「疎外感だけが残った」すずめの戸締まり アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
疎外感だけが残った
私にとっては 2016 年の「君の名は。」、2019 年の「天気の子」に続く3作目の新海作品である。結論から言えば、「君の名は。」を 100 点とすると、「天気の子」は 60 点、今作もまた 60 点で、かなり期待外れというのが率直な感想である。
まず、この世界のルールが最後まで観客に明かされないのが何より不満で、見終わった後にも疎外感だけが残された。何もかも謎だらけであり、その答えは見終わっても謎のままなのである。まるで犯人を明かさない推理ドラマのようであり、このため、終始観客は当事者意識が持てず、ただ画面の中で繰り広げられることを傍観させられるだけである。
魔物を封じる方法が戸を閉めて鍵をかければいいというだけではないらしいし、そもそも異世界への出入り口が魔物が出現した後でなければ分からず、予防できないのでは毎回ギリギリの対処が求められることになる。草太の姿を変えられた理由も方法も不明であり、そもそも術を解いて貰わなければ元に戻れないのであれば、上からの命令口調などはあり得ず、ひたすら低頭してお願いするしかないはずである。
魔物の姿も既視感があり、「もののけ姫」のでいだらぼっちのイメージが終始抜けなかった。魔物に飛びかかる巨大化した猫は犬神のようであったし、姿を変えられた主要人物というのは「千と千尋」の坊のイメージであり、終始猫が付きまとうというのは「魔女の宅急便」を想起させた。何だか何事にもこうした既視感がまとわりつくのを持て余してしまった。鈴芽が草太に惹かれるのも「ミステリアスなイケメン」という以外の理由が示されておらず、まるで「生きろ、お前は美しい」という差別意識丸出しのアシタカの台詞を彷彿とさせた。
世界のルールが不明なままでは、主人公の行動が良いのか悪いのかも判断できないということであり、全てが事後評価に頼らざるを得ないことになる。また、この監督は、目的を達成するためには多少の違法行為は許されると思っている節があり、「君の名は。」の変電所爆破、「天気の子」の実銃の発砲など、非常に気になっている。これは 1970 年代の共産主義思想を匂わせるもので、嫌な思いをさせられる。今作では、留め石を抜いてしまったら巨大地震が起きて 100 万人規模の犠牲者が出てしまう「かも知れない」のに、草太を救うためだけに抜こうとするのは、草太が救えるなら 100 万人が死んでも構わないという意思表示に他ならなかった。非常に不愉快な行動である。
声優は何と言ってもヒロインが素晴らしく、原菜乃華は容姿と同じくらい声も美女オーラが全開であった。草太役の北村北斗はもう少し切羽詰まった時の緊張感が感じられれば良かったと思う。
「君の名は。」ではビル街に静かに降る雪など、ハッとさせられるシーンが多かったのだが、見る側の馴れのせいであろうか、息を飲むというところまでは行かなかった気がする。特に星空と天の川はアニメにするには難易度が高過ぎると思った。人間側のドラマも深いものを含んでいただけに、疎外感のせいで十分入り込めなかったのは、つくづく残念としか言いようがないものであった。
(映像5+脚本1+役者4+音楽2+演出3)×4= 60 点。