「最後のシーンから見る映画における障害者表象」ケイコ 目を澄ませて サンプルHDさんの映画レビュー(感想・評価)
最後のシーンから見る映画における障害者表象
クリックして本文を読む
本編1時間26分からは最後の試合が描かれる。ケイコが通っていたボクシングジムの閉鎖が決まった後の試合であり、物語のクライマックスともいえるシーンである。このシーンでは、ボクシングを通してケイコの障害との向き合いを最後の試合を通して描きたいではないだろうかと考えた。無観客での試合であり、家族はオンライン配信を通して試合を視聴する。そこではケイコのボクシングに関与することができず、何もできない。母親は自分の娘が殴られるところを見たくなく、配信から一瞬目をそらすも、覚悟を決めて最終的には試合を見る。試合の途中で相手選手に足を踏まれるも、審判は気づいておらず、フォールを取られる。ケイコは反則を主張するも、うまく喋ることができないため判定は覆らない。その後、少し試合が進み、頭を打たない。と審判に注意されるも、彼女は耳が聞こえないため何を言っているかわからずに、フラストレーションが募って唸り声をあげる。周りのセコンドやコーチはそれに対して何もしてあげることができず、口頭での支持や激励を出すばかりである。この場面全体は、まさしく障害と向き合うことなのではないだろうか。目を逸らしたくなる母、応援し見守る兄、激励をするセコンド、これらの支えがありながらケイコは自身の相手(耳が聞こえないこと)と闘う。最後には敗北を喫してしまうがそこには悲しみなどは不思議とない。むしろ前向きな気持ちになれるようなそんな最後であった。
コメントする