ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
全222件中、161~180件目を表示
耳を澄ませる
岸井ゆきの、佐藤緋美、三浦監督のトークイベントつきで鑑賞。
岸井ゆきのを最近いろんな作品で見てきたので、リアルで見られて、ちょっぴり嬉しい。
小柄ながらも映画館同様、存在感があった。
全編を通して、映画らしい派手さはほとんどない。三浦監督いわく、宇宙の中の、地球の中の、東京の団地の一室、というイメージらしい。
荒川の小さなジムの難聴者の主人公が中心の小さな話。
それを感じさせるかのように固定されたカメラで、景観や、街中を歩くケイコの様子が頻繁に映される。
さらに、日常感を助長しているのが、音楽。といっても劇伴はほとんどなく、街の雑踏音や、ジムのボクシングの音が印象的になっている。ちなみに唯一の劇伴のギター曲は佐藤緋美が撮影中に描いていた曲とのこと。思い入れもひとしお。
難聴の主人公を扱いながらも、音で魅せているのがなんとも逆説的でおもしろい。
16mmフィルムの映像も味があって、冒頭から雰囲気が出て引き込まれる。
俳優は、最初は岸井ゆきのを見ているようで、手話、難聴を見事に演じ、不器用で笑顔がない姿は途中から完全にケイコになっていた。そのあと実際に舞台挨拶でみて、さらに別人だと感じた笑
プロボクサーとしてはさすがに違和感はあったが、
佐藤緋美も自然でとてもいい。本物も礼儀正しく、謙虚で好感が持てた。
派手さはないが、非常に丁寧に描かれている作品であった。
台詞が無い主人公・・・凄い!
物語はスポコンものかと思いがちですがそうでは無い一度は止めよう(休む)と考えてるしボクシングをとうして自己表現かと思えばそうでもないでも耳の聞こえない主人公の焦燥感は健常者(失礼な言い方でゴメン)の私にも形を変えて有る何も違わない事に気がつき物語が見えて来ました。
最後に主人公演じた岸井ゆきのさんが凄い、主人公の気持ちは伝わるのに台詞は無いのだ映画が終わってその事に気がつき改めて感動した。
音の清らかさ
世界中の映画祭で絶賛のこの作品を鑑賞、なんだろ・・・あとからジワジワ来る静かな涙。
生まれつきの聴覚障害で両耳とも聞こえないひたむきにボクシングを続ける女のこの物語。
岸井ゆきのさんの演技が最高にいい、音のない世界に苦闘する主人公に呼応させるかのように音がとにかく澄んでいて美しい。
激しくもない抑揚もない、でもなんかしみじみと来る映画。
ブレイブハートに火をつけて
99分尺の小品。
なによりも予告編のトーンが微妙なので
鑑賞を迷っていた。
封切り当初の上映館も少ないしで、
さてどうしようと思案していたら
評論家筋の評価が滅法高い。
煽りとは思うが、各所の告知でも
「上映館も増え」とか書かれていれば
もう気になって仕方ない。
ましてや『岸井ゆきの』は好きな女優さん。
〔愛がなんだ(2019年)〕も〔やがて海へと届く〕も良かったし。
その彼女が冒頭から驚かせてくれる。
顔の形が明らかに違っている。
それに続くシーンで筋骨隆々な背中を見せられ、
ああこれは、体重を増やし筋肉を着けた結果だな、と
得心が行く。
更にそこからのミット打ちの場面も素晴らしい。
何時まで続くの?との驚嘆の長回しで、
延々とトレーナーと対峙。
どれほどの研鑽を積んだのか。
主人公は聾唖の女性ボクサー
『小河恵子(岸井ゆきの)』。
同居する弟との暮らし、
ホテルでの清掃作業の仕事、
ジムでのトレーニングやロードワークと、
変わりない毎日をカメラは淡々と追う。
中途、耳が聞こえないことによる不便や
同じ聾唖者の友人との交流、
離れて住む母親との遣り取りが
スパイスの様に振り掛けられ、
彼女の人となりが、
心に潜む懊悩が次第に浮かび上がって来る。
そんな折、『恵子』が所属するジムの閉鎖が決まる。
『会長(三浦友和)』は他所でぞんざいな扱いを受けた彼女を
受け入れ、親身になり、実の娘の様に育てた恩人。
期待を背にリングに上がった結果はしかし、
主人公の心情に大きく変化をもたらす。
実際にプロで四戦をした
『小笠原恵子』の原作が基で
本人をモデルにしているとは思われるも、
エンドロールで触れられるように、
本編はあくまでも原作ありきのフィクションと捉えるべき。
三戦が終わった時点でも、
『恵子』の闘争心はまだまだ燃え盛っているのだから。
感得・脚本の『三宅唱』は〔きみの鳥はうたえる(2018年)〕を撮っているが、
そちらはあまり感心しない一本
(『佐藤泰志』原作のせいか?)。
ところが本作では見違えるよう。
主人公には聞こえない「音」を観る側には
過剰に意識させる構成。
また、母親の心情を、
娘の試合を撮ったブレた写真で表現するなど、
思わず膝を叩く素晴らしさ。
ボクシング映画に外れナシ、とは
以前に書いたことがある。
直近の2020年には〔アンダードッグ 前/後編〕があり。
女性が主人公でも
〔ミリオンダラー・ベイビー(2004年)〕
〔百円の恋(2014年)〕も挙げられ、
拳闘のシーンは少ないものの
本作もそれらに比する出来だろう。
リアルドキュメンタリー
なんだか主演の演技が凄いというネットでの評判を見て、見てみたくなって劇場に。
冒頭のミット打ちのシーンから、明らかに「素人の動きやないやん」という驚きがある。
主演の方はこの映画の撮影のため、相当ボクシングに力を入れ練習したそうですが、それが画面に出てる。
弟とその彼女と3人でシャドーするシーンがあるんですが、主演の岸井さんの動きがもうキレキレ(笑)。
試合のシーンの目には鬼気迫るものを感じました。
ただ、なぜ聴覚障害を持っているのに、ボクシングにそこまで入れ込んでいるのかが描かれていたら、もっと良かったかな。
物語は岸井さん演じるボクサーの成長と、ジムの閉鎖に至るまでが描かれてるんですが、会長役の三浦さんもいい味出してる。
好きな事を極める人生って、いいなーと思わせられる、読後感の良い映画でした。
エンディングで、会長からもらった帽子をかぶり直して、ランニングで走り出すシーンも好き。
あ、あと何か見た事あるなー、もしかして‥って思った会長の奥さん役、エンドロールで仙道敦子さんって出て、やっぱそうかと。
久々に見れて、ちょっと感動。
ブレイクしかけの頃に結婚引退しちゃったから、個人的にはちょっともったいない印象があるんですが、こうやって演技の世界に戻ってきてるんだから、本人的には良かったんでしょうね。それもまた人生って事で。
16フィルムはバイプレーヤー。
スクリーンの向こうの映画の世界ではなく、まるで現実世界を描写されているように整えられている作品。
特筆すべきは16ミリフィルムが、すこぶる良い。
出演者同士の距離感や気配、手触りや温もり感が、まるでバイプレイヤーのように作品を底支えしている。
世界は感動しても自分はそれほどでもなかった
2022年映画館鑑賞73作品目
12月25日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
監督と脚本は『きみの鳥はうたえる』の三宅唱
聴覚障害で全く音が聞こえない女性ボクサーの話
所属するボクシングジムが会長の体調不良もあって閉鎖されることになる
そのためかBGMがほとんどない
度が過ぎるBGMはうんざりだが逆にこれはこれで・・・
減量に打ち込むボクサーの如くあらゆる無駄を削ぎ落とした映画でエンターテイメント性に欠ける
古今東西ボクシング映画の名作話題作はあったがそれらとは一線を画す
岸井ゆきのが好きで好きでたまらない人に向いている作品
彼女の演技は良かった
ただただ淡々と進む単純なストーリーで眠くなる人がわりといても無理はない
ボクシング映画で眠くなるってなかなかない
エロスも過剰なバイオレンスもコメディー要素もない
ユーモアがある名言もない
肝心のボクシングの試合も凡戦で迫力はなく手に汗握る展開はない
けれどボクシングの練習風景は本格的でそこはドリフのコントとは雲泥の差
海外の一部には聴覚障害の役は聴覚障害の役者にやらせろという馬鹿げたリベラルがいるようだ
白人特有の傲慢な偽善者ぶりに反吐が出る
それなら『どついたるねん』みたいに本人に出てもらったほうがまだマシだ
海外では高く評価されているらしいがそれにしたって所謂インテリだけだろう
『青いパパイヤの香り』とか河瀬直美の初期作品と共通するものがある
なぜ彼らはこういう映画が好きなんだろうか
あとみんなが手話でコミニュケーション取れるならマスクはいらないな
聴力障害のボクサー小河ケイコに岸井ゆきの
ケイコが所属するジムの会長に三浦友和
ケイコが所属するジムのトレーナー林誠に三浦誠己
ケイコが所属するジムのトレーナー松本進太郎に松浦慎一郎
ケイコの弟・小河聖司に佐藤緋美
ケイコの母・小河喜代実に中島ひろ子
会長の妻に仙道敦子
ケイコの新たな所属先としてトレーナーが世話するもケイコ本人が断る窓口係の女性に渡辺真起子
聖司のガールフレンドに中村優子
自然音だけのハードボイルド
冒頭のボクシングジムのシーンから、縄跳びの音、器具の軋み、ミット撃ちの音と、耳に神経を集中させられる。全編、劇伴音楽はなく(例外は主人公の弟が弾くギターのみ)、ジムのシーン以外でも、電車の通過音、雑踏、川のせせらぎなど、自然音のみ。しかし、主人公には音が聞こえない。
主人公の心情が語られることはない。必要最小限の手話(字幕の入れ方はサイレント映画のよう)と視線、顔の表情のほかには、即物的に身体の動きを丹念に追う。「勝手に人の心を読まないで」と語る主人公は、まさしくハードボイルド。
主人公がなぜボクシングを始めたのか、ジムの会長へのインタビューでうかがい知れるのみ。主人公の心情が最もよく現れているのは、会長の妻が読み上げる日誌。三宅監督は、もともとあった原作に沿ったシナリオを全面的に書き換えたそうだが、16ミリのざらついた画面と合わせて、テーマ、構成、シナリオ、演出が見事に一致している。
それにしても、岸井ゆきのは凄い。主人公と一体化しているというより、まるでドキュメンタリーを見ているかのよう。ミット撃ちは見事だし、2戦目の試合最後に吠えるところは心に響いた。三浦友和、仙道敦子(久々!)、トレーナーの二人も良かった。
エンドクレジットが終わるまで、目と耳を澄ませ、稀有な映画体験だったと感じた。
期待はずれ
すごくいいという評判を聞いて鑑賞しましたが、私は眠くなってしまいました。いい映画なのは分かるのですが、凹凸がなく、終わり方が微妙なのは私にとってスッキリできない気分が残る。確かに若い女性の気持ちがストレートに表現されていると思うけれど、共感できない部分も多くて。。。主人公を演じた女優さんの演技は素晴らしいと思います。
ケイコの表情から成長を読み解く人間ドラマ
主人公ケイコの周りの人たちが皆優しい。
それなのにケイコの心はなかなか解けることはなく「人間なんて一人だから」とケイコの悩みを共有しようとする弟に対しても拒絶をしてしまう。
それでもジムの会長(三浦友和)の病などを通じ、徐々にだが他者を気遣う気持ちが芽生えて行く。
それを表情だけで伝える岸井ゆきのさん、すっかり実力派俳優になりましたね、そして鍛え上げられた広背筋!役者魂に拍手です。
ただ、ケイコの心の移ろいや迷いがどこから来ているのかが理解し難くて「どうしてあなたは周りの優しさを素直に受け入れられないの?」なんて、まるで親になったような気持ちでモヤモヤ・イライラしながらスクリーンを見つめている自分がいました。
少し難しかったな。
時より見せる映画が印象的
最近地上波でやたら観るようになった
岸井ゆきのさんの主演作。
本作を観て彼女が多く起用される理由が
少し解ったような気がします。
難聴のプロボクサーケイコ。
彼女同様作品も多くを語らない。
純粋な彼女の生き様がジャブのように
ジワジワと効いてくる。
リアルな人生の中に映画のような
美談や感動は多く存在しない。
本作にも映画らしいドラマチックな
ラストは用意されていない。
愚直に生き愛想のないケイコが
時折見せる笑顔が印象的。
岸井ゆきのに合わない
聴覚障害で耳の聞こえないケイコは、下町の小さなボクシングジムで練習し、プロボクサーとしてリングに立っていた。そんなある日、ケイコはジムが閉鎖されることを知った。そんな話。
ケイコ役の岸井ゆきのの喋らない演技が見所なんだと思うが、彼女は喋りが良いのに喋らない役はイマイチだった。
ボクシングがカッコ良いならまだしも、背が低く猫背でやられっぱなしのシーンが多く、なぜ彼女を選んだのか理解に苦しむ。
面白くなかった。
魂を揺さぶる叫び
実在の聴覚障害の女子プロボクサー小笠原恵子の自伝を元にしているということだが、エンドクレジットで本作はフィクションである旨が記される。原作は未読なので分からないが、調べてみると時代背景を含め色々と脚色されているそうである。ただ、そうした映画独自の改変はあれど、ケイコ自身の生き様や彼女が置かれている状況には色々と考えさせられるものがあるし、何よりハンデを負ったままリングに立つ彼女のひたむきな姿には素直に感動を覚えた。
本作は二つの観点から感想を述べてみたい。一つ目はボクシング映画としての観点、二つ目は聴覚障害者を描いた映画としての観点である。
まず、ボクシング映画として見た場合、「ロッキー」シリーズのようなファイトシーンは余りなく、どちらかと言うとケイコの内面に重きを置いたヒューマンドラマ的な作りになっている。ケイコはデビュー戦で初勝利をあげるが、自信を得るどころか逆に不安を感じてしまう。このまま本当にプロとしてやっていけるだろうか?経営が厳しいジムの重荷になっていないか?家族に心配をかけてないか?そうした葛藤がじっくりと描かれている。
考えてみれば、耳が聞こえないということはセコンドのアドバイスやレフェリーの言葉、ゴングの音すら認識でないわけで、そんな状況の中で戦うということは想像を絶するほどの孤独であろう。その苦悩は観ているこちらにも十分に伝わってきた。
また、ケイコの面倒を親身になって見る会長の存在も良かった。言葉を喋らず黙々と練習に励むケイコとは、あまりコミュニケーションを取らないが、一緒にトレーニングをする姿からは確かな絆が感じられた。まるで娘を見守る父親のような優しい眼差しが、会長の人となりをよく表している。個人的には「ミリオンダラー・ベイビー」におけるクリント・イーストウッドとヒラリー・スワンクの関係を連想した。
第二の観点は、ケイコの聴覚障害という設定から見る本作の社会派的な意義である。
ケイコの戦いはリング上だけではない。日常の至る場面で彼女は自身のハンデを思い知らされる。例えば、アルバイト先の同僚や同居している弟の恋人は手話ができない。そのため彼等とはほとんどコミュニケーションを取らない。コンビニのレジの店員の言葉も聞こえないので、会計の時には気まずい空気になってしまう。すぐ近くにいるのに意思疎通が取れないということは、普通に考えてかなりのストレスだろう。この映画はそんな聴覚障害者の苦労を、日常の一コマの中に上手く落とし込んでいると思った。
偶然かもしれないが、最近は手話をフォーチャーした映画が多くなってきたような気がする。昨年観た「ドライブ・マイ・カー」、今年のアカデミー賞で作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」、先頃観た「LOVE LIFE」等。立て続けに手話が出てくる映画を観たので、余計にそう思うのかもしれない。最近のLGBTQや多様性にも言えることだが、こうした流れは昨今の潮流なのかもしれない。
監督、脚本は三宅唱。自分は初期作「PlayBack」しか観たことがないのだが、その時には少しシュールで独特な演出をする監督だなという印象だった。しかし、今作では現実感を重視した演出が貫かれており、その時の印象とは全く異なり驚かされた。映像もザラついた16ミリ特有の質感で、シーンに生々しい臨場感を生んでいる。デジタルビデオ全盛の現在では余り味わえない映画体験が逆に新鮮だった。
また、縄跳びの音やサンドバッグを叩く音、電車や工事の音といったサウンド面の演出にも監督のこだわりが感じられた。
キャストでは、何と言ってもケイコを演じた岸井ゆきのに尽きると思う。セリフがない難役を眼差しのみで表現しきった所が見事だった。また、冒頭のロッカールームのシーンを見れば分かるが、肉体改造も抜かりはなく、役所としての説得力も十分である。
特に印象深かったのは、試合中に発する彼女の叫び声だった。もちろんこれは対戦相手のダーティーな戦いぶりに対する怒りであることは明白なのだが、自分はそれだけではないように思う。何をやっても思うようにいかない厳しい現実に対する憤り。あるいは、ふがいない自分自身に対する怒りにも聞こえた。正に魂を揺さぶる叫びである。
セリフがない岸井ゆきのの演技
ボクシングの場面が嘘くさいと一気にさめるのがボクシング映画だが、相当準備したはず。
試合のシーンは正直微妙だったが、
素人の私には納得の出来。
セリフがほぼなく、表情中心だが、主人公の心情が伝わり、苦しかった。
音のない世界のリアルは、やはり恐ろしい。
その中でボクシングに身を投じたのは尊敬。
作品自体は緩やかだが、だるさはなく、むしろ心地よかった。
揺れ動く女性を、目で語る
ドキュメンタリータッチなので、心情説明セリフはなく、また過剰に音楽を乗せていないところがよかったです。
日常の中で、
「ボクシングを好きな自分」
「ボクシングを(痛いのを)怖い、嫌だと思う自分」
「続けたいと思う自分」
「少し休みたいと思う自分」
がいて、常に心は揺れ動く女性の姿を、岸井ゆきのさんが見事に演じ。
聞こえないゆえに、見て感じることに集中しているその「目」が、口よりものを言ってました。
また、岸井さんは、以前からボクシングや手話をやっていたのではと思うレベルに役を作り込んでいて素晴らしかった。
“ボクシング映画”?
本作の印象として、まず“好きな映画”というのがあるのだけれど、なんか感想が書き難い。
何処が好きで何を感じたのか、非常に言語化し難い作品で今回も何から書き始めればよいのか分からず書いてます。
とりあえず本作については私が観た岸井ゆきのの(恐らく)ベストアクトであり、三宅唱監督作品の中でも一番好きな作品となりました。
“ボクシング映画”に外れなしと言われていますが、近年作られたボクシングを題材にした邦画については全て良かったです。しかし、これらの作品って本当に“ボクシング映画”なのか?を考えると、ひょっとしたらそうではないのかも知れません。
まず“ボクシング映画”で思い浮かべるのは『ロッキー』シリーズですが、ひょっとしたらこのシリーズだけが特殊な作品であって、他の海外でのボクシングを題材にした作品も大半は“人間ドラマ”の方の印象が強く、決して“ボクシング映画”ではない様な気もします。
と、らちが明かない話から始まり申し訳ないですが、基本ボクシングを題材にした作品の共通点として心の芯が熱くなるというのがある様な気がします。
ただ『ロッキー』シリーズの場合は、ボクシングシーンで炎の様に熱くさせてくれるのに対して、ボクシングを題材にした“人間ドラマ”の方は、作品を通して弱火で時間をかけてジワジワ熱くさせてくれる様な作品が多く、本作もその点については同様でした。
で、本作についてですが、タイトルの“目を澄ませて”という意味ですが“耳を澄ませて”のモジりは分かるのですが、何に対しての言葉なのか?最初に思い浮かべるのはボクシングに対してですが、作品の構成を考えるとケイコに関わる登場人物一人一人に対しての言葉の様に感じられます。
この映画の構成の面白さは、“主役ケイコ”ではなく各シーン毎の“ケイコ対〇〇”自体が主役になっているということです。ケイコ対オーナー、ケイコ対弟、ケイコ対トレーナー等々、ケイコと相対する全ての登場人物との関わりがそのまま本作のテーマになっていて、ラストシーンでそれを明確に気付かされた時、観客である私は非常に気持ち良かったです。
ケイコもその時に悟りではないけれど色々な事が腑に落ちる感覚になったのではないのかなぁ~。
あと本作は16mmフィルムで撮られていて、やはり昭和の人間である私はこの質感が落ち着くし好きですね。
雄弁な静寂
驚くほど静かな映画であるにもかかわらず、世界がいかに音に満たされているのかを感じさせる。
そうした音響的な工夫とは裏腹に、ドラマ的には出来るだけフラットになるように意識されていると感じられた。
そうしたセッティングの中で、岸井ゆきのの台詞なしの眼差しと訓練されたボクシングの動きが感情を揺すぶってくる。
新しいコンビネーション、そのメモ、日々のトレーニング、でも試合は思うようにはならない…
女性であること、聞こえないこと、しゃべれないこと。その抑圧からいっとき解放されるための方法としてのボクシング。
あまりにも雄弁な静寂に、我々聴者は耳を傾けるべきだ…
全222件中、161~180件目を表示