すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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新海誠の本気
2023年の初めに鑑賞。
集大成ということもあって、新海誠の本気が伝わってきた作品でした。
これまでは背景と挿入歌を強調したものが多かったですが、今作はストーリーに力が入っている印象を受けました。扉から災いが広がっていく光景はコロナ禍を連想させ、そこに過去に起きたあらゆる大震災を「これでもか!」と思うぐらい詰め込まれていました。そのため、今まで以上にスケールが大きくなっていました。
このときは驚きや恐怖など、自身の感情がジェットコースターのように激しく変化しました。それと同時に穏やかな日常は長く続かず、後戻りできない現実を乗り越える必要があるように捉えました。ここから、何事もない日常を過ごすことがどれだけ幸せなのかを改めて実感しました。
今回の登場人物も個性的でした。主人公の鈴芽は表情がとても豊かで、彼女の仕草を眺めているだけでも楽しめました。また、椅子に姿を変えられた草太も、彼の言葉やコミカルな行動につい笑ってしまいました。そんな二人が九州から東京までの旅を通して様々な人と出会い、それぞれの現実と向き合いながら成長する姿に感情移入できました。
気になった点としては、繰り返しや急展開が多かったことです。前半は日本各地にある災いの扉を閉めることが主なので、その展開が何度もあったため単調に進んでいるように見えました。
また、全体的にテンポが速いように感じました。これは長く視聴するのが困難な人でも見やすいようにしているかもしれませんが、個人的には後半から急激に変化する登場人物の心情に納得することができず、「あれ?」と思うような違和感を覚えました。
それでも、一つの物語として綺麗に成り立っており、必ず明るい未来が待っているメッセージ性が伝わってきた映画でした。新海誠が好きな人なら間違いなく楽しめるので、この機会に観に行くことをおすすめします。
忘却への危機感に動かされた攻めの震災描写、だからこそ賛否あって自然
新海監督は、10代20代の世代と東日本大震災の記憶が共有できなくなってゆくことを恐れて、今回あえて直接的な表現に踏み込んで本作を作ったという。
震災のインパクトは当時日本にいた人間にはみな刻まれているが、その時の個人的経験や心に受けた影響はひとりひとり違っているはずだ。現実の事象に触れる作品を見る時、そういった個別の記憶の作用から逃れることは難しい。その感想が作品の出来を超えてさまざまになるのも当然のことだと思う。
映画レビュー全般に言えることでもあるが、このような性質を持つ本作は特に、他のレビュアーの自分と違う評価を安易に貶めるということはあってほしくない。
当時幼な過ぎて、大人が受けたほどのインパクトを心に留めきれなかった年齢層に訴求する作品を見て、今も強烈な記憶を抱えた客層の反応が敏感になるのは十分あり得ること。もしそこから批判が生じても、監督は甘んじて受ける覚悟を持って本作を作ったはずだ。
監督の12歳の娘には、震災にまつわる記憶が全くないという(考えたら当然だが)。そういった身近な若い世代から、監督は震災体験が風化する危機を肌で感じた。ダイレクトな映像表現はその危機感の表れとも言える。
ただ、インタビューなどから伝わる監督の覚悟と、東日本大震災の直接的な描写があることにほぼ言及しないプロモーションには何だかズレを感じた。地震描写や緊急地震速報についてあらかじめ注意を促すなら、直接的な描写のことも合わせて言及しておいた方がよかったかも知れない。見る側に抵抗があれば鑑賞を回避するか、あるいは心の準備をするかという対応の余地が出来て、ネガティブな反応の内容もまた違ったものになったのではと思う。
全然別の作品の話で恐縮だが、以前ある飛行機事故の生々しい描写を含んでいるのにプロモーションでは意図的にそのことを隠した舞台を鑑賞したことがあって、我ながら意外なほどショックを受けた経験がある。人にもよるだろうが、受け身を取る準備をさせてもらえるかどうかの違いは結構大きい。
個人的には、今回あらかじめ他の人のレビューなどで震災描写について把握していたこと、作品の外ではあるが監督の意図を知れたこと、エンタメとして映像・音響中心に相当質の高い作品であること(重いテーマだからこそキャッチーな要素があることは大切だと思っている)から、本作を概ね好意的に受け止めている。「君の名は」「天気の子」より若干ジュブナイル感が薄らいだ分むしろ見やすかった。
ただ、本作によってあの苛烈な震災の記憶を、監督の目論見通りに若い世代に伝えていけるかというと、正直よくわからない。私がターゲットから外れた世代だからというのもあるだろうし、そもそも本作はあくまで、過去になりつつある震災の記憶に目を向けさせる呼び水のような位置付けなのかも知れない。
母を亡くした鈴芽の孤独、彼女を引き取った環の秘めていた心情、普遍的に訴求力を持ち続けるのはこの辺りの描写だろうか。
(環がぶちまけた本音(操られてはいたが本人もそれだけではないと言いつつ認めている)は、心理描写としては一番生々しくて重い場面のひとつだったが、さっくり解決したのは少し拍子抜け)
暗がりで燃える街並、ビルに乗り上げた船、こういった風景描写は当時実際の体験や報道映像で耳目に触れ脳裏に刻まれている年代にとっては、記憶通りであるがゆえに異様なほど生々しい。しかし監督の危惧通りこの臨場感もまた、世代の移ろいとともに古びたものになってゆくのだろう。想像よりずっと早く。
揺るぎない普遍性を持った名作の誕生
本当に素晴らしかった。この可愛らしい響きを持つタイトルが、ひとたびスクリーンという扉をくぐり抜けると、途端に深い意味合いへ変わる。冒頭差し込まれる記憶。その全てが荒廃した様子から、本作がやがてどこへ行き着こうとしているのか、我々は自ずと気付くはずーー。しかしそれにしても猫を追いかけ、すずめと椅子が日本各地を転々としていく筆運びには心底唸らされた。所々で宮崎作品の記憶が不思議と蘇ったりも。そこで描かれる人情模様、巻き起こるファンタジー。二人は戸を締める時、かつてそこにいた人々の暮らしを強く思い浮かべる。そういったささやかな日常がいかに掛け替えのないものであったか。この主題はラストに向け大きな響きとなり、我々はすずめの勇気と行動を応援しつつ「決して忘れまい」という思いを新たにする。世界が揺れる今、これは日本だけの物語とは言えなくなった。揺るぎない普遍性を持った作品として深く広がっていくはずだ。
「歌」が全面に出ていた前2作品とは異なり、勢いで物語を展開させるのではなく「3.11」というリアルに向き合う意欲作。
「君の名は。」と「天気の子」の新海誠監督作品に共通する独特な特徴に、月刊オカルト情報誌「ムー」の登場シーンがあります。 確かに、2作品とも超常現象的なものが題材となっています。
そして、本作では、「地震」をオカルト的な捉え方で表現しています。
オカルト情報誌「ムー」のような発想をPOPなアニメーション映画として「エンターテインメント作品」に仕上げる、というのは容易いわけではなく、独自性のあるアプローチだと思います。
さらに本作では、前2作品とは違い、「歌」を全面に出すことをせず、主人公の「すずめ」と「草太」が猫を追って旅をすることをアクションシーンなどを織り交ぜながら、会話をベースに物語が進んでいくので本領が試される作品と言えます。
作画や背景のクオリティーは、良い所に落ち着いてきた印象でした。
ただ、リアルに近付こうとするほど、不自然さが同時に見えてしまう難しさも出てきます。
例えば、最初の「すずめ」が登校中に引き返して水の張った扉のところに行くシーンは、宮崎駿監督作品であれば、せめて靴下は脱いでいたと思われます。
また、「すずめ」と「草太」が出会うシーンも印象的で良いとは思うものの、急な坂を自転車で下る「すずめ」が「草太」の姿を見て、顔を赤らめ「綺麗」とつぶやきます。ただ、その直後の映像は、「草太」と「すずめ」の位置は、かなり距離があり、容姿どころか性別も判別できないような状況になっています。
物語の展開として「1匹の猫を追いかけて旅をする」というのがあり、ここは「#」が付くことでSNSで追うことができるとなっていますが、論理的にリアルに徹し切れていない面が見えてきます。
それは、世の中の人にとっては「ただの1匹の猫」であって、「話す特別な猫」ではないからです。
もし後者として物語を進めれば、「話す猫」は注目に値するので、誰もが気になります。
ところが物語は前者で進めているため、仮に誰かがSNSで写真をアップしようと、世の中は無関心で、ましてや、それを瞬時に「すずめ」がスマホで見つけることには繋がらないからです。
このような脚本や物理的な考察の部分は、気になる点が散見されます。
とは言え、雰囲気で見るようにすれば、エンターテインメント作品としては成立していると思います。
そういう視点では、「君の名は。」のようにリアルさからは遠い作品の方が、面白く感じる面があると言えそうです。
がっかりのその先があった
映画館でお金払って鑑賞。
結論から言うと、"がっかりのその先"を初めて味わいました。
ご都合主義万歳。ファンタジー万歳。無理やりなドンデン返し万歳。そしてそこに今回はなんと!魔法と恋愛エッセンスもぶち込んでおきました!的な
カオス映画です。
辟易とする映画の典型という印象でした。
ここまでなら『がっかり』で済んだのですが、問題は3.11のリアルを中枢のテーマとして盛り込んじゃっていた事。感情は『製作陣に対しての絶望』まで達しました。この作品に対して期待をし過ぎたのだと思います。
少なくともこんな内容と知っていたら絶対に自分は観に行きませんでした。
ご都合主義ファンタジー恋愛魔法どんでん返しパクリ詰め込みアニメと、あの悪夢のような現実を一緒くたにして描くとは...。
今も震災によるPTSD等に悩んでる方々を、更に苦しめる事、リスク分かっててこの映画作ったってことですよね?
興行収入や名声に目が眩むと、こんな鬼畜の所業を成す人もいるんだなぁと、悲しい気持ちになり、ある意味勉強になりました。
新海誠作品バイアスがかかりすぎて、絶賛しまくっている人に対しても少し怖さを感じます。
『君の名は。』は確かにレベル高いと思えた作品だったので、新海誠ファンの考えが全く理解できない訳では無いですが...。
☆0.5は映像作った人たちとラッドウィンプスに対しての分。
今回は、忍び込ませた切なさ
最近新海誠監督に興味が出てきたので、この作品をもう一度見返した。
やっぱり胸が熱くなる作品だった。
この作品の根幹的なテーマは「人の想い」だと思うが、それが物質化するとどうなるのかを想像した物語なのだろう。
この人の想いというものを群像化することに挑戦したのがこの作品なのかなと思った。
ただ、現世と常世とうしろ戸の設定に微妙な疑問は残ってしまった。
また、主人公の名前がスズメ 漢字では鈴芽と書くようで、母の名前がツバメ?
この名前の設定の意味も謎だが、もしかしたら巣立ちを象徴しているのかもしれない。
このあたりの細かな想いの散りばめも彼の作品らしいところ。
さて、
人の心という謎
タマキのように本心というか、腹の奥にある想い、ネガティブな感情
時にそれは決して言ってはならないと封印されていて、おそらく誰もがその封印した想いを持っている。
巨大な黒猫の左大臣はタマキのそれを解き放った。
それが、時には解き放たれるべきなのかどうかについては、私にはわからない。
タマキのように直接本人に向かって言うのが正しいかどうかの答えも出そうとは思わない。
おそらく一般的にそうだと思うが、この物語のように時と場合によっては本人に言うべきケースもあるのかもしれない。
この作品は東日本大震災をモチーフにして、日常というものがどれほど大切な宝物なのかを再確認させてくれる。
幼いスズメが母を探し回る光景は、あの場所で生き残ったすべての人がしていたことだ。
亡くなった方々の想いは、要石になったソウタによって代弁されていた。
「もっと生きたい」
廃墟に佇む「うしろ戸」
かつて賑わっていたいた場所のいま
忘れ去られて取り残されてしまった場所に残る人々の想い
物質はすべて形成された直後から崩壊に向かって進むが、人の想いは崩壊することはないのかもしれない。
エントロピーの法則
遊園地のうしろ戸もまた、当時の人々の思いが詰まった場所
楽しさや喜びというエネルギーとネガティブな感情のエネルギー
この物質世界では見ることはできなくても、それは確実に存在するというのがこの物語の設定だが、それを現世と常世で表現している。
魂 人の想いが行きつく先 常世
3本足のイス
スズメの母がこさえたイス
「いつまでだったかな、ずっと大事にしてたのって」
この言葉にこの物語の核心が隠されているように感じた。
消えるはずのない思いが、いつの間にか忘れてしまうこの世界。
捨てられる「想い」
忘れられる「想い」
当時感じた感情は、本当に失われてしまうのだろうか?
これが監督が彼自身に問いかけた言葉だったのかもしれない。
閉じて封印する本心
誰もが日常的にするこの行為
しかしそれは消えることなくずっと封印された場所で燻り続けているのだろう。
そして何かの時に、それは一気に爆発的に噴出する。
それが人で、それをタマキに代弁させた。
束ねられたその封印されたネガティブな想いが、常世の中にあるというこの物語。
閉じ師
陰陽師的存在によって、人間の心の秘密を暴き、現世と常世を隔てるうしろ戸を封印する仕事。
さて、、
要石にも「想い」があるのだろう。
この作品の原動力
ソウタのセリフ「気まぐれは神の本質」の一言で、ダイジンの不可思議な行動を説明してしまっている。
左大臣は、ダイジンが引き抜いたから出現したのだろうか?
左大臣が大人の猫であることと彼が「人の手で元に戻す」と言っていたので、小さなダイジンは子供で、この騒動は子供の神のいたずらということなのだろうか?
神であるが故、すべてがお見通しというふうに考えることもできそうだ。
封印された世界とこの世界は違う。
その均衡を守るための要石
では、
うしろ戸とはいったい何だろう?
現世と常世 この世と死者たちの世界をつなぐ扉
災いを現世に引き込む場所という設定
もしそうであれば、3.11との因果関係を描く必要があり、それがないのでこれがファンタジーの域を超えない。
さて、、、
物語はスズメが母を探し続けた夢と、そこで出会った未来の私も忘れてしまったことに起因するのだろう。
これはすべての人がすることで、それに正邪はないはずだ。
正邪はないが、常世とうしろ戸の存在を明らかにする。
ダイジンによってイスの中に入れられてしまったソウタを見たことが、否応ない状況を作った。
二人を追いかけフェリーの中に入ってしまったこと。
冒険物語の鉄板の型
しかし、
スズメが踏切でUターンしたのは、友人に赤くなった顔を指摘されたこと。
それが彼女の初恋となったのだろうか。
この行為が全ての始まりだが、、、
例えば線路にあのカギが落ちていて、それはきっと彼のものに違いないとスズメが思って行動したというのでもよかったかなあと思った。
彼に対する描写 速度を緩めた自転車 すれ違う瞬間に感じた彼の雰囲気 そしてその彼が持っていたであろうカギ それらの展開があった方が自然だと思う。
また、廃墟でソウタを探すスズメ セリザワ そして学校の友人たちの雰囲気は「君の名は」「天気の子」とまったく同じというところが少々気になったが、これが彼の作品だと匂わせているのだろう。
更にセリザワが車で登場したシーン
そこにタマキとダイジン
その後の展開は良かったが、、、セリザワがソウタのアパートから出たスズメを見かけたシーンだけでも挿入してほしかった。
また、
スズメが「死ぬのは怖くない」と何度か語るシーンがある。
彼女は幼い頃に東日本大震災で母親を失い、自身も生死の境をさまよった経験がある。
この経験が彼女の死生観に大きな影響を与えたのだろう。
彼女にとって、死は突然訪れるものであり、避けられない運命の一部と感じ、そのため、死を恐れるよりも、受け入れる姿勢を持っているのかもしれない。
ただ、「私が要石になる」と言ったのは少し共感しにくい箇所だった。
幼い頃からの彼女の心境から、誰かのためにという思いは多分にあっただろう。
閉じ師の片鱗とも思えるあの行動で、小さな神様は「仕方ないなあ」と思ったのだろう。
彼女のあの言葉がなくても、おそらくダイジンは元に収まったと思う。
猫 愛し、愛されるのが彼らの使命
神が肉体を持った猫に化けたのは、愛し、愛されたかったのだろう。
少々憎たらしい猫の本質
スズメがソウタへ向けた愛をほんの少しだけ分けてほしかったのが、彼の本心だったのかもしれない。
少しやり過ぎたことで、ダイジンは目的の愛を受取れなくなってしまった。
この部分に新海監督の真骨頂である「切なさ」が忍ばせてあった。
仙台の地で、幼い時にくぐってしまったうしろ戸の中に入る。
全ての記憶が蘇った。
「行ってきます」扉の鍵を閉めながらスズメの言った言葉。
もしかしたらスズメは、ずっとあの場所にいたのかもしれない。
拭えない思い 忘れられない出来事 刹那的になること
彼女は「大事なものはもうずっと前にもらっていたんだ」ということを思い出した。
だから彼女は、過去を収め未来に向かって旅立ったのだろう。
月日が経ち、やがてソウタが戻ってきた。
「おかえりなさい」
この言葉は、彼女がさらに新しい未来を迎え入れる準備が整ったことを指し示した言葉かもしれない。
冒険の旅と成長の物語
そしてそこに忍ばせた切なさ
切なさは監督にとっての重要なアイテムなんだなと再確認した。
最高でした。
強いパワーのある作品が好き
秀逸な作品は演出やストーリーなどすべて素晴らしいものと,
ストーリーがおざなりだけどそれを超える”何か”が択一したものが素晴らしい作品だと思ってる.今回の作品は間違いなく後者だと考える.
序~中盤は構成上キャラクターへの感情移入が難しく,並な印象を受けたが
最後が素晴らしかった.
実直なメッセージ性,伏線が回収される開放感,映像美,演技,演出にただただ失語.
天気の子は混沌とした"先の見えない世界でも光は差す"を
一つのメッセージにしたかったとインタビューで述べていた記憶がある.
おそらく今回も同じであろう.テーマ性に違わない強い作品だった.
こういうパワーでそれまでの評価を塗り替える作品...私は大好物です.
二度目で!
登場人物全てに共感できない
世界観が素晴らしい
美しい映画でした
災害列島日本にどう向き合う?
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