すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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震災を語る、描く資格とは
当事者にしか分からない感情、想いがあるのは確かだと思う。
現に私は東日本大震災を外側から見ていただけの立場なので、触れてはいけない、安易に分かるフリをしてはいけない、という意識というか、何をしてもこれ以上は理解できない、近づけない部分があると、理解できたと思ってはいけない立場だと感じてしまう。
ただ、津波の映像に恐れ慄き、もう戻らない家族を想い泣く人たちの姿に、一緒に泣き、今生きている自分の大切な人を抱きしめ、自分だったらと色んなことに想いを馳せて悼んできたことは事実。
君の名は。を観た時に、現実では救われなかったものをエンタメの中で救われるものとして描いていて、本当にそうだたったらどれだけよかったか、そうしたかった、そうさせたかったという想いが伝わって私は泣けた。
今回の作品はより具体的に東日本大震災を扱っているわけで、監督が世に出すのが怖いという気持ちが分かる。当事者が、被災者がこれを観てどう思うか、私が作り手でも怖いと思うだろうし、描く資格があるのかないのか考えてしまうと思う。
けれど、考え続け、向き合い続け、表現し続けることの意味はどの立場の誰にとっても必ずあるし、それを誰かが批判するのもまた違うと思う。震災の記憶を持たない人へ届ける意味も大いにあると思う。
、、と、震災のこと中心に観たら、色んな人たちの「いってきます」と家族と交わすシーンが尊くて切なくて泣けた。
声優はどれが誰か気にならないくらいうまく役にはまっていた。エンドロールで、あ!そうだったの!というかんじ。
劇場で観れて良かった。
脱臭しすぎながらも、確かに揺さぶられるものはある。
ストーリーとしてはかなり駆け足だった「天気の子」と比べて、綺麗にまとまった内容でした。
ただ何というか、脱臭されすぎなんですよね。
「君の名は。」でも新海監督らしさを脱臭したと言われていましたが、それでも新海監督だなーと思うシーンは端々にありました。
それが今回は……ほぼ無い。
深い新海監督のファンなら「そんなことはない!」と言うかもしれませんが、一般的アニメ映画ファンの自分には新海監督らしさがかなり薄れてしまった印象があります。
・ポエムがない
あの聞いてるとこっ恥ずかしくなるような、新海監督の代名詞である心象描写のポエムが無い。
なんかアッサリしてるなと思ってたら、劇中でポエムが無いのです。
あれも賛否両論だとは思いますが、アレが無いと新海作品を観たという気にならないんですよね。
・背景描写がアッサリ
相変わらず背景は美しいんですけど、なんか印象に残らない。
「君の名は。」や「天気の子」って劇中で背景を主役にして、やり過ぎなくらい美しい背景を観させるシーンが随所にありましたよね。
今作は「背景はあくまで背景。」と言わんばかりに、美しい背景を主役にしたシーンが無い。
・MVみたいな演出が無い
「君の名は。」で斬新な手法として受け入れられ、「天気の子」ではやり過ぎと批判を受けた、曲を使ったMVみたいな演出。
アレ好きなんですよね。
印象的なシーンとともにいやでも曲が耳と頭に残る。
前前前世とかスパークルとかなんでもないやとか。
愛にできることはまだあるかいとかグランドエスケープとか。
今作無いんですよそういうの。
・ハイライトらしいハイライトが無い
「君のは。」では黄昏時の瀧と三葉の逢瀬や、手のひらの「好きだ。」、隕石の衝突、そして最後の例のアレ。
「天気の子」では花火シーン、そしてグランドエスケープ。
これら印象的な映画の盛り上がりどころが用意されていましたが、今作ってあまり思いつかないんですよね。
私が一番心揺さぶられたのは過去の自分との会話ですが、過去2作とは揺さぶられた理由が違います。
過去2作はその映像に心揺さぶられたのです。
観たあと何度も頭の中で繰り返し、物足りなくなって「やっぱり映画館でもう一回観ないと!」ってなるようなシーンに。
今作は子供の悲痛な叫びに心揺さぶられたんですよね。
悪くはないんですが、新海監督に求めてたものとは違うと言うか……。
・ヒロイン兼主人公が可愛い
新海監督の描くヒロインってまぁ現実にはいないよね、と言われるようなキャラばかりですが、それが良いのです。
今作も素直で芯のしっかりしたヒロインで素晴らしかったです。
ただ一つ難を上げるなら、主人公が草太にあそこまで肩入れするのかイマイチ伝わらないというか。
イケメンなのはわかりますし、旅を重ねて恋愛感情を抱いたのはわかるんですが、映像としての説得力がちょっと足りないといいますか。
草太がすずめに惚れるのはわかります。
あそこまで甲斐甲斐しくともに旅をしたんですし。
要は草太の魅力が描き切れていないような気がするんですよね。
すずめと草太が絆を深める前に椅子に変えてしまったのは失敗だったと思いますね。
どんなにともに旅をして絆を深めても、スクリーンに映っているのは椅子です。
最後に元の姿で戻ってきても映像の説得力が弱いのです。
「君の名は。」では二人が惚れる決定的なシーンなんかありませんでしたが、それを力づくで黙らせる圧倒的な映像の説得力がありました。
あと瀧と三葉は映画内でどういう人間なのか描けていましたし。
・ロードムービー
行く先々の人たちは魅力的でした。
特に芹沢は良いキャラしてました。
・かなり直接的な超常描写
今までの超常現象って明らかに神様の存在が示唆されていましたが、一応神様を明確に描写はしていませんでした。
それが今作は明確にダイジンという神様的な存在を出してきました。
個人的には過去2作の、明らかに超常現象だけど神は人間が触れることのできない存在である、という描写が好きだったんですよね。
全体的に惜しい、あと一息だと思う作品でした。
MV要素と背景をたまに主役にして、あとポエム。
椅子に変身するのは後半にすればちょうどいい塩梅だったんじゃないかなと。
あと作画が雑なところが見受けられました。
最後の最後とか本当にアレで良いんですか? と思いました。
ただ叔母の心情を吐露するシーンとか、子供の自分との対話とか、心を揺さぶられたシーンは確かにありました。
叔母の「それだけじゃないんよ。」という言葉に込められた愛情は深いですし、子供の自分との対話は「遺された者の悲哀や希望」を感じることができました。
取り敢えずあと3回は観るとして、次回作も期待しています。
〜以下追記〜
2回目観ました。
ごめんなさい評価変えます。
めっちゃ最高でした!!
2回目はすずめが娘のように見えて、ボロボロ泣きました!!
小すずめが慟哭するシーンは「おあああああ」って心で号泣しました。
扉はトラウマを表現しており、鍵をかけて封印していく。
でも最後は自ら扉(トラウマ)を開けて、過去の自分を救いに行く。
道中の人々は支えてくれてすずめを成長させ、最後に成長したすずめは自分自身を助けに行く。
母親の死後死が怖くないと達観していたが、「生きたい。」と願うように成長したすずめが。
そして鍵をかけるという行為は、それが大切なものだということでもある。
子供時代の記憶(トラウマ)は確かに悲惨な記憶だけど、だけどそれだけではない家族との大切な思い出も詰まっている。
ここは叔母の「それだけではない。」というセリフに掛かってる。
それらを大切にしつつ、光ある未来に向けて「行ってきます。」
ああああああ!!
エンタメとしては君の名は。が最高傑作ですが、新海作品としては「すずめの戸締まり」こそが最高傑作と自信を持って言えます!
新海作品は2回目が本番です。
是非みなさん2回目行って下さい!!
日常に埋もれた日本人のトラウマ
【新海監督の現代日本を憂える映画降誕。災害を防ぐ為に若き男女が、日本各地の廃墟の扉を必死の想いで閉めるロードムービー且つ、ピュアな恋愛映画。過去に悲しき想いを抱えた少女の成長物語でもある。】
- 今作品は災害を防ぐ二人の若き男女のロードムービーであり、恋愛物語であり、哀しき過去を抱えた、少女の成長物語である。
映画の面白き要素をキチンと盛り込んだ、瑕疵無きストーリー展開に観入られた作品でもある。-
◆感想
・新海監督は、人知の及ばない自然災害をテーマにして来た事は周知の事実だが、今作品では、日本人にとっては喫緊の問題である地震をテーマにしている。
勿論、3.11も描かれている。
これを批判する方もいるだろうが、私は”是”とする。
・何故ならば、自然災害の理不尽さから目を背けていては、日本の未来はないからである。
新海監督は、そこに批判覚悟で斬り込んだのである。
その心意気を良しとしたい。
・そして、観る側は自然災害の理不尽さを、新海監督ならではの美しき自然描写の裏側から読み取る事に依り、日本で近年多発する、気象の激甚化を含めた、自然災害の恐ろしさをリアルに感じるのである。
・全国の廃墟に現れる"地震を呼ぶ扉"を必死に閉める旅をする、すずめと椅子に姿を代えられた草太の、自らが要石になってでも地震を防ごうとする崇高な姿には心動かされる。
又、各地ですずめを助ける、善性に溢れる人々の姿も、素晴らしい。
- 但し、草太はすずめに恋心を持った為か、生にも執着する。自然な事である。すずめも又・・。-
・そして、すずめが東北の哀しき地に、多くの人の善意により辿り着き、幼き時に見た小さな女の子に寄り添う女性が誰であったかを知った時、すずめは過去の悲しきトラウマを乗り越えたのであろう。
<今作品は、自然災害と向き合う事の必要性を、観る側に問い掛ける作品である。
だからこそ、私はこの物語から自然災害に負けない備えの必要性(BCP&BCM)を改めて感じ、それを多くの人が実践する事で、気象の激甚化が進む現代日本に生きる中で、 私達が新たなる未来への希望を見出した作品なのである。>
■2022.12.31追記
・私の第二の故郷である山形県、鶴岡市で土砂崩れが起きてしまった。
年の瀬に非難されている方々、行方不明の高齢のご夫婦の方が一刻も早く、救出と安寧の日々が戻る事を祈念する。
そして、新たなる年は、全世界の数多の紛争が終結し、自然災害も最小限になる事を願う。
描いてくれてありがとう
当事者だったから分かる。被災地から来たと強調されればされるほど「被災地出身だから何なんだよ」という陰口を聞いた。震災というテーマは必ずしも万人受けするテーマでは無いにも関わらず作品にしてくれて嬉しかった。
「私の人生返してよ」黒い化け猫が憑りついたから出た言葉ではないことが解かった。亡き姉妹の子を1人で育てて来たおばさんとおばさんの気持ちも振り返ることのできた優しい娘。本当に良かった。
ダイジン!!!!
何故あの白猫がネット上でダイジンと呼ばれ始めたのか誰が呼び始めたのか。
まあその辺のツッコミは野暮なのでしませんが、すずめに嫌われて、ダイジンが「ガーン…」って表情でしおしおになっちゃうところでこっちまでメンタルダメージ食らいました。
猫の形をした神様だけど、愛嬌があって憎みきれないダイジン。
長年誰にも認識されず、一時的とはいえ自由になった後に美味しい食べ物を貰ったらそら好きになっちゃうよね。分かるよ。
そして最後はやっぱりそうなるよね…と思いつつもダイジンのラストに涙した。
ダイジンが元の石に戻るところで涙腺崩壊してしまった。
そうするしかないのはメタ的には分かってるんですけど、石に戻る時のダイジン可哀想過ぎんか。
いや、それも運命か。ダイジンは元々石だしな。いやでもな。
なんかこう、葛藤を抱えながら映画を観終える羽目になりました。
圧倒されました
最後まで全く中弛みなく、ハラハラしながら観ました。
朝観て、昼御飯食べてからもう一回観たくなって観ましたが、
二回目もハラハラしながら観ました。
ちょうど公開日が仕事休みだったので得した気分。
同日に同じものを二回観るなんて初めて。
洋画で字幕版と吹替版を続けて観ることはあるけれども。
アニメは観ないし、新海ファンでもないのだけれどそれでも新海作品は何回も観たくなってしまうのよね。
11/18現在、一週間で4回観ました。
考察とか能書きとかは置いといて。
何度も観たくなってしまう何かがあるみたい。
昨日IMAXで観たときは結構泣いてしまってよく見えなかったので
改めてもう一回観に行かなければならんな。
ダイジンフォーカスで観ると猫好きはめっちゃ泣けてしまうよ。
(どうでもいいのに)気になっていた点→
神戸でマクドに寄ってビグマを食べていたようだが
ルミさんがダブチなのに、鈴芽がビグマ。
ルミさんのおごりではなくて、鈴芽がみんなの分を支払っていたのね。乗せてもらったお礼か。
あと、車内でビグマを食すならばラップでオーダーしようぜ。レタスが大惨事だ。
ということで、現在6回目観賞済み。
そうそう、何度か観ているうちに思ったこと。
草太を救いに行く理由。
一目惚れでそこまでするかってことだけど、
『大事な仕事なのに』『草太さんのいない世界が怖い』『私が要石になるよ!』
鈴芽の恋愛感情より以上に、この世界には閉じ師である草太が居なければならないという理由からではないのかなと思ったり。
先日池袋サンシャイン60にすずめの椅子が展示されていました。あのサイズ感からすると、鈴芽は背が高いのかな?バリケードやガードレールを軽やかに飛び越せるわけだ。
1回目より2回目
才能が早くも枯渇しちゃったの?
映像美と音楽
かつての人々の営みを想いながら扉を閉じる
かつての人々の営みを想いながら扉を閉じるということに、哀悼を捧げる的な何かを思わせた。新海誠って人の中で「家族」とは、親族を指していうのではなく、「世間」であるように感じるのは私だけだろうか。震災ネタは、現地の方々にとって心苦しいのではないか。かつて、震災の後、傾聴ボランティアに向かった。政府に対して、被災者が生活できるだけ多くの資金を迅速に布ばるべきだと進言したが、結果はどうだろうか。為されていないように思える。所詮役人になるべきでない人間たちが政治家や公務員をしている。震災に備えることが大切であると思うとともに、あの火の海となった街の風景は、実は、今普通に生活している人々の生活が、火の車であることを表しているとするならば、それは私の考えすぎと言うものだろうか。毎回思うんだが、新海誠の物語の恋愛に至る経緯がなんだかチョロすぎる、お粗末に感じる。無駄に恋愛をテーマにしているようで、流行る要素を研究して無茶苦茶に集合成しているのではないかと思う。「君の名は」が最高作で、その他諸々は駄作であると思われる。
お子さまへの注意も含まれている。
すずめ、そりゃねーぜ。
すずめきっかけで色々起きちゃう。
戸は開けたら閉めましょう。
ほんとそう、こんなことになっちゃう。
最初から最後までずーっと、ハラハラ。
けど、猫らしきものたちがイマイチわからず。
いつの間に役割変わった??
いきなり出てきて何??
これは、二度みないとわからないタイプだと思った。
伏線回収は明確に説明されてないからよーく振り返ってみてあ、あそこか。みたいなかんじ。
涙もさほど出ない。
キッチンペーパー1枚で十分。
ごはん描写はジブリさんの勝利だった。
声、浮いて出ちゃってる人がいた。若干1名。比較的皆さん本人像がちらつかず役で見れた。
欲を言えばイケメン草太さんもっと出て欲しかったなぁ、ほぼイスで。。。
そしてもっと関係、突っ込んでもらいたかったなぁ。
LOVE要素は薄めでした。
まさかの良作ロードムービー
前作"天気の子"では所々1.4倍速にして見てぇ..と思う箇所がありましたが本作はテンポが良く没頭できました。
序盤まさかロードムービーになるとは思いませんでした。
Twitterで猫追いかけたり、急な家出でも電子マネーでなんとかなったりと時代を感じます笑
序盤、イスになってしまったのだから流石に素直に協力してもらえよ。。とか、
石引っこ抜いたお前のせいやんけ!とか、
ローファーは不向きでは?とか、主人公の幸運っぷりとか所々突っ込みましたが、
テンポが良かったのでわりとスルーできました。
靴無しで警察によく引き留められなかったな..とか靴がとにかく気になりました。まさかの伏線?だったとは。
①封印が経年劣化?で弱まる
②東北の扉の裏戸が開きかけて、その影響で要石を抜くことができた(抜けてしまった?)
③猫が東北の扉まで案内、封印
といった流れでしょうか。もう一度観なくては。。
男がイケメンじゃなかったら成り立たななかったじゃんと思う人もいるかもですが、大抵のボーイミーツガールはそんなものです。物語の大半はイスだったので目をつむるのです。
閉じ師ならもっと休みやすい仕事就いたら?とかって突っ込みも野暮でしょう。
というか東日本大震災からもう11年なのですね。。フラ・フラダンスを思い出しました。
震災が伏線というのは"はいからさんが通る"でもありましたが、このての伏線は子供が観てわかるのでしょうか。そういう作品は結構多いですが。
面白かったです。
イケメンの草太さんに完全に一目惚れで追いかけて巻き込まれた女子高生。いや巻き込んだ女が正解だと思う、彼女がいなければイケメンが椅子にされる事もなく試験にも行けて事件も起きずに平和な可能性が高い。
これがイケメンでなければ発生しない事案である。もし俺が女子高生に声をかけようものなら、作り笑顔か嫌な顔で見られるだろう。私から早く離れて忘れたい女子高生が爆誕するに違いない。
何も持たずにスマホがあれば電子マネーで今や旅に出られる。この作品をいつか遠い未来で見た子供達が電子マネーって何?と聞く事が訪れるだろう。※私は独身です。
---------------【すずめ】------------
最初に言っておく。『最高に可愛い』
めちゃくちゃ行動力があり、ちょっとS気があり。(私も足で乗られたり座られたい。)運動神経抜群でスタイルも良くて優しくて、辛い過去を背持った女子高生。色んな人に好かれる性格の彼女。人間らしさを持っていて叔母が重く感じている。目標や目的の為なら死ぬような事でも、どんな怪我でも恐れず死んでも構わない系女子である、とりあえず『もっと生きたい!』と言うのは、持っている。
---------------【岩戸 環】-----------
めちゃくちゃ可愛い。結婚したい
、もちろん自分はすずめちゃん派ではあるものの環さんも可愛い
自分も稔側なので、気持ちは痛い程、わかる。美人に恋愛対象外にされている事が。
芹澤と会った後だと岡部稔の存在は更に恋愛対象から離れていくと思った。
彼女の苦労は恋愛とは別にある。
すずめがいようが恋愛は可能だから、そこまで好きになった男が現れなかっただけだと思う。
すずめに絶対に言ってはいけない言葉を出すも、反省し逃げずに、ちゃんと最後まですずめの側にいた素晴らしい女性
---------------【感想】------------
面白かったです。本当は長々と書いていたのですが、間違えて消してしまい断念しました。見て良かったと思いました。泣きました。
---------------【オマケ】------------
①猫の気持ち、あまり考えずにすずめちゃんが最後に普通に使って、ちょっと悲しくなる。まあ、迷惑かけただけだしね
②朝、目が覚めたら
部屋の中に蝶々が2頭飛んでるのに違和感があります。あれは何か新海誠さんのメッセージだと思うのですが、わかりませんでした。ただ、常世で幼いすずめと会話中に困った時に椅子に気づき蝶々が2頭椅子の所に飛んでいました。
③常世に持ち込まれた『すずめの椅子』
これは草太さんが開放された椅子だと考えてます。傷とか考えても、となるとタイムパラドックスが発生します。
『すずめの椅子』、高校生で幼い自分に渡す→幼い自分が成長し高校生になり幼い自分に渡す。繰り返します。
事件後、椅子が出ない事から憶測ですが、すずめの部屋には『すずめの椅子』はないと思います。
そう考えると『すずめの椅子』は存在してはいけないモノです。
椅子の足が一本なくなった理由も明かされずに終わりましたが、すずめちゃん本人も知らないと考えると、どうしようもありませんね。ただ、あの場所に突如として現れた椅子と考えると蝶々は両親で災害場所から持って来た可能性もあります。
大事にしてたから傷も災害時のまま部屋に保存。旅時は呪いのお陰で新たな傷はつかなかった可能性。
冒頭の蝶々の2頭は、いつも見守っていると言う父と母なのかも知れないですね。
---------------【完】------------
がっつりとしたファンタジーSF映画
無理筋はあるものの見る価値は大いにある
兎にも角にも画が強い。美しい。タイトルクレジットなんて特に感激してしまった。
「かつての人々の営み」という焦点も新海作品らしくなんともエモである。
今は廃墟でも、かつては誰かのために作られ、誰かが生きていた場所。「いってらっしゃい」、「いってきます」、「ただいま」。それらに想いを馳せながら成される「巡礼」のロードムービーとして、心底から揺さぶられるものがあった。
ただ今作で残念だったのは、(売れっ子監督としての責務故か)キャラクターが説明的すぎる点。
本来であれば、新海監督はキャラに多くを語らせずとも、日常の光景、動作ひとつを巧みに切り取り、その美しさを最大限引き出す演出、画力でもって語ることができるが、今回はやや大衆に分かりやすく作られ過ぎており、持ち味とも言える抒情性が薄れてしまっているように感じる。
また、物語を作るためにやや無理筋かつドラスティックな展開があったことも気になってしまった。悪く言えばご都合主義、よく言えばテンポが良い。スケールの大きいセカイ系よりも、二人の人間の等身大の関係性を描くことの方が「らしい」な、と。(秒速ファン故の拗らせ方かもしれない)
しかし詳細は省くが今作はあの災害以後を生きてきた私たちにとって大いに意味のある作品だったし、新海監督の作品は、観賞後の喪失感と、何気ない日常の美しさを感じられる点でやはり素晴らしいものである。
正直、見る側があの災害に直接的な経験があるか否かで評価が大きく分かれる作品だと思う。細かいところや設定の詰め込みでミソがついたし、「完璧な傑作」という作品ではないとも感じる。
それでも自分はまたこの作品を見に行くだろうし、今もこうして作品について文字を打ち込まずにはいられない、自分にとって忘れたくない映画となったことは間違いない。
万人に受け入れられる作品であるとは断言できないが、ぜひ一度は見ていただきたい。
圧倒的な絵力
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