「疑問に思うことも多いが、新しいことをやろうという意欲は感じ取ることができる」すずめの戸締まり tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
疑問に思うことも多いが、新しいことをやろうという意欲は感じ取ることができる
いつもながらの映像の美しさと、アニメーションとしてのレベルの高さは申し分ない。
人の思いと地震の発生とを関連付けて、日本の抱える「過疎化」と「自然災害の多さ」という問題を浮き彫りにする着想も斬新である。
気持ちがまっすぐで行動力のある主人公のキャラクターには好感が持てるし、何よりも、「天気の子」とは違って、自己犠牲を肯定的に描いているところにも共感することができる。
ただし、物語に引き込まれたのは東京の地震を食い止めるところまでで、それ以降は、疑問に感じることが次から次へと沸き上がってくる。
例えば、現役の「閉じ師」は草太だけなのか?だとしたら、もし、草太が要石のままだったら、この先、日本はどうなっていたのだろうか?
ダイジンとウダイジンの目的は何なのか?要石としての役割を放棄して自由に暮らしたいのかと思っていたら、鈴芽や草太と一緒にミミズを封じ込めようとするのはどうしてか?それとも、要石の配置を変えることが本当の目的で、そのために鈴芽と草太を導いたということなのか?
なぜ、ミミズが死者の世界である「常世」にいるのか?ミミズは、地下に溜まった地震エネルギーだと思っていた(草太がそんな説明をしていた)が、死者の世界にいるということは、人間の怨念や恨みが形を変えたものだということなのか?それにしても、何度も常世を覗いている鈴芽や、子供の頃の鈴芽がミミズを見ていないのは不自然であり、やはり、常世とミミズの棲みかは別にした方がよかったのではないだろうか?
常世はあらよる時間に通じているようだが、東京で要石になった草太に宮城で会えたということは、空間も超越しているということなのか?だとすれば、ラストで、鈴芽たちは、どこで発生しようとしていた地震を封じ込めたのだろうか?それとも、地理的な概念は関係なく、地震そのものの根源を絶ったということなのだろうか?そうであれば、日本のどこにも(少なくともしばらくの間は)地震は発生しないということになるが、その一方で、前述の「要石の再配置」という考え方とは矛盾することになってしまう。
と、こうした様々な疑問符のせいで、ラストの「自分に会う」というせっかくの仕掛けがあまり心に響かなかったのは残念だった。
とはいっても、「新海誠」色を残しつつも、マンネリには陥らないようなチャレンジ精神も垣間見ることができて、全体としては満足することができた。