「映画だから表現できる特筆すべきボクサー映画」ケイコ 目を澄ませて Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
映画だから表現できる特筆すべきボクサー映画
「ケイコ 目を澄ませて」。
岸井ゆきの。”やはり”と言うべきか、見事に日本アカデミー賞の〈最優秀賞主演女優賞〉に輝いた。2023年度の女優賞ノミネートは皆、素晴らしい演技をみせたにも関わらず、彼女はその上を超えていった。
”耳が聞こえないボクサー”という役柄はセリフがない。手話を挟めばいい、というものではない。主演がひたすらスパーリングに打ち込む姿だけで状況、喜怒哀楽の感情を観客に届けなければならない。主人公のケイコは、試合ではセコンドの声も聞こえないのだ。
共演した名優・三浦友和をして「そこにボクサーがいた」とクランクイン前から岸井ゆきのの仕上がりに感服したという。
生まれつきの聴覚障害を持つケイコは、プロボクサーとして下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねている。愛想笑いができず、何事もまっすぐな彼女は、聴覚障害というハードルもあって悩みが尽きない。ボクシングジムをやめようとするが、そんなときにジムが地域の再開発で閉鎖されることになる。耳が聞こえない元プロボクサー・小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案にしている。
この作品は、映画の素晴らしさを最大に示すことに成功している。セリフがないため舞台演劇には極めて難しい。映画でも音がほとんどないことはハードルとなる。それでも本作は劇伴(BGM)に頼ることなく、環境音だけで状況を表現している。首都高速の高架からのクルマの往来音、工事現場からの音、ケイコがペンを走らせる音。いずれも通常レベルより強調された音量で
本作を2回見たが、初日の舞台挨拶上映が「字幕付きバリアフリー上映」というのは、本作ならではである。筆者はバリアフリー上映に異議を唱えるつもりはないし、むしろ多くの人が楽しめる環境はウェルカムだ。しかし作品自体を楽しみ尽くすのは別問題だ。
健常者なら「通常上映」で観ることをオススメする。オープニングから静寂のシーンが長く続くのだが、字幕版は音を解説してしまう。本作のバリアフリー字幕は全編にわたって、映像を汚す無駄な要素でしかない。だから字幕はきらいだ(むろん洋画の字幕も同様だ)。また本作はアスペクトがヨーロッパビスタである。配信ではなくぜひ通常版を劇場で観てほしい。
2022年は岸井ゆきのイヤーだった。『ケイコ 目を澄ませて』の主演のほか、『やがて海へと届く』(共演・浜田美波)、『神は見返りを求める』(共演・ムロツヨシ)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(共演・香取慎吾)と、いずれもメジャー俳優を相手にしての主演。日本アカデミー賞をステップにこれからが楽しみになる女優だ。
ちなみに、ここ10年の日本アカデミー賞の最優秀俳優にはボクシング映画が多い。『百円の恋』(2014)の安藤サクラ、『あゝ、荒野』(2017)の菅田将暉。そして2022年の岸井ゆきの。いずれも俳優自身が身を削った肉体改造を成し遂げており、これからボクサーを演じる俳優は必ず比較されてしまう。少なからず基準となってしまう。
(1回目:2022/12/17/テアトル新宿/H-14/ヨーロッパビスタ)
(2回目:2023/1/4/ヒューマントラストシネマ有楽町/Screen1/G-11/ヨーロッパビスタ)