われ弱ければ 矢嶋楫子伝

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われ弱ければ 矢嶋楫子伝

解説

まだ女性がひとりの人間として尊重されることのなかった明治から大正時代にかけて、女子教育や女性解放運動に尽力した矢嶋楫子(やじまかじこ)の生涯を、日本最高齢の女性監督・山田火砂子が映画化。原作は三浦綾子の同名小説。主人公の矢嶋楫子役を常盤貴子が演じた。洗濯のたらいも男女を分けるなど、社会に極端な男尊女卑があった1833年(天保4年)に、現在の熊本県に生まれた矢嶋楫子。25歳の時に武士の夫と結婚するが、夫はたびたび家族に暴力をふるい、身の危険を感じた楫子は、子を連れて家を出て離縁状を叩きつける。時代は明治となり、上京して小学校の教員になった楫子は、女子学院の院長を経て、一夫一婦制や婦人参政権、禁酒、廃娼運動など、女性の地位向上を目指して多くの活動に関わっていく。「筆子・その愛 天使のピアノ」や「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」でも山田監督とタッグを組んできた常盤貴子が楫子を演じ、楫子の生涯に影響を与える兄・直方役で石黒賢、夫・七郎役で渡辺いっけいらが共演。

2022年製作/110分/G/日本
配給:現代ぷろだくしょん
劇場公開日:2022年2月12日

スタッフ・キャスト

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映画レビュー

5.0ややわかりにくい点もあるが、本命~準本命枠

2022年2月19日
PCから投稿

今年46本目(合計319本目/今月(2022年2月度)18本目)。

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※ 趣旨的に、今現在(2021~2022)、色々な思想を持たれることは理解していますが、ここでいう「フェミニズム思想」というのは、男女同権思想・女性解放運動である点はちゃんと書いておきます(映画内でもこの発言)。
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予告編や公式ページでも書かれている通り、実在した江戸後期~大正時代を実際に生きた人物のドキュメンタリー映画です。もっとも、当時の動画など残っていないようで、その点に関して当時の画像が挟まる部分はないです。
もちろんドキュメンタリー映画である以上、あることないこと書けないので、ある程度の脚色はされていても、基本的には史実通りに描かれているところ、やや混乱させる部分もあり、事前の予習か把握がないと、???な展開になる部分も数か所あります。

そのため、当時の画像・動画などないとはいっても、ドキュメンタリー映画という部分もないわけではなく、歴史上の人物なので、あれこれ書き始めると著作権上好ましくないので、その部分はばっさり排除して、さっそく採点に入ります。

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(減点0.2) 作内・史実通り、主人公は(現在の)熊本県出身です(よって、熊本県では少し早く公開されていた)。上記の通り、ドキュメンタリー映画的要素があるため、彼女の一生を描く映画であるところ、序盤のこの「熊本でのシーン」が、かなり理解しにくいです。これは、「熊本弁の理解が難しい」以上に「早口で理解が追い付かない」という部分があります。
この部分は10分間くらい続きますが、このシーンは作内で必要と言えるものですし(後述、アルコール依存問題)、逆に熊本弁ではなく標準語を話しているほうが(歴史的に考えれば)珍妙な状況になるので、その限りにおいて減点はこの程度かな…と思います。

(減点なし) 史実通り、彼女は明治以降に外国人との交流がありましたが、作内ではこの外国人(すべて英語を話す)の英語の字幕があるところとないところがあり、最低限の英語力(英検2級程度)がないとわかりづらい点もあります。
ただ、前後関係でわかるようにはなっており、減点なしかなという印象です(配慮不足かなという点にすぎない)。
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 ▼ 事前に知識がないとハマる・理解に支障をきたす部分について

 ・ 公式サイトには「…女子学院の院長を経て、一夫一婦制、婦人参政権、禁酒、廃娼運動など、多くの活動に関わり…」とあります。

 この中4つのうち、「禁酒」だけが「???」という部分があるかなと思います。
もともと、「日本キリスト教婦人矯風会」は、アメリカのそれに習って結成された事情があるため、アメリカの当時の禁酒法をそのまま引き継いでいます。ただ、当時のアメリカの禁酒法と違い、日本では「禁酒法」はさほど問題視されなかったので、もっぱら、作内でも描かれている通り、「仕事もせずに昼間っぱら飲酒する」「飲酒して乱暴する」というような部分になっています。
この部分はさすがに何か補足説明がいるのでは…と思います(なお、この「日本キリスト教婦人矯風会」は現在でも存在し、この点に関しては現在の日本の実情に合わせて「アルコール依存症」「飲酒運転」といった問題を扱うようになっています)。

 ※ 彼女が没したあとも(現在も存在するように)有志がひきつぎ、「売春防止法の制定」などにかかわっています。

 ・ 「妾関係(の廃止)」については、作内では「教育勅語に伴って」という描写ですが、実際には明治時代の「戸籍法」の制定で法律的には廃止されたものであるようです(ただし、現在でも判例などでは普通に使われる。不法原因給付など)。ただ、そこは本質論ではないと思う一方、「妾関係」という語自体も現在では死語に近く(法律系資格では不法原因給付の判例程度でしか登場しない)、これも説明はいるかな…という感じです。

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yukispica

2.0避妊の自由こそ、女性の究極の自由

2022年2月14日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

 当方は聖書は読むが、クリスチャンではない。だから本作品のようなキリスト教礼賛の映画には若干の抵抗がある。精神の自由を毀損されるように感じてしまうのだ。

 予想していなかった終映後の舞台挨拶は、例によって作品の礼賛と、SNSでの拡散希望を訴えるもので、いつものことながら辟易してしまった。山田火砂子監督の90歳という年齢ばかりを強調する司会者にも呆れた。舞台挨拶があるなら見たかった常盤貴子はスケジュールが合わなくて来られなかったとのこと。一から十まで残念な舞台挨拶である。

 冒頭の三浦綾子の文章の朗読(栗原小巻)ですべてを了解した。三浦綾子はクリスチャン小説家として有名だ。「愛とは許すこと」というテーマでたくさんの小説を書いている。クリスチャンの矢嶋楫子を礼賛するのは当然だろう。

 登場人物はたくさんいたが、俳優らしい俳優は主演の常盤貴子と渡辺いっけい、それに石黒賢くらいだ。ワンポイントの竹下景子や小倉一郎、ほっしゃん、駒井蓮は役を卒なくこなしている。ほかは素人さんが学芸会みたいに出演していた。俳優の渡辺大が酷かった。俳優とも思えない存在感のなさは、父親の渡辺謙に反比例したみたいだ。

 女性の地位向上を主張するのは悪いことではない。国会議員や大臣の男女同数制もいいと思う。企業の女性重役登用の促進もいいだろう。しかしそれだと一部の女性だけが地位向上するのみである。貧しい一般女性の地位はどうすれば向上するか。
 それは女性向けの避妊薬を無料で配布することである。避妊目的のミレーナの子宮挿入を保険適用し、女性の避妊手術の制約も撤廃するべきだ。
 恋をすればセックスをしたくなるのは自然である。そのときに女性だけが妊娠のリスクを負うのは不公平だ。この不公平が是正されてはじめて、女性に自由が得られると思う。避妊の自由こそ、女性の究極の自由である。

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耶馬英彦