すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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すずめくん、東京を救う
村上春樹さんの短編『かえるくん、東京を救う』は、神戸の震災後に書かれた連作集のひとつです。
この映画は、まるで、そのかえるくんを原作として大胆に翻案した。そんな印象を受けました。
以下、この短編小説からの一部要約と部分的な引用。
(原文のままではないので、間違い等あればすべて、私個人の責任です)
主人公片桐はしがない信用金庫の新宿支店の融資管理課の係長補佐。誰もやりたがらない貸出金の回収を担当していますが、時にはヤクザ相手のことも。それでも、黙々と筋道を通して仕事をやり続ける市井人で、〝普通の〟勇気を持ち合わせた人。
そんな彼のもとにある日、突然、かえるくんがやってきて、東京に地震を起こそうとしている〝みみずくん〟と闘うのだが、その闘いにはあなたの勇気と正義が必要だ、実際に闘うのはわたし(かえるくん)だが、君は勝てる、君は正しいと声をかけて欲しい、と頼むのです。
かえるくんは、片桐が煙草をすってもいいか、と聞くと、「あなたのおうちじゃありませんか。ぼくに断ることなんかありません」と答えます。
(芹澤と環の会話のようにも聞こえませんか)
みみずくんは地底に住んでいて、腹を立てると地震を起こす。
実際のところ、みみずくんはなにも考えていない。
彼はただ、遠くからやってくる響きやふるえを身体に感じとり、ひとつひとつ吸収し、蓄積しているだけなのだ。
そしてそれらの多くは何かしらの化学作用によって、憎しみというかたちに置き換えられる。
学のあるかえるくんはこんなことも言うのです。
ジョセフ・コンラッドが書いているように、真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことだ。
これ(みみずくんとの闘いのこと)は責任と名誉の問題で、どんなに気が進まなくても、みみずくんに立ち向かうしかない。
命を落としても誰も同情してはくれない。もし、首尾よくみみずくんを退治できたとしても、誰もほめてはくれない。どう転んでも孤独な闘いです。
以上、取り敢えず思いつく中で、この映画とテーマを共有できると思われる部分を書き出してみました。
私には、村上春樹さんのこの小説からテーマを拾い上げ、監督のやり方でそれを表現しているという点では、『ドライブ・マイ・カー』以上のように思えたのですが、いかがでしょうか。
感動する、考えさせられるいい映画
切なく良いストーリー。
ヒロインすずめの生い立ちは、東北大震災で被災した人々の声を代弁しているよう。
また、すずめ同様ストーリーのキーパーソンになる猫のダイジン。
草太を椅子にしてすずめと草太を翻弄するダイジンには怒りも湧いた。
しかし、ダイジンノ正体は日本の地震から守る要石。
人間の草太を椅子に化けさせ要石の役割を押し付けたのは、今の世の異常気象などの自然からの災害を防ぐのは人間である、という新海監督なりのメッセージ。
とは言えダイジンの「すずめの子になれなかった」という一言は観てる側としても辛いものがあった。
自然は純粋でいたずら好き、だが人間が何が要石か忘れたならば人に返ってくると考えさせられる作品。
そうきましたか
実際大きな被害のなかった地域にいた自分が、震災で被害にあった方の気持ちを推察するかのような感想を述べるのは違うと思うので、それは置いておいて。
過去と向き合い、自分は今生きていることを実感する
自分にとってそういう映画でした。
なんでもそうですけど、
今の自分、今までの自分、
その経験の引出しにあるものが
見るものの捉え方を決めたり
そのシーンに呼び起こされたりします。
廃墟となった母校を想い涙し、
愛媛の言葉を話す、亡くなった友人を想い泣きました。
そして、叔母の心の中にあるネガティブな感情に触れた時に。
大切にしているからといって、いつもポジティブな感情であるわけではない。蓋をしても、悪く思う時もある。
でも、そういうもの全部ひっくるめて、やっぱりとても大切にしてるってこと。
そうなんだよ。て、思いました。
フラれた直後に見る恋愛映画と、告白が上手く行ってラブラブな時に見る恋愛映画の捉え方が違うように、結局メッセージは自分の中にある、と思って私は映画を見ます。
今回も、自分の中にメッセージを見つけることが出来たので、いい映画でした。
悲しみに潰されそうな子供のすずめに、大きくなったすずめが伝えたメッセージ。
どんな辛くても時間は戻ったり、待ったりしてくれないけど、色んな人に支えられてちゃんと生きていける。どんな想いを抱えても、この世界は生きていくに値するんだって、そう思いました。
きっと批判も少なくない映画になりそうですけど、それだけエネルギーのある映画であり、その批判の感情もまた尊いのだと思います。
震災の前
初日、会社帰りに鑑賞して参りました。
新海監督の前作から早何年ですかね。
君の名は、天気の子ととても楽しませて
くれたので楽しみしてました。
ネタバレが怖いのでやはり初日が安心ですね。
震災の影が始めから出ていて重い映画かなあ
と思っていましたが以外とコミカルでした。
しかし、始めのミミズがバッタンした
時は皆死んでしまったかと思ったよ。
すずめと草太の戸締まりの旅
草太は早々にすずめの椅子に
なってしまうが(笑)
宮崎から東北まで
行く先々の人が温かい、
チカ、ルミ、草太のおじいちゃん
芹澤そして環
サービスエリアでのすずめ、環の吐露が
怖かった聞きたくないすごい言葉
右大臣が言わせたのもあるがそれまでの
ちょいコミカルな旅が一変したよ。
その後の自転車2ケツシーンでほっと
したけどね。
すずめが故郷に戻って絵日記を見る
シーンは心がワシ掴みになった
3.11
真っ黒で真っ黒
あの大震災の日
沢山の人の人生が変わった
行ってきます
気をつけて
何気ない言葉の集合に涙がでた
大切な人がいなくなる辛さ
この映画を見て震災を思い出す人もいるだろう
辛い人もいるだろう
忘れてはならないです。
あと、最後のRADWIMPSの歌の入り方は
個人的に涙です。
君の名は、天気の子もでした(ToT)
ああ、良い映画に出会えると気持ちがイイね。
そんな映画でした。
行ってきます。
流石新海誠。
「君の名は。」「天気の子」に続き、テーマや込められた意味のある映画だったと思う。君の名はも天気の子もそうだけど自然や災害をテーマにしていたのに続き今回のすずめの戸締りは伝えたいことがハッキリしていたと思う。今の周りの人や環境は当たり前にあるものではないもの、死は常に隣り合わせにあるもの、それを地震の多い日本では伝えやすいテーマなのかなと思った。そして行ってらっしゃい、行ってきます、色んな人達の思いで扉を通る人々の時間が、扉の向こうには存在するのだと思った。行ってきます、その一言を通って扉の向こうへ行った人に会うのはもうそれで最後になる可能性もあるということ、つまりそれが死は常に隣り合わせにあるということなのかと思い、よくできてるなぁと勝手に思った。
だけど新海誠ならではの、2人の思いが重なるところとか、もう少し楽しみたかった。そうたさんとの関係に少し疑問を持つ部分がありすずめに感情移入しずらかったので。今回も、映像もすごく綺麗だったしRADの音楽良かったです。
新海監督解釈の巡礼の旅
この映画の表層を表すのなら、ロードムービーです。
日本人は無宗教の人がほとんどだと思いますが、これは巡礼の旅だと思う。
新海監督の長所である美しい背景は健在で、特に「カクリヨ」の存在は煉獄そのもので、本当はハロウィンに公開を合わせたかったのではと思ってしまいます。
またストーリーは良くできていて、ダレる部分はなく、最後まで楽しく視聴出来ました。
個人的な見どころは、子供のころ妄想した様なことを映像化されていると感じるところでしょうか。細く言うと、物の大きさ、高さの表現が素晴らしいです。
またネタバレ含みますが、
右大臣、左大臣の様子を見ると過去何があったかは想像でき、「ダイジン」がすずめに執着した理由や最後の選択に重みが増します。
願いや幸せには代償があるということは、本作にもテーマとして見え隠れします。
さらに隠したテーマとして、生者には時間が救いとなるが、煉獄には時間がないから救いはなく扉を閉めるしかないという…少し胸糞が悪くなりました。
ですが、すずめとソウタのお話としては綺麗に終わったので、プラマイゼロです。
今を生きる人へのメッセージ
地震描写に注意〜内容は個人的に普通かな?
傑作でも賛否両論か⁉️
嫌いなわけじゃ無いです、どっちかって言うと好きなんですけど…
映像が綺麗、キャラも好き、音楽も相変わらず良い感じ、話も起承転結がしっかりしている。
どっちかって言うと好きなんですけど、この映画を通して見てる人に何を伝えたいのかがわからなかったんです。
例えば震災がミミズの所為だとしたら、閉じ師(字はあってるのか?)の草太は以前の震災を防げなかった事などもっと熱い話の展開で良かったような気がします、震災の話の割には震災の部分に対して登場人物があっさりしているなと。
個人的には実は他にも閉じ師がいてラストはみんなで閉めるみたいな胸熱展開があってもありだったんじゃないか。
他にもダイジンはネットから名前が付いたんじゃ無いの?後から出て来たのにサダイジンって何?
イスの足が一本無い理由は結局何?
すずめは草太のお爺さんの病院が何故わかったの?近くにって言うだけでそんな描写ありました?
ダイジンがすずめの子にはなれなかったってどう言う意味?
ダイジンは何故草太を要石にしたの?
そして、一番の謎は震災っぽい表現必要でした?
などなど色々な謎(?)を私に残したままエンドロールに突入してしまいました。
小説読んだら全部の謎が解ける事を祈りつつ明日小説買って来ます。
でも、地震はナマズ説から新しくミミズ説になった事だけは私の中の新しい発見です。
あと、キャラは好きでグッズはめっちゃ買いました(笑)
(補足)
これ書いた後に映画好きと熱く話し合った結果、私達の解釈はダイジンもサダイジンも元々は人間でサダイジンは大人が要石になったから宿命に納得しているが、ダイジンは元々閉じ師の関係者で子供が要石に何かしらの理由でなってしまったからまだまだ遊びたくて逃げ出した。
だから草太が要石になった事に特に意味は無いし、ダイジンがラスト間際にすずめの子にはなれなかったって言ってるって事も納得できるので勝手にこの内容で納得しました。
この視点でもう一回すずめの戸締りを見たいと思ってます。
他の方の意見もお待ちしてます(笑)
劇場で観てこその作品
あの日、たくさんの人が「行ってきます」と言って家を出ていった。
「ただいま」って言いたかったよね。
「おかえり」って言いたかったよね。
家があるからこそ、そして言う相手がいるからこその挨拶。
体が硬直して内側からエネルギーを一気に引き出された感じ。いろんな立場の人たちの視点から見た震災とその痛み、宮城県民として苦しかった。それでも観れて良かった。美しい映像が素晴らしく悲しみだけじゃない、たくさんの優しさがつまっていました。新海監督に、ありがとうと言いたいです。
また音楽も良かった、耳に心地いいのから不安と恐怖を煽るようなコーラス混じりの楽音まで、まさに体感するような劇場音楽でした。大スクリーンで観てこそですね。
ただ、3作目にしても、ラブストーリーじゃないとダメなんですかね?そこが寂しい。人と人の絆はもっといろいろな形があるので。必ず男女ものというのがなぁ、と。友情ものでも十分見応えあると思うんだけどな。
余計な考察が蔓延する前の初日に観に行けて良かったです。
とても暖かかったです
新海誠監督が苦手なんて言えなくなってしまった
新海誠監督の映画って苦手だった。「秒速5センチメートル」も「言の葉の庭」も。なんなら「君の名は」や「天気の子」も少しだけ苦手。主人公の男の子がうじうじしてるし、話の端々に童貞くささが漂っているから。それはそれで味だし、それが好きって人も多いと思うけど。
でも本作は今までの新海誠作品とは何か違う。映像がきれいなのは今まで通り。違うのは何か。主人公が女子高校生だから?それともロードムービーだから?はっきりコレだ!と言えるものはないのだが、いずれにしてもすずめの成長物語として、大災害を救おうとするアクションものとして、家族愛の物語として、とても素晴らしいものに仕上がっていた。猫(神さま)のだいじんや環さん、芹澤くんのキャラ設定も絶妙。これ、川村元気Pの意向がどれだけ入っているのだろう。全部新海監督がすべてを作っていたりして。なんてこった。新海誠が苦手なんて言えなくなってしまった。
今までの新海誠作品が大好きな人に本作はどう受け止められるのだろう。とても気になる。
映像5音楽5脚本2
初週末やリップサービスのご祝儀期間が解ければ、評価は下に引きずられるだろう。
映画館が「初日の上映回数」を異常なまでに増やすのも納得。
初週末を過ぎて感想が出始めれば、ネット外の口コミから鑑賞を控える人は逓増する内容だったと感じる。
映像は最上質。すごい。
音楽も歌もいい。いい。
が、問題はそれらを駆使して描かれる「内容」である。
その内容は、主要キャラクターの無神経さやセットアップの弱さで感情移入が難しく、序盤から緩急のない急だらけのバタバタが続き、魅力が乏しい話の展開パターンに序盤で予想がつき、それがその通り繰り返され、自己満足的な説明不足が増え続け、ジブリやガンダムのパロディ、テーマやギミックは君の名は。の焼き回し……という、鑑賞後、劇場にいた人々が疲労感を口にしたりヤケクソ気味な苦笑が見られる内容にとどまってしまった。
『天気の子』も各言動や状況設定、物語の展開装置が「そうはならんでしょ」のご都合的で鼻白んだが、ここまで「観客たちが、耐えながら付き合う」映画体験ではなかった。「映画は映像と演出とテーマだけ、脚本は細部から大筋に至るまで全く気にしない」という人しか高い評価にはならないと思う。
以下、具体的に本作の難点を指摘。
・好きになれない子、すずめ
行動原理が不明。最初の扉を閉めるまでのシークエンスでも、「イケメンだから話す前から一目惚れ」「なぜか廃墟を伝えたことを悔い、なぜか登校を中断して廃墟に向かう」「その後、学校に登校」「人には見えないモノが見えたら、なぜか再び廃墟へダッシュ」という、わざわざ明示した「2023年の日常に暮らす女子高生」とは思えない行動を連発する。制作サイドの「最初の扉を閉めるまで早くやりたい」にひきずられて、人間の思考回路で生かしてもらえていない。さらに叔母の正当性ある心配を無視して、ノリでフェリーに乗って、スマホ一つで四国に行ってしまう。四国ではソウタに帰って日常に戻れと言われるがなぜか帰らず、扉閉めを継続。叔母の心配はもちろん、学校生活や学校の友人たちを気にも止めない態度が人間ではない。その後も「協力者に協力を求めるが説明はしないし理解させる気もない」態度で、任されていたスナックの仕事を放り出したり、要石を打ち込んで人々を救ったすぐ後に好きな人の方が大事だから大災害が起きてもいいからやっぱり抜きたいと言い出し、大学生のアルファロメオジュリアに高速道路を走らせ、叔母からいいかげん説明しろと言われたら「心配されるのが重い」「家族にしてなんて言わなかった」と逆ギレで叔母を悪のように罵り、黒ダイジン乱入の成り行きで叔母の大事にしてくれる気持ちと通じ合ったかと思ったら、すぐに「ソウタを助けて私は死ぬ」と叔母のことなんてやはり何も考えてもいない(まるで成長していない)……そりゃ叔母さんも「……しんどい」が堆積しただろう。
「十代の無垢さ、純真さ、初々しさってこういうものだよね」と監督世代に言われたら十代がキレそうな内容なのだ。「~だわ」「~わよ」もあるし。後半で「実は3.11の震災&津波の孤児だった」という情報が明かされるのだが、「母は死に自分だけ生き残ってしまった=命なんて運だ、死んでもいい(だから日常へのこだわりはない)」というのは、叔母に12年間愛情を持って育てられ友人もいることから、「無神経・恩知らず」も同時に発生してしまう。「震災孤児の思考をリアルに描いた」とは受け入れられないので、「無神経・恩知らず」部分はすずめの個性だと受け止めるが、それだとやはり好きになれない。
主人公兼ヒロインが好きになれない言動・精神構造をしているというのはこの手の作品では致命的で、『君の名は。』の主人公の片割れである三葉の方がずっと言動・性格的にかわいい。後述するテーマのかぶりもあって、自身の過去作と比べられてしまう宿命の中で、シンプルに負けてしまう印象なのはいただけない。
・セットアップの弱さ
結局、天気の子のような「大勢のモブの命と運命の一人の命と」のテーマがもたげてくるが、天気の子や君の名は。のようにすずめとソウタの縁や絆、成り行きから個人的な好き合いへと移る過程が描かれていない。なので、いきなり「100万人の命よりもソウタさんを助けたい」という中盤以降の大逆の葛藤・決意が「そういう設定だからそうなった」にしか見えない。作中で描かれた程度の交流(一目惚れからの、なりゆき仕事)でラブってしまうなら、すずめが人生で出会ってきた宮崎県の全男性は相当に無味乾燥だ。ずずめとソウタが「縁あって、一緒に特殊な仕事をする関係」から、「それぞれ個人に興味が移っていく描写」が必要だった。神戸の観覧車では呪いを解く鍵であるダイジンを放り出してすずめを助けに行ったわけだが、そこはもっと丁寧に「そういう決断をしたシーン」として描いてほしかった。
・緩急の弱さ
後半まで、ドタバタではなくバタバタが続く。緩急の相乗効果で物語は面白みを得るのだが、本作は薄味の全国行脚がノルマだったのか、緩急ではなく急急のリズムで作られている。鑑賞者に心の置き所が乏しく、後述の予想できる展開と相まって疲労感が高く耐える鑑賞になりがち。
・魅力が乏しい話の展開パターンに予想がつき、それがそのまま繰り返される
ご都合でダイジンの居所がわかる(この名前も後述でつっこむが)→行く→都合良くミミズ出現→扉を閉める→ダイジンは取り逃がす→次の地域へ……これが九州・四国と続いた時点で嫌な予感がするが、さらに神戸、東京と繰り返されるのが辛い。東京は一応話が少し動くが、骨子は変わらないし、その後もそう。各地のエピソードも「各地ならでは」や「地域ごとにアラカルト的な良さ」があるわけではなく、ただ行った、「絵として街を綺麗に描写した」という程度。エピソードとしてのパンチ力はない。その低火力を2時間かけて5回繰り返すので、上映後の十代客たちの「長かった」「疲れた」「東京で終わると思ったのに」という感想に共感した。
メイン・地域ゲストのキャラクターたちを掘り下げて滋味を味わわせる物語ではなく、映像表現の腕前を誇示できるパッケージを延々とスライドショーされていた感じが拭えない。例えば神戸編は、地域の特異性やそこに在る生活描写よりも、それらと関係の無い超美麗観覧車バトルの方が尺が長いように感じた。他の地域も同様。この優先度設定は、ロードムービーの型を持つ本作には逆効果である。
・自己満足的な描写による説明不足
主にダイジン2匹回りについて。あとお爺さんの心変わり。
主人公が岩戸で戸締まりだから、天岩戸でうずめで右大臣左大臣的なんだろうな……と思うも、ふんわりしすぎ。作品で描かず無料配布パンフレットで解説をするのは、クリエイターではなく教祖の志向だ。そもそも野良猫を「大臣っぽいからダイジン」とモブたちが命名し、すずめも「あの猫、大臣っぽいし」と理解を示す表現は、首をかしげない鑑賞者の方が少ないだろう。大臣にも、歴史物の大臣やファンタジーものの大臣、現国務大臣などいろいろありすぎて、唐突に、まして猫にイメージを共有できる言葉ではない。制作サイドだけがわかる「そういう設定だから、そうなんです」という素人然のテリングが、作中世界の共通認識・事実として、違和感だらけのまま波及してしまっている。
結局ダイジンたちは何をしたくて、何をしたくなかったのか。宮崎の要石は扉のこちら側にあったが、すずめが触れてしまったために封印は解けたのか。では、東京の要石は誰がorなぜ独り手に解けたのか。すべてに説明が必要とは思わないが、観客の悩みたいところと作り手側の悩ませたいところのズレが大きかったと感じる。お爺さんは「人類を滅ぼすことになるぞ」と正論を言っていたのに、会話途中で何をもって心変わりでヒントを与えたのかも不明瞭。最終的になりゆきでなんとかなったからよかったが、ならなかったら日本は「すずめのトラウマを全員が共有する悲劇」となっていた。運命的で深いのではなく、粗くて雑だと感じる。母絡みのエピソードの真相も、小さな驚きと引き換えに深みが失われてしまっている。
・パロディ
ジブリやガンダムの演出やセリフのパロディは小手先の曲芸。そういう歩み寄りは求めていないので、ノイズに感じた。
・題材やギミックは君の名は。
大災害を食い止める主人公。好き合う運命の二人。実は過去と繋がっていた現在。要素としては傑作である君の名は。を踏襲する物が多い。だからこそ、映像良ければそれで良しなヤケクソ具合が、監督自身の過去作君の名は。の下位互換となることを許してしまっている。君の名は。の監督自身によるノベライズを読んだ限り、そもそも原作である映画版の脚本スタッフに相当な腕前の人がいたようだが。監督自身の脚本力は、そのスタッフやシナリオチームに全然及んでいない。
・方言、地域性
大予算大期間の大プロジェクトなのだから、九州の方言のイントネーションは、監修者を一人は雇ってほしかった。方言を使う・日本列島制覇・しかも冒頭と決めたなら、そこで妥協をしてはいけない。
また、宮崎、愛媛、神戸、東京、(宮城)、福島……という、中国・東海甲信越スルーは、全国行脚を商品性に宣伝している以上、嫌な人はいただろうなと。「震災の発生地だけを選んだ」としても深読み要素なので、売り出し方と内容不一致の免状にはならない。
それと、過去作の東京表現を皮切りに「日本の持つ美しさを再発見して描ける監督」というブランディングを意識しているようだが、今回の全地方のキラキラ描写はかえって理解の浅さを感じる。弱き地方への理解者・寄り添いのつもりかもしれないが、そうだとしたら逆に「全然わかっていない自覚がない、肩を組もうとしてくるありがた迷惑な来訪者」になってしまっている。地方は映像美的に綺麗なのではなくて、くすんだ街並みの中に文化と生活の輝きがある。しかしフィルタを用いて画一的に綺麗にする視覚的美化を「掘り出す行為」と捉えている節があって、当事者たちの誇りからずれた視覚的美化は、かえって無理解と断絶を強調してしまっている。
・主題
過去との対峙、トラウマへの心の戸締まり、一区切りつけて扉のこっち側、現実へ行ってきます、再出発……はわかるのだが、そこに無理矢理運命の二人を入れた感が、セットアップの弱さと相まってかみ合わせの悪さを感じるところ。
また、藤本タツキ『ルックバック』と同じく、現実の具体的悲劇への歩み寄り行為自体を商品化しているような「流行の売り方」も感じてしまい、全体的な粗さとあわせて個人的に厭な感じを受けた。悲劇が起きればマーケターたちが大喜びするような「コツ」のある世の中にはなってほしくない。
・怒っていい人たち
①命知らずゆえの恩知らずになると解釈され描かれた、3.11の震災孤児や被災者
②イケメンであるという理由だけで一目惚れを許すことになった、過去にすずめと会っていた宮崎県の男性たち
③全国行脚の中に含まれたことになっている中国、東海甲信越、北海道の人々
④全国のお父さん
難癖をつけたくて観たのではない。『君の名は。』はここで書いた次元の指摘はなぜか全部クリアされていて、私が畏敬する高みの作品だからだ。
しかし本作はそうではなく、脚本に感動が漏れる穴が多すぎる。監督には、今年の作品ならトップガンMやRRRを何度も見て、感動を生む(狙い通りに、最大化する)手法の網の目が、実はどれほど細かく存在して、真摯に向き合われ、確信的にコントロールされ調理されているか学習してほしい。その上で専門家に頼むのは全く恥ではない。できないことをできると言い張って大勢を巻き込み、企画が労力の割に低調に終わることの方が問題だ。キャリアも長く声望もあるので、この次元にとどまっているとチームを低質に付き合わせる迷惑な増上慢になりかねない。結果をどう受け止めるか、分かれ道に感じる。(『天気の子』もそのタイミングだったのだが、一歩追い詰められてなお)
この内容に黙々と従った超絶アニメーターさんや音響さん、関係者の皆様はお疲れ様です。
ファンタジーすぎるかも、、、
今作は個人的に少しファンタジーに飛びすぎていると感じました。別にファンタジーが強い映画が嫌なのではなく、今作も今までと同じように普通の日本に住む高校生が主人公である現実的な世界観がベースなのに、異空間に繋がる扉や椅子に変えられてしまうソウタさん、なぞの閉じ師という家業にダイジン、左ダイジン、ミミズといった妖怪たちと、あまりに個性の強い設定から上手く現実世界と絡めて脚本を書けていないように感じました。前作、前々作の「君の名は」や「天気の子」も非現実的な設定ではあるものの今作程突飛な物ではなく上手にまとめることが出来ていたように思います。
主人公のすずめがなんだこれって感じで拾い上げた要石が発端で大災害が起こりそうになるという展開の無骨さや、ダイジンが要石に戻ることを散々嫌がっていたのに、物語終盤で急にやっぱり戻るわって秒で石の姿に戻ってしまうことの都合の良さや、なにより主人公が物理的に九州から東北までの長距離を移動をするとなると、それ相応にたくさんの物語があるわけで、たしかに道中様々な出会いがあったけど、それ故にやっぱり駆け足ぎみになっているようにも感じました。
やっぱり「君の名は」から「天気の子」と期待値も増しハードルが上がっているさなかのコロナ流行と今まで通りに作品を作ることの出来ない時期があったかもしれないし、映画特典にも「我々作成陣は全身全霊を尽くしたが、観客からは我々の裏での尽力は見られず作品そのものしか評価されない」とあまり今作に自信の無いような言い方をしている発言が見受けられるので、監督自身も今作にはあまり納得がいっていないのかなと思いました。
また監督の現実的な世界観にすこしだけのイレギュラーをテイストに混ぜ合わせた不思議な感覚になる映画が見て見たいです!
新海監督初劇場!
覚悟を感じる最高傑作
君の名は→震災から救う
天気の子→災害を受け入れる
戸締まり→!?!?
色々な意見があるなかで、私は良かったと思います。
3.11に触れるな!みたいな人は観なきゃ良いです。
現実、こういう悲しみを越えて来ている人が多くいらっしゃるのだろうな。。と
災害はこれからもあって、平穏な日常はいとも簡単に壊れる事も知っていて、でも毎日生きているんだなぁと。
これは批判もあるだろうし、震災を忘れないという強い覚悟が無いと作れない。
大事な映画が最高のクオリティで出来たと思います。
一点上げるとすれば、やはり声優は声優さんが上手い。
俳優さんはちょっと違和感出てしまう。
内容が内容だけに、コミカルな部分のバランスも良かったと思う。
久々に何回も観たいような映画だった。
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