アンネ・フランクと旅する日記のレビュー・感想・評価
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「アンネの日記」を新鮮なアプローチで語り直す。
あまりにも有名になった「アンネの日記」から、こびりついた「伝説」という殻を引き剥がして、ホロコーストという大きすぎる悲劇の渦中にいたひとりの女の子であることを取り戻そうとする試みだと感じた。アニメーションとしても流麗な表現に目を奪われるし、「アンネの日記」を新鮮な形で語り直すアプローチに感心した。ただ、現代に繋がる問題として、移民や難民の問題を扱っているのだが、イスラエル人であるアリ・フォルマン監督がパレスチナ問題はスルーしてしまっているように見えるのは惜しいというか残念というか。難民を救えというメッセージも、単純化されて絵空事になってしまった感はある。
文字から命が生まれていく、アニメーションだから描ける奇蹟
アンネの日記は架空の友人キティーに宛てて書かれている。本作は、その架空のキティーが現代に蘇ったら、という内容になっている。アニメーションが生命を吹き込む技術であるとするなら、まさにアニメーションの本義そのもののような作品だ。日記はとてもプライベートな文章だが、今やアンネの日記は世界で一番有名な日記となり、多くの人に読まれている。隠れ家だった家は記念館となり、多くの人が訪れる。架空の友人としてアンネとともに過ごしたキティーにはなんだかおかしな光景に見える。記念館から街へ出て難民の少年たちと出会い、アンネの最期の場所、強制収容所記念地へと冒険に旅に出る。 隠れ家生活を強いられたアンネが生み出した架空の存在が、家から飛び出て大冒険に出る。大変に感動的だ。そして、アンネの苦難を現代の難民たちの問題へと接続する。想像力は人を救うことができる。そういう希望がこの作品にはある。
ファンタジー作品は社会風刺には必要な隠れ場所
原作小説のアニメ化や実写映画化はよくあることだが、日記の中の架空の人物を立体化するというのは珍しい。 見ごたえのある個性的なタッチである。 キティーはアンネの死を知らない。それは当然である。なぜならアンネが生きている時に(キティー宛の)日記を書いたから。アンネの死後を知るすべがなかった。 アンネの日記はアンネ視点の記録であり、アンネに創造された想像の人物キティーもアンネなしで単独で存在することが出来るはずはない。キティーは、なぜこのタイミングで三次元の世界に現れたのか。キティーだけが日記から飛び出しアニメになってまで伝えたかったことは何なのか。 そこが今作の面白いところである。
微妙にとっつきにくい設定で戸惑う。
アンネの日記を読んだことがある方が前提なのか、絵柄が馴染めなかったからなのか不明ではあるが、ちょっとその世界観になじめなかった。さらにはその観念的な表現も、すこし鼻についたかなぁ~。
わかり難いところもあったが面白い設定
博物館のショーケースに展示されていた日記の文字から現代に生み出されたキティが、現代とアンネの生きていた時代とで行きつ戻りつしていたので、わかり難かった。出版された日記や劇の台詞にキティが異議を唱えるのは、内容全部を把握している証左とは言えるのだろうが、アンネの行く末を知らなかったというのは、別れができていなかったということになるのだろう。ナチスから逃げ回ったアンネのように、キティが日記泥棒として逃げ回る設定は面白かった。ナチスによるユダヤ人迫害と現代の難民排斥とは必ずしも同一ではないけれども、同じ誤りを繰り返さないようにとの提起は興味深く感じた。
子供と一緒に見て、教えてほしい。
想像を邪魔することは、誰にもできない。 アンネの日記と、架空の友人キティ。 それぞれの時間軸が絡み合う過程が、なお気持ちを持っていかれる。 「時代は変わっているはず」 本当に変わっているだろうか。今もなお人間は、歴史を繰り返してしまう。 作品のメッセージを、受け止めるべき。
【”全ての人には、人権があり、尊重されるべきである・・。”現代にも蔓延る、様々な差別や迫害を、アンネ・フランクのイマジナリーフレンドだった、キティーを軸に、幻想的に描いた作品。】
ー 舞台は現代のアムステルダム。ある嵐の夜、博物館に保管されているオリジナルの「アンネの日記」の文字が突然くるくると動きだし、アンネのイマジナリーフレンドだった、キティーが現れた。 彼女は現代にやってきたことに気づかず、日記を開くと過去へさかのぼってアンネと再会。 だが、日記から手を離すとそこは現代で…。 ◆感想 ・アウシュビッツに送られる前の、アンネの不安から産まれたキティーが、日記が書かれた当時に戻ったり、実在の少年に恋をしたりしながら、アンネが遺した世界を知っていく過程が、時にシビアに、時に幻想的に描かれた作品。 ・キティーの視点を用い、現代社会に蔓延る、人種差別や迫害、分断社会を描いている箇所も、心に響く。 <第二次世界大戦中、罪なきアンネ・フランクを代表とした多くの子供たちの嘆きが、聞こえて来るような作品。 このような時代だからこそ、出来れば小中学生に観て貰いたい作品である。 恐ろしき、9.11から21年経った2022年9月11日に鑑賞。>
ひとことReview!
「アンネの日記」に書かれた架空の友人「キティー」目線でアニメーションで描かれた、実にファンタジックな「アンネの日記」の新解釈。設定や時系列がゴチャゴチャだが、昔も今も宗教と難民の問題が影を落としているんだな...と。
発想がすばらしいと思います。
物語も一見シンプルなのに、いろんな示唆に富んでるというか。 キティーって架空の女の子だけど、最近架空とか実在とか、何だろうなって。キティーの相手の男の子はキティーのこと架空だって分かってて、でもこちらから見たら彼氏も映画の登場人物で架空なわけで。それを見ている私を見ている何かいたりして。架空でもなんでもキティーはやさしくて行動力ある女の子だし、彼氏も素敵だし、彼氏の友達もかわいくてステキだ。
おもしろかった~
日記にキティーという名前を付けていたことは 知っていましたが 映画と同じように あんな親友がすぐ隣にいることを想像しながら 何でも心置きなくおしゃべりするみたいに 日記を綴っていたのだなということが よく分かりました。 日記では 閉ざされた環境で暮らす 思春期真っ只中のアンネは 特にお母さんに対してすごく反抗的でしたが 映画の中では 関係を修復して お母さんとの最後のよい時間を過ごしていたということで 良かったなあと思えました。 アムステルダムの街並みや 隠れ家,日記など おおよそそのままで コロナの時期に行くことのできない所に 連れて行ってもらいました。 日記の文字がキティーに変わるところや その逆も とても美しい表現でした。
邦題以外は素晴らしい作品
意図したわけではないだろうけど、今この時期に公開されるというのも因果な話。 ナチスとポーランドと移民と。 キーワードは現実世界とリンクする。 🇮🇱と🇵🇸問題を突っ込んだらとっ散らかるから、そこは避けたのかしらね。 クライマックスはご都合主義だったけど、メッセージは強く伝わった。 それにしても「アンネ・フランクと旅する日記」ってゆるふわ邦題はどうにかならんかったのか。 「Where Is Anne Frank」でよかっただろうにさ。 ポスターだって日本版のキティーは当時の服装なんだけど、海外版のポスターは着替えたあとの黒ジャンなんよね。カッコいい。
言いたいことはわかったが・・・
ファンタジーとしても設定等 どうも詰めが甘い感じが否めず、 脚本が全体的に突飛な感じがしたし、 アニメとして目新しい感じもなく、 正直観ていて困ってしまった。 ただ、この監督さんはいつも言いたいことははっきりしてるので、そこだけは相変わらずで素晴らしいと思う。
アンネだって普通の女の子だもん
アンネ・フランクの日記に書かれた空想の友達キティが現代に甦り、親友のアンネについて辿っていく話。 話はキティが日記を読んでアンネとの日々を回想しながら進んでいくので、アンネの日記全然忘れていても大丈夫。もはや、小さい時に一度読んでそれ以降ホロコーストの犠牲になった可憐な少女という象徴でしかアンネを捉えていなかった大人の自分に、アンネだって普通の女の子だったということを自覚させられてよかった。 お母さんの悪口は言っちゃうし、一緒に隠れ家に住む住人達のことはかなり苦手で悪態もつく。そんなに模範的な良き女の子じゃない、それでも彼女が残した言葉は価値あるものなんだっていうアプローチが良かった。 ただ、この話現代の難民問題とホロコーストを同列に問題提起していてそこイマイチ私は一緒にして良いかわからなかった。トランプのように国民の嫌悪感を煽っているあからさまなのは同じだと思うけど、欧州の難民受け入れについてって他に色々関係してるんじゃないのか?? まぁそこについては置いとくとして、空想の友達を現代に甦らせるという面白い設定にしたのにこの作品の伝えたいことを真正面からキティに演説させるのは勿体ない気がする。演説してさらに最後のテロップまで出すから強いメッセージは伝わったよ。ウクライナのことがあったから更にね。
豊かなアニメーションと日記の再定義
「アンネの日記」が題材だが、主人公はアンネではなく、アンネのイマジナリーフレンド「キティー」である。 現代のアムステルダムに出現したキティーは、アンネの消息を探し、大戦中と現代のシーンを行き来する。 アニメーションは豊かで、しなやかに動き、屋根の上を走ったり、凍結した河をスケートで逃げ、アンネ・フランク橋、アンネ・フランク劇場、アンネ・フランク図書館などを駆け巡る。 ナチスドイツは死神のように描かれるが、アンネの空想やキティの行動力で、全体には活発な印象の作品である。 日本における「この世界の片隅に」のように、等身大のキャラクターによって、身近な出来事として戦争を語り直し、「日記」の意義を伝えることを企図しているようだ。 難民問題が絡めて描かれ、ややご都合的な終わり方をするが、 キティーのタフさ、ちょっとした恋のエピソードなどで、鑑賞後は心地よく劇場を出られる。子供にも難しくない。 ボタンを押すとブレードの出るスニーカーは、アクションにも生かされ、ちょっと羨ましいアイテムだ。
声優や音楽もいいんです(と言ったら敷居が低くなるでしょうか?)
『アンネの日記』は読んでいなくてドラマか何かで観ただけですが、マスクびしょびしょになりました。『スパイダーマンNWH』と同じ位の放水量ですが、こちらは現実の悲劇なので辛い涙でした。 『この世界の片隅に』同様、若い世代に戦争を伝えていくには、観るのに敷居の低いアニメという手段はとても有効なのだと思います。 音楽も声優もよかったです。日本の上手い声優さんが外国語で吹き替えてるのかと一瞬思いました(特にキティー、ペーター2人、アヴァ)。キティーが走りながら泣くシーンは劇場で誰かがすすり泣いているのかと間違える位でした。 《備忘録》現代のペーターと、その友達のザマンサみたいな名前の女の子が、不良なのにめっちゃいいヤツ!
教材にぴったり
あらためてホロコーストの悲劇を噛み締める映画ではなく、「今」起きている事態、そして「自分」に目を向けさせる映画。 折しも今、ウクライナがこんな情勢であることが皮肉に響く。 残酷だったり、悲惨だったり、目を背けたくなる作品も多い中で、想像力豊かで多感な時期の少女の視点から、緊張や恐怖だけではない暮らしぶりをとてもソフトに描いているので、多くの世代の人々が堪能できるだろう。 英語も聞き取りやすく、中高生の教材にもピッタリなのでは?と思う。 3.5という★の数は、作品の良さを決して否定している訳ではなく、その分、その善良さが私にはちょっと物足りなかったということでご理解下さい。 12
理性と感情
2022年3月、まさにロシアのウクライナ侵攻による難民が生まれているタイミングでの上映。この映画のいくつかのテーマのうちの重要な一つを、現実が大きく超える形で迫る。50人ならバス一台で足りるだろうが、(短期的かもしれないが)300万人を超える状況にはどう対処すべきなのか。難民を受け入れることも身近な問題だが、当たり前だが生まないことがより大切ではある。
たくさんの人がアンネの日記の背景の事実を知る必要はある、その意味でファンタジックで可愛らしいアニメーションは良い選択でありこの作品の存在意義は大きい。だから星は3つにしておく。
しかし一個の映画作品として乗り切れない自分はアカン奴なのだろうか。どうしてナチスをカオナシにしてしまったのか。段々と何を描きたかったのかわからなくなってしまった。
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