「映画はフェルメールの絵のようだ。『モダン・ウーマン展』残念だ。」魂のまなざし マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
映画はフェルメールの絵のようだ。『モダン・ウーマン展』残念だ。
『パリは汚らしい。でも、私はパリが大好きよ。独特のにおいがする。焼けた石、腐った花、人の垢が混ざったにおい』としみじみと言うと、それを聞く青年が『街か芸術の話か分からないな』とあっさり言う。彼女は視線を下に向けて、直視を避けて、笑みを浮かべる。そして、『ふん』とはいてから『街は私にとって心の状態』青年はどう答えて良いか?
以上 心に残るシーンと台詞。
『ベージュは主に背景に使う。ベージュをまとった人物は難しい』と青年と会話していると、その横を真っ白な服を着て真っ白な傘をさしたモネの絵の様な御婦人がすれ違う。二人は微笑む。
以上、心に残るシーン。
画家にとっての逢瀬は
バッハの作品947で再現する。海辺の藍色の海辺で輝く陽光を背に二人で戯れる姿が美しいく悲しい。
『母の肖像』ホイッスラー作からリスペクト受けているのか?と思ったが、印象派のドガとかモリゾの流れを継いでいるように感じた。映画はそれとは別にフェルメールだが。
わがままでプライドが高くてペシミズムで内気。絵を描く以外自己表現は全く駄目な初老の女性の半生。家族の絆等全く無い。外面的に男に捨てられ、結局彼女は自分の為だけに絵を描く様になると映画では語っている。それを不様に描く。
男に捨てられやけを起こして、自暴自棄から大切な絵の具を顔に付けて、友人を望む。その姿が滑稽で。しかし、このまま『女はつらいよ』にはならない。
昨日、知り合いと六本木のスウェーデン料理店で食事をした際トイレに入って、この映画のポスターを拝見した。残念なことだが僕はこの画家の詳細は知らなかった。フィンランドと言えばトーベ・ヤンソンとシベリウスしか知らなかった。そして、時代は重なって、トーベ・ヤンソンさんもスウェーデン人としてフィンランドに住んで、画家の活動もしている。フィンランドでトーベ・ヤンソンさんがどんな扱われ方されているのか分からないが、反骨精神はこの映画の主人公と同じ位に偉大だと僕は思っている。
日本でのヘレン・シャルフベックさんの展覧会が開催される事を望む。
追記
黒いドレスに黒い傘、しかも後ろ姿で青年を見送る。『モネ』を日傘シリーズを全くリバースさせている。その意味は?
追追記
ネタバレあり
最後の場面青年の奥さんがヴァイオリンをひく。最初はつかえてぎこちない。
その場面の前に『結婚の選択は間違っていた』様な事を愚痴る。
戻って最後の場面。主人公はじっと青年の顔を見て、にっこり微笑む。青年も微笑み返すが、彼女はどんな思いでいたか?想像してみた。
『彼女ヴァイオリンうまいじゃない!芸術的なセンスないわけじゃないわよ。もう少し、ちゃんと見てあげなさい』そんなふうに語っているようだ。