして延々と観せられる。
オリガ(ヒロイン・美容師)との10年ぶりの再開を喜ぶのはよいとして、バスを停めて強引に連れ出し、家まで押しかけたかと思えば、オリガに息子が居る事実に勝手に憤る。
約束はすっぽかし、それに反省の色もなくキエフで一緒に暮らそうなどとコナをかけまくる。
ここまでで主人公に対する共感性は、2022年現在のルーブル並に下落する。
肝心の原発事故について。
事故原因やソ連政府の対応についてはほとんど描写がなく、消防士としてのアレクセイの行動に焦点があてられるが、どうも脚色が過ぎるように見えた。
一次火災の消火後は、炉心のメルトダウン(メルトスルー)によって、地下水槽の水が水蒸気爆発の危機に瀕したのは事実だが、アレクセイという架空の人物はこれらの対応にことごとく参与してくる。
特に水槽の排水バルブの開放は、史実では志願した原子炉職員3名によって実施され、職員はソ連崩壊後も存命であった。
劇中のような、消防士が報酬を引き換えに潜り、バルブ開放後、水中で力尽きたような描写は、いったい如何なる記録に基づいたのだろう。
アレクセイの行動にも一貫性がなく、場当たり的にオリガと絡んでは現場に戻っていく。
これは致し方ないことなのだが、防護服にマスクという風体から、原発内部のシーンでは人物が認識しづらく、ますますストーリーラインの把握を困難にしている。
結局のところ、原発事故そのものは舞台装置程度の役割でしかなく、ソビエト的な硬直した官僚機構や原発事故全体の対策等にはほとんど触れられない。
テーマとして家族愛や友情を感じるには、アレクセイは明らかに癖がある上に、その行動は中途半端に終始したままフェードアウトしてしまう。
スケール感が大きく削がれ、それでいて首をかしげるような展開にいつまでも気を散らされる。
HBO製作のドラマにも脚色や嘘はあったが、それを割り引いてなお見ごたえのあるシリーズだった。
本作にはそこまでの期待は抱かずに鑑賞することをお勧めする。
けっこうよかった
チェルノブイリ原発の消防隊が主人公で、とんでもない惨事で活動する。これを見ると福島の事故はまだマシであったと思える。放射線の線量オーバーで人々がバタバタ死ぬ。作業員目線で描かれるので全体像が分からないのだけど、とにかく悲惨な状況であることだけは伝わる。物語のクライマックスは水蒸気爆発を防ぐために地下の水を抜くかどうか、そのバルブを開けられるかどうかで確かに命がけだ。何がどう爆発して放射線や汚染物質がどうなってるのかは描かれない。
1-9-8-6
チェルノブイリ原発については何となく授業で習ったなーくらいの知識です。このご時世ロシア映画を観れるのはありがたいですし、暫く観れないのかもなーと少し噛み締めて鑑賞。
と、意気込んだ割には身勝手消防士と未亡人のベロベロチューから始まったせいか集中力の糸がプツンと切れてしまいました。そのせいか2時間と少しある本作の記憶が断片的にしかありません。
まず爆発の映像やそれに伴う被害の様子は実際には及ばずとも体内外の影響の描き方はとても悲惨で、嘔吐や皮膚のただれだったりと恐怖を煽るには十分な痛々しさでした。放射線での影響もしっかりと描いており、グロ表現からは多少逃げつつも作り手の現実を伝えようとする姿勢は良いなと思いました。
仲間を救助するシーンや、爆発の原因を突き止める様子をノンストップで描いているのも飽きさせない工夫をしていて良かったです。
ただ、あまりに一本道過ぎるのもあり、展開が読めてしまうのは非常に残念でした。フィクションを基にしたというのもあり、ちょくちょく詰め込みに甘い部分がありました。
という感じで序盤のイチャイチャやバスジャックがなければもう少しちゃんと観れたかなーとやや後悔。でも2回行くかというと…。うん…。
鑑賞日 5/6
鑑賞時間 14:55〜17:20
座席 F-8
ウォッカをがぶ飲みして忘れたい一品
久しぶりに再会した消防士と理容師のラブロマンス映画として始まります。
最後まで観ると、ふっ、姑息な・・・
最近、モノクロのソ連時代の映画(親愛なる同志たちへ)を観たばっかりなのに、今夜の仕事帰りに観ようと思っていたお馬鹿テレビドラマの劇場版というお気楽な「ラジエーションハウス」の開始時間に間に合わなかったもので、つい、放射線繋がりで観てしまいました。
急性放射線障害の勉強にはなります。放射線に弱い人は一定の確率でいますが、放射線に強い人なんかはいませんので、スーパーマンと勘違いしないで頂きたい。
ソ連(ロシア)のプロパガンダ映画と言ってよいでしょう。ウクライナに現存するチェルノブイリ原発。最初からなんかあったら、地元にすべて押し付けようとしていたかもしれない人災です。命をなげうって我が子を生かそうとする男を美化して、同胞(同志)の勇気ある愛国心を煽っています。共産党統治下にある国の党関係者に優遇される特権(この映画では医療の進んだスイスに空輸で運んで助けてもらえる)がストーリーの大きな前提になっています。我が夫と息子を自分の特権を利用してでも安全な他国に逃そうとした母親の映画「アイダは何処へ」も思い出さます。実際に位の高い党関係者は送られたかもしれませんが、チェルノブイリの初期消火に当たった消防士たちがそのような特権的優遇措置の恩恵にあずかれたかは甚だ疑問です。
東海村の臨界事故の犠牲になった方も手の施しようがなく、痛み止めや麻薬で経過を観察されてお亡くなりになったと伺っております。この映画に出てくる放射線科医師の女医さん(二キータ)もはっきり言って国家の手先で詳細なデータ収集が任務だった可能性が高いです。主人公が彼女に気があるような描き方も糞です。手の施しようがないほどの被曝に特効薬などありません。あの子供が助かったなんてことは幻想です。フジカシングルエイトみたいな8ミリカメラは懐かしかったですが。スイス(永世中立国)に送れば助かるなんて大嘘です。昔、ハバロフスクの大火傷を負った子供を人道的に日本の医療機関が全力で助けた事例とは全く異なる事案です。
子どものころ(50年前)、冒険王という漫画雑誌がありまして、石ノ森章太郎先生の読み切りがありました。宇宙ステーションに乗せられた囚人の男が核の脅威を省みずに人類の未来のために故障したバルブの栓をどろどろに溶けながらも敢行する漫画でした。強烈なテーマで今も記憶しています。核の恐ろしさと自己犠牲に絡んだ嫌な記憶です。若い人たちには唯一の被曝国の漫画家が50年前に予測しえた惨劇が今も起こりうる現実にむしろ驚愕して、人類の未来のために勇敢に行動して貰いたいです。
土曜日のデートで観に来ていたカップルさんはエンドロール早々に出て行かれました。大正解。
お金と時間に余裕のある方はどうぞ。時間を大切にしたい方は、放射線障害についてググって勉強する方がよっぽどよいかか思います。
ご免なさいね。映画ファンの夢をくじくような書き込みで。
どうか、第三次世界大戦がおきませんように。アーメン。
【チェルノブイリ原発事故を風化させない意義ある作品。今作の正式サイトを見れば、ロシアを統べる愚かしき男に忖度したプロパガンダ映画ではない事が分かる。現況が、如何に危機的状況かが分かる作品でもある。】
ー 私は当初、この作品は幼き頃に微かな記憶があるチェルノブイリ原発事故で、原発近くにあったキーウ市の市民(今作は2020年製作であるので、劇中では”キエフ”と字幕で出る。)及び欧州他世界への二次放射能被害を食い止めようとした当時の軍人、消防士、施設関係者の姿をヒロイックに捉えた、現代ロシア当局によるプロパガンダ映画ではないかと懸念していた。
が、それは杞憂であった。
正式サイトに記載されているコメントと、他の筋から調べた結果、プロパガンダ映画ではないと判断し、観賞した。
尚、「ラブレス」などを制作した今作のプロデューサーが、ウクライナ人である故に、現在、彼の過去作品はロシアでは上映禁止になっている・・。-
◆感想
・チェルノブイリ原発事故直後のシーンはVFXによるものであろうが、チェルノブイリ原発事故がどれだけ恐ろしい事故であったかが良く分かる。
焼けただれ、吹き飛んだ屋根。落下してくる建物の一部。火傷の損傷が激しい消防士たち・・。
・そんな中、主人公である消防士アレクセイ(今作の主演・製作・監督も担当したダニーラ・コズロフスキー)は且つて恋人だったオリガと久方ぶりに再開するが、急遽駆け付け、自体収拾のため、危険極まりない基地内を奔走する。
- アレクセイと、オリガの以前の関係性の描き方が、粗い。想像で補うが・・。-
・又、水蒸気爆発を防ぐために、命を懸けてアレクセイや大佐や、施設職員が熱湯と化した地下道を進むシーンも、観る側の知識不足故か、分かりずらい。勿体ない・・。けれども、臨場感は半端ない。私に、正しき知識があれば・・、と思ったシーンでもある。
・アレクセイが”何故、爆発したんだ!”と施設院職員に問いただし、職員が”・・人災です”と答えるシーンを見て、矢張り今作はプロパガンダ映画ではない事を確信した。
- プロパガンダ映画であれば、自国のミスを認める台詞を入れる筈がない。-
<今作品は、チェルノブイリ原発事故を風化させない、意義ある作品ではある。
が、ストーリー展開が粗い事と、人物造形がしっかりされていない分、映画としてのクオリティには、一部疑問符が残る。
だが、それを吹き飛ばす臨場感溢れる原発内のシーンの数々や、消防士アレクセイを始めとした、消防士たちの姿や、軍のボリス大佐、施設職員が身命を賭して、民のために奮闘する姿は、心に響く。
それにしても、あの大惨事の際に旧ソ連をを統べていたのが、ゴルバチョフで良かったと心から思った。(彼の方の奥さんは、ウクライナ人であり、現政権を強烈に批判している。)
現在、ロシアを統べる男はこの事故から、何も学んでいない。
何しろ、キーウ近郊にある核施設に攻撃をしているのであるから・・。
そして、間違いなくあの男であれば、この事故を諸外国には告げず、独裁国家お得意の情報統制を掛け、”知らぬ存ぜぬ”を通していたであろうことは、明白である。
今作は、あの国に、核爆弾が多数ある事に、暗澹たる気分になった作品でもある。
最後に、チェルノブイリ原発事故で自己犠牲の元、もしくは放射能により(ガイガーカウンター値700レム!と救急車内で映し出されるシーンあり)命を失った方々へは、エンドロールで流れた通り、敬意と哀悼の念を表したいと思った作品でもある。>
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