すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
全422件中、241~260件目を表示
おかえり
震災の源であるものを封じる旅と
閉じ師のイケメンとの出会いで
成長する少女の物語
なんですが
その世界観と
明日へ生きる少女の再生を
描いたストーリーに
こころが震える
生死の境界を
私たちが暮らす 現し世 と
死者が暮らす 常世 として
古来から日本人は表現
時間では夕方と夜の間を黄昏刻
場所では鳥居
本作では
時間では華やかな時代と静寂の間
場所では廃墟の扉として、
人間が意図しない所に
常世が生まれる現実を
示していました。
本作はファンタジーなんだけど
重みを与えているのは
その世界観や倫理感が
神話や民俗学と
あまり矛盾していなくて
日本人として
腑に落ちるからではと。
返事をしない死者 母に対して
問いかけるのは
現し世の
鈴芽であり、
幼い壊れそうな自分のこころを
修復するのも
亡くなった方の想い出や遺品に
思いをよせて助けられた
自分。
その線引の筋が一本通っていて
凛とした世界観に。
常世の助っ人が未来の自分で
ハリポタ的な所や
ミミズなどキャラクターデザインが
ジブリ的というのも
あるかもですが
目に見えない厄災を
防ぎたい思いや
どうしょうもない悲惨体験から
脱け出すための
こころのプロセスを
丁寧に描かれている凄みが秀逸
出会いと同じシーンの
「おかえり」で
二人の関係を思い出す
実は、
そんな重いテーマである
各地の災いを鎮める原動力が
ひとめぼれの恋心
なのが
よかったり。
おすすめ。
声の演技の難しさ
心に響かないセリフ、日本で公開される劇場映画のアニメ、古くは「地球へ」がそうでした。声だけの演技はやはり難しい。視覚と音響効果で誤魔化そうとする演出をいつになったら辞めるのだろう。「えーーーっ‼️」と言う主人公のセリフだけが耳の奥に残っている。あああ、物真似と吹替えを混同している業界、業界だけでは無く見ている方も許容しているのが原因なのだろう。
声だけでは無い、私はこの監督が作るダイナミックなスペクタル要素が飽きてしまった。そうそう、ジブリのよう雰囲気すら私には見苦しかった。
あの日の事をテーマにしたいのはわかるが、もっと真摯に向き合わなくては…。
視聴者置いてけぼりで主人公だけが猛スピードで駆け抜けていく作品
前作天気の子が好きだった身として、非常に残念な印象でした。
まず出頭から主人公がイケメンにすれ違っただけで恋をし学校をさぼってまで追いかけ、どこでもドアが現れたり喋る猫が現れたり人間が椅子に変化させられたりといったファンタジーな世界が次々と出現するのに即順応していくという、唐突且つリアリティーの無い展開が続いたことにより、完全に感情移入できないままどんどん物語が進んでいく。
また、やりたいこと、テーマを詰め込みすぎてるのではないか、とも感じた。それによって一つ一つの要素が薄くガンガン進んでいくので終始「ポカーン」としてしまう。
ロードムービーをやりたい、ファンタジーな描写をやりたい、親と子の関係性をやりたい、震災をテーマにしたい、そしてやっぱり恋愛も入れたい、と。
前作は、一人の少年が少女に恋をして、その人のために、というのがすべての行動基準で、それを軸として物語が進んでいくので非常に分かりやすかったが、今作はその「軸」が見えない。
また、新海作品の良い点の一つとして、音楽を最大限利用した演出、というのがあるが、
前作のクライマックスシーンのグランドエスケープは、あのシーン見たさに何度も劇場に足を運んだくらいだが、今作は歌のシーンがそもそも少なく、クライマックスでもあまり良い演出が見られなかったのが非常に残念だった。
ミュージックビデオだ、などと揶揄されていたのを気にしてのことなのだろうか。非常に残念。
やはりファンタジー要素が強すぎる
新海誠監督の作風はやはり、
美麗な作画や台詞も相まって細かな感情描写に魅力を感じるので
「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」等あまりファンタジー要素のない作品の方が合うと思う。
それでも「君の名は」はまだ現実的な中にファンタジー要素がエッセンスとしてミックスされており違和感がなかった。
今作は色々設定があるのだろうが、
現代における他の閉じ師の存在の有無や主人公達の両親の所在(母親除く)、ダイジンやすずめの行動原理等々、ツッコミ所や気になるところの多さの割に対して作中で語られることがあまりに少なく、置いてけぼりになってしまった。
劇中歌に関して、懐メロにしてもさすがに古すぎて今どきの学生が流すにしては違和感があったが、監督の趣味も込みであるなら納得感がある。
過去作品でLINDBERGが流れることもあったがあれも場面にあっていてとても好感であった。
何よりプロモーション等色々理由はあるのだろうが、
いい加減主題歌にRADWIMPSは食傷気味に感じる。
RAD自体は好きな私からしても食傷気味に感じるのだからよっぽどだと思う。
繰り返しになるが、
「言の葉の庭」や「秒速5センチメートル」であったようにタイアップありきで特定のアーティストに拘りすぎず、作品にマッチする主題歌であってほしいと思う。今となっては古い曲が選ばれたとしてもその方が納得感があると思う。
昔の能や言い伝えが混ぜ込まれていてとても面白い
草太がかしこみかしこみお返し申すを唱えるところとても好きでした。祝詞なのかな?
唱えると鍵が青く光ってその土地の思い出たちが見えるのもすごくよかった。
閉じるには、その場所がどんな思い出があったか想像して閉じなくてはならない。
少しても寄り添うために…
後ろ戸についても、能の概念から来ているものらしく、神や精霊の世界につながる扉らしい
今回は、常世として繋がっている。
地震が地面の下で蠢くみみずについてはびっくりしました
また、要石も実在していることに驚きました。
新海誠監督は昔の文献、言い伝え?などをたくさん調べて作品内容をどんどん生み出していっている気がします。
要石自体については、また(前回、天気の子のような人柱的な)生贄のような感じなのでないかと思いました。
草太の育てのおじいちゃんが
「草太はこれから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」
と言っていましたが、もしかしら何の変哲もない普通の動物や人?などが要石になっているのかな〜と思いました。
そうなると、頭と尻尾の猫の個体の違いについても辻褄が合うような気がします
頭はずっと昔から要石になっていて、尻尾は最近って言っても20年くらいはもう要石やっていそうですけど経験値からどんどん大きくなっていくのかもしれませんね
ただ、みみずが倒れる前に金糸のようなものが張り巡らされてるのは不思議な感じがしましたがもしかしたらみみずは神様なのかも。農業界ではみみずは土の神様とも呼ばれているらしい、、、
日本は全てのものに神様が宿りますからね〜八百万の神
どこに神様がいるかわかりません
1番の泣いたところは、あの日の朝の「行ってらっしゃい」「行ってきます」を言いながら玄関先から学校や会社へ出発する人々の描写でした。
「おかえり」「ただいま」を言えずお別れした人はたくさんいたでしょう。
それを考えたら、ものすごく悲しくなりました。
すずめの戸締まり
失うもの朽ち果てるものはあるけれど一息ついて前を向く
判断保留
点数はいろいろなものを無視して一つの作品としての完成度の評価。
ただ、言い尽くされてますが、良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかを語る前に、一部の人にはテーマが飲み込みにくい。
あの震災で受けた被害は極めて軽いであろう自分ですら、本筋と別の部分で胸を抉られて、少なからずダメージを受けている。
リアルタイムにあの震災を知らない人たちはどう見てるんだろうか。
心を癒すためにRRRをもう一度見に行ってきます。
より際立ってしまったキャストの力不足
設定、演出、脚本などは前作とほぼ変わらない新海味のあるテイストに仕上がっている。
脚本に至っては正直なところ君の名は、天気の子に劣るといった感じ。どこか話の希薄さが目立った印象。
制作側が前作、前前作と区別化を図るのならば「題材」と「キャスト」に力を込めるべきであったと思う。
「題材」については、かなり踏み込んだ題材を入れてきたなと。「地震」と「3.11」を用いたことに賛否両論あるかもしれないが、個人的な意見としては良かった。この一言に尽きます。良い意味でも悪い意味でも。直接的な被害を被らなかった自分に、この題材に難癖をつける資格、というか批評するのは何か違う。一つの作品としてこの題材を用いたのは良いと思う。
演出、設定、題材の三つが揃っていながら何故か映画に没頭できなかった。一緒に観た友人は満足していたが、なぜか耳に感じた違和感が同調させてくれなかった。
主人公のうちの1人、宗像の声に違和感しか感じられなかったのだ。宗像だけではなく、すずめの声にも違和感を感じる部分があった。東京に来て興奮していた彼女の口から出る言葉はどれも標準語だったのが一番違和感があった。キャストは今回の役をするにあたり方言を学べなかったのだろうか。学ばなかったのだろうか。
2人のやり取りはいくつもあったが、そのほとんど全てが「アニメ映画」ではなく「ドラマ」として知覚してしまうのだ。宗像に至っては「アニメ映画の声」と感じるものは正直無かった。本当に残念。
無理やり出したような低い声、ドラマで聞くような生きている3次元の人間が話すような吐息混じりの声、我々が観ているのはアニメ映画なのに、と矛盾が頭の中をぐるぐる回ってしまい、集中できなかった。
芹沢が、君の名はの主人公を務めていた神木隆之介で安心した。
詰め込みの甘さが目立つ
中盤のダイジンを追いかける道中など楽しめるシーンはあるものの、「詰め込みが甘いなぁ」という印象です。
なぜ自分が要石になってまで草太さんを救おうとするのか分からない。要は一目惚れですよね。一目惚れで人生捨てようとするなんて動機としてどうなのか。
心配して駆け付けた環さん、怒鳴られて可哀想そう。と思ったら急に猫が出てきてビックリ。いつの間に取り憑いてたの?そもそもなぜ抜けたの?
疑問点が多すぎて「東日本大震災のオマージュでした〜」って言われても「あ、そうだったんですね」という感じです。
大学生2人が大学生に見えないし、そもそも大学生でスポーツカー乗ってる人というか、車持ってる人がほとんどいないよ。
旅に割いた時間を使って背景とか設定を丁寧に描いて欲しかったです。
全体としては面白くないわけではないので星3です。
さすが新海誠監督
結構題名からはあまりどんな内容か想像がつかず、純粋に楽しむことができました。登場人物がみんな個性豊かでとても良かったです。ストーリーも過去から現在まで繋がっていて、よかったです。自分自身も地震に関すること、いろいろと思い出しました。ストーリーはいつもの新海監督らしさも、いい意味でいつもと少し違うところもありました。最後に登場人物と再び会うところを載せてくれるのは自分的に嬉しかったです。今まで見た作品の中でもトップクラスの作品でした。ただ、地震にトラウマがある方は見ない方がいいです。そういう意味ではだいぶ扱いが難しかったと思いますが、勇気を出してこの作品を作ってくれてよかったです。なんと2回も見ちゃいました!
2回目:2023/2/23inイオンシネマ川口
世界観も構成も、全てが美しい。
「迷い込んだその先には、全部の時間が溶け合ったような、空があった−」
予告編の最後、印象的な言葉だ。夜空には数多の星が浮かぶ。ある星の光は何万年もかけて地球に届き、ある星は数年で届く。そんな別々の時代に存在する光が、同時に見えるのが夜の星空だ。この言葉には、そんな意味が込められているのだと思う。
常世と現世。それを繋ぐ扉。災害が起きる理由。さすがとしか言いようのない、新海誠の世界観だ。突飛な設定も、どこか説得力があり、観る者をその世界にいざなう。すべての時間が溶け合う常世で、過去のすずめと現在のすずめが出会う。彼女は、自身の過去の、微かな記憶に触れる。とても感動的ではないか。「行ってきます。」の一言で、母親のいない世界を受け入れられない過去の私と、死者の世界である常世に生きるであろう彼女の母親に別れを告げる。たった一言に、彼女の思いが込められているのだ。本当に美しい。
本作において象徴的に描かれる扉と、すべての家にある普遍的な扉。あらゆる扉が、「行ってきます」と「おかえり」を持っていて、そんな数多の思いが、本作の「扉」というアイコンに重厚感を与えている。どうしてこれほどまでに美しくまとめられるのか、本当に凄い。
ダイジンの優しさに全米が泣いた
前作天気の子は突っ込みどころ満載でも胸に迫るものがありました、
ですが今作、現実の震災を扱うには美麗な映像と音楽だけでは限界突破した脚本を抑えることが出来なかったように思います。
震災ってセカイ系の外にある絆みたいな縁をセカイと強制的に繋げてしまうものだと思うんですよね、だから主人公の周りの輪が狭いことにすごい違和感を覚えるんですよ、例えば女子高生なら父親を捜すんじゃないかとかおじいさんおばあさんはどこいったんだとか…
この話って閉じ師云々抜きにしたら思春期の県外避難者がヒッチハイクをしながら復興中の被災地を訪れる、ルーツを探すお話ですよね、
道中でふれあいしてるのに肝心の東北の被災地では主人公がセカイの外と交流しないのは片手落ちではないでしょうか。
家と親を流された子どもを出されたらそりゃ泣きますよ。でもそれはこの映画に限ったことではないし、ここだけの評価で泣ける映画ですというのも違うと思うんですが。「流された」って日本人なら思いますが海外の何も知らない人が見たら「燃えた」とも捉えられるんじゃないですかね。それならフィクションで良かったのではないでしょうか。
結局セカイ系に津波の描写一つ出来ない様な大人の事情が加わって狭い世界が更に狭くなってしまい、更に3.11を出したせいで現実が気になってしまって素直に物語に入れなくて序盤の追いかけっこ以外は楽しめなかったです。秒速的な丁寧な描写で描いて欲しかったです。
(某掲示板からの受け売りですが「要石になってください」ってジイさんに言ったら恐らく了承してたんじゃないでしょうか?大人の事情ですか?ダイジンはモノじゃない!でしょう)
現時点での新海作品集大成、美しい祈りと希望。ジブリオマージュほほえましい
素敵でした。世界の美しさに感動しました。『君の名は』『天気の子』よりもシンプルでまっすぐ伝わる話です。優しく切なる願い。深海監督、素敵な映画をありがとう。忘れたくても忘れちゃいけない消せない事、大切に寄り添ってくれてありがとう。
『君の名は。』は大ヒットした一方で「震災を無かったことにするな」と強く批判されたそう。その批判を受けて『天気の子』では新海監督の鬱憤や社会批判をつめこみ、世間に受け入れられずさらに批判されたようです。環境問題を抱えた未来を生きる思春期の少年少女へのエールが、世間の多くの人々にはあまり伝わらなかったみたい…。それでもなお、監督は今作で「震災を体験していない東京の人が綺麗事を言うな」と世間から批判されることを、受けて立つ覚悟をもって、震災を忘れ風化させてはいけないこと、希望をもって生きること、まっすぐにメッセージを届けてくれました。日本人なら3.11を無視してはならないと思います。当時を知らない子供達、次世代の命に伝えることは大切です。たとえ批判され酷評されても…。生半可ではないその真摯な覚悟に胸を打たれました。
「たとえ命はかりそめでも、つねに死と隣り合わせとわかっていても、私達は生きたい、あと一年でも1日でも…」それに尽きます。綺麗事なんかじゃない。自分事としての切なるエール。心こめたメッセージでした。死ぬことなんか怖くない、といつも即答していた、喪失感をいつも抱えていたすずめが、人を好きになって「死ぬのは怖い、もっと生きたい」と言えるようになったことが胸に残ります。
星空の美しさは新海作品の醍醐味ですが、今作では現実の震災での「何も無い闇夜、星空が綺麗すぎた」被災者の話を思い出し、リアルで切なかったです。ファンタジー映画でありながら、あの震災の中で「常世」に迷い込んだ(生死をさ迷った)のは現実味があります。
廃校になった中学校、閉園した遊園地、人々の楽しい記憶や人生の大切な場面がつまった場所が無くなってしまうのは悲しい。「場所を悼む人」がいてくれるなんて、素敵なこと。新海監督のその発想、優しい。
一人旅する草太さんの背景は語られないけれど、家族は育ての親であるお爺さんだけ。両親は、草太さんもまた何らかの災害で失くしたか…あるいは、家業の果てに要石や楔となったか…。孤独に生きながら、各地の廃墟を悼む 心優しき人。叶うならば、「いつか消えてしまうかもしれない大切な場所を…」と焦りながらも、上手く伝えられず就職面接に落ち続けていた『君の名』の瀧に、君の願いを、こんな戦い方で守っている人もいるよって、いつか教えてあげたい。建設業の街作りを通して、守ろうとめざす瀧。映画を作って人々に伝えようとする監督。さまざまな戦い方、生き方で、消えゆく街の風景を守ろうとする人がいる。左大臣に敬意を払うお爺さん、深みがありますね。
戸締まりは日常的な行動で、壮大なファンタジー映画のタイトルとしては妙に感じるけれど、戸締まりは自分の大切なものを守るための行動。毎日の日常のすぐ隣に、一瞬で街が消えるほどの巨大な災害が存在することは現実。
行ってきます、といつもの挨拶を交わして、そのまま二度と帰らなかった人々の姿、涙が出ました。だからこそ、同じ言葉を告げて扉に鍵をかけたすずめの姿に、過去のつらい記憶に鍵をかけ(忘れるのではなく、大事な自分の一部として心の奥に刻んで) 前に向かい進んで行く、強い決意を感じました。忘れないまま生きて行く、勇気をもらいました。
今作はとても日本的な話だと感じます。ミミズは、日本人なら誰もが知るナマズの地震と重なるけれど、悪とみなさず「何の意思ももたずただ暴れる存在」であり、退治するのではなく、ただ鎮めるのみ。「どうかお願いします」と左大臣に祈る。自然に対するその態度はまさに古来日本的です。人間にとって悪ならば対峙し支配しようとするのがキリスト教的欧米の考え方。さっきまで敵のように見えた猫を「この猫、なんか神様なんだって」と受け入れてしまう、自然に神が宿ると神道を信じる日本人の感覚、唯一神教の海外ファンには理解できないだろうけれど、感じとってもらえたらと願います。
公開前に予告映像を見た時、最初、いすが動いたり喋ったりするネタは、古い児童文学「2人のイーダ」を連想しました。小さい女の子と戦争の記憶の物語。新海監督がモチーフとして意識したかどうかわかりませんが、もしかしたらご存知の上でかもしれません。戦争の記憶も、風化してはならないもの。今の幸せと平和を壊さないために。
ミミズ暴走はタタリ神のようにも見え、草太の「かしこみかしこみ…」の台詞から『もののけ姫』を思い出しました。
実際に映画を見てみたら、随所にジブリ作品を彷彿とさせられる場面がたくさんあり、ジブリファンとしては嬉しい♪宮崎監督へのリスペクトを感じました。
椅子をとなりに座り込む鈴芽の座り方が『耳をすませば』の雫と同じ座り方だな~と思っていたら、その直後に猫が電車に乗る写真がTwitter拡散される場面に『リアル耳すま』と表記。
凍っていく草太にキスする画面は、鳥化物になり果てたハウルにキスする画面に似ています。
『ルージュの伝言』が流れて魔女宅だな~と思っていたら「旅立ちにはこの曲でしょ、なんか猫もいるし」の台詞、クロネコヤマト宅急便のトラックとすれ違う、明らかに『魔女の宅急便』をオマージュ。真っ赤なスポーツカーでタバコふかし「借金とり」のセリフは 『 紅の豚』のモチーフ。広い田舎の風景(かつて震災にあった場所)を眺めてタバコ吸うのは『風立ちぬ』かな。敵味方のわからない猫や環などみんな芹沢の車に乗せて行くのはハウルの既視感、「人の手で元に戻してほしい」という左大臣のセリフは、もののけ姫の「人の手で返したい」に通じます。ミミズが地上に倒れる姿はもののけ姫の首を失くしたデイダラボッチに似ているし、最後の「会いに行くよ」もアシタカと同じ台詞。
ダイジンと左大臣が巨大な狼に変化する姿は、千と千尋のハクに似ています。特に、鈴芽を守って変化し落ちて元の姿に戻る映像。鈴芽の制服の袖、白に緑線2本は千尋の服の袖に似てる。美味しそうな食事場面もジブリを彷彿とさせます。
などなど、挙げればきりがないほどですが、「昔から宮崎駿監督の作品が大好きだったし、憧れつつも越えなければならない存在だけど、宮崎監督からは大いに影響を受けて、血肉にしていますよ!」と監督に笑顔で宣言しているような感じがして、ほほえましいです。
新海作品同士のつながりを見ると『君の名は。』は『秒速』『ほしのこえ』の悲恋を成就させ『彼女猫』の猫視点の画面が目立つ作品でした。『天気の子』の後半は『君の名は』と表裏一体を成す、似た展開でした。
『すずめ』は『星を追う子ども』のテーマ「それは、さよならを言うための旅」とつながります。愛する人に会うため死者の国へと旅し、鎮魂とさよならがテーマの物語、同じです。『すずめ』は、過去を胸に抱きつつもさよならを越えて、より前向きに「行ってきます」と未来を向く希望の物語でした。幼い頃にすずめが土に埋めた宝箱タイムカプセル、クッキー缶のふたに『Agartha』の文字、アガルタは『星を追う子』で冥界⋅あの世を意味する言葉、常世と同じです。『星を追う子』はジブリの「パクり?」と酷評もされましたが、それでも今回、堂々とジブリへのオマージュを示している点、もうあとどれだけ生きてくれるかわからない宮崎監督への感謝のメッセージがこめられていると感じます。色々な点で確かに現時点の集大成でした。
廃校になった中学の記憶風景、登校する中学生達の後ろ姿、最後に「昨日のお客さんめっちゃイケメンやってん」とはしゃぐショートボブの少女は千果だったのでしょう。こういう細かい書込みを見つけるの楽しい。ルミの車は25(双子)、芹澤のアルファロメオは630(ロミオ)とかね。
公開前の情報で、主人公の名前が「岩戸すずめ」だと知り、きっと「天岩戸の伝説」に由来する名だな、と思っていました。語感が似てるから「あめのうずめのみこと」とも関連しているのかな~と思っていたら、大正解でした♪
昔話「すずめのお宿」もモチーフで 家庭をテーマにした作品かな、と思っていたけど、これは関連無いようですね。
ダイジンは、態度の大きさからいつのまにか大臣と呼ばれそのまま定着した名前だけど、すずめが小さい頃に埋めたタイムカプセルのお菓子の缶に大きく書いたペンの字「すずめのだいじ」(なもの、が書ききれなくなっちゃった~っていう子供らしさ)を見て、ダイジンは本当は、大臣や大神なんかじゃなく、誰かの大事なもの、になりたかったんだな~と切なくなりました。単なる言葉遊びのだじゃれ…いや、日本へ古来より、言霊のさきはう国ですから、そういう複数の意味をこめて名付けるのはよくあること。
草太さんは、とても優しくて、年下にも敬語で話す礼儀正しい人。草太という名には「大事な仕事は目立たない方がいい」という考えに通じるものがありますね。芹沢も本当に受容する器の大きい優しい人。2人とも教員志望な点、監督は「激務で薄給な教員を志望する若者が激減」な現実の中、この世界の希望を描こうとしたのでは。「あなたは大丈夫!」と幼いすずめに呼びかける言葉とともに。『天気の子』でも監督が一番 少年少女に伝えたかった(けれど世間には届かなかった)「大丈夫!」の言葉を再び、届けと強く願って。
新海作品の中で今作が素直に一番好き。また映画館に見に行きます♪
気になる点といえば、すずめが東京弁なこと。素直な子だから、幼少期は東北弁→今は12年暮らした宮崎の九州弁に染まっているのが自然。主役は標準語のほうが 日本人の大半が主役に感情移入しやすい、だろうけど…他のキャラは方言だからすずめも方言の方がリアルだな。それと日記の黒、幼児はクレヨンであんなきれいに均等に色塗れない。隙間あり紙は折れ曲がり破けたりするはず。の2点だけ気になります。
最初はダイジンが悪役に見えたけど、要石として長年孤独に過ごしていた 幼い仔猫だと考えたら、解放されて無邪気に振る舞っていただけで、人から見たら時には残酷に見えたけど、愛されて生きたい、それだけなんだな。左大臣は要石が抜けてしまった後も必死でミミズを止めようとしていたし、ミミズに破壊の意思は無いし、誰も悪役のいない世界でした。切なく優しい物語。
要素のバランスが素晴らしい 面白かったー!
日本にとって避けられない災害のリアル、その扱いのファンタジー、あらゆる人の日常、想い、一番大事な「人を好きになる」こと
組み合わせ、バランスが絶妙!2時間本当にスムースに楽しめた
「駐車場で言ったこと、あれは心の中で思うちょったことよ。でもそれが全部じゃないけんね、全部じゃないけん…」
愛に溢れてて一番グッときた
椅子は『よつばと』のダンボーだね。
失礼しましました。削除されました。
共感頂いた方には申し訳なく思ってます。
正確な知識と賢明な知恵があれば、この映画も『PLAN75』も、見るべきだと思います。しかし、見て泣くだけでは駄目だと言う事です。
泣いて終わらせる時期ではまだないですし、これから不安が現実になる可能性は充分あると思います。
また、実際にあった大災害だけに『面白い』とか『大迫力』とか『絵が綺麗』とかは、道義的にタブーになると僕は思います。
この大災害を後世に伝えたい気持があるのだ思います。しかし、それならば、もっと、直接的に怖い場面があっても、良かったのではないかと思います。ミミズを震災と指すならば、その程度のおぞましさではない事は、経験した方が分かると思います。勿論、閉じ師がいて『カシコミ』と唱えれば、地震がおさまる訳では無い事は、日本に住んでいれば、誰でも分かります。
しかし、
僕自身、この映画を見て、『うるっ』と来ましたし、『凄い絵と音だなぁ』と感じました。しかし、しかし、
商業主義的映画ですから、こう言った過度の演出は問題があると思います。だから、それに対する道義的責任を、制作する側には感じて貰いたいと思いました。
兎に角、この映画で泣くよりも、現実はもっと悲惨です。
損害が拡大しないように、危ないものは早く片付け、美しい本当の日本を取り戻して貰いたいです。
もう少し、考えて削除されない言葉で、この映画に対する本音を語りたいと思います。どうせ、出来レースで、賞は取れる事になっているのでしょうから。
北陸地方の皆様へ
頑張って下さい。
また、亡くなった方の為に冥福をお祈り申し上げます。
2024年1月3日午前5時より鑑賞
どっちつかず?
主人公が災いが吹き出す扉を締めてくお話。
開かれてしまった後戸を占めることと主人公の過去とが絡み合ってお話が進んでいく。
草太の第一声がなんとも違和感があって最初入り込めなかった。が、椅子になってからはすごくフィットして良かった。
お話的に主人公が要石を引き抜く事が偶然なのか必然なのかがよく分からなくて、最初の出会いはイケメンに惹かれたのかな? っとも思われる。 なので主人公の過去が絡んでくることと、メインの扉を締める事との決定的な結び目がイマイチ見えなかった。。。
それでも、あれよあれよの展開で大いに引き込まれたのは確か。
初回特典でもらった冊子の中に具体的な製作者の狙いが書いてあったが、これに『そーゆーことだったのか』と更に面白みが増すのか、『映画の中だけじゃそこまでわかんない』と思うかは見る人次第。自身は後者。
綺麗な映像で音楽もよく素晴らしい迫力でした。
とても面白かったです。
いつ何が起こるか分からない理不尽な日常で。
新海作品という事で鑑賞。
とりあえず、ちょっとなめてた。
いやぁー、泣いたね。
完全に東日本大地震に絡めたストーリー。
予告編の行ってきますの意味合いがみた後だと変わるよね。
きっと当時言った人も言われた人もそれが最後になるとは思わなかったんだろうな。
芹沢の綺麗な場所だなのセリフに対してのすずめ、ここが綺麗な場所?的なセリフに本当にゾッとした。
あまりにも色々な情報量が多すぎて全然咀嚼しきれてないな、、、
まず、東京に行くまでのテンポ感がいいよね。
観客は薄々要石のくだりを察しながらも、いつ決定的な何かが起こるのかを考えながらみたところで、アレですよ。
日数にしたら数日に過ぎないけど、被災した可哀想な子ではなく、個人として自分を見てくれたソウタに惹かれたのかなとか、邪推してしまった。
東北への里帰りとか、ベースシリアスなのにそこに上手く異物(芹沢とか)を織り込んで観客が力を抜ける瞬間を作ったりとか話の作りが上手いよね。
自転車のシーンはとても良いシーンだった。
ちょっと右大臣?左大臣だっけ?黒猫の登場が唐突過ぎてビックリしたけど。
猫視点で見るとどういう流れだったのかなーって思わなくもないけど、個人的解釈としては要石って人身御供とかの意味合いも含まれていたのかな。
ダイジンが子供になれなくてごめんなさいって言ってたし。
孤児とかが、捧げられて何百年と孤独に過ごしその孤独から救ってくれたすずめに好意を抱いてずっと一緒にいたいと思う。
子供だから独占欲強めで、ソウタ邪魔だし要石無くなったらまずいのは理解してるから役目こいつに押し付けよう。
的なことなのかな?
黒猫が大きかったのはこっちは幼い子ではなく、成人済みとかおじいちゃんが捧げられたからなのかな?
環さんが黒い感情に支配されたのは、ちょっと自分の中で落ちてはないけど、、、、
ラストのソウタへのおかえりは分かっててもいいセリフだよね。
自分が周りに迷惑をかけているって自覚がスズメの中にあるから、死ぬのが怖くないのかってセリフに対して怖くないって言えるし、自分が何か成し遂げた「役割」みたいなものに固執に近いものを抱いていたのかな。
この作品で考えなきゃいけないのは、これはフィクションだけど現実にある話ってことだよね。
この映画から何を受け取って、どう日常を過ごすのか、自分の中ではまだ落とし込めてないし明確な答えのない難しい問題だけど考えることをやめてはいけないなーと。
突然誰かを亡くす「死」は本当に身近にあって、それでも生きたい。好きな友人に家族に恋人に会いたい。っていうのは万人に共通することだからこそ、常世でのソウタのセリフは胸にくるものがあった。
これを一本の映画にまとめ上げた、新海誠監督は本当に凄かった。
テーマとしてものすごく重い物で、扱うのに勇気が必要だったろうな。
とりあえず、円盤は買うしできればもう一度見に行きたいな。
パンフレットも特別冊子も何も読んでない人の感想でした。
熟読してからもっかい見たい。
あと、RADの歌ありの曲の使い方のバランスは個人的に最高でした。
100/100
傑作神道テイストファンタジーロードムービー
観て良かったです。
新海作品なので安定の映像美、話の展開もテンポよくストーリーが進むに連れ次第に重めの話になっていきますが芹沢君や叔母さんとの絡みでちょいちょいクスッと笑わせてくれたので見ててそれほどシンドくありませんでした。
ダイジンやサダイジンのところをもうちょっと掘り下げて貰えたらよかったかな?とも思いましたがまーそこはパンフなり考察で補うとして概ね満足でした。
立ち尽くす人へ
えらくハードな話だった。
結局のところ「明日に進む勇気」なのかもしれない。
滑り出しは唐突で、どんな物語なのかさっぱり分からない。ただただ降り注ぐ事象に呑み込まれていく。だが、これも本編の内容から振り返ると、至極的を得た導入だったように思える。
冒頭に鳴り響く地震のアラート。
嫌な音だ。
311を嫌でも思い出す。自覚はなかったが、それなりのトラウマになってるみたいだ。
大多数の日本人が抱えているであろうトラウマを本作は抉り倒してくる。主人公たちが立ち向かうのは地震を起こす元凶だからだ。
物語の終盤まで語り部は、破滅と消失の前兆を描く。
滅亡の未来とでも言うのだろうか…何の前振りもなく、突然にソレは訪れる。
平穏と思える日常は、実は脆く、命は尽きるもので儚いものであると明示され、大多数の人々はその危うさに無頓着に過ごしている。
その裏側で、命を賭してソレらと対峙する主人公たちがいる。メチャクチャな温度差で描かれる。
スマホを見ながら無表情で歩く大衆が映ったかと思うと、高度何百mから落下する女子高生だ。
この対比が意味するものは何なのか。
認識できないが明らかに影響力がある何かの存在なのだろうか?それとも、小さな小さな楔で繋ぎ止められている日常の不安定さなのか?
いずれにせよ、薄氷よりも薄い氷の膜のようなモノの上に組み上げられた、永遠という幻想に囚われた愚か者たちの世界…そんなモノを見てるようだった。
かと思えば、彼女が旅先で会う人達は温かい。
なのだが、しっかりとギブ&テイクが描かれる。そんな描写はこの作品に限った事ではないのだけれど、何故だか印象的だった。
受けた恩は返す、もしくは返してもらう。
そこから繋がるご縁としがらみ。
至極当たり前の事だけど、無償のものなんて人の世にはそう多くはなく、持ちつ持たれつだ。そんな事が何故だか印象に残った。
そんな人達に助けられつつ目的に向かう主人公たち。
大都会・東京の空を覆い尽くすミミズには身の毛がよだつ。しかも、それが普通では見えないのだ。あんなものの真下で平然と暮らしている。
認識できないだけで脅威は常に振り下ろされる寸前なのだ。これまでの物語の大部分が滅亡と背中合わせの状態の周知に費やされる。
勿論、回避はされる。その元凶を主人公たちは退けるわけなのだけど、ここまでが入念に整えられた前振りだった。恐れいるぜ新海監督…。
主人公は勅を唱え宣言する。
儚き生だとは知っている。いずれ尽きるものが命であり、消滅が定められているのが命の本質である。
その上で生きたいと願い請うのだと。
そして、ヒロインはかつての幼き自分に語りかける。
今がどんなに暗くても、あなたには輝く時間が待っている。その証明が目の前にいる私だ、と。
その幼子が14歳の自分なら28歳の自分が。50歳の自分なら70歳の自分が。
「今は辛いね、大変だよね…でも大丈夫。今の私を見て、ちゃんと成長してるでしょ?笑ってるでしょ?大変じゃなかった日なんてないけれど、ちゃんと幸せな日も過ごせてるよ。だから大丈夫。不安に押し潰されないで。」そんな事を言ってくれてたように思う。
いずれは死んでしまうのだけど、それが早いか遅いかの違いだけかもしれないのだけれど、だからと言って無気力にならないでと。命に幻滅していかないでと。この世でしか、この儚さの中にしかない素敵なものは絶対あるから、と。
おそらくなら、そんな事を問いかけた作品に思う。
そして、それらを可能にするヒントは先人達が残していってくれてるんだよと言われてる気にもなった。
このメッセージに説得力を付与させる為の滅亡への描写だったのだ。
全くもって、類稀なるストーリーテリングなのである。
本作には名優たちも声優として名を連ねている。こんな内容を突きつけられた日にゃ、監督としての演出にグウの音も出ないのだろうと思われる。
作画の水準は極めて高く、新たな手法も随所に見られる。エンタメとしての外殻は恐ろしく見栄えが高い。こんな小難しい話を…ちゃんと観客に届ける為のアレやコレやを抜かりなく準備し、仕上げてくる。
同じ内容を高僧が説法しても、足が痺れて耳には入ってこんだろうて。政府が莫大な予算を投じてキャンペーンしたとしても、見向きもせんのだろう。
そういう類いの話ではあるのだけれど、ものの見事に突き刺さる。
…恐るべし新海誠。
ダークな世界観で、作中に出てくる「闇が深い」って台詞が似合う作風でもあったけれど、それを塗り潰す希望の存在を明確に強烈に知らしめた作品だった。
多分ならこの手のテーマをベースにした物語は数限りなくあると思われる。普遍性のある内容だけに。
だけども、ここまでダイレクトにソレだけで勝負に出た作品ってあるのだろうかと考える。
暴挙と言ってもいいんじゃなかろうかと思う。
命が置かれている本質的な状況しか描いてないように思うのだ。
ソレを…こんな作品に昇華させて見せた底力よ。
たまげるわ。
脚本を練り上げるのにどんだけの時間を費やしたのだろうか…。
ちゃんと娯楽作品として仕上がってるのが驚異的。
戸締まりってタイトルも言い得て妙だ。
過去はなかったものにも、忘れさるわけにもいかないのだ。そこにはあるのだけれど、ふいに出てこないように鍵をかけて閉めておくのだよって事なのだろう。
■追記
レビューをいくつか読んで「人は脆いけれど、弱くはない」そんな言葉が不意に浮かんだ。
観る人を選ぶ
誰もが苦手な地震速報のアラームや描写。
これに関しては前々から言われていたし、映画館で公開前にテレビでも冒頭の10分が流れていたので覚悟はしていました。
でも
日付が3.11とか大津波とか…
観ていて悲しくなりました。
そこは変えてほしかった。
これはファンタジーと言うか、フィクションであってほしかった。
観るのが辛い方はたくさんいるのではないでしょうか。
今は廃墟になってしまった集落、遊園地、学校…そこにはたくさんの人達の思い出が詰まっていて、忘れないでと訴えかけているようにも思えました。
すずめの周りには自然と素敵な仲間が集まり、支えてくれる。人の優しさにも触れ、前を向いて進もうと言うメッセージが伝わる映画でもありました。
共感からかけ離れている
泣ける!という前評判をみてハンカチを用意して観にいったのですが、どこでなけるのか全く分かりませんでした。
映画前にやっていたほしぐまのおじいちゃんとカメラのアニメーションの方が俄然うるっときました。
これは、みんなの行動原理に共感できずなんで?の気持ちの方が勝ってしまったからだと思います
まず鈴芽。
主人公の鈴芽の心情が1番共感できません。
なぜすれ違っただけの人にあんなに心奪われてしまったのか、3日程度過ごしただけの人のためにあんな危険を犯すのか、自分が変わりに死のうとまでするのか
さっぱり共感できません。
常に草太さん……!!!草太さん…!!!!!となるのが謎で仕方なかったです。
ふたりのやり取りがもっと深いものがあれば、納得もしたでしょうが、あの映像ではわかりませんでした。
3分にも満たない短さのほしぐまでうるっと来るのは子供とおじいちゃんという関係が説明しなくても親密であることが想像できるからです。
なんの関係性もない2人にはそれなりの理由がないと親密さを理解することはできません。
次にダイジン。
ダイジンは行動も正体も謎です。
実は…!的な展開もありません。なぜ鈴芽が好きなのか、草太を邪魔と言い放って自分の代わりにしたのか、まぁわかるといえば分かるけど納得はできません。
邪悪な一面をみせたかと思えば鈴芽に嫌われてしまったら弱々しい姿にもどり、鈴芽が草太の代わりになろうとすれば自分がまた石にもどる。なんかモヤモヤするんですよね。
草太は行動原理というかキャラクターが掴めません。
ロン毛・泣きぼくろ、突然自転車にのってる女子高生に話しかけるところからミステリアスでちょっとチャラさもあるハウルのような人かと思えば、全然そんなことはなくどちらかと言うとちょっと固く真面目な性格っぽい感じ。でも常に大袈裟な声優の演技も相まってクールな感じはなく、しかしツッコミのときも一貫して「すずめさん」呼びの固さもある。
なんか一貫性がなく、これも鈴芽が恋に落ちたのが分からない所以でもありました。
あの見た目ならチャラミステリアス系統でよかったんじゃないか…?
ダイジン、サダイジンの正体しかり謎が明かされなかったのもモヤモヤしますが、それぞれの関係性とキャラクターがいまいち掴めないのが共感出来なかった要因かなと思います。
また、天気の子や、今作の前半部分にある大好きな人の命VSその他大勢の命は大好きな人の命が勝ってしまっても仕方ないと思えるのですが(今作では大勢の命を優先しましたが)
草太が石になるのは嫌なのに、ダイジンが石から解放されたかった気持ちには全く寄り添わず、ダイジンが石に戻るのは良しとする流れが死ぬほどモヤモヤしました。
あと、新海さんといえば主人公のポエム語りだと思っていて
あの感じが好きだったので今回全くなかったのが悲しかったです。
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