「江頭2:50のギャグみたいな事を、映画でやって満足なん?」ケイコ 目を澄ませて ソビエト蓮舫さんの映画レビュー(感想・評価)
江頭2:50のギャグみたいな事を、映画でやって満足なん?
聴覚障害のある女性ボクサーの日常を淡々と「だけ」描いた作品。
黙々とロードワークをこなす早朝。澄み切った空気。都会の静寂。
「だけ」。
だからそれがどうしたというのだ?
早朝ランニングしてる人には当たり前の光景だ。
学生時代、奨学金のため新聞配達していた私が、毎朝、目にした光景。
確かに、気持ちがいい。清々しい。
だからそれがどうしたというのだ?
意味のない事に意味を見出そうとする風潮がたまらなく嫌だ。
だって、退屈じゃないか。
退屈を切り売りする風潮、なんだよこれ。
日本映画ってこういうの、好きだよなぁ。
平凡を平凡のままでいいんだよ的な昇華させるのも、百歩譲っていいとしよう。
「アバウトタイム〜愛おしい時間について〜」はまさに、そういう映画だった。
でも、アバウトタイムは、設定がタイムトラベルというトンデモ非日常設定で、
タイムトラベルを繰り返すうちに、
やっぱり、平凡を平凡のままでいいんだよ的に、
昇華させていたから良かったし、斬新だったのだ。
平凡や退屈を切り売りなんてしてない。
非日常的経験から平凡や退屈を肯定するから面白かった。
平凡を、切って、撮って、売る。
だからそれがどうしたというのだ?
江頭2:50の「取って、入れて、出す」みたいなギャグ映画なのか。
「取って、入れて、出す」。この一連の動きは、
江頭がベルトコンベアの流れ作業をテキパキ真剣にやっていて、
それをバイト仲間が見て、笑ったから生まれた鉄板ギャグなのだ。
主人公の平凡な退屈な日常を、切って、撮って、売る。
笑わせたいのだろうか。だとしたら、相当意地の悪い映画である。
実は、聴覚障害の方をとてつもなくバカにしてるんじゃないかと、
耳を疑う話である。
いやだから、耳は聞こえないし、笑えないんだが。
良かった演者
岸井ゆきの