「コロナ禍の日常を描く異色作」ケイコ 目を澄ませて 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
コロナ禍の日常を描く異色作
生まれつき聴力がない障碍を持ちながらプロボクサーとなった主人公・ケイコの葛藤と、彼女と周囲の人々との関係性を描いた良作でした。聴力がない人を描く映画というと、今年のアカデミー賞作品賞を獲得した「コーダ あいのうた」が直ぐに思い浮かびましたが、コーダがコメディ要素満載だったのに対して、本作にコメディ要素はなく、全く雰囲気の違う映画でした。
またフィクションだったコーダとは異なり、本作は実際に聴覚障碍のあるプロボクサー・小笠原恵子の自伝である「負けないで!」を原案として構成されていて、ノンフィクションとは言わないけれども、それに近い内容になっていました。北千住駅前や京成線の鉄橋と思われる、なんとなく見たことのある下町の風景を舞台にしていたことも、非常に身近な作品だと感じさせてくれた一因でした。
本作で注目すべきは、自分が聴力がないことで、ボクシングジムの他のメンバーに迷惑を掛けているのではないかと思って葛藤するケイコの姿もさることながら、ジムのメンバーの個々の反応ではなかったかと思います。会長やトレーナーは基本応援するスタンスですが、必ずしも才能豊かとは言えないケイコを重視することに反発を覚えてジムを止める練習生もいて、この辺りは非常にリアリティを感じました。仮に自分がジムの一員だったとしても、ジムを止めてしまった練習生同様の反応をしたかも知れないと思うからです。
また、原案となった「負けないで!」は2011年に上梓されていて、小笠原恵子が実際にプロのリングに上がったのは2010年から13年だったようですが、本作は現在の日本、つまりコロナ禍になってからの出来事として描かれていました。登場人物たちもマスクをしているし、ジムの経営にもコロナ禍が影響して、会長の健康状態の悪化とともに、ジムを畳まないといけなくなることになる辺りも、現下の日本の状況に即して物語られていました。思えばコロナ禍になって3年近くが経過しますが、この状況を所与のものとした作品は初めて観たので、ある意味非常に新鮮でした。おそらくはコロナ禍が去った後に、その結末を踏まえてコロナ禍を描く作品が出てくることは想像に難くありませんが、必ずしもコロナ禍そのものをテーマとせず、それを所与のものとして現在進行形の日常生活を描いた本作は、大変貴重な存在だと思います。
俳優陣としては、ケイコを演じた岸井ゆきのが聴力のないボクサー役を非常に上手に表現していたと思います。ただ冒頭にも触れたコーダとの対比で言うと、コーダに登場した聴覚障碍者は、アカデミー助演男優賞を受賞したトロイ・コッツァーはじめ、皆実際の聴覚障碍者の役者でしたが、岸井はそうでなありません。この点をもって本作を否定する積りは毛頭ありませんが、コーダがアカデミー作品賞を受賞したのは、トロイ・コッツァーら聴覚障碍のある俳優陣を起用したことだ大きく貢献していることから、日本においてもこのような作品創りはひとつの課題なのではないかと感じたところです。
あと、ジムの会長夫妻を演じた三浦友和と仙道敦子が、枯れた感じを出していて、非常に好感が持てました。仙道と言えば、30年以上前に「職業選択の自由、あははん」という転職情報誌のCMが印象的で、個人的にはその印象をずっと引き摺っていたのですが、本作ではそうした印象が払拭されました(笑)
そんな訳で、聴覚障碍のボクサーという稀有の存在を描くとともに、コロナ禍の日常を描くという異色な点も考慮して、評価は★4としたいと思います。