ケイコ 目を澄ませてのレビュー・感想・評価
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台詞が無い主人公・・・凄い!
物語はスポコンものかと思いがちですがそうでは無い一度は止めよう(休む)と考えてるしボクシングをとうして自己表現かと思えばそうでもないでも耳の聞こえない主人公の焦燥感は健常者(失礼な言い方でゴメン)の私にも形を変えて有る何も違わない事に気がつき物語が見えて来ました。
最後に主人公演じた岸井ゆきのさんが凄い、主人公の気持ちは伝わるのに台詞は無いのだ映画が終わってその事に気がつき改めて感動した。
音の清らかさ
ブレイブハートに火をつけて
99分尺の小品。
なによりも予告編のトーンが微妙なので
鑑賞を迷っていた。
封切り当初の上映館も少ないしで、
さてどうしようと思案していたら
評論家筋の評価が滅法高い。
煽りとは思うが、各所の告知でも
「上映館も増え」とか書かれていれば
もう気になって仕方ない。
ましてや『岸井ゆきの』は好きな女優さん。
〔愛がなんだ(2019年)〕も〔やがて海へと届く〕も良かったし。
その彼女が冒頭から驚かせてくれる。
顔の形が明らかに違っている。
それに続くシーンで筋骨隆々な背中を見せられ、
ああこれは、体重を増やし筋肉を着けた結果だな、と
得心が行く。
更にそこからのミット打ちの場面も素晴らしい。
何時まで続くの?との驚嘆の長回しで、
延々とトレーナーと対峙。
どれほどの研鑽を積んだのか。
主人公は聾唖の女性ボクサー
『小河恵子(岸井ゆきの)』。
同居する弟との暮らし、
ホテルでの清掃作業の仕事、
ジムでのトレーニングやロードワークと、
変わりない毎日をカメラは淡々と追う。
中途、耳が聞こえないことによる不便や
同じ聾唖者の友人との交流、
離れて住む母親との遣り取りが
スパイスの様に振り掛けられ、
彼女の人となりが、
心に潜む懊悩が次第に浮かび上がって来る。
そんな折、『恵子』が所属するジムの閉鎖が決まる。
『会長(三浦友和)』は他所でぞんざいな扱いを受けた彼女を
受け入れ、親身になり、実の娘の様に育てた恩人。
期待を背にリングに上がった結果はしかし、
主人公の心情に大きく変化をもたらす。
実際にプロで四戦をした
『小笠原恵子』の原作が基で
本人をモデルにしているとは思われるも、
エンドロールで触れられるように、
本編はあくまでも原作ありきのフィクションと捉えるべき。
三戦が終わった時点でも、
『恵子』の闘争心はまだまだ燃え盛っているのだから。
感得・脚本の『三宅唱』は〔きみの鳥はうたえる(2018年)〕を撮っているが、
そちらはあまり感心しない一本
(『佐藤泰志』原作のせいか?)。
ところが本作では見違えるよう。
主人公には聞こえない「音」を観る側には
過剰に意識させる構成。
また、母親の心情を、
娘の試合を撮ったブレた写真で表現するなど、
思わず膝を叩く素晴らしさ。
ボクシング映画に外れナシ、とは
以前に書いたことがある。
直近の2020年には〔アンダードッグ 前/後編〕があり。
女性が主人公でも
〔ミリオンダラー・ベイビー(2004年)〕
〔百円の恋(2014年)〕も挙げられ、
拳闘のシーンは少ないものの
本作もそれらに比する出来だろう。
悔しさを知っている人へ
岸井ゆきのさんの好演、熱演に感動です。
セリフがないので難しい役どころだったと思いますが、表情や身ぶりなどで見事に主人公の心情を表現されていました。プロボクサーとしての役作りも素晴らしい。
この役を演じれる人って、他にはなかなかいないだろうと思ったほどです。
ドラマチックに描きすぎない脚本や、無理やり音楽などで盛り上げたりしない演出、16mmフィルムの自然なカメラワークも良かった。それでも感動できるのは、岸井ゆきのさんはじめ演者の皆さんの好演があってこそですね。
この映画、真剣な戦いや競争に破れたりで悔しさを知っている人はきっと泣けると思います。
でもその悔しさを知った時、またひとつ強くなれるのかな。
リアルドキュメンタリー
なんだか主演の演技が凄いというネットでの評判を見て、見てみたくなって劇場に。
冒頭のミット打ちのシーンから、明らかに「素人の動きやないやん」という驚きがある。
主演の方はこの映画の撮影のため、相当ボクシングに力を入れ練習したそうですが、それが画面に出てる。
弟とその彼女と3人でシャドーするシーンがあるんですが、主演の岸井さんの動きがもうキレキレ(笑)。
試合のシーンの目には鬼気迫るものを感じました。
ただ、なぜ聴覚障害を持っているのに、ボクシングにそこまで入れ込んでいるのかが描かれていたら、もっと良かったかな。
物語は岸井さん演じるボクサーの成長と、ジムの閉鎖に至るまでが描かれてるんですが、会長役の三浦さんもいい味出してる。
好きな事を極める人生って、いいなーと思わせられる、読後感の良い映画でした。
エンディングで、会長からもらった帽子をかぶり直して、ランニングで走り出すシーンも好き。
あ、あと何か見た事あるなー、もしかして‥って思った会長の奥さん役、エンドロールで仙道敦子さんって出て、やっぱそうかと。
久々に見れて、ちょっと感動。
ブレイクしかけの頃に結婚引退しちゃったから、個人的にはちょっともったいない印象があるんですが、こうやって演技の世界に戻ってきてるんだから、本人的には良かったんでしょうね。それもまた人生って事で。
16フィルムはバイプレーヤー。
スクリーンの向こうの映画の世界ではなく、まるで現実世界を描写されているように整えられている作品。
特筆すべきは16ミリフィルムが、すこぶる良い。
出演者同士の距離感や気配、手触りや温もり感が、まるでバイプレイヤーのように作品を底支えしている。
世界は感動しても自分はそれほどでもなかった
2022年映画館鑑賞73作品目
12月25日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
監督と脚本は『きみの鳥はうたえる』の三宅唱
聴覚障害で全く音が聞こえない女性ボクサーの話
所属するボクシングジムが会長の体調不良もあって閉鎖されることになる
そのためかBGMがほとんどない
度が過ぎるBGMはうんざりだが逆にこれはこれで・・・
減量に打ち込むボクサーの如くあらゆる無駄を削ぎ落とした映画でエンターテイメント性に欠ける
古今東西ボクシング映画の名作話題作はあったがそれらとは一線を画す
岸井ゆきのが好きで好きでたまらない人に向いている作品
彼女の演技は良かった
ただただ淡々と進む単純なストーリーで眠くなる人がわりといても無理はない
ボクシング映画で眠くなるってなかなかない
エロスも過剰なバイオレンスもコメディー要素もない
ユーモアがある名言もない
肝心のボクシングの試合も凡戦で迫力はなく手に汗握る展開はない
けれどボクシングの練習風景は本格的でそこはドリフのコントとは雲泥の差
海外の一部には聴覚障害の役は聴覚障害の役者にやらせろという馬鹿げたリベラルがいるようだ
白人特有の傲慢な偽善者ぶりに反吐が出る
それなら『どついたるねん』みたいに本人に出てもらったほうがまだマシだ
海外では高く評価されているらしいがそれにしたって所謂インテリだけだろう
『青いパパイヤの香り』とか河瀬直美の初期作品と共通するものがある
なぜ彼らはこういう映画が好きなんだろうか
あとみんなが手話でコミニュケーション取れるならマスクはいらないな
聴力障害のボクサー小河ケイコに岸井ゆきの
ケイコが所属するジムの会長に三浦友和
ケイコが所属するジムのトレーナー林誠に三浦誠己
ケイコが所属するジムのトレーナー松本進太郎に松浦慎一郎
ケイコの弟・小河聖司に佐藤緋美
ケイコの母・小河喜代実に中島ひろ子
会長の妻に仙道敦子
ケイコの新たな所属先としてトレーナーが世話するもケイコ本人が断る窓口係の女性に渡辺真起子
聖司のガールフレンドに中村優子
見た人に問いかける映画
恐ろしいほど、淡々とした映画だから万人受けはしないと思います。だからこそ、突き刺さる人にはとてつもなく突き刺さる映画だと思いました。エンディングで歌もなく淡々と終わる演出には、見終わった後、映画の余韻から抜け出せなくて、しばらく動けなかった。私には最高の映画でした!
自然音だけのハードボイルド
冒頭のボクシングジムのシーンから、縄跳びの音、器具の軋み、ミット撃ちの音と、耳に神経を集中させられる。全編、劇伴音楽はなく(例外は主人公の弟が弾くギターのみ)、ジムのシーン以外でも、電車の通過音、雑踏、川のせせらぎなど、自然音のみ。しかし、主人公には音が聞こえない。
主人公の心情が語られることはない。必要最小限の手話(字幕の入れ方はサイレント映画のよう)と視線、顔の表情のほかには、即物的に身体の動きを丹念に追う。「勝手に人の心を読まないで」と語る主人公は、まさしくハードボイルド。
主人公がなぜボクシングを始めたのか、ジムの会長へのインタビューでうかがい知れるのみ。主人公の心情が最もよく現れているのは、会長の妻が読み上げる日誌。三宅監督は、もともとあった原作に沿ったシナリオを全面的に書き換えたそうだが、16ミリのざらついた画面と合わせて、テーマ、構成、シナリオ、演出が見事に一致している。
それにしても、岸井ゆきのは凄い。主人公と一体化しているというより、まるでドキュメンタリーを見ているかのよう。ミット撃ちは見事だし、2戦目の試合最後に吠えるところは心に響いた。三浦友和、仙道敦子(久々!)、トレーナーの二人も良かった。
エンドクレジットが終わるまで、目と耳を澄ませ、稀有な映画体験だったと感じた。
しっとりとあったかい後味
遠くの山がまっしろに雪で覆われている。
手前の山は暖色のモヘアのセーターのようにあたたかそうな色を重ねている。
そのどちらも今、みてる世界なのだが視線がたった少しずれるだけでまったく違う場所にいるような気がする。
白い雪の山のことも、紅葉がのこる山のことも、ここからみている私の持つ印象があるという事実だけだ。
その繊細な部分や本質を捉えるにはこの世は大きすぎ深すぎる。
繰り返す日々には、そんなふうに手元の何かを見つめるだけで精一杯だったりすることや、あれこれ思いを巡らしながら自分のことなのにふとわかりづらくなることがある。
でも、続けて考えなければいけない時がある。
ケイコにもおとずれたマスクの中のようなその閉塞感。
彼女ももがく。
誰かと同じく。
静かに、1人で。
しかし
腐らず、すすむ。
そう。
ケイコは強かった。
淡々と逞しく自然体のまま
葛藤に向き合う。
そこには
ハンデを測る物差しなどない。
ましてや、なにかと比較するなどナンセンスで。
無理ない距離感で他人とのコミュニケーションをとり
そのなかで、本心の通う者とのつながりがもたらすものが
考え方や進む方向に影響を及ぼすことも示す。
それは決して表立ったものだけではなく、むしろ派手さは要らずに、本人たちだけがひっそりと気づく性質であることも。
自然災害や疫病がこの世を襲う度、絆という文字をよく目にするようになった。
何度となく、絆ってきっとそれほど簡単に構築できないんじゃないかとも感じたりした。
だけど本物ならば…その絆を手にしたものには、何があろうと揺るがないパワーを授かる可能性があるようだ。
敗北の試合の録画を真剣にみていた会長。彼の穏やかさと真摯な態度にケイコは固い信頼を寄せていた。ボクシングを続けることに悩み休会を伝えようと出向いたそのときみた会長の姿にケイコのこころの揺らぎが手に取るようにわかった。
本物ならば伝わるもの。
ケイコはそっとその場を離れた。
覚悟を後押しする存在のありがたさを私もかみしめた。
そして、それをキャッチする感性こそが研ぎ澄まされた世界を生きるケイコが生きていく上での最大の武器であり味方なのだろう。
どんな状況をむかえても、最後には自分が纏う自分の道のために。
実在の方をモチーフにしたそうだが、本人になりきっていく岸井さんの情熱が映像の中にうつくしく輝きをにじませていたようにおもう。
三浦さんの役柄は暖炉のようにストレートにあたたかく、仙道さんの役柄はさらりと明るくなにげなくまわりを巡らす空気のように感じた。
あったかい後味がした。
期待はずれ
ケイコの表情から成長を読み解く人間ドラマ
主人公ケイコの周りの人たちが皆優しい。
それなのにケイコの心はなかなか解けることはなく「人間なんて一人だから」とケイコの悩みを共有しようとする弟に対しても拒絶をしてしまう。
それでもジムの会長(三浦友和)の病などを通じ、徐々にだが他者を気遣う気持ちが芽生えて行く。
それを表情だけで伝える岸井ゆきのさん、すっかり実力派俳優になりましたね、そして鍛え上げられた広背筋!役者魂に拍手です。
ただ、ケイコの心の移ろいや迷いがどこから来ているのかが理解し難くて「どうしてあなたは周りの優しさを素直に受け入れられないの?」なんて、まるで親になったような気持ちでモヤモヤ・イライラしながらスクリーンを見つめている自分がいました。
少し難しかったな。
時より見せる映画が印象的
岸井ゆきのに合わない
魂を揺さぶる叫び
実在の聴覚障害の女子プロボクサー小笠原恵子の自伝を元にしているということだが、エンドクレジットで本作はフィクションである旨が記される。原作は未読なので分からないが、調べてみると時代背景を含め色々と脚色されているそうである。ただ、そうした映画独自の改変はあれど、ケイコ自身の生き様や彼女が置かれている状況には色々と考えさせられるものがあるし、何よりハンデを負ったままリングに立つ彼女のひたむきな姿には素直に感動を覚えた。
本作は二つの観点から感想を述べてみたい。一つ目はボクシング映画としての観点、二つ目は聴覚障害者を描いた映画としての観点である。
まず、ボクシング映画として見た場合、「ロッキー」シリーズのようなファイトシーンは余りなく、どちらかと言うとケイコの内面に重きを置いたヒューマンドラマ的な作りになっている。ケイコはデビュー戦で初勝利をあげるが、自信を得るどころか逆に不安を感じてしまう。このまま本当にプロとしてやっていけるだろうか?経営が厳しいジムの重荷になっていないか?家族に心配をかけてないか?そうした葛藤がじっくりと描かれている。
考えてみれば、耳が聞こえないということはセコンドのアドバイスやレフェリーの言葉、ゴングの音すら認識でないわけで、そんな状況の中で戦うということは想像を絶するほどの孤独であろう。その苦悩は観ているこちらにも十分に伝わってきた。
また、ケイコの面倒を親身になって見る会長の存在も良かった。言葉を喋らず黙々と練習に励むケイコとは、あまりコミュニケーションを取らないが、一緒にトレーニングをする姿からは確かな絆が感じられた。まるで娘を見守る父親のような優しい眼差しが、会長の人となりをよく表している。個人的には「ミリオンダラー・ベイビー」におけるクリント・イーストウッドとヒラリー・スワンクの関係を連想した。
第二の観点は、ケイコの聴覚障害という設定から見る本作の社会派的な意義である。
ケイコの戦いはリング上だけではない。日常の至る場面で彼女は自身のハンデを思い知らされる。例えば、アルバイト先の同僚や同居している弟の恋人は手話ができない。そのため彼等とはほとんどコミュニケーションを取らない。コンビニのレジの店員の言葉も聞こえないので、会計の時には気まずい空気になってしまう。すぐ近くにいるのに意思疎通が取れないということは、普通に考えてかなりのストレスだろう。この映画はそんな聴覚障害者の苦労を、日常の一コマの中に上手く落とし込んでいると思った。
偶然かもしれないが、最近は手話をフォーチャーした映画が多くなってきたような気がする。昨年観た「ドライブ・マイ・カー」、今年のアカデミー賞で作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」、先頃観た「LOVE LIFE」等。立て続けに手話が出てくる映画を観たので、余計にそう思うのかもしれない。最近のLGBTQや多様性にも言えることだが、こうした流れは昨今の潮流なのかもしれない。
監督、脚本は三宅唱。自分は初期作「PlayBack」しか観たことがないのだが、その時には少しシュールで独特な演出をする監督だなという印象だった。しかし、今作では現実感を重視した演出が貫かれており、その時の印象とは全く異なり驚かされた。映像もザラついた16ミリ特有の質感で、シーンに生々しい臨場感を生んでいる。デジタルビデオ全盛の現在では余り味わえない映画体験が逆に新鮮だった。
また、縄跳びの音やサンドバッグを叩く音、電車や工事の音といったサウンド面の演出にも監督のこだわりが感じられた。
キャストでは、何と言ってもケイコを演じた岸井ゆきのに尽きると思う。セリフがない難役を眼差しのみで表現しきった所が見事だった。また、冒頭のロッカールームのシーンを見れば分かるが、肉体改造も抜かりはなく、役所としての説得力も十分である。
特に印象深かったのは、試合中に発する彼女の叫び声だった。もちろんこれは対戦相手のダーティーな戦いぶりに対する怒りであることは明白なのだが、自分はそれだけではないように思う。何をやっても思うようにいかない厳しい現実に対する憤り。あるいは、ふがいない自分自身に対する怒りにも聞こえた。正に魂を揺さぶる叫びである。
ミリオンダラー・ベイビーを超えてるわ!
まずジムの練習シーンがリアリティ満載で秀悦。ケイコの背筋が美しい。一度休みたいとノートに書いたのは、勝ててしまってモチベーションが下がったらなのでしょうか。そのノートを会長が試合のビデオを見ているのを見て破り捨てるシーン、会長と鏡に向かって構えるシーン、トレーナーがケイコがやる気を取り戻して涙ぐむシーン、なんだか一生忘れそうもありません!
ドライブマイカー、ラブライフと耳が不自由な方が出てくる映画が続いたのですが、ケイコにぶつかって怒鳴る男、職質する警官など、耳が不自由な人もいることに想像が及ばない人もいる現実も丁寧に描いていました。
そして最後の試合のシーン!相手の反則で冷静さを失ったケイコが唸り声をあげて大振りをする。結果負けるわけですか、次の課題(人生の糧)が見つかるのです。
それから想像を絶するラストシーン!すべてが満点としかいいようがありません!
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