すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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画がきれい
「新海誠本領発揮」
勇気と希望に満ち溢れた作品の金字塔!
一言で言えば、勇気や希望に満ち溢れた作品として紹介したい。
確かに震災の傷をエグる、過去作品の踏襲という批判も数多くあり、賛否両論ではありつつではあるが、やはり「賛」が多いものに傾くのではないかと思う。
どんな闇にも必ず、光があり、希望の未来があるのだという強力なメッセージが込められていた。
過去に震災の恐怖や傷がある方も勇気を持って、観に行っていただきたいと思う。
すずめもまた、その苦しみや恐怖に立ち向かい、勇敢にも命をかけて戦うのだから、一緒に戦ってほしい。
観終えた後には、確かに一つの傷を乗り越えたという安堵、希望が胸に込み上げてくる感じは否めないのではないだろうか。
また、持論ではあるが、文学とは一人ひとりが受け取り方に差異はあれども、どれだけ多くの方にとって人生の指針となり、生きる勇気や希望を与えたかが「良い文学」か「悪い文学」に分かれるのだと思うし、それこそ文学作品の素晴らしいところかと思う。
批判される方もいらっしゃるが、批判の全くない作品など所詮、個人の心の中だけに眠る妄想や、戯言に過ぎないのだ。
新海誠監督は、あえて批判上等でそれでも、より多くの方にとってプラスになると信じて本作品を手がけられたのだと思う。
私は、すずめの生き方に感動した!
恐怖は希望によってのみ塗り替えられるのだ。
どんな闇にも希望はある。
このメッセージ、確かに受け取りもした!
そして、この感動、皆様にお返し申す!!
かしこみかしこみ…
今度は地震か…。少々心配したものの、天災がもたらす非日常を、日常に変えていく人の強さを描いた、良い物語だった。
新海監督の一連の作品に共通した、八百万の神様への信仰に根差した物語に人々が共感するのは、日本人としての連帯感があって嬉しいものがある。原始的、アミニズムでありながら、未だ受け継がれる日本の伝統的感覚が、エンタメとして受け継がれていくわけだ。
地震、火山、台風、津波などなど、災害のオンパレードである日本列島と、こうした自然を畏れながらも、それを受け入れて日常に取り込んでいく人間たちの逞しさが、物語の底流にあるところが、観ていて安心感がある所以ではなかろうか。
鍵を閉めるときの呪文として、「かしこみかしこみ…」と唱えられる。「畏れながらも」といった意味だが、八百万の神に表象された自然に対して、感謝と畏敬の念を持ちながら「勝てないことは分かってるが…」それでもなんとかお願いしたい、という人間の情念か詰まった、素晴らしい言葉だと思う。
自然災害で、多くの犠牲を払いながらも築いて来た日本の社会で、作品中随所で描かれる平穏な日常。その象徴としての「挨拶」が、クローズアップされ、随所で差し込まれていて、これがとても印象深い。「おはよう」「おやすみ」「こんにちは」などなど。
その中でも、今回のキーフレーズは「いってきます」「おかえり」だろう。冒頭、すずめが家を出る時の何気ない「いってきます」が、その後の怒涛の展開に対比されていた。ちよっとしたシーンだったのだけど、日常の終わりの始まりとして、印象的だ。
物語にあまり触れないレビューで申し訳ないですが、日常に感謝して生活することを、改めて気付かされる良い作品でした。
新海誠監督の初期作品を彷彿とさせ、前2作を内包した完成に近い作品
深く考えない
批判者は被災経験者を一括りにするな。
※被災経験者ではない人間が『被災経験した人は辛いかも…』とか『見ない方がいい』とか『PTSDになるよ』と想像で言っていることが多く見受けられる。それなら被災経験者も今回の作品について肯定的に受け止めている人も多いことを併せて想像、理解すべきだ。※被災経験者がどう感じるかなんてそれ以外の人と同じで人それぞれなんだから一括りにするな。勝手に決めるつけるな。迷惑だ。腫れ物扱いするな。私達も君らと変わんない人間で、同じ時間軸に生きていて、あれから10年以上前向いて生きてんだ。※(もちろん、今もトラウマを抱えている人は見ることが辛いかも的な意見は理解できます。PTSDなど。でも被災経験者でもそれは人それぞれだよ。)
配慮とか批判とか言うなら今の宮城福島を見に来てお金を落としていけ馬鹿野郎。
荒ぶった前置きはさておき。実際に起きた出来事(事件、事故や自然災害や戦争)で何年経ったら時効にしてアニメーションや実写ドラマ、小説等という娯楽にしてよいのか。何年経ったら題材にして良いのか、それは一体誰が決めるのでしょうね?10年経ったら時効?20年?半世紀?それとも100年くらい経って世代が完全に入れ代わりその出来事を経験したことのない人ばかりで溢れ、その時代に生きている人々が絵空事のように感じられるようになったら良いのでしょうか?でもそれだとその事柄を経験した生の声は作り手は聞けず、残っている史実からしかまとめることができない。
私には正解は判断できかねますが、このタイミングで良かったと思います。監督自身も今やらないと遅くなってしまうと言っている。
アニメは10代の子たちのものだ。そりゃそれ以上の大人が見ても良いが、新海監督は東日本大震災を経験したことない今の小さな若い子どもたちのためにこの映画を作ったそうだ。震災経験のない子どもたちは震災の話をしてもピンとこないことがあったそう。どうやったらその様を伝えられるか、新海監督が表現出来るアニメーションという手法を使い、それでいて子供たちが飽きることなく最後まで見やすいエンタメの中に落とし込むか、どうしたらその子らに伝えられるかを必死に考え生み出した作品だ。
批判殺到などど殺到してもいないのに大々的に書いてこき下ろしている『大人』が多い。その人たちは現実に起きたことを、『その当時が記憶に残っている人たちが多い経過11年で、現実を題材にし、現実には起こりえないファンタジーを組み込ませ、新海誠のリアルな表現で描写をした』ことが気に入らなかったのだろう。でもこの映画を監督が見せたい最大のお客さんは大人ではない。東日本大震災を知らない若き子供たちなのだ。新海監督は東日本大震災を風化させないためにこの映画を作ったのだ。あのくらい描かねばアニメ上では何も知らない子供たちには何も伝わらない。(そりゃ、メディアで散々報道されてきた映像を見ている、もしくは生でたことがある大人たちはフラッシュバックとしてアニメで描かれた以上の物を思い出し勝手に受け取っていると思うが…)
何も知らぬ子どもたちのため、その意図を鑑みればむしろよく、あれくらいの描写で済んだなと思う。
まぁ見る側にそんなとこまで作品だけで伝わるかというと伝わんないですよね。スクリーン以外の情報で汲み取れっていうのが無理だから仕方ないけど、あれこれない批判をあたかも殺到してるように書いてるのが気に入らない。(すずめの戸締まり 最悪 ありえない 等のワードで検索を掛けてもその中の批判の意見は少数派で目立つことはない。どこで批判されているのか?)
でもこういったデマ記事含めてSNSでは様々な話題にされ東日本大震災について311以外の時期に話されることこそがもしかしたら大人に向けた監督の狙いでもあるのかもしれない。今や東日本大震災の話題は311その1日、またはその日を含んだ一週間などテレビ局も期間を決めて特集するしかされない。それは当たり前のことであり、人々にも慣れがあるので、311以外の時期にこうして話題にされること事態が意味のあることだと思う。
自然災害は常に私達と共にある。いつ、どこで起こるかなんてわからない。大きな地震だって3月のあの時期だけに来るわけではない。他の天災同様私達の都合なんて考えもしてくれない。
作中で10(11?)年後の被災地を見たときの被災経験者と非被災経験者のそれぞれの感じ方の描写がある。たった1言2言である。その描写まで作中に入れるのが新海誠なのだ。そこまで被災地と被災経験者とその他とすべてのリスペクトしているのだ。
私はこの11年という時期に、これ以上遅くなる前に、東日本大震災と真摯に向き合い、監督生命を掛けて全力で作品を生み出してくれた新海誠に最大の感謝をしたい。
監督はこの作品が世界に受け入れられなかったら50代で無職になるかもしれない(若干正確な言葉ではないがそういう意味の言葉)と言っている。監督生命を掛けてこの作品を生み出したのだ。東日本大震災をファンタジーと織り合わせアニメで表現されることがどういうことか、一部の人達がものすごく怒ることも想定済みでそれでもこの作品を生み出した。批判的でない人間だって、被災経験者が見たらどう感じるだろう?辛く感じるのではないかと批判というよりはそういった声が多い。私も1回目視聴した際にはそのように感じた。
ただ、思い返してみてほしい。その作品についての他人の意見が気になるようになったのはいつからだろう。他人への配慮があったほうがいいんじゃないかと心配するようになったのはいつからだろう。きっと、監督がこの作品を見せたい10代の若者たちは(特に小学生、中学生の年代)そんなことを一切考えもせず、素直に受け止め、自分自身の感想を見つけるだろう。
私もそんな若い頃にすずめの戸締まりを見たかったなぁと思うのである。
私の幼子はようやっと一言二言話し始めた時期でまだ幼いが彼がアニメに興味を持ち始めた頃にはこの作品を見せたいと思っている。新海監督がこの作品の観客に選んだ彼らが、この作品を見てどんな感想を述べるのだろうと今から気になってしょうがない。この作品を生み出してくれた新海誠監督に感謝をしたい。
ゴジラ
君の名はでは隕石衝突を、天気の子では東京を水没させるほどの豪雨を描き、そしてこのすずめの戸締りで描かれたのは地震。これらを災害シリーズといってもよいだろう。前二作では人間ではどうしようもできない天変地異あるいは神の悪戯と読めるような、あくまでフィクションとして楽しめるような描写だったが、本作では一気に現実との距離を詰める。
地震が起き、警報が鳴り、震災の跡が残る被災地へと足を運ぶのだ。
私は、前二作で新海監督が描きたかったのは人間を翻弄する神とそれでも精一杯生きる人間だと思っていたが、監督はきっとゴジラを描きたかったのだ。戦争や災害の象徴であるゴジラ。災害をフィクションにうまく落とし込んでエンタメと両立したかった。そうすることで、災害と、どん底から立ち上がる人間の強かさを、三作通してずっと描きたかった。そのように見えた。本作は落とし込みがストレート過ぎたようにも思うが。
ただ、君の名はでは回避しただけ、天気の子では東京水没よりもヒロインを自らの意思で選択した一方、本作では神が手助けしてくれなければハッピーエンドにはならなかった。どうしようもならないけどどうにかする、どうにもならない中でなんとかあがく、ではなくて、運よくハッピーエンドになった点には小さな矛盾を覚えた。
言葉で表すのが難しい
とはいえ結局好き
あまりに過酷な運命過ぎて乗れない
さすが期待の作品だけあってお金もかかっているんでしょう、圧倒的に観るに耐えうるというかその上をいく作画と写実再現で何にでも視覚に耐えうる。ただやっぱり君の名は。以降のメガヒットの新海誠作品に特別な面白さを感じない。細田守にも感じない。大掛かりなファンタジー括りでもあるのだろうか、秒速や時かけ程度がもっとも面白かった。
で、本作、まさか震災ネタとは思わなかった。徐々に徐々にアラームと共に呼び起こされる記憶。濱口監督「寝ても覚めても」と同様のロケーションがある。ただこちらはど真ん中、震災の子、の話だった。何もかも奪われて遠くの町で暮らすあの時取り残された子は今は女子高生。彼女が運命的な出会い(再会と恋心)と共に壮大なカルトファンタジーの世界の伴走者になる。いや伴走かと思ったらそれを背負い、自分の閉じれなかった扉を閉じる。壮大だ。ただ何でだろう、そんなに乗れない。やっぱりメガヒット要請ともなれば壮大なファンタジーにしなきゃいけないんだろうか。
壮大な運命を背負った少女と廃墟と椅子(!)と猫と巨大ミミズと地方都市と東京。ファンタジーとして戦ってる相手がミミズなのだけど、それをミスると「あの」大地震が来るというのがやっぱり乗れない。というか、この子はアラームが鳴ったりしてフラッシュバックしないのだろうか、とか、果ては地震を止めるような運命を背負っちゃって生きていけるのだろうか、とか、大量の死を見てきた子にそんな運命背負わせるなよ、とか何で乗れないのかを考えるとそういうことなんだろうな。
あとさすがに椅子はないな、と。しゃべるものに口がないのはテレパシーでしかない。
過去を想い、未来を生きていくということ
人々の記憶から忘れさられようしている存在、時を経て過去の存在となろうとしているものがあるということを改めて感じることが出来たと思います。
しかし、そんな存在を忘れずに過去を想いつつ、今を生きる者は未来を歩んでいく、未来を生きて行かねばらないということも同時に感じることが出来ました。
3.11の描写に関しては、少し話題となっていましたが茶化した表現は一切なく、個人的にはきちんとした描写がされておりとても良い印象を感じています。
誰にも触れられず、本当にただの歴史の一部になってしまうことこそ、忘れ去られ風化してしまうということだと思います。
だからこそ、今題材として取り上げていただけたことは、とても良い機会であったのだと思います。
ただ、災害で周りに犠牲となった方がいる場合には鑑賞の際にご注意ください。
終盤の心理描写が少しリアルなものとなっています。
秒殺バレンタイン・キッス
見事な調和がとれた作品
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