ONE PIECE FILM REDのレビュー・感想・評価
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新しいタイプ
最高の映画だなと思いました。戦闘シーンの少なさとストーリーの後付感は否めないと思いますが、それをカバーできるくらい曲と映画のマッチが良かったと感じました。ワンピースの映画の中でも新しい型でしたが気に入ってます。
賑やかなアニメ映画でした
ストーリーのロジック性をいちいち細かくこだわることではなく、ライブと戦闘シーンや映画自体が表現したい賑やかな雰囲気に浸っていけば素晴らしい体験を収穫できるでしょうか。スタッフお疲れ様でした!
FILM REDじゃなくない?
ワンピースFILM REDじゃないでしょ。
この映画にタイトル付けるなら
「ワンピースFILM ADO」って付けた方が良い。
その方が作品の内容に忠実なタイトルだし。
RED(シャンクス感)がまるで無い。
シャンクスの出番は、物語後半になるまで全然無い。
終始ADOに歌わせて尺稼ぎ…
一曲聴き終わって、『さて物語が進むか?』と思いきや、また歌を聞かされる…
昨今のダメアニメのような尺の稼ぎ方もここまでしない…テレビ放映アニメ以下のクオリティ。
こんなの映画では無い…
終始歌いながら進行する、ミュージカル映画だって、もっと厚みがあり、何よりテーマ性がある。
これは、ただただADOを強制的に聞かされるミュージック・ビデオでしかない。
これは"ウタ"の映画
ワンピース映画に求めてるもので 人によっては評価基準が変わってくる。 個人的には今までのワンピ映画の中で1番好きでした。 歌✖️戦闘シーンがあまりにもかっこよかった…! これまでの映画を見ていると、 そこに居合わせたメンバーの存在理由? があまりしっくりこなくて… 今回の映画はその場にいるメンバーの理由が はっきりしていて、 原作ではあり得ない共闘が しっくりくる共闘になっていたので みていて楽しさが何倍にも増していた。 ストーリーもキャラクターの感情も しっかり組み立てられているので 見応えはかなりあり…!! みんなかっこいい…!! 評価が低い原因は パワー系が好きな人や ウタの存在を受け付けられない人からは 辛い評価になるのかも…。 楽曲提供しているアーティストさんやADOさん好きは よりすんなり世界に入り込めます。 そして大人の事情など感じず、 純粋に作品を楽しめると思います。
ONE PIECEの新たな挑戦
2回目見ました。 正直、今までのONE PIECEの映画とは違います。 それは、今までの最強のジジイをルフィがバチバチに戦って倒す展開に飽きたと尾田先生も言ってますので 新しいONE PIECEが見れると思って観に行きました。 ウタのLIVEは圧巻で冒頭から迫力が凄いです 自分は今まで正直、Adoさんの歌があまり好みじゃなかったのですが、今回の映画の楽曲を聴いてAdoさんを好きになりました! シャンクス含め赤髪海賊団の使い方が絶妙で 上手いことルフィと再開しない様にはなってました。 低評価のレビューにはシャンクスが少ししか出てこないって書いてる方も居ましたが。 後半結構出てきてますよ、麦わらの一味と赤髪海賊団との共闘はファンにはとても熱い展開でした。 スタンピード程では無いですが、登場キャラが多い為 麦わらの一味の見せ場が少なく感じました。
ミュージカルとして楽しむべき
私はワンピースファンでは無いので単に映画としての感想を書くと、ファンでなくても楽しめる映画だった。 歌で世界を平和にしようとするUTA。UTAの歌唱シーンはAdoが行っている。 Adoの歌唱シーン満載で、それを楽しめるかどうかで映画の評価が変わってくると思う。 ワンピースファンにはバトルシーンや熱いカタルシスがもっと欲しいところかな。 今後Adoが表に出る事は無いかもしれないけれど、ミュージカルの舞台でも通用するストーリーだと思う。
ひとことReview!
今年度ワースト級の映画。脚本がズタズタで、アクション・シーンが滅茶苦茶。谷口悟朗監督、黒岩勉脚本で何故こうなったのかと思う。同じ東映作品の大傑作『ドラゴンボールS』最新作とは天と地の差じゃ。
ADOを売りたいだけの作品でした
FILM LED
本当に随分前から本編に繋がるや
シャンクスの過去がなどとても期待大の作品でした。
ワンピースの前売り券を初めて購入した作品だったのに、尾田さんにすごくガッカリした作品でした。
ワンピースファンを馬鹿にしてますか?
これまでのワンピースの映画とてもよかったので
どんな構成なのかとワクワクしながら映画始まったとおもったら、ADOのライブを大音量音楽をフルで聞かされ子供はうるさいと耳を塞いでいました。
内容もあまりにもADOの歌ばかりで、途中でプロモーションだこれって気づいてワンピース熱までさめました。
小学生の時から大人になるまでずっと応援してたのに
ADOを逆さまから読むとODA(尾田)おそらくADOが出始めた段階でこのワンピースの製作はじまっていたと思うのでそういう事なんだなと個人的に理解しました。
ルフィとシャンクスの大事で大好きな風車村のシーンに傷がつきました。ウタはいらない。シャンクスに娘がいる設定いらない。
ていうかそれなら何も繋がりなんて作らず、新しい作品てだけで映画にしてほしかった
だったらまだ納得できたのに
【否定派こそ読んで】少年も大人も楽しめる大傑作!!!!
今作はめちゃくちゃ評価が割れているわけですが、それは当然で、このウタというキャラクター(いきなり出てきたシャンクスの娘兼ルフィの幼馴染兼世界の歌姫)を好きになれるかどうかに全てが掛かっており、かつこのウタが明らかにクセの強い、万人受けは決してしないキャラクターに仕上がっているためです。しかもこのウタという少女は、「ワンピース」という作品のオリジンに関わる存在でありながら、同時にそれを否定する立ち位置にいるのですね。
ただ、これは悪いことばかりではなく、「ワンピース」という長寿漫画の劇場作品としては、かなり正解ではないかと思います。前作の「スタンピード」が集大成だとするなら、今作はオリジンです。極端な話、ワンピースの原作をちゃんと追ってない人でも、最初の数話だけ読んでいれば(つまりルフィという少年がシャンクスという男に憧れて海賊王になるために海に出るということさえ知っていれば)理解できるようになっている。長寿作品というのはどうしても途中で離脱してしまう人が少なくないわけですが、そういう人たちでも「お、シャンクスなら知ってるぞ」となって、「じゃあ見てみるか」となる。これはオリジンものの強みでしょう。今作が賛否両論でありながら、興行収入がずば抜けているのも、そうしたことが理由の一つにあるんじゃないかと思います。
とはいえ、FILM REDは単なるオリジンではなく、それを反転させながら、揺さぶるような作品でもある。だから、冒頭からいきなり「大海賊時代」の否定が始まるのですね。はっきり言って、かなり変な映画です。かつ、あんまりワンピースっぽくない。理由は色々ありますが、一番はルフィの描かれ方だと思います。
「少年」としてのルフィ
ワンピースという作品の核は何か?と問いへの答えは色々あるでしょうが、個人的には「ルフィが敵をぶっ飛ばすこと」だと思っています。ひどい敵が出てきて、ひどいことをして、ひどいこと言う。そうやってフラストレーションを溜めて溜めて、溜まりきったところでルフィが一発ぶちかます瞬間のカタルシス。(その意味で、ドラム王国編でワポルにパンチが当たる直前に回想シーンが挿入されるのは非常に優れた演出だと思います)。海賊の戦いというのは信念のぶつかり合いなので、ルフィが敵をぶっ飛ばすというのは、要するに相手の信念を打ち破り、自分の信念を貫くことを意味しています。(なので、ルッチ戦然り、シキ戦然り、ルフィの戦いは全体の戦局とはあまり関係ないことも多いです)。
そこで、今回のウタ名台詞No.1「当てる気もないくせに」です。
今作は最後まで、ルフィの「殴れなさ」に焦点を当てています。なので、最後のトットムジカ戦(物語を収拾するためのデウス・エクス・マキナ)以外、ルフィの見せ場はあまりない。尺の大半は、バリアの中でゲロ吐きそうな顔してます。戦闘シーンで言えばサンジとかゾロの方が多いでしょう。
基本的に、ルフィは相手が誰であっても「殴れる」男です。ウソップだろうがガープだろうが、改心?したベラミーだろうが、信念がぶつかるのであればルフィは殴れる。空島前のベラミーだったり、あるいはWCI編でのサンジだったり、信念のために「あえて殴らない」ことはあっても、「殴れない」ことはないのです。
ところが、今作のルフィは明らかにウタを「殴れない」男として描かれています。全力で足を振り上げたルフィが、それでもウタと戦うことができずに地面を虚しく蹴りつけるシーンは最高です。最初の方こそ「争う理由がねえ」と言っていたルフィですが、ここにおいてはもはやウタを「殴らない」のではなく「殴れない」のだとはっきり描かれています。(シャンクスの帽子を破られてなお、怒りではなく哀しみの表情を浮かべるのもその証ですね)。もちろん、ルフィの見せ場がないと映画として成立しないので、そのためにトットムジカ戦が用意されているわけですが、物語としての力点は明らかに「ウタを殴れない」ことに置かれており(なので、トットムジカを倒しても結局事態は解決しない)、このことがFILM REDという作品を特殊なものにしています。(あのオマツリ男爵でさえ、最後に決着をつけたのはルフィの一撃だったので……)。
ルフィ自身は別れ際でウタに「どうして殴らなかったの、あたしのこと」と問われ、「俺のパンチはピストルより強い」からだと答えています。まあ、それはそうなんですが、あの時点で既にここが現実でないことはわかっているわけですから、いくら自分が強くてもウタが傷つかないことくらい理解しているはずで、あのルフィの答えはウタの言う通り「負け惜しみ」なのだと思います。
ルフィが殴れなかった理由は色々考えられるのですが、個人的に大きいと思っているのは、今作の大半において、彼が麦わら帽子をかぶっていないということです。物語の序盤でウタに奪われて以降、シャンクスの帽子はラストシーンまでルフィの元に戻ってきません。今作のルフィはその意味で、「麦わらのルフィ」ではなく「フーシャ村の少年ルフィ」なのです。(原作でも、頂上戦争後に「麦わらのルフィは休業だ」と言って帽子を置く描写がありますね)。麦わら海賊団の船長としてのルフィではなく、その中にある一番柔らかな部分、かつて少年だった存在としてのルフィを描いたこと。それが、FILM REDという作品の大きな達成だと思います。
「麦わらのルフィ」は海賊団の船長という立場にある強い男です。でも、「フーシャ村の少年ルフィ」は違う。過去編を読むとわかるのですが、ルフィは元々寂しがり屋な末っ子キャラなのですね。エースもサボもウタもみんなルフィより年上です。自分より年上の大人たちに可愛がられたり、反抗したりしているシーンは多いですが、自分より年下の子供を引っ張っている描写はほとんどありません。(その点、年下のガキンチョ相手にイキっていたウソップとは対照的です)。
海賊「麦わらのルフィ」であれば、相手が誰であっても殴れます。そこに信念のぶつかり合いがあるならば。でも、「フーシャ村のルフィ」は違う。それは彼の中にある弱さですが、頂上戦争の時に実感したような弱さ(どれだけ力を振り絞っても大切なものに手が届かない無力感)とは、また別のもの。たとえ信念がぶつかり合っても、戦わなければいけなくても、それでも殴ることができない。そういう「少年」としての弱さなのです。
幼馴染とは、大人になったはずの青年を少年へと引き戻す存在です。映画の冒頭でルフィはウタのことをすっかり忘れていますが、徐々に思い出し、積み重なったその思い出が、彼の中に眠っていた「少年」を蘇らせていきます。FILM REDは「フーシャ村の少年ルフィ」がもう一度麦わら帽子を託されるまでの物語でもあり、その意味でルフィという青年のオリジン映画なのです。
ウタの響く場所
再びウタの話。彼女の歌の話です。
ウタは2つの世界の狭間に生きる存在として描かれています。一つはルフィたちが生きる現実の世界。もう一つは自身の内側に広がる空想の世界です。空想に興味がないルフィと対照的に、ウタは夢の世界を重んじて生きています。
それを補強するのがウタウタの実の存在で、彼女はこの実を食べた能力者であると説明されています。これは要するに、歌によって生まれた自分の空想世界に他人を連れ込むことができる能力です。ウタワールドにおけるウタは神に等しい存在であり、どんなことでも実現できます。(私は最強!)
問題はこの力が彼女にとって呪いでもある、ということです。
ウタの歌を聴いた人間は全員眠りに落ち、ウタワールドへ連れていかれる。これはつまり、誰も現実にはウタの歌を聴くことが出来ないことを意味しています。現実で歌っているウタは常にたった1人の孤独な存在なのです。(ウタウタの実の能力には疑問も多く、彼女がこの能力をオフにした状態で歌えるのかどうかは明らかにされていません。ただ、ルフィの回想でもみんなが寝てしまっていること、普段の配信ライブでもウタが激しく体力を消耗していることから、おそらくほとんどのケースでウタウタの能力は発動しているのだと思われます)。歌姫ウタは歌を通じてしかみんなと繋がれないのですが、けれど歌っている限り、現実のウタは常に孤独のままなのです。
彼女が現実と同じくらい夢の世界=ウタワールドを重んじる理由の一つはこれでしょう。ウタという少女が自分の歌をみんなに聴いてもらえるのは、現実の世界ではなくウタワールドの中だけ。ウタの歌は、夢の世界にしか響きません。そしてウタが眠りに落ちるとき(つまり夢の世界にいくとき)、能力は解除され、ウタワールドは消えてしまいます。ウタは決して、みんなと同じ場所にはいられないのです。ウタウタの実の設定には、こうした残酷なすれ違いが仕込まれています。
非常に危うい力を持ったウタという少女が、それでも辛うじてバランスを保てていたのは、家族同然の赤髪海賊団、そしてルフィの存在があったからです。作中の回想シーンで、ルフィはウタを現実に引き戻す存在として描かれています。最初の回想では、一人空想に耽るウタに声をかけ、身体性を伴った「勝負」を持ちかけます。続くシーンでは眠ってしまったウタの鼻先に触れ、彼女を起こそうとするルフィの姿が描かれています。
9歳の時点では、ウタの人生は歌だけではありませんでした。だからこそ、彼女は空想の世界と同じくらい、現実のことも大切にできていた。問題は、エレジアで暮らすようになって以来、ウタの人生から歌以外の全てが消えてしまったことです。(それが彼女にとってどれだけ絶望的なことなのか、死んだ目でゴードンと暮らすウタの姿を見ればわかります)。ウタの歌声は、決して現実の世界には響きません。彼女は歌姫である限り、夢の世界で生きるしかないのです。ここにおいて、現実と夢の世界の序列は、彼女の中で完全に逆転します。ウタにとって、何よりリアルなのは夢の世界であり、現実の世界は淡い夢のようなものに過ぎなくなったのです。
ここでようやく、物語におけるトット・ムジカの役割がわかるようになります。
この魔王には重要な意味があります。
それは、ウタの歌を現実世界に響かせるという役割です。トット・ムジカを使うことで、夢の世界は現実とつながり、ウタは自分の歌声を現実の世界に響かせることができるようになります。これはまた、彼女がトット・ムジカを使うことを決意する理由にもよく表れています。ウタが楽譜を使うきっかけになったのは、現実世界で観客の一人が撃たれたことでした。パニックになった彼女は必死に血を止めようとしますが、どうしようもありません。(ご丁寧に、その少し前にはウタワールドで彼女が怪我人の傷を癒すシーンが対比的に挿入されています)。現実における自分の無力さを噛み締めたことで、ウタはトット・ムジカを使うことを決意するわけです。夢と現実をつなげ、自分の歌声を現実の世界に響かせるために。たとえそれが、破滅と厄災に満ちた力であったとしても。
けれど、ウタの声がはっきりと現実の世界に響いているシーンが、トット・ムジカ以外に一つだけあります。彼女が命と引き換えに歌う、「世界のつづき」がそれです。この最後の曲だけは、ウタウタの呪いに抗い、そこから自由になるものとして歌われています。
これまでずっと、人々を夢の世界に誘うために歌っていたウタは、その反対に皆を現実世界へと誘う歌を歌います。夢の世界の歌姫ではなく、現実を生きる赤髪海賊団の音楽家として。彼女の歌声はついに、現実の風に乗って、世界中の海へと広がっていきます。そして、その代償として、彼女はたった一人で夢の世界へと旅立っていくのです。
深く理解するほどに面白い。天才と天才が組み合わされば最高の作品ができる。
正直、見る前は商売重視で人気者を集めた駄作かと思っていましたが、違いました。
初めの曲が少し長かったため劇中のみでは説明不足な部分もありましたが、中盤からはテンポも良く十分理解できましたし、40億巻や小説版、歌詞などを踏まえるとウタの心情などもよく分かり、良いストーリーだと思いました。
評価を下げたポイントは劇中のみでの説明の不足です。行間を読んで観れる人なら十分楽しめますが、映画だけでは納得しきれない部分も残ってしまうのも事実だと思います。
よく分からなかった部分があった方は、考察動画などを見ると40億巻の情報や小説版なども踏まえた見方がよく分かるので見たほうがいいかもしれません。
はっきり言って、今の麦わらの一味は強すぎるため勝てない敵がほぼいないので、今回の敵を考えるのは難しかったと思いますが、悪魔の実の能力で納得感のある強さになっていて素晴らしいと思いました。
ホビホビの実などチート級の悪魔の実は他にもあるので、あれぐらい強い実があってもいいと思います。
ワンピースファンとしても、赤髪海賊団の戦闘シーンや人物像がある程度垣間見れましたし、本編に繋がる伏線があったため、満足する内容でした。
その他多数のキャラの出演やギア5のチラ見せ、ウソップとヤソップの見聞色ごしの絡みが映画で描かれたことは気になる人もいるかもしれませんが、映画というパラレルワールドのファンサービスなのでそこを低評価ポイントにするのはナンセンスではないでしょうか。それにウソップとヤソップは会ってはいないので本編にも大して影響はありません。
声優やキャラのイメージと異なるadoさんが起用された意味も映画を見ると分かりますし、声質の違いも、映画館で見た限り、私は違和感なく楽しめました。
曲自体も映画を観た後になると歌詞の意味がよく分かって来るので、それを踏まえてもう一度見たくなる作品でした。
ちなみに、ウタの心情は、ウタは、「私の歌で幸せになって」という承認欲求よりも、曲の中で歌われているように、「一緒に逃げよう」というイメージ。
シャンクスが財宝のためにエレジアを滅ぼし、自分を騙して捨てていったと思っていて、他にも海賊で苦しむ人々の思いを知っていくうちに海賊全体への恨みへと昇華していった。
人々も、海賊に苦しめられる中でウタウタの力で自分達に幸せな気持ちをくれるウタを救世主として崇めていった。
真実を知った後、エレジアを滅ぼしてしまった自責の念や、赤紙海賊団としてのアイデンティティも失い、今更戻ることもできないことから耐えられなくなったウタは、人々の思いを受け止めて人々を救うと同時に自分も現実から目を背けて逃げてしまいたいと思った。
しかし、そのやり方を誤り、暴走し、ネズキノコの副作用もあり、精神がどんどん崩れていってしまった。
という感じでしょうか。
Adoファンだけが喜ぶ映画
開幕早々、Adoの曲を丸々聴かされます。 途中で敵が乱入してくるとか思ってましたが、まさかの丸々です。 それから事あるごとにAdoの歌を聴かされます。 申し訳ないが、ワンピースの世界観に合わない歌声、歌で、かなりウンザリ… これ作った人らはAdoを抱きたいのでしょうか? そんな邪推をしたくなるぐらいAdoオンステージです。 本当に世界観に合わず、2時間程の映画を観る…いや聴かされるのはとても辛い時間になりました。 これも新時代か…って一言で片付けるのは良いですが、ワンピースファンはリピしないのではないでしょうか。 私はしません。 肝心なシャンクスも終盤でしか活躍しないし… 目に見えるAdo推し、電通噛んでそぅだなと思ったら、案の定電通噛んでました。笑
面白かった♪
素直に面白かった♪ 率直に言うと、前後編とかでも良かったかなぁと。 UTA編、シャンクス編とかでも良かったかなぁ。 各々のエピソードに時間が取れなくて入り込む事が出来なかった。 それでもストーリーも盛り上がりも十分でとても面白かったですよ♪
若者向けミュージックビデオ
ONE PIECEに、音楽性を求めてる人、許容できる人向けの作品。
正直、前作みたいなバトルを期待してた人には不満かと。
とりあえず、ウタの演出がONE PIECEでやる必要ないよね?ってのばっかりで、なんて言うかVOCALOIDのPVや、Vtuberのライブ見てる気分でした。
ONE PIECEの世界観的要素感じられなかった。
ここまでの演出しまくり動画配信ってONE PIECEの世界観にそぐわないよ。(ここは多分直前までワノ国やっていたから余計そう思ったってのはありそう。)
あと話が進むにつれてウタが嫌いになっていきました。
ウタ至上主義で、ウタは天使で、ルフィ達ですらウタを神格化する要員。
それから、なんで古代からのトットムジカがハードロックなんですか笑
アステカっぽい壁画は見せかけですか。
しかも魔王を倒す方法がご都合主義。二つの世界って何?これもワンピの世界にはそぐわないなぁ。
しかも魔王の演出がどう見てもまどマギでした。本当にありがとうございました。
最後の「寂しかったんだね…」的なセリフで、「一人ぼっちはww寂しいもんなwww」ってなりました。
何が寂しかったのか全くわかりませんでした。
でも、そこで戦隊を組むコビーはとてもカッコよかったので、今回コビー大活躍回でって事で⭐︎2です。
バトルシーン目当てで行くとちょっとガッカリすると思います。
AdoファンとVtuberが好きな人が見に行ったら良いと思いますね。
大海賊時代について改めて考えさせられた
弱者が生きるにはあまりに苦しい時代である大海賊時代に、閉じた世界で生きてたが故に、良くも悪くもあの世界の価値観に染まりきっていない状態で民衆の救いのシンボルとなってしまったウタ。彼女の歌を聞き、歌詞を見てその心情について考えると、より考察できる仕組みになっていて面白かった。演出も良くて、見ていて飽きない仕掛けになっていると思った。
シャンクスやルフィの目指す新時代とは何なのか、ウタを通して垣間見えてくるのも今までにない試みでとても好きな作品です。
この作品は音楽家 (革命家) の記録 (REC)、原作とは切り離して素直な気持ちで観てほしい。
約束の日 8/15 が過ぎたので、投稿。
ドえらい悪い評価が並んで、びっくりしました。
私は決して、悪いとは思わない。
平和、平等、善悪、幸せと不幸、人生観、価値観の相違、家族、
SNSやメディアの影響。生きにくい世界への叫びと、希望。
様々な背景、テーマがつまった素晴らしい物語 (ステージ) だと感じました。
〇erfume 好きの私にとって多くの割合を占めた「歌」や「ダンス」のシーンは
お馴染みであり、大好物であるが (笑) 曲調、演出、ダンス、どれかが嫌だったり
相性が悪い方々にとっては、苦痛を感じる時間も多かったかもしれない。
そこは同意できる。きっと点数が悪いのも、そこではないかと思ったりする。
これから見る方には、ぜひ、周りの評価に影響を受けず、
原作と切り離して、素直な気持ちで、このステージを観てほしい。と、私は叫びたい。
ど派手なアクションのワンピースを期待するなら、原作を観ましょう(笑)
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この作品の主人公は、ウタだと私は思う。
そして、音楽家、革命家の彼女の記録 (REC) だと感じている。RED じゃなく、REC
家族を愛し、歌を愛した彼女はあることをきっかけに、
閉じられた社会で暮らすようになる。
そして、閉じられた社会で、救いを求める声、現実を悲観する声、社会への怒りの声を
ずっと聞いてきた彼女は、社会の声に後押しされるように、歌姫ではなく、
革命家としての道を歩みます。新時代への夢を見ます。全身全霊をかけて。
これは凄いことかもしれない、誇らしいことかもしれないが、
「社会の被害者」とも、私には見えてしまう。
ある人は言う「平和も平等も存在しない、でも歌はみんなを幸せにする」
もしも親なら、平和や平等、理想のために全身全霊をかけるのではなく、
自由に自分らしくずっと、歌を続けてほしかった。と思ったのではないだろうか、
この結末は、あまりに切ない、寂しい、苦しい。
歌 (言葉) には力がある。プラスにも、マイナスにも働く。
言葉の力がプラスに働く社会であってほしい。
新しい時代であってほしい。そう強く、願ってしまう、そんな作品でした。
↑ こういう書き込みも「負け惜しみ~♪」と言われちゃうのかもね(笑)
これはワンピースではありません
賛否両論ありますが、初代映画から見てきた身としては異質な映画でした。 過去の強い絡みがあるウタとルフィなのに帽子を破られた時に対して怒らないルフィ、一味でもそんなことをしたら本気で怒るのがルフィなのでこの辺りからウタとの関係の薄さが目立ちました。 今までルフィのためのワンピース映画だったものが急にウタのためのワンピース映画になったせいで素直に見れず、私はルフィを中心としたストーリーで進むフィルムREDが見たかった。 この映画を評価している人は色々な映画を見て評論家気取りの目線から見て良い作品だと言っているのでしょうが、ただのワンピースファンはそんなことどうでも良くて、他の作品では出来ないワンピースの映画が見たかっただけなんです。
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