すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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「おかえりなさい」
映画館でも鑑賞したが、配信であらためて鑑賞。
12年前の3月11日、東京で暮らしていたわたしは東北の状況をニュースで知り、仕事帰りに寄ったコンビニはパンやカップラーメンなどがほとんどなく、テレビは全て震災の情報を伝えるものでCMはACジャパンだった。
あの日の事は決して忘れない。
映画のラスト30分程、たくさんの人が「行ってらっしゃい」「行ってきます」と交わす言葉。
あの震災当日、誰がその「行ってらっしゃい」が最後に交わす言葉になるなんて思っただろうか。
どれだけの人が「ただいま」と言えたのだろうか。
震災のニュースとACジャパンのCMを観ながら苦しくて泣いてばかりいた自分を思い出し涙が溢れた。
「行ってらっしゃい」と伝えた相手に「おかえり」と伝えられる事、「行ってきます」と伝えた相手に「ただいま」と伝えられる事が当たり前ではない事。
すずめも言っていたように「生きるも死ぬも運」でたまたまわたしは今日を生きている。
その事を忘れずに生きたいと思い出させてくれる映画だ。
地震(災い)が主としてある映画ですが、芹澤(神木さん)のチャラそうではあるけどイイヤツが最高でした。
きっと良い先生になるんだろうなと思います。
あの日の事は忘れないけれど少しづつ薄れてゆく記憶を大切な事を忘れないよう毎年、観返す映画にしようと思います。
うーん
期待していたから、余計に。
やっぱり、見るほどよく分からない。
でも、なんか引き込まれるけど、ストーリーが早いのはいいのだけど、地震とか恋愛とか、詰め込みすぎのような気がする。
でも、人が椅子になるとかそうゆうの好き❤️
でも、何にしても説明不足のような。
でも、絵もRADWIMPSの歌も好きだから、この映画は好き!
声優もいいね!
だから、たぶんまた次の作品出ても見ちゃうんだろうな。
風化させないために。。
新海誠監督が、自身のネームバリューを使い、多くの人に観てもらえるよう、敷居を下げ、間口を広げ、そして敢えて挑んだ作品だったと思いました。
そうは感じていたものの、どうしても踏み出せず。。
私は映画は良く観る方だと思いますし、新海誠監督作品はリアタイで劇場で鑑賞してきました。
新海誠監督の新作だから!と、普段映画を観ない友達も鑑賞していましたが、私には無理でした。観られる時が来たら、と。自分のペースで、と。
しまっていました。
あれから12年以上経ちました。
まだ、12年なのか。
もう、12年なのか。
毎年3月11日の午後2時46分になると、黙祷し、被災した方々へ思いを馳せています。
今回おかえり上映という事で鑑賞しました。
賛否分かれた本作でしたね。
指摘されていたすずめと草太の急過ぎる関係性について。
幼い頃のすずめは常世で草太と母
(と思っていたが、12年後の自分自身)と会っていた。
すずめも被災者で、常世に入り込んでいたのを、2人によって現世へ送り返された過去があった。
その時の出会いがあったからこそ、坂道で草太と会った時、潜在的に「母に繋がる人=自分を救ってくれる人」と感じ、行動を共にしたんでは、と推測しました。
一見サイコパスに見えるダイジン。
確かにあの発言や行動は批判的に捉えられても仕方がない描かれ方にも見えました。
しかし、要石としての役割を全うし
ずっと1人で頑張って来たダイジン。
すずめによってそのお役目から解放された時、自分に自由をくれたすずめを好きになるのも、草太を邪魔に思うのも理解できました。
「うちの子になる?」は嬉しかったと思う。
そしてこの発言は環が幼いすずめにかけていたそれと全く同じセリフだ。
ダイジンはすずめから草太を奪う。
幼いすずめは環から自由と12年分の人生を奪う。
ダイジンとすずめは似ている描かれ方だと思いました。
2人共無意識に無邪気に大切な人の大切なものを奪ってしまうという共通点があった。
子供って無垢過ぎると逆に残酷だったりします。
「扉を閉める」という目的の為に進むロードムービーの側面の他にも、すずめと環の物語でもありました。
ダイジンに導かれるように椅子にされた草太とすずめは協力し、各地の後ろ戸を閉じていく。
愛媛でチカと仲良くなり宿に泊めてもらう。
神戸へ帰る途中のルミに車に乗せてもらい子守とスナックの手伝いをする。
ダイジンが訪れた場所は人々が集まり活気づく。なぜなんだろう。ダイジンは福の神のような存在なのかとも思えた。
そしてだんだんと寝起きが悪くなっていく草太に嫌な予感がしていた。
後に要石となってしまう事の伏線だったのかな?
東京に戻るとこれまでとは比べ物にならない巨大ミミズの出現に、草太は自らが要石となる覚悟を決める。
すずめの手によって巨大ミミズに、要石となった草太を刺す。
巨大地震は食い止められたが草太を失ったすずめ。
草太を取り戻す為、すずめが唯一通る事のできる岩手の実家の扉を探しに出発する。
芹沢のオープンカーで、環とダイジン、サダイジンと共に。。
途中のSAでサダイジンに乗っ取られた環と喧嘩になるシーンは辛かった。
お互い大切な存在なのは分かりきっているのに、でも口から出たその言葉も本音だった。
すずめの心が震えたつ。
何としても草太を救う!
被災した過去の記憶を思い出し、サダイジン、ダイジンと共に巨大ミミズに立ち向かう。
ダイジンが再び自分が要石になる事で草太をすずめに返してくれた場面は強く心に残った。
ここをかわいそうと見る声もあった様ですが。。
ダイジンはすずめと行動を共にして行く内に心変わりして、自ら選んで要石になるお役目を引き受けてくれたと思っています。感謝しかありません。
悲しい震災があった事は事実です。
残された人々は、人と関わり、時間をかけて、その傷を超えて行かなければなりません。何があっても、その時が来るまでは生きていかなくてはいけません。
三本の脚でも立っていられる。
「ただいま」「おかえり」を言える、聞ける、そんな日々を大切にしたい。
子も成長し、だんだんと素っ気なくなる「ただいま」だが、その声を聞ける事の幸せを噛み締める。
私の「おかえり」はいつまでも変わらない愛だ。
大変な震災を経験され、大切な人や家、全てを失った方々からすると、耐えられない作品だったかもしれません。
作中に流れるアラート音には私も動悸が止まらなくなりました。
本作は、これまでも災害をテーマに描いて来た監督作品と比べられないほどに、東日本大震災をかなり直接的に描いています。
「死ぬか生きるかなんて運だ!」
なんて高校生のすずめに言わせるほど、その死生観をも歪めた震災だったとわかります。
人々の心理描写が深掘りされている事で、まだ観るのが辛い方も多いだろうと推測します。
でも私は監督の、未来への希望を見出してほしいというメッセージを受け取りました。
苦しんでいる方々のショックやトラウマも戸締り出来たらいいのにと思いました。
1日でも多く笑える時間が訪れますように。
早いか否か
前知識持たずに鑑賞。3.11を題材にしてるとは思わず。
ノンフィクションでは無く、3.11を娯楽作品の背景に持ってくるのに10年余りと言う期間は早いのか否か。他にも背景に使った作品は有ったが、アニメ故に描写出来てしまう燃える町のシーンの様な使い方は知ってる限り無いかなぁ。
映画としては面白い。序盤は昔のジブリの様な雰囲気。
前二作の RADWIMPSのMVぽさは無くなった(最後に掛かるけど)
ただ、声優をねぇ・・・・
「失う心の痛み」の普遍性に肉薄
新海誠がメジャー化した「君の名は。」「天気の子」のような、大衆に向けて広く訴える作品(それなりに楽しんだことには違いないが…)より、良い意味で偏りもある強い作家性を発揮した過去の作品(個人的には好きな作品もあれば嫌いな作品もある)の方に注目してきたし、その中でも「言の葉の庭」こそが至高だというのが私の持論だ。メジャーとなって大衆に訴える方法も掴んだいま、元々の強い作家性を発揮し、大衆に迎合せずとも大衆を強い引力で巻き込む作品を志向して欲しいと思っていたところに本作が登場した。
正直に言おう。初見の時、クライマックスで私は涙を堪えることができなかった。この涙は、純粋にこの作品に揺さぶられたからか、はたまた震災の記憶(私なりに強烈に焼き付いている体験ではあるが、それでも私はそれを東京で体験したに過ぎない)を刺激されたからなのか…いやきっと両方だろう。少なくとも、クライマックスであの扉の向こうで出会った幼いすずめから発せられたことばに酷く心が掻き乱された。そして、(ここがこの作品の凄いと思うところなのだが)この鋭く伝わってくる幼いすずめの心の痛みが、「震災による喪失の痛み」というラベリングを突き抜けて、「大切な人を突然失う痛み」という極めて普遍的なものとしてストレートに伝わってきたような気がしたのである。東日本大震災という強烈に焼きついた現実での出来事をモチーフに、それに尽きない普遍的な人の心の痛みに肉薄するというかなりの離れ業を、こんな形で観ることになろうとは正直思っていなかった。
やはり、新海誠はオーディエンスに媚びることなく、自分のこだわりに従って作品に取り組んでこそ真価を発揮する。本作はとても素晴らしい。
心の扉🚪
全世界で500億円以上の興行収入を稼ぎ出した邦画は、現在のところ本アニメのみという、むかうところ敵なしの新海誠監督なのである。作風が“中二病”とか“セカイ系”とか揶揄されたのも遠い昔話、本アニメを見終わった直後の素直な感想はとにかく“分かりやすい”の一言につきるのである。『君の名は。』『天気の子』に引き続き、日本の古代神話に登場するアメノウズメをモチーフにした女の子を主人公にすえているが、日本書紀や古事記なんかを知らない外国人が見ても十分理解できる普遍性が感じられたのである。
そんな神話的要素に加え、時事問題をテーマに絡めることが多い新海監督。本アニメには、東北大震災と過疎化に伴う廃墟問題が、主人公岩戸鈴芽の成長物語の通奏低音として常に流れていて、大人が見ても厭きさせない工夫がきちんとなされているのである。基本的には、日本各地に起きようとしている地震をくい止めるため、女子高生鈴芽、閉じ師草太、白猫ダイジンが旅するロードムービーになっている。その道行きをサポートする道祖神が登場するのも新海アニメの特徴だ。
あらゆる道の最高神として祀られている宗像三女神の末裔であることを想像させる草太は、白猫ダイジンによって、導きの神として知られる八咫烏と同じ3本足の椅子に姿を変えられてしまう。2人を震災の地に導くダイジンは、地震を鎮めるため東西に埋め込まれた要石の化身という設定だ。宮崎→愛媛→神戸→東京→福島と、地震を引き起こすミミズ様が通り抜ける全国各地の後ろ戸を閉めて回るストーリーは、単純明快で実に分かりやすい。前2作にみられた複雑さは皆無といってもよいだろう。
冒頭にリンクするラストの展開は、お子さまにはちょっと分かりにくいのかなあと思ったりしたのだが、SF好きの皆さんにとっては(どこかで見た気がしないでもないが)納得のエンディングだろう。なぜ、草太に初めて会ったはずなのに鈴芽は既にどこかで会っていたような気がしたのか?3.11の辛い記憶を封印するかのように、後ろ戸を閉め続けてきた鈴芽。過干渉のおばさんに言いたいことも言えずアマテラスのように自分の殻にとじ込もっていた鈴芽が最後にあけた扉は、自分の心の扉だったのかもしれない。
未来へのメッセージ
東日本大震災から10年間。
新海誠監督が10年間。考え続け考え抜いた
「ひとつの答え」
そんなメッセージを受け取りました。
3・11で家族や大切な人を亡くした多くの日本人たち。
心の傷は家族を失わなかった人にも、心に大きな爪痕を
残しています。
「ミミズ」と宗像草太がそう呼ぶ《地震の予兆》
それは大地や海から、
《赤黒くて太い竜巻のように空に向かって突き上げてくる》
草太は地震の予兆を止める【閉じ師】が家業だ・・・
そう言い全国を放浪している。
ミミズの吹き出し口である「扉」を見つけては閉じているのだ。
ある朝、学校へ向かう坂道で、草太から「この辺りに廃墟はないか?」
と聞かれる。
そこは九州の宮崎。
岩戸鈴芽が叔母の環と暮らす土地だ。
「君の名は。」「天気の子」と比べても、ファンタジー要素はとても
大きくなっています。
気候の「超常現象」や「入れ替わり」より、人が「椅子」に
変えられるのは
「美女と野獣」で家来がティーポットや時計や羽根ばたきに
変わるのに良く似ている。
童話のようだ。
作画は写真のように精密だった前2作に較べると意図して水彩画のような
描き方や「ミミズ」が竜巻のように湧き上がるシーンは民話やホラーを
思わせる。
鈴芽(すずめ)や叔母の環(たまき)の顔も平板で特別な美少女には
描かれない。
「君の名は。」と「天気の子」でストーリーを主導するかのようだった
音楽(RADWINPSの歌の歌詞)も、でしゃばらずに、密やかに流される。
その草太と一緒に九州から愛媛そして神戸。
草太(椅子)と鈴芽が、生まれ故郷の実家のある東北へと
旅するロードムービー。
草太はダイジンと呼ばれる話す猫から鈴芽の母親の形見の黄色い椅子に
姿を変えられてしまっても同行して要石で閉じていた災厄が
現れた場所を次々と訪れる。
現実離れした設定だが、アニメにしか出来ないファンタジー。
行く先々、愛媛や神戸で親切な人に世話になる。
草太の学友の芹沢が神戸から東北の鈴芽の生まれた家まで送る
赤いオンボロ・オープンカーの車内でカーステレオから流れる懐メロ。
平山みきの「真夏の出来事」
河合奈保子の「けんかをやめて」
誰の好みなのか?この辺りは肩の力が抜けて楽しい。
災害(地震)の扉の【閉じ師】が現実に存在して、予兆を閉じて行く。
草太がミミズに必死で祝詞を唱え「かしこみ、かしこみ・・・」
と大声で唱えて、力の限り「扉」を閉じるシーンは圧巻。
鈴芽も力を合わせるのだ。
鈴芽の名字が岩戸というのも「天の岩戸」を連想する。
閉じ師の草太と行動する勇敢な少女・鈴芽は死を賭けて
ミミズを止めに行く。
天災も人知で防ぐ事が出来たら?
それが新海誠監督の出した「答え」
新海監督の「願い」
いつかは天災を科学が人知が止める日が来る。
最後の地点は鈴芽が亡き母親と暮らした岩手県大槌町辺り?
そこで鈴芽は過去(震災)と向き合う。
そして震災の日(過去)の戸締まりをして、未来へ向かって
生きて行く。
草太は言う。
「死にたくない。生きたい、生きたい、もっと」
鈴芽も草太も「命はかりそめ」と知っている。
それでも「限りある命」
人は今を生きる。
なぜミミズ←わかりました❗️
地震という自然災害をくい止める為に九州から東北まで奔走する鈴芽と草太。
本来なら家業の草太一人でする仕事らしいが、猫のダイジンに小さな椅子にされて仕方なくというか、鈴芽本人は望んで同行というこじつけなストーリー。ただ、鈴芽が望む理由は二つあり、ラスト近くでわかる。
また、何でナマズではなくミミズなんだろう?
グレシャムの法則さんのレビューを拝読してみて謎は氷解した。村上春樹さんの作品『かえるくん、東京を救う』から新海誠監督が発想を得られたらしい。私のように疑問に思う方は、グレシャムの法則さんのレビューをご覧になっていただけたらと思う。一目瞭然。共にいいお話も仕入れられるだろう。
多分、皆様のレビューにもヒントが散りばめられていたのだろう。知識不足かつ鈍い自分には気づくことができなかったということだ。
草太が呪文を唱えていたのも古くからの日本に伝わる災害忌避への祈りなのだろうか。
現在において地震の予知は無理である。本作では、鈴芽に見える"ミミズ"近くの戸を早めに締め鍵をかければ地震を防ぐことができる。何と素晴らしいことではないか。だからファンタジーなのか。
大分、愛媛、神戸、東京、東北とダイジンが写っていたり、"ミミズ"が出現したところに場所は移って行く。この繰り返しが話を単調にした所以だろうか。
故に最後の東北の話に於いても鈴芽の幼い頃の記憶が盛り込まれていても鈴芽程も衝撃も受けずただ辛くて悲しい記憶のある人々にとっては、架空のファンタジーではなく現実に引き戻されてしまうのではないかと危惧する。
(余談)
ずっと公開作品として紹介されていて目にしていた、ほぼ半年。ロングランなので最終日に観に行った。
映像での舞台挨拶もあったが、やはり、生でないと魅力半減。
そうなる??
女子高生がジェットコースター効果で謎の大学生に恋する話?命かけて?
謎ですね。
お母さんとの過去も良くわからないし。。。
椅子を渡すループも私には理解しがたい
二時間にしてはエピソード詰め込みすぎかな
機内の小さな液晶モニターで見たからなのかもしれないですが。
災害系、旅系好きにドンピシャの作品
ダイジンこわかわいい。
ダイジン母親説あると思ったのに全然外れた。ぴえん。
本当によかった…。
新海誠作品にしてはすごくわかりやすい。
何かの災害、家の上に船、ってところで東北の震災を表してるのか、と。
ダイジンのかわいい声して不気味なやつ感がよかった…。
こわさ不気味さが出てて可愛い声の不気味キャラ嫌いじゃない。
巻き込まれて日本を横断するストーリーめちゃくちゃワクワクした。
君の名はもだが、移動シーンも描くから旅したくなる描き方。
ミミズの禍々しさがね…。
倒れてくるところとか恐ろしい。
イケメンは椅子になってもイケメンだなと。
銀魂の桂に似てると思ったのわたしだけ???
椅子の姿で奮闘するのがもう…。
愛媛でのみかん少女との出会い、神戸のスナックママとの出会い、もう全てが感動……。
青春してるな…。
環おばのわたしの10年間返して、とかは泣けた。
そのあとお母さんを探して何日も何日も津波でボロボロになった街を歩くシーンも号泣。
扉って観覧車のドアも該当するんかーい。
SFしてて日本全国舞台にしてる感じも良かった。
楽しかった。
災害系も全国横断系も好きな私にはどんハマりだった。
今度は北海道舞台に作品作ってくれないかな…。
もう一度映画館でみても良いかなと思えるさくひんでした。
楽しかった。
22.11.23 映画館
あんまりよく分からなかった
友達に半ば強引に連れられ観に行った。その友達はもう1回みたいと言うほど気に入っていたが、正直私には面白さがあまり理解できなかった。自分では元々観る気がなかったが、実際に観に来て感想が変わった!ということもなかった。良くも悪くも期待通り。なんなら期待よりは面白くなかった。新海作品にリアリティを求めるつもりは元々ないが、さすがにリアリティなさすぎて、おお?ってなる点も割とあった。椅子とか遊園地のシーンとか。そういうのが引っかかったのかも。あとなんか終わり方も微妙だった。結局何が言いたいのか、何が起こったのかよく分からなかった。君の名はが面白すぎたが故に、な部分もあるかも。でも絵は綺麗だったから観といてよかった。
悲しき過去との決別!! 旅を通して得た友情と絆を描いた作品
17歳のすずめの幼き日の遠い記憶を辿ると
其処には、いつも安らぎをくれた母の姿が
ありました。
自分のために心を込めて作られた
手作りの『椅子』
突如として起きた震災。
失われた大事な家族の存在。
傍らで実の娘のように接してくれたおば。
すずめが幼い日に見た母の面影。
壊れかけていた『もの』が呼び覚ます瞬間!
朧げな記憶が鮮明になり、映像と音楽に
奏でられていました。
17歳に成長したすずめが青年の草太に出会い
扉の鍵を締めていく!
ダイジンの猫は幼き日のすずめの姿を表していました。
一期一会、旅をしながら新しい出会いがあり、大事な人にまた、会えるインスピレーションを感じました。
扉の鍵を締めて、旅立つシーンに清々しく思いました。
追記、公開した3日後に観賞
レビュー遅くなりましてすみませんでした。
すずめの恋心
最近の(世界的な評価によってインバウンドにも貢献するようになった程の) 日本のアニメ業界を 映画で牽引する細田守氏と この新海誠氏。
赤塚不二夫や手塚治虫そして藤子不二雄あたりのアニメイメージで育った者としては甚だ恥ずかしくもこの二人がごっちゃになってた頃があった。
彼らの作品が数重なるようになった今
ありがたい事に彼らそれぞれの個性が顕著になり
私のような者でも それが見分けられるようになってきた。(やっとですが)
村上春樹氏の かえるくん〜は私の大好きな短編小説で、
ストーリーの土台がそれであるという前知識はあったので、この事については「もう知ってます」といったスタンスで見られたのは良かった事だった。
実は この美しくも壮大なアニメ画ではあるが
このたび乗ったJALの機内で見た。
最近の飛行機の液晶画面は大ぶりなiPadくらいの大きさがあって画像も鮮明で 10年くらい昔の「ストーリーはわかるけど」程度の物とは大違いではあるのだけれど この丁寧なアニメーションは映画館で見たい 見なくては という気持ちにはさせられた。
東日本大震災は、私にとって 非常に恐怖を実感する災害であった。
知人友人身内の誰も犠牲者はいない私でも あの日 あの年の不自由さと またいつ起こるとも知れない恐怖に慄く日々の記憶は体に染み込んでいる。
でも随分 薄れたかもなあ。
ソウタさんが 唱えるのが神教の祝詞(のりと)であるところから この話の根底にある 日本列島の在り方 みたいな事へのこだわりも見えて 地震大国日本への ある意味リスペクト(?という言い方は変だとしても) そういう意気込みも感じる程の重みはあった。
震災で母を亡くしたすずめと 姉を亡くしその子を育てる事で喪失を埋めてきたであろう若い叔母。
慈しみは朝食にも弁当にも溢れる程に
そして 高校生の女の子が居なくなったとした時に飛び出して東京まで来てしまう気持ちにも。
それらの決して軽くない気持ちを
心のどこかで申し訳なく そして重く感じていたすずめ。
叔母は もちろんしたくてしてるんだけれども でもあんたを引き取って 私は嫁にも行かず と 深層心理を吐露させてしまう場面では、そんな事言うのは私じゃないと我に返るとともに すずめが 「あなた誰」 と自分の叔母でない事を指摘する。
このあたりの 人の心の描き方に 新海誠氏のひととなり を垣間見る気がして心地よい。
そう言った何もかもを包み込み
それで敢えて このストーリーの主題は すずめが椅子に対する、あ いえ ソウタに対する 恋心なのだと
ラストシーンの始まり部分での叔母さんの言葉によって
気づくのである。
まあ、、、一つ言うなら
東北生まれの女性が大人になって移住した宮崎の方言を
喋る必要性は全くわからないと言うのは ありました。
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