アンネ・フランクと旅する日記のレビュー・感想・評価
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インク文字から紡ぎ出されたキティが美しい
赤毛がいやだと嘆くキティ。消えたアンネを探し続け、氷上を舞うキティ。
物語はアンネの日記を知っていれば想像に難くない。
現代の難民問題とのつながり然り。
アンネの日記自体がそうであるように、この作品が子どもたちの考えるきっかけになればいいのだろうなと思う。
……が、日本では目に止まる機会は少なそうだなぁ。
最高の擬人化ファンタジー!
日本のアニメや漫画では、しばしば採用される「擬人化」もの
アンネ・フランク晩年の親友の一人と言っても良い「アンネの日記」こと「キティー」
その日記を、ある意味「擬人化」した最高のファンタジー洋画アニメ!
アンネの日記は読んだことなかったけど、不思議と読みながら戦時中にタイムスリップしアンネ・フランクに会ったような気にさせてくれる!
ナチスに対する憤りは今のロシアと被る部分もありつつ、かつての被害者たちによるパレスチナ問題や増える紛争地域など、余計なことまで考えながらの複雑な鑑賞でした
問題は、それほど単純でも簡単でもない
アンネの物語をそのまま映像化するのではなく、「キティー」という仕掛けを使って現代の世情を織り込んだのは、難民問題を提起したかったからだろう。そして、「人種差別や弱者への不寛容、そして戦争や侵略に苦しむ人々の姿は、80年前と何も変わっていない」というこの映画の訴え掛けが正しいのは、ウクライナの現状を見るまでもなく明らかである。
ただし、背景も実態もまったく異なるユダヤ人への迫害と現代の難民問題を同一に描くのは、問題を単純化し過ぎているような気がするし、劇中、それが、いとも簡単に解決してしまうのも腑に落ちない。
あくまでもファンタジーということで、アニメーションという手法を用いたのであろうが、そこには、すべてが「絵空事」に見えてしまうという落とし穴もある。
青少年に、差別や不寛容について考えるきっかけを与える入門書としては最適だろう。
難解
メッセージ性の高い作品で、しかも、アニメだから表現が抽象的で難しいかもしれないけど、なんで、アンネではなくて、キティが主人公なのかを理解すると、今に生きて未来を作っていく我々へのメッセージだと理解が出来ると思う。
戦争は偶然で起こるものではない。
誰かが誰かを殺す目的で起こるものだ。
被害者にも加害者にもなってはならない。
あらためて自由ということ
キティと旅してきました
自由に生きることができなかった
アンネ.フランクを探し旅したstory
私たちに大切なメッセージを残してくれた
当たり前に生きることが
許されない時代
戦争によってユダヤ人が迫害された
私は今まで自由が当たり前だった
それが当たり前ではないことを知った
戦争 人種差別 暴力 虐待 性差別…等 沢山の差別
自由に生きることを阻む
戦争は今も
一人の独裁者によって起こる
歴史は繰り返されている
アンネも広い青空の下歩けることを夢みて…
アニメーションと
音楽が相まって惹き付けられました
余韻がいつまでも残る作品です
ちょっと残念だったのはスクリーンが
小さかったことです
アンネの日記
小中学生の課題図書で必ず出てくる「アンネの日記」
子供の頃はそんな暗い話読みたくないよと敬遠して今だに未読
主人公のキティーと共にアンネ・フランクの人生を観ていく流れ
なるほど、アンネはとても想像力豊かな魅力的な女性だったのね
お墓のシーンはキティーと共に涙涙
最後、現在の紛争からの難民問題と絡め製作者の意図を知る
「アンネの日記」読みたくなった
アンネ・フランクの Imagenary Friend が世界を変えようと現代で奮闘する切なすぎるファンタジー映画
アンネ・フランクのことはあんまり知らないおじさんですが、この映画を支持します。
いまウクライナで起きていることが80年前の世界と何ら変わらないことに人類として情けない気持ちで一杯です。
秋田犬返せ❗
難民の問題は戦争や内紛、無能な統治者の問題と直結します。難民がめざす国に選ばれたオランダにも限界はあるでしょう。しかし、救いを求められるだけマシ。この素晴らしいファンタジーに敬意を表したいと思います。
過去の映画へのオマージュも感じられました。
たとえば、飛行船を作る場面では船の帆を縫う職人が気球を作って東ドイツから西ドイツに亡命した話とか。
ツェッペリンはドイツですが、ナチスとは関係ありません。I am here. と書かれた飛行船は輝く未来への希望とキティの覚悟の象徴です。
アンネの日記を商標などに使うことへの抗議もありました。
難民問題に話をすり替えたとは全然思いません。戦争や内紛と難民問題は切り離せないからです。
キティを支えたいと頑張るスリの少年ペーターには悲しすぎるエンディングでした。それだけに、アンネがキティに託した思い=キティがアンネを想ってやり遂げようとしたことはとても尊いことだった思います。
(原題) Where Is Anne Frank
『アンネの日記』に登場するアンネの想像上の親友・キティーが主人公!現代だからこそアンネとキティに託して語る少数民族への弾圧や難民を生み出す世界への批判…アンネの死を辿りながら、今のウクライナへのロシアの軍事侵攻等を想起させます。キティの生き生きとした強さがとても魅力的でした、!
子供だけで150万!
絵がきれい。
色合いや光の加減。
真空管や質感ある帆布や群衆等など……描画方法にも変化あり、観ていて引き込まれる画面だった。
アンネ一家が住んだオランダのアムステルダムの街には、ホロコースト資料館はもちろん、橋や病院や学校……にアンネの名前を冠して、観光名所的になっている。そんな建物がたくさんあるんだけど、それも、当たり前だと思う。
いつの間にか、思考停止してしまって歴史は繰り返されてしまいがち……というラストの現実に、はっとした。
ホロコーストで、約150万人の子供が亡くなったそうだ。
現代の難民の子供達は、もっと多くが亡くなっていると字幕にあった。
アニメの表現
アニメならではの表現を盛り込んでナチスの怖さ等々をわかりやすく表現していて良いと思った。
アンネの名前を街や施設に残すことに意味があるわけではなくそこから人々がアンネの想いを受け取ることが大切だと言う主張は現在の戦争なんかを思い出してとても強く刺さった。
同じじゃないけど重なってしまう
事情や目的が異なるので同じでないが、やはり難民や避難する人達の映像を見てすぐ
この映画を観てしまったのでウクライナのことを思い浮かばないわけがなかった。
アンネの生み出したイマジナリーフレンドが現代に現れたらというファンタジーな物語だけど
何か現実以上に危機として考えさせられる映画だった。
とんでもな部分もあるので、えってこともあったけど、そもそもファンタジーなので
野暮なことだと思う。
映像は、時に華やかに時にオドロオドロシく場面の心情が伝わってくる色調としなやかな線によって描かれておりとても良かった。
音楽もすごく好き
時を経てもまだ争いが絶えず、難民も増えつづけ不安な日々がいまだに続いていることに
人は変われないのかと絶望を感じるも今だから何か考えるキッカケになる映画だと思う
すみませんが、ちょっと意味不明だと思います…。
アンネとオランダの難民を結びつける?
架空の少女キティーは、最初、誰にも見えない存在だったが、なぜか現代に現れると姿が見える?
何を描きたかったのか?アンネではなく、キティーを描きたかったのか?
しかし、最初は少年にもキティーは見えていなかった。なぜ、途中から見えるようになり、キスしたりのラブストーリーになるのか?
キティーはアンネがホロコーストされたことを知らず、少年に教えられ、涙を流す…。
キティーは難民の強制送還反対を訴えるが、難民と何か関係があるのか?
何を描きたかったのだろう?オランダの難民問題を訴えたかったのか?
そうだとすると、アンネの日記を題材に使うべきではないだろう。
皆さん、感動したり、ウクライナと結びつけたりしているようですが、私には理解不能でした。
劇場でお確かめください。
キティに責められているようだった
戦時中の日本では、空襲爆撃を避けて田舎に避難することを疎開と言っていたと思う。島国の日本ではどこへ行っても日本語が通じるから、言葉の苦労はない。
しかし他国と地続きのヨーロッパでは、言葉が通じないことは衣食住の確保を困難にし、死や病気になる可能性を高くする。必然的に他の言語をマスターするようになった筈だ。特にユダヤ人はディアスポラと呼ばれる離散以後は、世界各地に散り散りになって、住み着いた地方の言葉をネイティブと同じように話した。ヘブライ語も喋るから、たいていのユダヤ人はバイリンガルだ。中には女優のナタリー・ポートマンのように6ヶ国語を話す人もいるくらいである。
アンネ・フランクは4歳の頃に危険なフランクフルトからアムステルダムに移住したから、4歳までに覚えたはずのドイツ語よりもオランダ語のほうに馴染みがあったに違いない。オランダ語で日記を書くのは当然である。アンネは日記にキティという名前をつけた。
ユダヤ人迫害の閉塞状況の中で、それでもティーンらしく未来への希望や広い世界の想像がキティに記されていく。アンネは迫害されても人を信じていたのだ。それは父オットー・フランクが人格者であったことに由来するものだ。アンネは心が広くて優しい父親が大好きだった。母親は嫌いだったけれども。
本作品は日記であるキティが現代のアムステルダムに現れて、世界がアンネの願った状況とはかけ離れていることに衝撃を受ける話である。プーチンが戦争を始めたときに公開されたのは、偶然とはいえ、奇跡的なタイミングであった。
世界中で出版されていて、タイトルは広く知られているにもかかわらず、世界はアンネの苦しみをちっとも理解していない。精神性の弱い人たちが、自分勝手な思い込みと狂った被害妄想で、他人を傷つける。キティはそのことが耐えられない。アンネの苦しみの全量を背負って現代に現れたキティだが、苦しみは増すばかりだ。
世界がどんなに平和に見えても、人の心には悪意があり、被害妄想がある。戦争はあなたたちの心にあることを、どうしてわからないの?と、キティに責められているようだった。
繰り返される悲劇…だけど過去から学び変えることができる
アンネフランクは想像の友人キティに向けて日記を書く。
そのキティが現代によみがえり、アンネの日記で描かれなかったその先を見届ける。
アンネ・フランクは知っているが、日記は読んだことがなかった。
アンネは明るく活発、想像力豊かでユーモアもある。しかし、戦争がそんな彼女を変えていってしまう。
罪もない未来への希望に満ちた子供が犠牲になる…
あってはいけないことだと改めて思う。
しかし、現代でも同じことが起きていると今作は伝えてくれる。
さらにロシアのウクライナ侵攻も起きている。
なぜ悲劇は繰り返されてしまうのか?
何度も戦争、差別反対のメッセージはさまざまな媒体を通して伝えられてきたのに…
悲しくなりつつでも今作は、過去から学び変えていけることはできるという希望に満ちたメッセージを伝えてくれる。
戦争、差別を無くすことはできないかもしれないが、
過去の悲劇は伝え続けなくてはならない、途絶えさせてはいけない。
こういった映画は今後も作られていかないとダメなんだと思った。
イマジネーションに溢れたアニメーション
イマジネーションに溢れたアニメーションが素晴らしく、予告編でも見られた「アンネの日記らしき本から文字が浮き出て一人の女性になっていく…」という冒頭部から引き込まれた映画だった。
そして、全編にわたって素晴らしいアニメーションによって、第二次世界大戦下にユダヤ人のアンネ・フランクが空想の友人あてに綴っていた「アンネの日記」に基づくドラマが展開される。
10年ちょっと前に観た『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督作品であり、『戦場でワルツを』で見せてくれた「戦争の記憶を辿る流れの物語で、アニメーションとドキュメンタリー映画の融合のような描写が見事だった」が、それは本作でも同じような感覚が感じられた。
本作では、アンネ・フランクの空想の友人キティという女性の視点からアンネの生涯を辿るドラマとなっている。
現代のオランダの博物館で保管されている「アンネの日記のオリジナル」の文字が「本から抜け出るように動きだしてキティとなるシーン」は見とれてしまう。キティは時空を飛び越えた認識が無いのだが、日記を開くと過去へ遡って、親友のアンネ・フランクと再会する。このイメージ映像も見事!
『戦場でワルツを』や本作を作り上げたアリ・フォルマン監督の手腕は、本当に素晴らしく、近年のCG映画へのアンチテーゼとも思わされる見事なアニメーション映画の佳作✨
必ず、かの邪智暴虐の大統領を除かねばならぬ❗️
『アンネの日記』
読んだことは無いのに、タイトルと表紙に使われている笑顔の写真の記憶が強く残っています。
年の離れた兄と姉がいたためか、幼い頃の私にとって内容がよくわからないけど印象に残った本、というのがけっこうあります。アンネの日記もそのひとつで、ポプラ社の怪人二十面相シリーズ(少年探偵団シリーズ⁈)とか、ビニールカバーの豆本的真っ赤な毛沢東語録とか(兄が思想的にかぶれてた記憶はないのでひとつのファッションアイテムのようなモノだった気がする)、あのねのね(マスの書き方を教えてください、という質問への回答が酒桝の立体図だったりする、まぁ無意味な本でした…でもよくある自伝とは違う、芸能人としては目新しい分野のバラエティ本だったと思う)とか長嶋茂雄引退特集のアサヒグラフとかが全部ごっちゃになってた本棚の記憶があります。
『アンネの日記』はたぶん姉の学校における読者感想文の課題本だったと思います。つまり、極東の日本における戦後教育においても子どもという弱き立場の者の人権について啓発を促されていた訳です。
教育によらずとも、ロシア(ソ連)はドイツとの戦争で民間人を含めると3,000万人とも言われる犠牲者を出し、戦争の悲惨さをこれ以上ないほど知っているはずなのに、なぜ今あんなことを…
プーチンに対しては、『必ず、かの邪智暴虐の大統領を除かねばならぬ』と今、メロスだけでなく世界中の人が怒ってます。
※日本で気になるのは、カーシェアリングの話でもしてるかのような軽さで、ニュークリアシェアリング(核共有)の議論を始めようとしてる人たちがいることです。
憲法や非核三原則が日本の平和にどれだけ貢献してきたかの総括を冷徹にすることもなく(自国の軍隊が他国民をひとりも殺傷していないことで攻撃の対象とされずに済んできた)、他国が強権的、軍事的になりつつあるから、日本もそれに伍していこう、という短絡的な感じがとても怖いと思います。
日本の最大の弱点は、大いなる力を持った時に大いなる責任を感じて考える政治家がいない。少なくともそういう信頼を持って、今の政権に負託している有権者はほとんどいないと思うのですが、どうなんだろう?
話がとっ散らかってしまいましたが、とても良い映画です。
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