「この映画は何を語りたかったのだろう?と考えた。」ケイコ 目を澄ませて ピラルクさんの映画レビュー(感想・評価)
この映画は何を語りたかったのだろう?と考えた。
この映画は何を語りたかったのだろう?と考えた。観た人それぞれで自由に感じとってくれたらいい、というのは作り手側のコメントとしてよくあるが、それは表向き。作り手が熱を入れるには、伝えたい中核がなければと思う。公言するかは別として。
ストーリーは「ジムを閉めることになった」。それだけである。全編、映像詩? んー、そうもみれなくもないが、そう言ってしまえば、すべての映画は映像詩である、と言われたら、やはり中身を空っぽにされてしまう。
音のない世界を描いていて、聾者への理解が深まり、手話に関心をもつきっかけになる、そんな映画、と言えるけど、そこを描きたいのであれば、こういう内容にはならない気がする。もしそこを描きたくてこうなったのなら、相当な変化球である。
本作品はUDCASTでバリアフリーな上映がされていた。障がい者系映画ではよくある。しかし視覚障がい者が観賞したら落胆しそうな気がしてならない。聾者と盲者のコミュニケーションは難しいものだが、バリアフリーの映画を介しても、聾者の姿は盲者には見えてこないものなのかと。「いや、一般にそんなことないと思う。本作固有の問題としてならそうかも。」と意見したい。
一番こころに残ったのは「自分に負けるなよ」の叱りである。ジムの裏方で誰かがコーチに叱られていた。試合を控えていながら自己管理ができず体重が増えたようで。登場人物それぞれの「自分に負けるなよ」が下敷きにあったから、裏方での声が重く届いたのかもしれない。
二番目にこころに残ったのは、あの丹下的ジムの愛しかたの人それぞれである。最後の練習のリング上で、コンビネーションミットを受けるあの男性の涙。あの涙で「人それぞれ」だなと思った。そしてケイコはボクシングを愛していたというより、あのボクシングジムに通う生活の全体を愛していたのだなと私は解釈した。新しいジムは家から遠いのではなく、心から遠かったのだなと。愛する対象をどういう枠組みで愛するか。想いの交錯が人間関係を複雑にしている、その透視しづらい心理の骨組みを顕然させたことはすばらしくて、中身がないのでは?と訝りつつも大きな拍手を送るに値する。