「闘う女の肖像」ケイコ 目を澄ませて 琥珀糖さんの映画レビュー(感想・評価)
闘う女の肖像
この映画は美談ではない。
耳の聞こえない女性の「リアル」を正しく伝える映画。
障がい者の「悔しさ」、「憤り」、「不公平」、
それがケイコの硬い背中から聞こえてくる。
その鬱屈を、
「ボクシングで闘うこと」に見出したケイコ。
その不条理を岸井ゆきのは、完璧に表現した。
その小さい身体から怒りのマグマが噴き出して来る。
しかしその思いは時に埋もれていく。
ケイコはあまりに無力で非力だ。
彼女はなぜボクシングジムの扉を叩いたのだろう。
「強くなりたい」
「見下す奴らを見返してやりたい」
ただひたすら、痛みを感じ、
その痛みを相手に返す。
この映画は美談ではない・・・と同じに、
サクセスストーリでもありません。
職場のケイコは自信に溢れている。
仕事仲間とも良い関係。
ボクシングジムの会長(三浦友和)も、
ケイコを理解してるし、ケイコも信頼している。
ジムの先輩も優しい。
耳が聞こえないことを知っている人は、皆受け入れてくれる。
しかし通りすがりの人、
そして無理解な人はどうだろう?
そこまでの関係になるまでが、困難なのだろう。
馬鹿にされ、見下され、無視されてきたことだろう。
もっともっと感涙にむせぶような映画に出来たはずなのに、
敢えて監督の三宅唱はそれをしない。
「感動してほしいのではない」
耳の聞こえない女性が生きる上での困難、
そして憑かれたようにボクシングに打ち込む日々を、
ドキュメンタリーのようにフィルムに刻んだ。
映画のラスト近くにある「試合のシーン」
小川恵子(ケイコ)があご下の急所に一発食らって、
ノックアウトされる定石破りのシーンで終える。
負けて終わる。
どう考えても、勝って終わるのが、
《セオリーというか、ふつうは、感動の場面で終わる》
ところがリングに這いつくばって悔しさの頂点で終わる。
底辺で這いつくばる。
でも、ここの所は公平である。
耳が聞こえたって、聞こえなくたって、
不公平なことは世間に無数にある。
ケイコに困難でないバラ色の未来など、
容易くは手に入らない事を、
私たちは誰よりも知っている。
そうなのだ、この世は不公平で報われない世界なのだ。
ジムの会長(三浦友和)との交流はとても良かった。
会長の奥さん(仙道敦子)が病室で横たわる会長に
読み聞かせるケイコの日記。
某月某日晴れ
ロード、10キロ
シャドー、3ラウンド
サンドバッグ、3ラウンド
ロープ、2ラウンド
来る日も来る日も、
走る、
打つ、
闘う、
日記は、言葉は、やはり心を伝えるには雄弁だ。
はじめて生のケイコの声が聞こえた。
しかし、
無言の岸井ゆきのの演技は、
言葉以上の感情を伝えていた。
そこがこの映画の肝(きも)だ。
荒川の土手、
隅田川は大きく太い、
古ぼけたボクシングジム、
見上げる中高層ビル群、
変わりゆく光景、
16ミリフィルムの映像に、とても味があり、
暖かい。
「嘘がなくて無理してないので」なんて有り難うございます。でもとんでもないです。私も、自分の印象や感想を言い表すために、ない頭を絞って無理しています 笑
本当に、ほんの少ししか見られなかった岸井ゆきのさんの微笑みが良かったですね。
なんだか、いい映画でしたよね〜。何も起きないあのストーリーを見終わって、あんな幸せな感情になったのは、なぜなんだろう、と今でもわかっていません。でも、間違いなく、幸せでした。
共感有り難うございます。
そうですね。美談でもサクセスストーリーでもないです。ケイコの硬い背中と、それから熱いが静かな眼差しが、淡々と物語を綴っていましたね。
こんにちは。こちらこそいつも共感ありがとうございます。そうですね、確かに同じ題材でも「あのこと」は観る者に針を突き刺すような衝撃を与える作品。一方「少女の...」方は静かにじんわりと心にしみこんでくるような作品でしょうか。
作り手はどうにかして観客の心に訴えようと様々な表現方法を駆使してくれるので観る方も真剣に受け止めますよね。
ちなみに私は両方好きですが「あのこと」は疲れてるときには見たくないですね(笑)。
レビューは以前別のハンドルネームで数年間投稿してたものが全削除されました。政治に批判的なレビューが目をつけられたのかなとは思ってます。でも、どこの国に限らず中絶禁止とかどう考えてもおかしな政治にはこれからも批判してゆきたいですね。