すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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内容は良いとして声優が下手すぎ
まず内容としては昔の新海誠が帰ってきたような内容です。お話は天気の子とジブリを足して割った感じです。淡々とストーリーが進んでいくので考察とか過去作品の発見とかを期待してる人はそう言った内容は無いので気を付けた方がいいです。
声優は主人公のすずめを演じた原菜乃華さんの演技力は以前の作品と変わらずの演技力の子を起用したんだなと言う感想です。そして問題なのは草太を演じた松村北斗さんの演技は正直聞いていて気持ち悪くなるほど下手でした。棒読みなのはもちろん笑いの演技に関しては聞いてて下手だなと思わずにはいられませんでした。原菜乃華さんは役者さんだからかあまり違和感なかったのですが、松村北斗さんは演技指導が入っていないのか広告費を浮かせるためだったのか知りませんか起用しない方がよかったろうなと言う感想です。
今度は地震か、、、このテーマを扱う勇気
ようやく公開です。
週末や夜は混みそうなので、仕事の合間にIMAX鑑賞です。
あまり言うとネタバレになってしまうのですが、今回は地震がテーマです。
前作は豪雨、その前は隕石だった。
音は違うけど、緊急地震速報のような表現や震災の話も絡むので、苦手な方は注意が必要です。私も、地震となると身構えてしまい、余計に心がかき乱されます。いろいろな感情が出てくるので、涙が、、、とくにこのシーンは涙が止まらない、というシーンが3つほどありました。
地震をテーマにすれば、もちろん批判が出てくると思いますが、あえてそれをメインテーマにしつつ、とても明確で感動的なメッセージだと思いました。
また新海誠監督の得意な?夜空と星と朝焼けが沢山見れました。雨のシーンはすくなかったですが、ちゃんとあって嬉しいですね。
オープニングから黄色い蝶々が二匹出てきますが、、あれは何の暗示なのか。1匹ならお母さんと思えますが、二匹目はお父さんかな?
あと、御茶ノ水の雑踏の中に、彼がいましたかね?
新海誠監督の作品ではお馴染みの隠れ演出ですね。
単純にアニメーションとして映像も綺麗ですし、ストーリーも大満足。音楽も完璧です。前日からサントラダウンロードして楽しみでした。
基本的に声から顔が想像できるので、声に俳優さんを使うのは苦手ですが、そんなことはどうでも良いと思えるほど良かった。
スッキリした
最近の新海監督の作品にしては、君の名はを見て、天気の子をまだ見ませんでした。戸締りを見終わった感想を一言に言えば、スッキリした感じになりました。
学校という環境をある程度離れて、青春だからこそ何も考えなくてもいい、ひたすら旅を出るストーリーな感じになるかな。boy meets girlの構成で穏やかの構成の割には、ずっと旅をするゆえに、ストーリーの進むテンポはそんなに当たりやすくならなくて楽しくなりましたね。
当時君の名を見終わったら、モヤモヤしてたまらなくて真っ直ぐもう一回見たいという気持ちで、今回はいい出会いかな、祝福したいかなというスッキリしてかなり満足できました!
後音楽も個人的にニーア、ghost in the shellのような感じの曲すごく気にいります。何より、ストーリーの構成は今回はそんなにコマーシャルではなく、監督と製作陣が表現したいことを伝われて嬉しいかった。
0.5マイナスしましたけど、映画自体の感動さと印象深さは以前より減って、少しだけ物足りない気がしましたね。
全体的にいいアニメ映画と思います。
エヴァであり、ジブリであり、ディズニーでもあった..。
結論から言うと、君の名は、100点。天気の子、80点。すずめの戸締まりは、、60点、でした。
絵はいつもながら美しく、壮大で、音楽も良かった。
しかし、東日本大震災をそのまま追体験したような悲しみは、観ていて少々辛かった。後半に自然と涙は出たが、それはこの映画の内容に対してでは無く、震災で被害にあった子を思うと悲しくて泣けて来たような気がした。それでも強く、生きるんだ、というメッセージは分かるが、被災した方々が本当にこの映画を観て強い希望を抱くのかは、疑問に思った。映画として、エンターテイメントとして昇華させる以上、そこは隠喩であったり、もっと全体的に間接的な表現であって欲しかった。
そして猫のダイジン。どこがダイジンっぽいのだろう?最終的に良い猫?だったのなら、なぜ要石を押し付けたのか?要石は人の世の為にあるはずなのに、もはや呪いのように誰かが背負わなければならないものなのか?またダイジンを悪者に無理にミスリードするようなセリフも後で思い返すと、??なところが多く、スッキリはしなかった。
そして何より、
ミミズの描写はエヴァだし、
左大臣はジブリだし、
イスの動きはディズニーだし、、。
気にはしないようにしたけど、なんだかヒット要素を詰め込んだような既視感が少しあって、その辺りは少し醒めてしまった。
良くも悪くも「君の名は」が大きな呪縛となり、
自由なクリエーションが出来ないのか、
作品への参加者が増えたせいなのか、
もしかしたらこのままだと、次回作は映画館には行かないかも知れない。
でも次回作はもっと素晴らしいものができる事を祈りつつ、
監督やスタッフを応援することにします。
ありがとうございました。
新海誠監督が描きたいもの
良くも悪くも集大成
「君の~」「天気の」は風景が写実的であることとテンポの良さだけが売りでつまらなかったが、本作はそこに非現実を明確に加えることで「もののけ~」のようなジブリ風な面白さがありました。ただし写実描写によってのリアリティーで魅せる方法が、今回現実に起きた災害を組み込んじゃうことで、究極のリアリティーを獲得する反面、ある種の禁じ手に手を出してしまった感がありました。日常的な風景の写実描写もですが、実際の災害に手を出すということは、画面の中だけではなく視聴者の記憶に大きく依存します。当事者であったりなかったりで見る人によって大きく印象が変わってしまうでしょうし、作者の表現の限界を感じました。メインキャストの声の表現力はこれまでで一番よかったです。ここが新海誠の頂点で、限界との印象。
疑問に思うことも多いが、新しいことをやろうという意欲は感じ取ることができる
いつもながらの映像の美しさと、アニメーションとしてのレベルの高さは申し分ない。
人の思いと地震の発生とを関連付けて、日本の抱える「過疎化」と「自然災害の多さ」という問題を浮き彫りにする着想も斬新である。
気持ちがまっすぐで行動力のある主人公のキャラクターには好感が持てるし、何よりも、「天気の子」とは違って、自己犠牲を肯定的に描いているところにも共感することができる。
ただし、物語に引き込まれたのは東京の地震を食い止めるところまでで、それ以降は、疑問に感じることが次から次へと沸き上がってくる。
例えば、現役の「閉じ師」は草太だけなのか?だとしたら、もし、草太が要石のままだったら、この先、日本はどうなっていたのだろうか?
ダイジンとウダイジンの目的は何なのか?要石としての役割を放棄して自由に暮らしたいのかと思っていたら、鈴芽や草太と一緒にミミズを封じ込めようとするのはどうしてか?それとも、要石の配置を変えることが本当の目的で、そのために鈴芽と草太を導いたということなのか?
なぜ、ミミズが死者の世界である「常世」にいるのか?ミミズは、地下に溜まった地震エネルギーだと思っていた(草太がそんな説明をしていた)が、死者の世界にいるということは、人間の怨念や恨みが形を変えたものだということなのか?それにしても、何度も常世を覗いている鈴芽や、子供の頃の鈴芽がミミズを見ていないのは不自然であり、やはり、常世とミミズの棲みかは別にした方がよかったのではないだろうか?
常世はあらよる時間に通じているようだが、東京で要石になった草太に宮城で会えたということは、空間も超越しているということなのか?だとすれば、ラストで、鈴芽たちは、どこで発生しようとしていた地震を封じ込めたのだろうか?それとも、地理的な概念は関係なく、地震そのものの根源を絶ったということなのだろうか?そうであれば、日本のどこにも(少なくともしばらくの間は)地震は発生しないということになるが、その一方で、前述の「要石の再配置」という考え方とは矛盾することになってしまう。
と、こうした様々な疑問符のせいで、ラストの「自分に会う」というせっかくの仕掛けがあまり心に響かなかったのは残念だった。
とはいっても、「新海誠」色を残しつつも、マンネリには陥らないようなチャレンジ精神も垣間見ることができて、全体としては満足することができた。
震災を語る、描く資格とは
当事者にしか分からない感情、想いがあるのは確かだと思う。
現に私は東日本大震災を外側から見ていただけの立場なので、触れてはいけない、安易に分かるフリをしてはいけない、という意識というか、何をしてもこれ以上は理解できない、近づけない部分があると、理解できたと思ってはいけない立場だと感じてしまう。
ただ、津波の映像に恐れ慄き、もう戻らない家族を想い泣く人たちの姿に、一緒に泣き、今生きている自分の大切な人を抱きしめ、自分だったらと色んなことに想いを馳せて悼んできたことは事実。
君の名は。を観た時に、現実では救われなかったものをエンタメの中で救われるものとして描いていて、本当にそうだたったらどれだけよかったか、そうしたかった、そうさせたかったという想いが伝わって私は泣けた。
今回の作品はより具体的に東日本大震災を扱っているわけで、監督が世に出すのが怖いという気持ちが分かる。当事者が、被災者がこれを観てどう思うか、私が作り手でも怖いと思うだろうし、描く資格があるのかないのか考えてしまうと思う。
けれど、考え続け、向き合い続け、表現し続けることの意味はどの立場の誰にとっても必ずあるし、それを誰かが批判するのもまた違うと思う。震災の記憶を持たない人へ届ける意味も大いにあると思う。
、、と、震災のこと中心に観たら、色んな人たちの「いってきます」と家族と交わすシーンが尊くて切なくて泣けた。
声優はどれが誰か気にならないくらいうまく役にはまっていた。エンドロールで、あ!そうだったの!というかんじ。
劇場で観れて良かった。
脱臭しすぎながらも、確かに揺さぶられるものはある。
ストーリーとしてはかなり駆け足だった「天気の子」と比べて、綺麗にまとまった内容でした。
ただ何というか、脱臭されすぎなんですよね。
「君の名は。」でも新海監督らしさを脱臭したと言われていましたが、それでも新海監督だなーと思うシーンは端々にありました。
それが今回は……ほぼ無い。
深い新海監督のファンなら「そんなことはない!」と言うかもしれませんが、一般的アニメ映画ファンの自分には新海監督らしさがかなり薄れてしまった印象があります。
・ポエムがない
あの聞いてるとこっ恥ずかしくなるような、新海監督の代名詞である心象描写のポエムが無い。
なんかアッサリしてるなと思ってたら、劇中でポエムが無いのです。
あれも賛否両論だとは思いますが、アレが無いと新海作品を観たという気にならないんですよね。
・背景描写がアッサリ
相変わらず背景は美しいんですけど、なんか印象に残らない。
「君の名は。」や「天気の子」って劇中で背景を主役にして、やり過ぎなくらい美しい背景を観させるシーンが随所にありましたよね。
今作は「背景はあくまで背景。」と言わんばかりに、美しい背景を主役にしたシーンが無い。
・MVみたいな演出が無い
「君の名は。」で斬新な手法として受け入れられ、「天気の子」ではやり過ぎと批判を受けた、曲を使ったMVみたいな演出。
アレ好きなんですよね。
印象的なシーンとともにいやでも曲が耳と頭に残る。
前前前世とかスパークルとかなんでもないやとか。
愛にできることはまだあるかいとかグランドエスケープとか。
今作無いんですよそういうの。
・ハイライトらしいハイライトが無い
「君のは。」では黄昏時の瀧と三葉の逢瀬や、手のひらの「好きだ。」、隕石の衝突、そして最後の例のアレ。
「天気の子」では花火シーン、そしてグランドエスケープ。
これら印象的な映画の盛り上がりどころが用意されていましたが、今作ってあまり思いつかないんですよね。
私が一番心揺さぶられたのは過去の自分との会話ですが、過去2作とは揺さぶられた理由が違います。
過去2作はその映像に心揺さぶられたのです。
観たあと何度も頭の中で繰り返し、物足りなくなって「やっぱり映画館でもう一回観ないと!」ってなるようなシーンに。
今作は子供の悲痛な叫びに心揺さぶられたんですよね。
悪くはないんですが、新海監督に求めてたものとは違うと言うか……。
・ヒロイン兼主人公が可愛い
新海監督の描くヒロインってまぁ現実にはいないよね、と言われるようなキャラばかりですが、それが良いのです。
今作も素直で芯のしっかりしたヒロインで素晴らしかったです。
ただ一つ難を上げるなら、主人公が草太にあそこまで肩入れするのかイマイチ伝わらないというか。
イケメンなのはわかりますし、旅を重ねて恋愛感情を抱いたのはわかるんですが、映像としての説得力がちょっと足りないといいますか。
草太がすずめに惚れるのはわかります。
あそこまで甲斐甲斐しくともに旅をしたんですし。
要は草太の魅力が描き切れていないような気がするんですよね。
すずめと草太が絆を深める前に椅子に変えてしまったのは失敗だったと思いますね。
どんなにともに旅をして絆を深めても、スクリーンに映っているのは椅子です。
最後に元の姿で戻ってきても映像の説得力が弱いのです。
「君の名は。」では二人が惚れる決定的なシーンなんかありませんでしたが、それを力づくで黙らせる圧倒的な映像の説得力がありました。
あと瀧と三葉は映画内でどういう人間なのか描けていましたし。
・ロードムービー
行く先々の人たちは魅力的でした。
特に芹沢は良いキャラしてました。
・かなり直接的な超常描写
今までの超常現象って明らかに神様の存在が示唆されていましたが、一応神様を明確に描写はしていませんでした。
それが今作は明確にダイジンという神様的な存在を出してきました。
個人的には過去2作の、明らかに超常現象だけど神は人間が触れることのできない存在である、という描写が好きだったんですよね。
全体的に惜しい、あと一息だと思う作品でした。
MV要素と背景をたまに主役にして、あとポエム。
椅子に変身するのは後半にすればちょうどいい塩梅だったんじゃないかなと。
あと作画が雑なところが見受けられました。
最後の最後とか本当にアレで良いんですか? と思いました。
ただ叔母の心情を吐露するシーンとか、子供の自分との対話とか、心を揺さぶられたシーンは確かにありました。
叔母の「それだけじゃないんよ。」という言葉に込められた愛情は深いですし、子供の自分との対話は「遺された者の悲哀や希望」を感じることができました。
取り敢えずあと3回は観るとして、次回作も期待しています。
〜以下追記〜
2回目観ました。
ごめんなさい評価変えます。
めっちゃ最高でした!!
2回目はすずめが娘のように見えて、ボロボロ泣きました!!
小すずめが慟哭するシーンは「おあああああ」って心で号泣しました。
扉はトラウマを表現しており、鍵をかけて封印していく。
でも最後は自ら扉(トラウマ)を開けて、過去の自分を救いに行く。
道中の人々は支えてくれてすずめを成長させ、最後に成長したすずめは自分自身を助けに行く。
母親の死後死が怖くないと達観していたが、「生きたい。」と願うように成長したすずめが。
そして鍵をかけるという行為は、それが大切なものだということでもある。
子供時代の記憶(トラウマ)は確かに悲惨な記憶だけど、だけどそれだけではない家族との大切な思い出も詰まっている。
ここは叔母の「それだけではない。」というセリフに掛かってる。
それらを大切にしつつ、光ある未来に向けて「行ってきます。」
ああああああ!!
エンタメとしては君の名は。が最高傑作ですが、新海作品としては「すずめの戸締まり」こそが最高傑作と自信を持って言えます!
新海作品は2回目が本番です。
是非みなさん2回目行って下さい!!
日常に埋もれた日本人のトラウマ
【新海監督の現代日本を憂える映画降誕。災害を防ぐ為に若き男女が、日本各地の廃墟の扉を必死の想いで閉めるロードムービー且つ、ピュアな恋愛映画。過去に悲しき想いを抱えた少女の成長物語でもある。】
- 今作品は災害を防ぐ二人の若き男女のロードムービーであり、恋愛物語であり、哀しき過去を抱えた、少女の成長物語である。
映画の面白き要素をキチンと盛り込んだ、瑕疵無きストーリー展開に観入られた作品でもある。-
◆感想
・新海監督は、人知の及ばない自然災害をテーマにして来た事は周知の事実だが、今作品では、日本人にとっては喫緊の問題である地震をテーマにしている。
勿論、3.11も描かれている。
これを批判する方もいるだろうが、私は”是”とする。
・何故ならば、自然災害の理不尽さから目を背けていては、日本の未来はないからである。
新海監督は、そこに批判覚悟で斬り込んだのである。
その心意気を良しとしたい。
・そして、観る側は自然災害の理不尽さを、新海監督ならではの美しき自然描写の裏側から読み取る事に依り、日本で近年多発する、気象の激甚化を含めた、自然災害の恐ろしさをリアルに感じるのである。
・全国の廃墟に現れる"地震を呼ぶ扉"を必死に閉める旅をする、すずめと椅子に姿を代えられた草太の、自らが要石になってでも地震を防ごうとする崇高な姿には心動かされる。
又、各地ですずめを助ける、善性に溢れる人々の姿も、素晴らしい。
- 但し、草太はすずめに恋心を持った為か、生にも執着する。自然な事である。すずめも又・・。-
・そして、すずめが東北の哀しき地に、多くの人の善意により辿り着き、幼き時に見た小さな女の子に寄り添う女性が誰であったかを知った時、すずめは過去の悲しきトラウマを乗り越えたのであろう。
<今作品は、自然災害と向き合う事の必要性を、観る側に問い掛ける作品である。
だからこそ、私はこの物語から自然災害に負けない備えの必要性(BCP&BCM)を改めて感じ、それを多くの人が実践する事で、気象の激甚化が進む現代日本に生きる中で、 私達が新たなる未来への希望を見出した作品なのである。>
■2022.12.31追記
・私の第二の故郷である山形県、鶴岡市で土砂崩れが起きてしまった。
年の瀬に非難されている方々、行方不明の高齢のご夫婦の方が一刻も早く、救出と安寧の日々が戻る事を祈念する。
そして、新たなる年は、全世界の数多の紛争が終結し、自然災害も最小限になる事を願う。
描いてくれてありがとう
当事者だったから分かる。被災地から来たと強調されればされるほど「被災地出身だから何なんだよ」という陰口を聞いた。震災というテーマは必ずしも万人受けするテーマでは無いにも関わらず作品にしてくれて嬉しかった。
「私の人生返してよ」黒い化け猫が憑りついたから出た言葉ではないことが解かった。亡き姉妹の子を1人で育てて来たおばさんとおばさんの気持ちも振り返ることのできた優しい娘。本当に良かった。
ダイジン!!!!
何故あの白猫がネット上でダイジンと呼ばれ始めたのか誰が呼び始めたのか。
まあその辺のツッコミは野暮なのでしませんが、すずめに嫌われて、ダイジンが「ガーン…」って表情でしおしおになっちゃうところでこっちまでメンタルダメージ食らいました。
猫の形をした神様だけど、愛嬌があって憎みきれないダイジン。
長年誰にも認識されず、一時的とはいえ自由になった後に美味しい食べ物を貰ったらそら好きになっちゃうよね。分かるよ。
そして最後はやっぱりそうなるよね…と思いつつもダイジンのラストに涙した。
ダイジンが元の石に戻るところで涙腺崩壊してしまった。
そうするしかないのはメタ的には分かってるんですけど、石に戻る時のダイジン可哀想過ぎんか。
いや、それも運命か。ダイジンは元々石だしな。いやでもな。
なんかこう、葛藤を抱えながら映画を観終える羽目になりました。
圧倒されました
最後まで全く中弛みなく、ハラハラしながら観ました。
朝観て、昼御飯食べてからもう一回観たくなって観ましたが、
二回目もハラハラしながら観ました。
ちょうど公開日が仕事休みだったので得した気分。
同日に同じものを二回観るなんて初めて。
洋画で字幕版と吹替版を続けて観ることはあるけれども。
アニメは観ないし、新海ファンでもないのだけれどそれでも新海作品は何回も観たくなってしまうのよね。
11/18現在、一週間で4回観ました。
考察とか能書きとかは置いといて。
何度も観たくなってしまう何かがあるみたい。
昨日IMAXで観たときは結構泣いてしまってよく見えなかったので
改めてもう一回観に行かなければならんな。
ダイジンフォーカスで観ると猫好きはめっちゃ泣けてしまうよ。
(どうでもいいのに)気になっていた点→
神戸でマクドに寄ってビグマを食べていたようだが
ルミさんがダブチなのに、鈴芽がビグマ。
ルミさんのおごりではなくて、鈴芽がみんなの分を支払っていたのね。乗せてもらったお礼か。
あと、車内でビグマを食すならばラップでオーダーしようぜ。レタスが大惨事だ。
ということで、現在6回目観賞済み。
そうそう、何度か観ているうちに思ったこと。
草太を救いに行く理由。
一目惚れでそこまでするかってことだけど、
『大事な仕事なのに』『草太さんのいない世界が怖い』『私が要石になるよ!』
鈴芽の恋愛感情より以上に、この世界には閉じ師である草太が居なければならないという理由からではないのかなと思ったり。
先日池袋サンシャイン60にすずめの椅子が展示されていました。あのサイズ感からすると、鈴芽は背が高いのかな?バリケードやガードレールを軽やかに飛び越せるわけだ。
1回目より2回目
才能が早くも枯渇しちゃったの?
映像美と音楽
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