「負けるな!」ケイコ 目を澄ませて 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
負けるな!
キネマ旬報ベストテン第1位他、各映画賞で絶賛。
主演の岸井ゆきのが同賞や日本アカデミー賞などで多くの主演女優賞を受賞。
2022年の邦画最高傑作と言われた本作。やっと鑑賞。
題材は、ボクシング。
古今東西、ボクシング映画には傑作多い。その理由は以前『春に散る』のレビューで触れたので省略。
邦画も例外ではなく、本作と同じく女性ボクサー主人公の安藤サクラ主演の『百円の恋』もある。
となると、本作もあの“名試合”に匹敵するものを自ずと期待。
これについては賛否分かれる筈だ。何故なら『百円の恋』のような、白熱とエキサイティングとハングリー精神タイプではないからだ。
ボクシングが題材だが、ただそれだけには非ず。まるでジャブ打ちのようにじわじわと余韻が効いてくるタイプだ。
まずは何と言っても、岸井ゆきの!
ファーストシーンから彼女に惹き付けられる。
その眼差し、表情、佇まい、内に込めた感情の一つ一つ。
それらがただ演じているのではなく、あたかも“リアル”にそこに存在しているかのよう。
『愛がなんだ』で存在を知ってから気になり続け、その演技力や魅力は紛れもなく確かなものだった。『愛がなんだ』も捨てがたいが、間違いなく現キャリアベストパフォーマンス!
言葉を発しない役柄なのも彼女の巧さを引き立たせている。
彼女が演じた役柄というのが…
生まれつき耳が聞こえないケイコ。
実在の聴覚障害の元ボクサーがモデル。(モデルであって、彼女の半生を描いた作品ではないらしい)
ひたすらボクシングに打ち込むケイコ。
ボクシングを始めたきっかけなどは描かれない。聴覚障害故、子供の頃いじめられていたとか一時期グレていたとか触れられ、理由はそんな所からだろうと推測。
自身の置かれた逆境への抗い。
ボクシング映画の主人公の定番のようであるが、熱血タイプとは違う。
会長宛にジムを休む手紙を書く。それを出せずにいる。
勿論ボクシングには魅了されているが、何かを抱えて打ち込んでいる。即ち、
自分は何故、ボクシングをするのか…?
聴覚障害で言葉を上手く話せないので、コミュニケーション下手。
が、決して人嫌いではなく、会長やジムの皆、家族、親しい友人とは自然に接する。ホテルの客室清掃員の仕事をしていて、人間関係は良好。先輩として後輩の面倒も。
ひと度そのフィールドの外に出れば…、聴覚障害者の生きづらさ。
音が聞こえるって我々には当たり前のような事だが、それが如何に生活に浸透しているか。
携帯のコール音にも気付かない。光で知らせるとは言え、玄関のチャイムにも気付かない。水が溢れた音にも気付かない。苦労を察するなんて、他人事みたいに軽々しく言えない。当人にとっては一生の障害。
それはボクシングに於いても。“致命的”と会長は言う。セコンドのアドバイスやレフェリーの声も聞こえない。まるで無音の中で、何を頼りにしていいか分からぬまま、孤独に闘っているかのよう。
警官に呼び止められた時も、今の自分の状況を伝えられない。
時に罵声を浴びせられても分からない。通行人とぶつかり、“失礼”と言ってるのかと思いきや、実際は“気を付けろ!バカ野郎!”。
相手が何を言ってるか分からないから、こちらも内に込めてしまう。
いやそもそも、耳が聞こえないからと言って周りが私を拒むからだ。
そこに追い討ちをかけるように、コロナ。
聴覚障害者は相手の口の動きを見て、何と言っているか推測する。が、コロナでマスク生活となり、それが出来ない。
密も避ける。人とのコミュニケーションがますます失われ…。
モデルになった方はコロナ前に活躍されていたようだが、コロナ禍に於ける聴覚障害者たちの実体現も反映されているのかな…? これは気付かなかった。
コロナ禍の閉塞感。
言葉で気持ちを伝えられないもどかしさ。
生きづらさ。息苦しさ。
悩んで、悩んで、悩んで、それでも答えが見出だせない。
そんな時…
日本でも最古のこのジム。会長に病魔が忍び寄り、ジムを閉める決意をする。
それを知ってケイコは…
内心動揺を隠せない。
ボクシングを続けるか否か悩んでいたのだから、踏ん切り付ける絶好の機会の筈。
しかし、どうにもならない現実を突き付けられると、人というものは必死にもがく。
そして、気付く。それが自分にとってどれほど大事で、尊く、好きだったか。
それは話せないケイコが自分の気持ちを書き記している日記にも表れている。
ジムを閉める事が信じられない。許せない。
それを聞いて会長は…。
ケイコがボクシングを続けていたのは、自分を受け入れてくれた会長やジムの皆、このジムそのものが好きだったからでもあるだろう。
ジムを閉めるからと言って、ボクシングもそこで終わりという事はない。別のジムに移籍して続けられる。実際、ケイコは有望なボクサーで、会長らの尽力あって別のジムから受け入れのオファーもあったが…。
ケイコはしょーもない理由で渋る。
煮え切らない態度に苛々してくるかもしれない。ボクシングを続けたいのか否か、自分は今何をしたいのか、何と闘うのか、何を目指すのか。
ボクシングのみならず何かを続けるには人に言われるのではなく、自分なりの沸点となる理由があって。
闇雲に模索していた時、ようやくケイコにも一筋の光を見出だす。
もう一度、試合に挑む。
そう決めた時から、ケイコの心情に変化が。
闘病の合間に会長と練習。トレーナーとスパーリング。
生き生きとした表情を見せ始める。
仕事の同僚や弟とその恋人とも。
笑顔を見せ始める。
例え言葉で伝えられなくとも、大切な気持ちがあって、人はまた闘える。走り出せる。
そして迎えた試合の日ーーー。
ここで驚いたのは、本作がよくある劇的なボクシング映画ではなかった事だ。
一度主人公が悩み、どん底に落ち、そこから再起。クライマックスの試合でドラマチックに勝利する…。
が、本作では奮闘虚しく、負ける。しかも、TKO。
勿論試合シーンの迫力はあるが、カタルシスや勝利の栄光の欠片もない。それが見たかった人にはこれまた期待外れだろう。
映画だからと言って何でもかんでもご都合主義や予定調和になるとは限らない。
時には打ちのめされる。そう都合通りにはいかない。
夢もなく、厳しい現実のこの世界…。
そこでまた落ち、立ち止まるのか。
監督・三宅唱が描きたかったのは、そこだと感じた。
実際、ラストシーンでケイコは…。
三宅唱の演出は省略の美学だ。
説明描写はほとんどナシ。見る者に考えを委ねる。
これは私の解釈だが、例えばラストシーン。会長はもう亡くなったのではないか。ジムを閉鎖しての記念写真。あの場に会長が居ないのはやはり変だし、入院中だったら奥さんは付きっきりの筈だ。
ケイコも会長から貰った赤い帽子を被って走り出す。
それらの点からそう感じた。
16ミリフィルムで撮影されたドキュメンタリーのような臨場感ある映像。それから、音。スパーリングの音、縄跳びの音、ペンで書く音、周囲の自然音も印象的。
映画で聴覚障害者を描く時、手話と同時に字幕が表示されたり、何かに書くとか通訳が配置される。本作もそれらで表現しつつ、ユニークだったのは、サイレント映画のような黒画面に字幕表示。
岸井ゆきのの熱演が話題だが、周りも好演。
会長役の三浦友和。ボクシング映画の会長って、暑苦しいガテン系が多いが、穏やかな人柄。自身の病気に直面しながらも、悩むケイコに寄り添うように。
会長の奥さんの温かさ、トレーナー二人も厳しくも力になってくれる。
殴られるのが怖い。だから試合の時、後ろに下がってしまう。
それは人間関係でも。言葉や気持ちを伝えられないから、こちらから引いてしまう。
ラストシーン。ケイコが土手で会った思わぬ相手。その言葉に、涙と感情が込み上げてくる。
怖れず、一歩踏み出せば、自分も相手も同じリングに立つ。
皆、同じなのだ。
この息苦しい世界。生きづらい人生。
それらに負けるな。
不条理に負けるな。
自分自身に負けるな。