「「特別に」見ていないか?」ケイコ 目を澄ませて つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
「特別に」見ていないか?
ボクシング映画は当たりが多いなんて話も聞く。邦画だと「Blue」とか「百円の恋」とか。この作品もその仲間に入れて欲しいと思える。自分には全く分からないけれど、ボクシング映画の醸す魅力というのはなんなんだろうね。
シンプルに良い映画だったなと感じるのです。
本作の印象的なところとしてはサウンドエフェクトの大きさだろうか。
耳が聞こえない主人公でありながら音が大きいというのは、よくある、主人公と似た体験を視聴者にさせるというのとは違うだろう。
となると、観ている私たちはケイコと対戦するボクサーや、周りの人間ということになる。
先日ジェーン・カンピオン監督の「ピアノレッスン」を観たのだが、主人公は話すことが出来なかった。
その主人公に対して周りの人間は「おかしな人」という扱いをした。話せないというだけで。
人は自分と違う人間に対して普通ではないというジャッジを下しがちだ。自分が標準であると考えるからだ。
では本作のケイコに対してはどうだ?。
ケイコの周りの人間と同化させられている私たちは、危ないからとボクシングをやめさせたいか?。もしくは応援したいか?。この作品が伝えたいところとしてはどちらも違うのように思う。
ケイコは耳が聞こえないことで周りの人間に対して負い目を感じていたように思う。迷惑をかけているのではないかと。周りの支えに値しない人間なのではないかと。
エンディング。
ケイコは対戦相手のボクサーとたまたま出会う。そこで礼を言われた。
相手のボクサーからみれば自分と対戦してくれたケイコは自分を支えてくれた人ということになる。
そこでケイコは誰かに支えられているのは自分だけではないと気付いたのかもしれない。耳が聞こえないことで自分をある意味で特別扱いしていたのは自分自身だったのだと。
そして観ている私たちも、耳が聞こえないからと良くも悪くもケイコに対して「特別に」見ていないか?という警鐘だった。
「女性なのに」とか「耳が聞こえないのに」といった謎の理由づけは必要ないのだ。
ケイコを演じた岸井ゆきのはかなり良かった。ボクシングシーンも頑張ってたよね。
そして、ジムのオーナー役である三浦友和は少ないセリフの中でも印象を残したと思う。
セリフの少なさで言えばケイコはもっと少ないわけだけれど。
