「キティが現代にあらわれた意味」アンネ・フランクと旅する日記 shironさんの映画レビュー(感想・評価)
キティが現代にあらわれた意味
マイノリティへの差別は迫害へと繋がり、今もなお同じ歴史の過ちが繰り返されている。
憧れのスターの写真を眺めて、盛った恋バナを楽しみ、ちょっぴり母親をウザく感じるお年頃の女の子。
キティを通して見えてくるアンネ・フランクは、決して聖人君子ではなく等身大の女の子。
きっと現代にいたら、スケートやファッションを楽しんだろう。
今現在も、言われのない攻撃を受けて、未来を奪われ命を落とすアンネ・フランクたち。
昔の偉人ではなく、身近な存在として現代にも息づく彼女のメッセージを、私達はそれぞれの立場で受け取る事ができる。
ここからは長くなるので…
アンネの日記に書かれていたことを中心に、日記で伏せられていたことや、関係者の証言など。日記に書かれていなかった部分も繋ぎ合わせて、アンネ・フランクという1人の少女が確かに生きていたことを浮かび上がらせます。
アンネの分身であり理想の姿でもあるキティが取った勇気ある行動は、現代を生きる私たちへのアンネからのメッセージに他なりません。
監督やアンネ・フランク財団の方もおっしゃっていましたが、彼女のメッセージを次の世代に伝える為に作られた映画です。
だけど。既に手遅れだったら…。
ウクライナ侵攻から始まる最悪のシナリオを想像して背筋が凍りました。
映画って、出会うタイミングがありますよね。
若い頃に見てピンとこなかった映画が、歳をとってから見直すと、ものすごく心に沁みたり…。
それに“映画ファンあるある”だと思いますが、見たい映画が多すぎてめまいがすることありませんか?
星の数ほどある映画。新作もどんどん公開されていくし、どう考えても時間が足りない!
でも。自分が一生のうちに観られる本数なんてたかが知れている。。。
私の場合は、映画を追いかけるのはやめて、出逢えた映画を丁寧に見ていくことに気持ちを切り替えました。
きっと映画の神様がいて、私に必要な映画に必要なタイミングで出逢わせてくれるさ♪
そう思うことで気持ちが楽になり、
逆にウォッチリストのタイトルと出逢えた時の喜びはひとしお(*゚▽゚*)
で、前置きが長くなりましたが、こうタイミング良く出会いすぎると、ほんとに映画の神様がいるのではないかと思えます。
→『チェチェンへようこそ-ゲイの粛清-』
→ウクライナ侵攻
→『アンネ・フランクと旅する日記』
今回改めて映画に教えられたことは
マイノリティへの差別は、やがて戦争に繋がるということ。
そもそも過去の歴史を見れば明らかなのですが、頭ではわかっていたことが初めて腑に落ちた感じ。パズルのピースがハマったように繋がりました。
『チェチェンへようこそ』は、セクシャルマイノリティを迫害する政府主導の取り組みを暴くドキュメンタリーでしたが
密告が社会を疑心暗鬼にさせ、ゲイへ向けられる暴力は個人の不満や怒りのはけ口になってしました。
自分たちと異なる者を認めず、敵とみなして排除する社会。
国家への不満を巧みにすり替える独裁者のやり口が、いまだに通用するなんて。
『アンネ…』でも「内乱や紛争、戦争の始まりは全て少数派への攻撃から始まる。全ての負の原因を少数民族に押し付けて攻撃する。」と語られますが、
自分とは違う人たちを認めない心が、人との間に壁を作って差別を生み出し、
独裁者によって悪しき者の烙印を押された人々を正義の名の下に迫害する。
暴力はフラストレーションのはけ口となって広がり、罪悪感を正当化する為に迫害に加わらない人を国家に従わない者として同調圧力をかける。
ついには、自分の国から自分や家族の命を守る為に敵を攻撃せざるを得ない恐怖政治が完成する。
真の敵は内側にいるのだ。
LGBTQ…差別を無くすことと反戦運動は別モノだと思っていましたが、
自分とは異なる人を認めることができる社会こそが、争いのない平和な社会。
地続きに繋がっていた問題だったことに気づかされました。
#アンネ・フランクと旅する日記