すずめの戸締まりのレビュー・感想・評価
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フィクションに徹して欲しかった青春冒険ロードムービー
題名から想像した作品ではなかった。新海監督お得意の美意識の高い映像美に加え、ダイナミックでスピード感溢れる作品だった。少女と青年が日本各地を巡って災い封じの戸締りをする迫力満点の青春冒険ロードムービーだった。
本作の主人公は九州で暮らす高校生の岩戸鈴芽(原菜乃華)。彼女は登校途中に廃墟を探している大学生・宗像草太(村松北斗)と出会う。彼と運命的なものを感じた鈴芽は草太の後を追い廃墟に辿り着く。そして廃墟に佇む災いをもたらす扉を開けたことにより、日本各地の廃墟にある災いをもたらす扉が開き始める。鈴芽と扉の閉じ師である草太は日本各地の災いの扉の戸締りの旅に出る・・・。
扉から出現する災いをもたらす化け物の災いの権化のような悍ましい姿に度肝を抜かれる。また、ダイジンと呼ばれる猫に扮した神に振り回されて、日本各地を巡る道中の描き方はジブリ作品を彷彿とさせる日本を強く意識したものである。鈴芽と草太は、日本各地を巡り、扉から出現した災いの権化を見つけ満身創痍になりながらも扉のなかに封じ込めてカギを掛けていく。冒険活劇風のロードムービーとして観れば、鈴芽の勇気に元気をもらえる感動作である。
しかし、本作が取り上げる災いは地震である。東北地方という実際に現実社会で大震災のあった地域を巡っていく。3.11という数字、あの朝の家庭の風景も描かれる。11年前という台詞も出てくる。誰もが東日本大震災を強く思い出すだろう。
本作は、フィクションである。フィクションに厳しい現実を加えれば、あの時の悲しみ、怒りを加えれば、観客の心の揺れは激しくなる。強く感動する。しかし、11年前は、歴史にはなっていない。今なお、東北地方の人達は11年前の厳しい現実、生々しい過去と戦っている。
本作が良作であることに異論はないが、フィクションに徹して欲しかった。
現実社会の厳しい過去に触れないパーフェクトフィクションとして描いて欲しかった。
宇宙が生んだ奇跡の物語!
壮大なストーリーに、膝が震えました。隕石、洪水、そして地震と続く新海監督の面目躍如と言える作品です。ただし、宇宙に対する真摯な畏敬の念を抱いていない人には、理解し難いところもあるかもしれません。この作品は地震という災害をベースにしながらも、すずめの不幸人生への考え方を、決定的に変える草太との出会いによって、清々しく成長していく姿に、涙が禁じ得ません。母を3.11で失った悲しみを乗り越えた瞬間、すずめは希望の「明日」になります。素敵なセリフは続きます。「人生が幸せになるシナリオは決まっている」。そして母を失った時からすでに「幸せをもらっていた」と気づくのです。彼女のその健気な気づきは、実は私たちに対しても、大事な人生に対する視点を教えてくれているものでした。感激です。この宇宙に生きる幸せを、見事に描いているとしか思えません。この作品では、すずめはいつも幸せを呼ぶ招き猫です。移動する先の旅館やスナックを繁盛させます。それから、好き嫌いはあるにせよ、巧みな例えがすごいです。地震はみみずです。愛する草太は椅子になります。地震を封じるのは2匹の猫です。また、移動距離は宮崎から宮城まで。そして、懐かしい懐メロ満載に、作り手の深い愛情を感じました。いずれにしても、新海監督の背後にある宇宙の力が生んだ傑作だと私は確信します。
戸締まり
画がきれい
「新海誠本領発揮」
勇気と希望に満ち溢れた作品の金字塔!
一言で言えば、勇気や希望に満ち溢れた作品として紹介したい。
確かに震災の傷をエグる、過去作品の踏襲という批判も数多くあり、賛否両論ではありつつではあるが、やはり「賛」が多いものに傾くのではないかと思う。
どんな闇にも必ず、光があり、希望の未来があるのだという強力なメッセージが込められていた。
過去に震災の恐怖や傷がある方も勇気を持って、観に行っていただきたいと思う。
すずめもまた、その苦しみや恐怖に立ち向かい、勇敢にも命をかけて戦うのだから、一緒に戦ってほしい。
観終えた後には、確かに一つの傷を乗り越えたという安堵、希望が胸に込み上げてくる感じは否めないのではないだろうか。
また、持論ではあるが、文学とは一人ひとりが受け取り方に差異はあれども、どれだけ多くの方にとって人生の指針となり、生きる勇気や希望を与えたかが「良い文学」か「悪い文学」に分かれるのだと思うし、それこそ文学作品の素晴らしいところかと思う。
批判される方もいらっしゃるが、批判の全くない作品など所詮、個人の心の中だけに眠る妄想や、戯言に過ぎないのだ。
新海誠監督は、あえて批判上等でそれでも、より多くの方にとってプラスになると信じて本作品を手がけられたのだと思う。
私は、すずめの生き方に感動した!
恐怖は希望によってのみ塗り替えられるのだ。
どんな闇にも希望はある。
このメッセージ、確かに受け取りもした!
そして、この感動、皆様にお返し申す!!
かしこみかしこみ…
今度は地震か…。少々心配したものの、天災がもたらす非日常を、日常に変えていく人の強さを描いた、良い物語だった。
新海監督の一連の作品に共通した、八百万の神様への信仰に根差した物語に人々が共感するのは、日本人としての連帯感があって嬉しいものがある。原始的、アミニズムでありながら、未だ受け継がれる日本の伝統的感覚が、エンタメとして受け継がれていくわけだ。
地震、火山、台風、津波などなど、災害のオンパレードである日本列島と、こうした自然を畏れながらも、それを受け入れて日常に取り込んでいく人間たちの逞しさが、物語の底流にあるところが、観ていて安心感がある所以ではなかろうか。
鍵を閉めるときの呪文として、「かしこみかしこみ…」と唱えられる。「畏れながらも」といった意味だが、八百万の神に表象された自然に対して、感謝と畏敬の念を持ちながら「勝てないことは分かってるが…」それでもなんとかお願いしたい、という人間の情念か詰まった、素晴らしい言葉だと思う。
自然災害で、多くの犠牲を払いながらも築いて来た日本の社会で、作品中随所で描かれる平穏な日常。その象徴としての「挨拶」が、クローズアップされ、随所で差し込まれていて、これがとても印象深い。「おはよう」「おやすみ」「こんにちは」などなど。
その中でも、今回のキーフレーズは「いってきます」「おかえり」だろう。冒頭、すずめが家を出る時の何気ない「いってきます」が、その後の怒涛の展開に対比されていた。ちよっとしたシーンだったのだけど、日常の終わりの始まりとして、印象的だ。
物語にあまり触れないレビューで申し訳ないですが、日常に感謝して生活することを、改めて気付かされる良い作品でした。
新海誠監督の初期作品を彷彿とさせ、前2作を内包した完成に近い作品
フィクションとリアルの狭間を描く対厄災映画
新海作品は、『秒速5センチメートル』から全作観ている程度のライトファンです。
感想
売れ込みの“新海誠監督集大成にして最高傑作“ とまではいなくても、新海監督のメッセージ性を最も感じる“傑作“世界系 ディザスター×ガールミーツボーイ×ロードムービーとなっていて率直に感動しました。
・物語構成
物語としては、女子高生のすずめが閉じ子である青年草太と共にネコ型のキーアイテムダイジンを追って、日本中の扉を閉じながら厄災を未然に防ぐという物語。
過去作とは異なり、今作はロードムービーである為、説明は必要最低限でハイテンポに次々と場所移動して、出会う人々に励まされながらダイジンの捕獲、扉の閉扉をしていきます。
一見単調に見えるかもしれませんが、ガールミーツボーイとしての愛情を育む重要なパートで、アクションシーンも多いので楽しくみる事ができました。ダイジン、椅子のメインキャラクター達が、終始可愛く癒されました。
・災害という宿命
そして、メインイベントである3.11との真正面対決です。SF展開からの、まさかのリアルとの融合です。今を生きる日本人誰しもが抱える悲しみの権化とのまさかの度直球対決には複雑な心境を持ちました。被災者であるすずめが、過去の苦しみを受け入れ、成長して幼少のすずめに希望を持たせて励みます。最高です‼︎災害大国で生きる我々日本人に新海監督が一つの解答を示すラストは涙無しには見る事ができませんでした。
・過去作との類似点
集大成的要素として、災害、年齢差のある恋愛模様劇、楽曲の使い方、駅のホームからの電車、美しい背景描写などの要素があり、安定した深海節に浸ることができました。
・音楽
昨今の新海作品では当たり前となっていた曲とクライマックスを融合させるMV風の演出が今回は殆どありませんでした。
この選択が、今作のメッセージ性一本勝負の大人向け作品として見事に昇華させていて素晴らしいと感じました。
総評
新海誠監督作品では、『君の名は。』の次に好きな作品(※1位は『言の葉の庭』。)。
被災者ではない為、被災者がどの様に災害描写を受け取るのかが不安ではあるが、個人的には前向きに生きようと励ませるポジティブなメッセージ性を受け取った。
素直に感動できた傑作だった。
「天」と対を成す「地」の話
冒頭のシーンで即ピンとくると思いますが、
地震がテーマです。
お、前回は天気で今回は地震か。
その前は時空❓今回で一旦まとめかな❓
ロードムービーだと予想してなかったけど、
神戸、東京、仙台と、地震あった所ばかりだ‼️
アレ❓宮崎と愛媛って地震あったっけ❓
すずめは「ミミズ」が見えるから、
「閉じ師」の才能もあり、
それ故に草太と会ったのかもしれない。
草太の生い立ちも、
すずめと似てるのかもしれない。
今回恋愛要素は薄かったですね。
胸キュンな所は少なかったかな。
新海作品て、結構SFなんだけど、
誰一人欠けずに終わる所が良いですよね。
深く考えない
批判者は被災経験者を一括りにするな。
※被災経験者ではない人間が『被災経験した人は辛いかも…』とか『見ない方がいい』とか『PTSDになるよ』と想像で言っていることが多く見受けられる。それなら被災経験者も今回の作品について肯定的に受け止めている人も多いことを併せて想像、理解すべきだ。※被災経験者がどう感じるかなんてそれ以外の人と同じで人それぞれなんだから一括りにするな。勝手に決めるつけるな。迷惑だ。腫れ物扱いするな。私達も君らと変わんない人間で、同じ時間軸に生きていて、あれから10年以上前向いて生きてんだ。※(もちろん、今もトラウマを抱えている人は見ることが辛いかも的な意見は理解できます。PTSDなど。でも被災経験者でもそれは人それぞれだよ。)
配慮とか批判とか言うなら今の宮城福島を見に来てお金を落としていけ馬鹿野郎。
荒ぶった前置きはさておき。実際に起きた出来事(事件、事故や自然災害や戦争)で何年経ったら時効にしてアニメーションや実写ドラマ、小説等という娯楽にしてよいのか。何年経ったら題材にして良いのか、それは一体誰が決めるのでしょうね?10年経ったら時効?20年?半世紀?それとも100年くらい経って世代が完全に入れ代わりその出来事を経験したことのない人ばかりで溢れ、その時代に生きている人々が絵空事のように感じられるようになったら良いのでしょうか?でもそれだとその事柄を経験した生の声は作り手は聞けず、残っている史実からしかまとめることができない。
私には正解は判断できかねますが、このタイミングで良かったと思います。監督自身も今やらないと遅くなってしまうと言っている。
アニメは10代の子たちのものだ。そりゃそれ以上の大人が見ても良いが、新海監督は東日本大震災を経験したことない今の小さな若い子どもたちのためにこの映画を作ったそうだ。震災経験のない子どもたちは震災の話をしてもピンとこないことがあったそう。どうやったらその様を伝えられるか、新海監督が表現出来るアニメーションという手法を使い、それでいて子供たちが飽きることなく最後まで見やすいエンタメの中に落とし込むか、どうしたらその子らに伝えられるかを必死に考え生み出した作品だ。
批判殺到などど殺到してもいないのに大々的に書いてこき下ろしている『大人』が多い。その人たちは現実に起きたことを、『その当時が記憶に残っている人たちが多い経過11年で、現実を題材にし、現実には起こりえないファンタジーを組み込ませ、新海誠のリアルな表現で描写をした』ことが気に入らなかったのだろう。でもこの映画を監督が見せたい最大のお客さんは大人ではない。東日本大震災を知らない若き子供たちなのだ。新海監督は東日本大震災を風化させないためにこの映画を作ったのだ。あのくらい描かねばアニメ上では何も知らない子供たちには何も伝わらない。(そりゃ、メディアで散々報道されてきた映像を見ている、もしくは生でたことがある大人たちはフラッシュバックとしてアニメで描かれた以上の物を思い出し勝手に受け取っていると思うが…)
何も知らぬ子どもたちのため、その意図を鑑みればむしろよく、あれくらいの描写で済んだなと思う。
まぁ見る側にそんなとこまで作品だけで伝わるかというと伝わんないですよね。スクリーン以外の情報で汲み取れっていうのが無理だから仕方ないけど、あれこれない批判をあたかも殺到してるように書いてるのが気に入らない。(すずめの戸締まり 最悪 ありえない 等のワードで検索を掛けてもその中の批判の意見は少数派で目立つことはない。どこで批判されているのか?)
でもこういったデマ記事含めてSNSでは様々な話題にされ東日本大震災について311以外の時期に話されることこそがもしかしたら大人に向けた監督の狙いでもあるのかもしれない。今や東日本大震災の話題は311その1日、またはその日を含んだ一週間などテレビ局も期間を決めて特集するしかされない。それは当たり前のことであり、人々にも慣れがあるので、311以外の時期にこうして話題にされること事態が意味のあることだと思う。
自然災害は常に私達と共にある。いつ、どこで起こるかなんてわからない。大きな地震だって3月のあの時期だけに来るわけではない。他の天災同様私達の都合なんて考えもしてくれない。
作中で10(11?)年後の被災地を見たときの被災経験者と非被災経験者のそれぞれの感じ方の描写がある。たった1言2言である。その描写まで作中に入れるのが新海誠なのだ。そこまで被災地と被災経験者とその他とすべてのリスペクトしているのだ。
私はこの11年という時期に、これ以上遅くなる前に、東日本大震災と真摯に向き合い、監督生命を掛けて全力で作品を生み出してくれた新海誠に最大の感謝をしたい。
監督はこの作品が世界に受け入れられなかったら50代で無職になるかもしれない(若干正確な言葉ではないがそういう意味の言葉)と言っている。監督生命を掛けてこの作品を生み出したのだ。東日本大震災をファンタジーと織り合わせアニメで表現されることがどういうことか、一部の人達がものすごく怒ることも想定済みでそれでもこの作品を生み出した。批判的でない人間だって、被災経験者が見たらどう感じるだろう?辛く感じるのではないかと批判というよりはそういった声が多い。私も1回目視聴した際にはそのように感じた。
ただ、思い返してみてほしい。その作品についての他人の意見が気になるようになったのはいつからだろう。他人への配慮があったほうがいいんじゃないかと心配するようになったのはいつからだろう。きっと、監督がこの作品を見せたい10代の若者たちは(特に小学生、中学生の年代)そんなことを一切考えもせず、素直に受け止め、自分自身の感想を見つけるだろう。
私もそんな若い頃にすずめの戸締まりを見たかったなぁと思うのである。
私の幼子はようやっと一言二言話し始めた時期でまだ幼いが彼がアニメに興味を持ち始めた頃にはこの作品を見せたいと思っている。新海監督がこの作品の観客に選んだ彼らが、この作品を見てどんな感想を述べるのだろうと今から気になってしょうがない。この作品を生み出してくれた新海誠監督に感謝をしたい。
星を追う子どもの精神的続編
率直に言って期待を軽く下回ってしまった。
物語は、震災や災害をテーマにしたファンタジーで、もっと練れば面白くなる要素は沢山あったのに、それを上手く使いこなせず、振り回された感じがした。
震災で親を失くした少女すずめと災いを封じる閉じ師の青年草太の成長物語、らしいのだが、彼らは状況にその都度対応するだけで、特に成長した様子が全くわからない。
そもそも物語初めの段階で、震災の喪失感、未熟さや挫折、コンプレックスみたいなものが、観ている人に感じられず、物語後に何かを得たとも思えず、これを成長物語だというのは無理がある。つまり、物語の前後でキャラクターに何も変化が見えない。(草太に関しては、全く過去が描かれないので成長も何もなく。。。)
これは、完全にキャラクターの描きかたに失敗しており、この映画では致命的である。
また、映画の構造的にも無理がある。ストーリーを至極簡単に言えば、幼いすずめを成長した今のすずめが救いに行くお話、であり、主人公はすでに震災後を生き抜いてきて試練を克服しているように見えてしまうのだ。
やるのであれば、震災のトラウマがある少女が青年や旅先の人々とと出会って、性格が少しずつ変わったりトラウマを克服して、過去の自分も救いつつ成長してこれからを前向きに生きていく、というプロットにすべきだ。
つまり挫折→試練→克服→成長という一連の構造は崩すべきではないのだ。
また細かいところで、よく分からない設定や出来事が出てきたりして、疑問符とストレスを感じた。
なぜSNSでネコがダイジンと名付けられるのかよく分からないし、もう一匹は自分でサダイジンと名乗るし。
(ダイジン=大神という意味が含まれてるらしいが、なら何故狼でなく猫?とも思ってしまう)
なんでダイジンは草太を椅子にしたのか?とか、なんで災厄の出る場所を教えてくれてたの?とか、それなのになんで普通に説明して教えてくれなかったの?とか。
神様だから考えはわからんって設定はさすがに無理があるし、何かしら背景はあるのだろうが説明がないので何もわからない。
こういう細かいストレスが積み重なり、次第に物語への興味が薄れていってしまった。。。
絵面は、それなりに綺麗だが、あくまでも現状維持にとどまり、見慣れた映像だ。むしろ過去作より少し劣って見える。新海作品を初めてみる人にはどう見えるかわからないが、これまでの作品の所見時と比べて驚きはない。
音楽は、あまり記憶に残らず、この点でも残念ながら及第点とはいかない。前作、全前作が良かったというのはあるのだろう。(挿入歌を入れろと言うわけではない。BGMそのものが悪い意味で無味無臭)
個人的には共作になった影響かな?とも思った。
最後に一番気になる点。
ジブリモチーフが多いな、というところ。
厄災を具現化したミミズは、少しデザインを変えた獅子神様(もののけ姫)だし、ダイジンや挿入歌は魔女の宅急便、草太のビジュアルや、様々なキャラが集まってキャラバンを形成するところ、異空間で過去のキャラと出会いループするシーンはハウルの動く城。
これらが上手く作用してれば良いが、正直そうではなかった。
そして思い出すのが、星を追う子ども。
この映画はその精神を受け継いでしまった、精神的続編と言える。
ゴジラ
君の名はでは隕石衝突を、天気の子では東京を水没させるほどの豪雨を描き、そしてこのすずめの戸締りで描かれたのは地震。これらを災害シリーズといってもよいだろう。前二作では人間ではどうしようもできない天変地異あるいは神の悪戯と読めるような、あくまでフィクションとして楽しめるような描写だったが、本作では一気に現実との距離を詰める。
地震が起き、警報が鳴り、震災の跡が残る被災地へと足を運ぶのだ。
私は、前二作で新海監督が描きたかったのは人間を翻弄する神とそれでも精一杯生きる人間だと思っていたが、監督はきっとゴジラを描きたかったのだ。戦争や災害の象徴であるゴジラ。災害をフィクションにうまく落とし込んでエンタメと両立したかった。そうすることで、災害と、どん底から立ち上がる人間の強かさを、三作通してずっと描きたかった。そのように見えた。本作は落とし込みがストレート過ぎたようにも思うが。
ただ、君の名はでは回避しただけ、天気の子では東京水没よりもヒロインを自らの意思で選択した一方、本作では神が手助けしてくれなければハッピーエンドにはならなかった。どうしようもならないけどどうにかする、どうにもならない中でなんとかあがく、ではなくて、運よくハッピーエンドになった点には小さな矛盾を覚えた。
安直な意図を様々な面で感じた。
[良かった点]
絵が相変わらず凄まじく綺麗で癒される。演出も迫力があった。音楽は懐メロが多数登場しマイブームになりそう。声優も神木くん筆頭に良かったし、コメディ要素も面白おかしく楽しめた。廃墟が栄えていた昔に想いを馳せる場面が好きだった。
[良くなかった点]
猫ちゃん可愛いだろ、キーパーソンがいきなり椅子に変わっちゃうなんて驚きだろ、地震怖いだろ、とどれも安直な意図を予告映像の時点で感じていたが、本編を見終わった後も深みのある意図を捉えることができなかった。
メチャクチャ感動した。
結論は、すごく良かった。「言の葉の庭」「君の名は。」「天気の子」と見て、今までで一番好き。以下三点について感想。
一つ目は、「震災の話です」って言わずに宣伝しようという結論にどのように至ったのか興味ある。人間は色んなことをそれぞれ抱えてるもんで、例えば子どもに恵まれない夫婦にとっては赤ちゃんが出てくるテレビCMは見るの辛いとか。ファミリーカーのCM辛いとか。人によって様々あると思う。見たくないのに不意打ちで見せられちゃう。でも、映画ってお客さんはお金払ってエンタメとして見に来るから配慮必要なんじゃない?と。そう思う一方で、本屋で本選ぶとき、ほとんどの人は「こういうシーンありますよ」って知らされないまま買う。あらすじが裏にちょっぴり書いてある場合はあるけど。物語の山場で重要なシーン知らせるってネタバレだから、知らせないの当然じゃん、てのも分からなくもない。やっぱり商売だから、より売るためにはあえて言いたくはないだろう。
しかし、新海さんは「見る人に何か影響を与えうるなら、それは美しいことや正しいことに使いたい」(正確な表現は忘れましたが)って言ってて、それは言われなくてもちゃんと分かる。だから震災を描くことも勇気や覚悟を感じるし、そういう意味での信頼感はある。
二つ目は、自分が「ファンタジーけっこう大丈夫タイプ」「商業向け浅型でもメチャクチャ感動できるタイプ」ということ。新海さんの初期の作品はちょっと苦手だけど、新しい作品になるほど見やすくて好きです。
今回はお話の展開に「ん??」と思うところは確かにありましたが「あ、そういう設定って事で進めるのね、了解!」で気にせずフツーに見れてメチャクチャ感動しました。評価を低くつけている方のレビューをたくさん読んでみて初めて分かりました。そのため、最初に自分が書いたレビューを書き直しています。「共感した」を押して下さった方、ありがとうございました。そしてほんとにごめんなさい。違うなと思われたら消して頂いてかまいません。
私は一体、何に一番感動したのかな?
改めて考えてみました。
最も強烈に残り、思い浮かんだのは、小さいスズメが泣きながら母親を探すシーンでした。涙が止まりませんでした。映画館を出て、帰宅してからまた思い出して涙が出てしまい、家族に「311は実際にあったことだからね、きっと同じような子がいたんじゃないかと思うとね、…」と答え、また言葉が詰まってしまいました。「おかえり」のシーンも胸がしめつけられて涙が後から後から…
これらは、この気持ちは感動ではなかった?これは作品への感動だったのか、311を思い出して被災者の方へ感情移入しただけなのか。でも、鑑賞後に物足りないとか退屈だったとか疑問が残って不完全燃焼…のような気分にはなりませんでした。そうなると、私的にはやっぱり「高評価」で「感動した」って事になるのかな。
私はこの作品を見て、みんなのかけがえのない大切な日常があるということ、311でそれは破壊され奪われたこと、もう二度と起きて欲しくないという切実な思いを抱えながら、今後も災害が起きない可能性は無いであろう今をそれでも私たちは生きていくんだということ、震災を忘れてはいけないんだということを、とても強く感じました。
ちなみに、周りの大人たちが家出少女のスズメに温かい対応をすることについては、絶対的に子どもの味方をする大人を描きたいって前から言ってる新海さんの話を思うと、やむ無しというか…それは変わりません。
三つ目は、今まではレンズ遠ざけても細部まで細かくクッキリ見えるな~目疲れるなみたいな感じだった。明度?解像度?高いな~っていうか。「君の名は。」は、キラキラした東京っていう、主人公から見た主観的な東京を表現しているらしいので、ああそうなんですねって思うし美しいし好きなんですけど。今回はそれはあんまり強過ぎなくてバランス良くて、これもいいなって。逆にどっちつかずの中途半端な印象にもなりかねないので、見る人によるかもしれません。質感というか、タッチ難しいですよね、震災というリアルを扱いながらファンタジー要素もあるから。とにかく、上手く言えないけど私は画面の力がいつもすごい、素晴らしく美しいと思いました。
あと、どうでもいいけど新海さんの作品タイトル付けるセンスが壊滅的にひどい。仮タイトル相当ヤバかったですね。ちょっと意外で面白かったです笑
スタッフの皆さんがいてほんとに良かった笑
「震災を描かなきゃいけないんだ」っていう新海さんの強い気持ちや、若い世代に伝えたいメッセージは、私自身はちゃんと受け取ったと思ったし、鑑賞中も退屈さは感じなかったです。また次回作を見られるだろうから、それが楽しみです。
言葉で表すのが難しい
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