シラノのレビュー・感想・評価
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ラブ・イズ・ブラインド
自分の外見に自信が持てないシラノが自分が思いを寄せるロクサーヌの恋を後押しするべく文才のない青年クリスチャンの手紙の代筆をする話。
一応ちゃんとラブロマンスなのだが、詩的で熱烈なラブレターにのぼせ上がるロクサーヌが相手が違うことも知らずに1人で盛り上がってるもんだから、アンジャッシュのコント見てるみたいだった。クリスチャンがロクサーヌの家に会いに行って結局シラノが代わりに話しちゃう所笑えて笑えて。なんで誰も笑ってなかったの!?(笑)
その勘違いと詩的な回りくどい愛の表現が私は肌に合わなさすぎて、余計笑えちゃって。それ言われて嬉しいんだ結構気持ち悪いなと思ったけど、多分そこら辺は日本でいう平安時代の和歌の文化みたいな感じなんだろうな。
そもそもこの話、恋がしたいロクサーヌにとにかく尽くす男達、シラノとクリスチャンが両方当て馬っぽかった。自分の気持ちを隠してクリスチャンの後押しするシラノも後押しされてるはずが置いてけぼり食らってるクリスチャンも、なんか両方振り回されてるな〜って感じがした。
あとは、個人的にミュージカルは好きだけど今作は歌ってるシーンの違和感が凄かった。感覚としては『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の歌のシーンの違和感と同じ感じ。踊りがコンテンポラリーっぽかったのと、後ろら辺で踊ってる人なんか詰まってない?大丈夫?ってなった。
ストーリーが好きではないが故にあんまりハマらなかった『ウエスト・サイド・ストーリー』だったけど、今作を見るといかにミュージカル映画のとして見せ方が素晴らしかったかがわかった。
ポリコレゆえのミス・キャスト?
代筆業は永遠に
一昨年に『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』を観てから、もっとシラノさんに会いたい!と思ってた。どうしてもジェラール・ドパルデューのイメージが強かったし、『愛しのロクサーヌ』のように鼻に特徴を持たせるのが普通だと思ってた。スティーブ・マーティンのデカ鼻は笑えます。
ジェームズ・マカヴォイの舞台版も観たいところですが、彼だと鼻に特徴があるわけでもないし、ある意味イケメン。そんなシラノさんに大胆なキャスティング。恋のライバル・クリスチャンも黒人という配役なのです。まぁ、キャスティングの奇抜さが全てなのかもしれませんが・・・
やっぱり透きとおった肌が美しいロクサーヌ役ヘイリー・ベネット。恋文の言葉が彼女の心に響いていく様子がまるで音楽!言語は何であれ、言葉の美しさは大切にしなければならないと教えられた気分になりました。
多分、舞台版では伝わらない広大な自然と悲惨な戦場。そして暗い洞窟内で死にゆく覚悟を決めた兵士たちが綴った手紙。愛しい人、大切な人に愛を伝えるシーンでウルウル。戦争が憎い。
外見至上主義(ルッキズム)についても理解しやすい内容でしたが、一目惚れはやはり外見から来るもの。love at first sightです。まぁ、俺はビジュアル系以外のロック至上主義(ロッキズム)かもしれませんが・・・
名優出現
ロマンティックで切ない
色々なシラノ・ド・ベルジュラックを見てきたが、このシラノが一番感動した。最後のセリフ迄聞き逃す事が出来ない。もう一度見たい。
予告編がおしゃれだったので観に行ったけど期待しすぎだったかな 全体...
予告編がおしゃれだったので観に行ったけど期待しすぎだったかな
全体にちょっと古めかしい感じで映像も歌もその時は綺麗だけど印象に残らない
どの登場人物にも共感出来なかった
最後のシラノのセリフはどういう意味なのか考えさせられましたが。
好きなものは好きと
言葉は魂。I love you. だけを繰り返すのはNGです。
この時代ならではなのかしらね、言葉に宿る重み。印刷物の普及も、ましてや音声や映像メディアのなかった時代。平安時代の貴族は和歌の一つも詠めないとまともな恋愛が出来なかったということですし。やはり人は自分だけに向けられた豊穣な言葉に一番弱いのだ。
そもそも、毎日届く(ある意味とても重いよね。普通なら引きそう!)手紙に心酔する受容能力がロクサーヌに備わっていたのだから、シラノとは相性バッチリだったはずである。そんなロクサーヌのリベラルさを見抜けず、自分など相手にされないと思い込み影に回ることをシラノが決意してしまったことが展開を大きくこじらせた。もちろん彼女のクリスチャンに対する一目惚れも嘘ではなかったでしょう。若さゆえ。でも、そのことをシラノに告白することで、ロクサーヌも無意識ながらシラノを刺激したかったのではないのかなあ。
落ちぶれたりといえども貴族のお屋敷や劇場のしつらえは大変見応えあり、ロクサーヌのふわっとした雰囲気と相まって、ロマン派の西洋絵画の世界が再現されていた。 ロクサーヌが、嫌ってる公爵に言い寄られてその場限りの生返事をする時の、言葉と裏腹の一瞬の目の演技(No way!みたいな)がとてもチャーミングだった。
それにしてもあの戦場は17世紀の三十年戦争なのでしょうか。なんだか昨今のウクライナの景色とダブって悲しかった。21世紀だというのに。自分の明日の死を覚悟する戦争集団って悲しい。
現代にはそぐわない気がする。
プライドとコンプレックスの入り混じった表情
楽曲がすごくいい。ミュージカルとしての歌はもちろんのこと、インストメンタルとしてバックで流れる曲が感情を揺さぶる。
原作のシラノは、容貌が醜悪というハンディを持っていたが、今作では低身長というハンディを背負っている。『ゲーム・オブ・スローンズ』では、肉体的欠点を知略と勇気で跳ね返したティリオン役を演じたピーター・ディンクレイジがシラノ。ピーター・ディンクレイジは、プライドとコンプレックスが入り混じった表情をするのがホント上手い。
『Swallow/スワロウ』お姉さんのヘイリー・ベネットが歌が得意とは知らなかった。天衣無縫な笑顔で周りの男を虜にするロクサーヌにピッタリ。
前半の華やかな舞台セットと対照的なダークな戦場のセットが物語の行く末を暗示する。結末がわかっていても涙をこらえることができない。
運悪く『ウエスト・サイド・ストーリー』と同時期の公開になってしまったが、負けず劣らず素晴らしい作品なので、多くの人に見てほしい。
本当に御免なさい!全く何も知らない状態からの鑑賞で…。
予備知識も何も無い状態で,漠然とミュージカルという事で、鑑賞してみた。
鑑賞後,色々と調べ出し、どんだけ自分の無知さ加減を身に沁みて感じた。
ふぅ〜ん⁉︎1897年初演以降という程の古〜い,歴史のある名作『シラノ・ド・ベルジュラック』を改めてミュージカルとして作り直し、本来の基になっているものは3頭身では無く、鼻が人より大きい事のコンプレックスで,容姿の良い同じガスコン青年隊?のクリスチャンに代わって,恋文を綴って恋仲となるようだ。
がしかし,戦場でクリスチャンは命を落とし、長い15年の歳月を掛けて,ソコでやっと恋文の相手を知る事になるようだ。〜馴れ初めを知って行く内に,作品の本当の面白さを知れた気がした❣️という処…。
No war
「シラノ・ド・ベルジュラック」はこれまでに見たことがなく、今作の映画版で初めての鑑賞。
時代に翻弄される3人の悲しい恋の物語。
優雅なダンスが魅力的だった(特にパンや剣で曲に合わせて踊るシーンはお気に入り)。
一人の女性を愛する二人の騎士、一人はハンサムだけど、教養が少なく、気の利いた言葉や詩を書くことできない。もう一人の騎士シラノは特殊な容姿の持ち主ではあるが、剣の腕前は一流で教養もあり言葉の魔術師のように詩的な言葉を生み出すセンスの持ち主。自分の容姿へのコンプレックスゆえにロクサーヌに勇気を出して伝えることができないシラノ。
想いを伝える事により嫌われて会えなくなるのなら、想いを秘めて彼女の傍に居たい…いや、わかるよ、この気持ち。シラノの気持ちを考えると胸がギュッて押し潰されそうに。
そして、クリスチャンのロクサーヌに宛てた恋文を代筆するシラノの気持ちを考えると、あまりにも切なくて胸が痛む。
あぁ、シラノ、君はなんていい奴なんだ😭
そして、やがて芽生えたシラノとクリスチャンとの友情にも胸が熱くなる。
悲しき3人の物語、時代が違えばまた違った結果になったのだろうか…?
手紙からポケベル、メールに移行し、今はLINEやSNSのDMなどで手軽に、そして驚くほどにリアルタイムでやり取りができる。インターネットが世界に与えた恩恵は計り知れないけれど、だからこそ手書きの、手間暇かけて書かれる手紙が愛おしくもなる。言葉の魅力について改めて考えさせられる作品となった。
反復すら出来なかった学生時代が懐かしい(恥ずかしい)
『言葉のあや』というと一般的には、いく通りかの解釈ができる言い方のことを指し、相手方があまり正しくはない理解や認識をした時などに、敢えて訂正まではしないけれど一応、君、少し違うよと釘を刺しておくような時に使ったりします。
「ま、言葉のあやですからどう取ろうとご自由に」
でも、本来は言葉の文彩(綾)と書くように、表現に彩りを添えるものでもあります。
学の浅い私の中では、古代ギリシャ・ローマ時代からのレトリックのイメージは弁論(悪くすれば詭弁まで含めて)術みたいな印象がありますが、本当に他人を説得するためには、理屈を並べて言い負かすよりも寧ろいい気分にさせ、いつの間にか味方にしてしまうほうがいいに決まってます。そして相手の好意を導き出すことを目指す場合、レトリックは、説得という目的から離れ、もっぱら魅力的な表現そのものを目的とする機能を期待されることになり、言葉の文彩はその先の詩作の世界に辿り着いてもおかしくない。
近代における修辞、表現法の理論についての第一人者と呼ばれるのが、19世紀初頭に活躍したフランスのピエール・フォンタニエという人だそうです。
つまり、フランスも含めたヨーロッパでは、言葉で人を魅了することは、単に文学的な意味にとどまらず、恋愛感情まで届くほどの教養=人格として男も女も受け止める土壌があったということです。
現代日本では口先男はチャラいということで片付けられてしまうかもしれませんが、この時代なら、バルコニーでキスを受けられるほどの魅力にもなり得たのです、きっと。逆に言えば、表面的な修辞では騙されない素養をそれなりの出自の女子なら持っていたのだと思います。
騎士道精神のみならず詩心まで兼ね備えたシラノ。
天は二物までは与えたけれど、三つ目までは与えてくれなかった。神からの試練なのでしょうか。
分厚い辞書を見れば、この世のあらゆることは簡単に言い表せるように錯覚してしまいますが、表現の大半は比喩です。
好きな相手の美しさを伝えるのにも、綺麗だ、素敵だ、などの直接的表現だけでは他の人の思いとは差別化できません。
結局、薔薇、百合、牡丹、芍薬などの花に例えたり、クレオパトラや楊貴妃など歴史上の美女に例えたり、或いは比較したり…
掃き溜めに鶴、泥中の蓮…うん、これはちょっと違うかも😆
というわけで、あれだけロクサーヌの心を捉えた言葉が一体どれほどの気持ちと時間をかけて生まれたのか。
それを想像するだけで心の底から熱く儚く泣けてくるのです。
学生時代にラブレターを何回も書き直した挙句、結局ポストの前で引き返した経験、投函したあとに心臓が異様に高鳴った経験のある方(私だ❗️)は、是非昔の熱い気持ちを思い出して味わってください。
(好きだ❗️を反復する勇気すらなかったように記憶しています、あー、恥ずかしい)
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