ベルファストのレビュー・感想・評価
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モノクロで描く追想の世界。
○作品全体
物語の幕開けは「北アイルランド問題」という「大人の問題ごと」から始まる。幼いバディにとっては全貌は見え難く、作中で語られることもバディの知る限りのトラブルに終始する。ベルファスト以外の大規模な争乱はバディ家で流されているテレビからのみで、それも母がテレビを消してしまえば情報はそこまでだ。バディにとっての「北アイルランド問題」の大半はバディにとっての世界である、ベルファストでの出来事だ。自分自身にとってはまったく縁もゆかりもないベルファストだが、この世界の狭さの演出が、自分自身が体験した「幼少期の狭い世界の広大さ」とリンクして郷愁を感じさせる。
モノクロの画面が主張する懐古や追想の世界。これはモノローグで大人のバディが振り返るスタイルではなく、当時の出来事を当時のバディが感じ取ったことを大切にしたいという意思表示なのかもしれない。カメラワークとモノクロ以外の色の演出がその証左だ。
カメラワークで言えば、冒頭の襲撃の回り込みカット。襲撃の全体像ではなく、不穏な空気を最前線で感じ取るバディの表情にフォーカスを当てて回り込む。襲撃という出来事そのものよりも、そのときのバディの感情に寄る演出だ。このカット以外でもカメラとの距離感が極端なものが多く、その時のバディの衝撃を演出する。作品序盤で神父が力強く説法するカットは強烈だった。見ているこちらも神父のアップショットのインパクトがイヤでも残る。一方で祖父や祖母とのおだやかな時間はカメラがやや引き気味になる。その時の安らかな時間の記憶を大切に、そっと切り取るかのような距離感が心地よかった。
「色」にクローズアップするならば、やはり劇中の映画や舞台劇だ。これだけは1969年の世界を映し出す際も色が付いている。これは大好きな映画や舞台劇の記憶だけは悲しみに干渉されない、鮮明な記憶だからかもしれない。祖父母やガールフレンドと過ごした時間も「悲しみ」がなかったシーンだったが、モノクロで写されている以上、そこには「懐古」というフィルターが存在する。祖父母やガールフレンドを懐古するときには必ずその後の別れがつきまとう。だからこそ「チキチキバンバン」は色鮮やかだが、一緒に楽しんでいる家族の姿を写すと、モノクロになるのではないだろうか。
こうしたバディが受けたインパクトの可視化が、「子供目線の問題ごと」が現像されたように思えて作品世界に入り込める一因担っていたと思う。
社会全体を覆っている黒い雲は冒頭をはじめとして克明に描かれているが、その下で暮らす少年のまわりには、間違いなく明るい景色も存在した。そのかけがえのない景色をモノクロの世界で包んだうえで大切にフィルムに収めたのだな、と感じた。
そう思っていたからか、ラストの切ない苦味とともに暖かい気持ちにもなった。
○カメラワーク
・境界線、フレーム内フレームの演出が印象的。境界線でいえば、役所から夫の金にまつわる連絡を受けて崩れ落ちる母とバディを俯瞰で捉えるカット。家の柱を境界線として画面を2つに区切る。「大人の事情」とそれを理解できないバディを区切るかのようだ。この金の話が終盤の移住へも通づるわけで、家族を分裂に引きずり込む要素としても境界線が効果的。
フレーム内フレームは祖父母と話すバディのシーンが面白い。祖父母の家の庭(?)はトイレがあったり入り組んでいて、祖父とバディは外で話しているのに祖母は家の中にいる構図が作られていた。こっそり小遣いを渡す祖父と受け取るバディ、そしてそれをしたたかに見逃さない祖母。「こっそり」の部分が「男同士の内緒話」のようで、イエナカとイエソトをで分けているのが活かされてた。
○その他
・祖父母の関係性がいつまでも若々しくていいな、となった。不穏な空気が常に横にあるが、この二人がでてくるとそれを忘れさせてくれるような感覚が、良かった。
子供の頃に観た映画の思い出
2022年4月15日(金)
第94回アカデミー賞で作品賞、監督賞ほか計7部門にノミネートされ、脚本賞を受賞した「ベルファスト」をキノシネマ立川高島屋で。
1969年のベルファストでの出来事をモノクロの画面に描き出す。
「ベルファスト」は、監督ケネス・ブラナーの北アイルランドの出身地の名前だった。主人公のバディ少年9歳というのは、1960年生まれのケネス・ブラナーの年齢だ。
1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、ベルファストは、この日を境に分断され、家族と映画を楽しむなどしていた穏やかだったバディの世界は暴力の世界へと変わってしまう。
「スタートレック(TV宇宙大作戦)」、「サンダーバード」の国際救助隊の制服、アストンマーティンのオモチャ、TVで観ている「真昼の決闘」「リバティーバランスを打った男」、映画館へ家族で観に行く「チキ・チキ・バンバン」(パートカラーだっけ?)、そしてラクエル・ウェルチの「恐竜百万年」!(「7人の愚連隊」を観に行こうよ、なんてセリフもある)
1969年に9歳だった監督の思い入れと子供の頃の思い出があふれていると思った。
ウクライナと侵攻したロシアが戦っている今、アイルランドとイングランド、カソリックとプロテスタントの争いを見るとは。
いつの時代も同じ民族同志で争う「人間」って愚かだ、と思わざるを得ない。
監督の回顧録
監督の回顧録みたいなものらしい。
北アイルランドの首都ベルファストが舞台
1960年代後半、カトリックの少数派が被った教派分離に反対する公民権運動から紛争が始まった。 北アイルランドの帰属をめぐって、主にカトリックで構成される共和派と民族派、主にプロテスタントで構成される王党派(ロイヤリスト)と統一派(ユニオニスト)が対立したことで、30年に及んで暴力が蔓延した。(Wikiより)
見てから時間が経ってしまったが、
ラストおばあちゃんだけが地元に残ることになって、お別れシーンの哀愁が忘れられない。
おじいちゃんいい人だった。おじいちゃんの言葉を聞くために、2回目セリフだけ見直した。
あまり起伏がなく、期待しすぎた感はある。
おまえが探せない所へは行かない
みんながバディに優しい、街の人々ももちろん家族も。宗教上の対立から街が混乱、混沌の世界に進んでいく中で9歳の少年は周囲の大人たちから学んでいく。未だに宗教戦争の何で?が分からないが、嫌が上でも巻き込まれざる得ない状況。抜け出せたバディは好きなベルファストから出ないといけなくなるが、出られたバディ家族は幸せだと思う。最後の献辞には心打たれる。
イニシェリン島から
イニシェリン島から見えていた、内戦中の本土、北アイルランド、ベルファストの話、と思って、興味を持って観てみたら、監督の自伝的なやつだった。
アカデミー予想のメラニーさんが推してた映画だった。(それでタイトルだけ覚えてた)
なんか、推すの分かる!
いい映画で、ベタといえばベタ。
記憶を辿って作っている感じにグッとくる。過去のもの、もう無いものへのノスタルジアに満ちている。
感傷的望郷映画
監督・脚本・製作のケネス・ブラナーさんの故郷、北アイルランドのベルファーストでの少年時代を綴った感傷的望郷映画。
父親はイギリスへの出稼ぎで留守がちだが帰宅した時は家族で映画館へ行くのが常、そんな体験も映画人を志したプラナーさんの原点なのでしょう。
劇中でも語っていますが宗教の怖さを日常的に感じる生活を疑似体験、1969年、人類が月に降りたったと言うのにプロテスタントとカトリックの対立は激化するばかり、無知と言うのは怖いものです。
ベルファーストはタイタニックでも知られる造船の町ですから仕事が無かったわけではないと思われますが父親の雇用事情がどうだったのかは分かりません、幼い子のいる家庭では治安悪化は切実ですし生活の為に転居するのは致し方ないでしょう。必要以上に感傷的に思えますが個人的な思い入れで作ったような映画なので仕方ありませんね。
似たような少年の故郷へのノスタルジーを描いた映画では感動の名作「故郷は緑なりき(1961)」があり炭鉱に依存した村人の描写も秀逸でした、それに比べると本作で描かれるのは主にプラナーさん一家ばかり、極論すればホームビデオを見せられているような退屈さが否めませんでした、脚色を嫌ったのか、少年時代なので記憶が浅かったのかもしれませんが映画なのですからもう少し対象を広げ、人物を深堀りしても良かったでしょう。
the healing has began
エンディングに流れるVan Morrisonのthe healing has began
残ったものも出ていったものも,ベルファスト1969年の当たり前の日常を記憶して心の糧に,これからも行きていく。
故郷を持たない私には,お母さんかベルファストの暮らしに固執することは想像でしかわからないが、やがてその愛しい日常がいつのまにか、固執し,守るべき日時ではないその価値がなくなっていることに気づく。
国同士とか出なくても同じ街に同じような暮らし向きで住む人々の間にも突然争いが起こり殺したり殺されたりする。カトリックかプロテスタントかは全く無関係で(でも同じキリスト教文化的同士でもこの程度に,ほぼネタみたいに相手方を理解しておるのか。という点はおろしろかった)街の日常生活の中で外部から,格差や階級、軍隊,外からの支配や圧力、貧困、そんなことからなきる小さなストレス,フラストレーションが大きくなってやがて暴力的な争いになってしまったのだろう。おじいちゃんおばあちゃんの存在感。そのおじいちゃんが存在していたことへの率直な感謝。おじいちゃんに助けてもらった、またおばあちゃんにとお母さんにもお父さんにも助けてもらったという感覚こそが日常であり、月への第一歩をロンドンに踏み出したこの家族は常に,その日常と共にあるだろう。
2度の,空港バスが街を出るシーンがとてもよい。
今も世界で国単位から隣人間まで諍いが絶えない世界において、今,癒しが始まる,始まったというメッセージを、そして日常は心の中にあり失われないということを、故郷ある人離れた人残った人追われた人旅立つ人全てが忘れないこと。このようなつながりが誰にもあることを心から願う。
ケネスブラナーの祖国愛、ベルファスト愛
戦争は大人の都合。子ども目線では、戦時も平時も変わらない。
この映画は戦争ではないが、北アイルランドの事実上の内戦状態のベルファストが舞台の映画。その中で、主人公の少年バディの毎日を描いた。ここで内戦がなければ、クラスの女の子が好きになって、ドキドキしてみたり、クリスマスプレゼントでサンダーバードの仮装に喜んでみたり、そしてあの愛くるしい眼。映画館で家族と映画を楽しむ。
そんなに突飛な話ではない。
でも北アイルランド最大の都市、ベルファストの街は内戦状態。最終的にバディの一家は生命の保全のためにロンドンに移り住むのだが、子どもにとっては、カトリックであろうがプロテスタントであろうが関係ない。そこにあった毎日がすべて。引越したら、その女の子に会えなくなると泣く。戦争という大人の事情よりも、バディにとっては女の子と会えなくなる方が大問題。
結局、戦争は大人の事情で日常生活を壊す所作。その最大の犠牲者は子ども。逆を言えば、子ども目線はかつては、すべての大人が持っていたわけだし、それを思い出せば戦争の不合理さに思いは及ぶはず。
本編はモノクロだが作品の冒頭と終わり部分のみがカラーで、1998年のベルファスト合意で平和が訪れ、繁栄しているいまのベルファストが描かれている。今のベルファストにも一度行ってみたい。
映画館で観たかったけど、タイミング逃してアマプラレンタルしました。...
映画館で観たかったけど、タイミング逃してアマプラレンタルしました。
私の好きなケネス監督作品でありジュディ、カトリーナとジェイミーの映画。
週末にレンタルして、パジャマでゆっくり鑑賞できて、これはこれで良かったです。
さて、最初に映される現代のベルファストの景色。凄く素敵です。
そして、時代はケネスの少年時代、混乱期へ舞台は変わります。
ちょっとカトリックとプロテスタントの対立に関して知識がないと、理解が難しいところもあるかもしれませんね。
そこは、宗教対立と考えるとして私が良かったなと感じるのは祖父母の描写です。
祖父は少年に算数を教えながら愛情を妻と少年に注ぐ。
幾つが名言ありましたので、備忘のため記載しておきます。
長すぎる我慢は心を石に変える
ばあちゃんと結婚して50年だけど未だに言葉が通じない
自分が何者かは、ちゃんと分かっていたら不幸にはならない。
ジェイミーの名言も良かった。
どっちサイドとかは、無い。
田舎育ちだと、街で子供を見守り隣近所が協力した関係を築いていたりする。
そんな環境を好きでベルファストに残りたい妻と時勢の変化、妻の心境の変化も映し出されている。
私の中では個人的には、この作品がアカデミー賞だったな。
音楽もlasting loveは強すぎたけど、きっと何かケネスの思い入れあっての選曲なのだろう。
観て良かったです。家族への愛を感じられます。
ALWAYS ベルファストの思い出
『ROMA/ローマ』のアルフォンソ・キュアロンに刺激されたか、大物監督の自伝的作品が続く。アメリカでは年末にスピルバーグが。
今年のアカデミー賞で愛された本作。
故郷や幼き頃への思い出を綴ったのは、ケネス・ブラナー。
意外な気もした。
ケネス・ブラナーと言えば、シェイクスピアが十八番。
近年は多岐ジャンルに渡り、MCUヒーロー、ディズニー実写、アガサ・クリスティーのミステリー…。
文芸物やエンタメ作が多く、本作は極めて異色のジャンル。
しかし、これまで最もパーソナルでハートが込められた作品。
本作を見るに当たって、当時の社会背景や宗教問題を抑えておかないとならない。
1969年、北アイルランド。プロテスタントの武装集団によるカトリック住民への攻撃。
“北アイルランド問題”と言われ、今も続く領土問題、地域紛争。
その原因は、宗教対立。プロテスタントとカトリック。同じキリスト教ながら、宗派の違い。
宗教が絡んでくると日本人には分かり難い。ましてや、価値観も世代も国も違う。
ならば、この映画の良さが分からない…?
否。
もし本作がただそれだけの社会派作品だったら、見た後こんなにも心満たされる事無かっただろう。
ケネス・ブラナー少年がツボや見る者の琴線をしっかり抑える。
生まれ育った町、ベルファスト。
住人が皆、友達や家族のように顔馴染み。(よって、万引きでもしたらすぐバレるので、絶対ダメ!)
プロテスタントとカトリックの衝突によって、町や住人の間にも分断や対立、時には暴力…。
平和だった日常が一変した中でも、9歳の少年バディは…。
映画や演劇を楽しみ、勉強を頑張り、クラスの女の子に夢中。
母さん、父さん、じいちゃん、ばあちゃん、兄ちゃん、家族の愛情をたっぷり注がれ、包まれて。
大人たちは周りの変化に翻弄されるが、子供たちはそんな状況下でも好きな事に熱中。
子供って、本当に純真無垢。周りの変化にも素直に疑問を抱き、好きなものは好き、イヤなものはイヤ。
あくまでバディ=9歳の少年の視点で描かれるので、当時を知らぬ我々でも見易く入り易い作りになっている。
バディがワクワクして見るTVや映画や演劇にこちらもワクワク。
TVでは『宇宙大作戦』。
家族皆で観に行ったアメリカの西部劇、恐竜映画、車が空飛ぶファンタジー。あの作品、この作品。
舞台の『クリスマス・キャロル』。
他にも、『サンダーバード』『007』の玩具、アガサ・クリスティーの小説…。
60年代英カルチャーがいっぱい!
ケネス・ブラナー、昔から好きだったんだろうなぁ…。親近感を感じてしまった。
バディが読んでる漫画は、あのヒーロー! これは絶対リンクネタでしょう。
激動の60年代のベルファストを知り、当時のカルチャーを嗜み、そして何より家族の物語である。
ロンドンに出稼ぎに行っている父さん。時折帰ってきては、何かを計画していて…? ジェイミー・ドーナンが好演。
まるで友達のようなじいちゃん。勉強や恋や人生についてユーモアを交えてアドバイス。でも、結婚50年経ってもばあちゃんが何言ってるか分からない…? 当時、ケネス・ブラナーとはご近所だったというキアラン・ハインズ。
毒舌多く、まさかのあのガキ大将の迷言も…? だけど、いつも誰かを心配している愛情深いばあちゃん。まるでジュディ・デンチの為に用意されたよう。
アカデミー助演賞にWノミネートされた両名優が味わい深い名演を魅せる。
家族の中でも特に、母さん。優しく、厳しく、強く、美しく。カトリーナ・バルフは出ていた映画は何本か見ていたようだが、本作ではっきりしっかり印象残った。正直、デンチより彼女の方こそオスカーにノミネートされて欲しかった。
主人公の少年、つまりケネス・ブラナーの“分身”が居なければ本作はあり得なかった。
よくぞ見つけたジュード・ヒルくん。
だって本当に、素朴で、好奇心旺盛で、人懐こくて、キラキラ瞳を輝かせて。ちょっぴりおバカでビビりな性格で。
そういや昔何かの本で、ケネス・ブラナーは幼い頃、映画や本が好きだった内向的な引きこもりだった…というのを聞いた事ある。(そんな少年が将来役者になりたいと言った時、両親は大変驚いたとか)
ケネス・ブラナーのあの頃を、これからの活躍が楽しみな逸材が体現。
モノクロ映像(バディたちが観る映画や演劇はカラーで表現)や当時のベルファストの町並みを完璧に再現したという美術の美しさ、素晴らしさ。
楽曲センスも特筆もの!
開幕早々の暴動シーンの緊迫感、少年と家族の思い出をユーモアとハートフル交えノスタルジックに、真摯なメッセージも込めて。
間違いなく、“監督”ケネス・ブラナーの最高傑作。
本作で脚本賞を受賞し、初のオスカー。アカデミー賞ではこれまでに、『ヘンリー5世』で監督と主演男優、92年には短編実写、『ハムレット』で脚色、『マリリン』で助演男優、そして本作で作品と脚本にノミネートされ、個人最多通算7部門にノミネート。
イギリス/ハリウッドの映画/演劇界で多大な功績を残し続けている名匠であり、“サー”の名優。
その原点が、ここに。
幸せや楽しさだけのあの頃ではなかっただろう。
子供だったとは言え、周りの変化をこの目、この肌で感じ取る。
暴力を目撃。
家では、両親の喧嘩。生活苦。
じいちゃんが入院。そして…。
何よりショックなのは、父さんの計画。ロンドンへの移住。
ベルファストを離れる…? そんなのヤだよ!
不安、ほろ苦さ、切なさ、悲しさ…。
それらを経験して、好きなものに熱中して、家族や周りの愛情を受けて、自分で考え行動して、自分のこれからの人生や将来の糧となる。
そうやって、ケネス・ブラナーは形成されていったんだなぁ、と。
じいちゃんの冗談の、結婚50年経ってもばあちゃんが何言ってるか分からない。これ、例え言葉が通じなくても、心と心で人と人は付き合っていけると読み取れる。
ラストの父さんの言葉。宗派や人種が違っても、優しくし、フェアで、お互いを尊敬し合えれば、皆が歓迎する。
奇しくも、今の世界に訴える。
…いや、今の世界がこの作品を望んでいたのだ。
故郷を離れるのは寂しい。
だけど、それが決して、故郷やここでの思い出を忘れるって事じゃない。
この身体に、この心に、永遠に刻まれる。
その思いを抱き続け、新しい地で、新しい人生を歩んでいく。
怖がる事はない。さあ、お行き。
ベルファストの彼。君。僕。
いつまでも。
我が心の故郷、ベルファスト
故郷も家族も友だちも、
そして何より「映画」が大好きだった。
ケネス・ブラナーの自伝的作品。
生まれ育った北アイルランドのベルファストが、
バディ少年9歳の1969年8月15日、
突然町で市街戦が起こり火炎瓶が鳴り、
バリケードが築かれる。
プロテスタントの若者・過激派が
カトリック教徒を疎外し出したのだ。
無邪気でヤンチャなバディ少年は勉強好きで
優等生の女の子と何より、映画が大好き。
家族で映画を観るのが最高の楽しみです。
モノクロ画面のベルファストがとても郷愁を誘います。
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに愛された子供時代。
町の人はみんな親戚みたいだったのに、
突然、
宗教の違いでカトリックとプロテスタントの抗争が起きるなんて、
バディには理解できない。
否応なく紛争に巻き込まれて行く家族。
町中は危険でもバディの心は、
子供らしさでいっぱい!
家族みんなで観る映画が素敵。
ラクェル・ウェルチが出て来る『恐竜一万年』。
グラマー女優にお母さんはおかんむり!
突然カラーになる『チキチキバンバン』
本当に車が空を飛ぶ!
目を輝かすバディが無邪気で可愛い!!
紛争の中でも楽しかったベルファストの子供時代。
いよいよ危険でいられなくなり、
お父さんはイングランドで仕事を本格的にすると言う。
大好きなベルファストを去らなければならなくなる。
胸がジーンと熱くなり、
自分も子供時代に帰りたくなった。
家族
挿入歌が多く、映画を見ながら疲れてくるのを感じた。しかし、これらの歌詞とストーリーのマッチしていたようだ。 ベルファスト生まれの、バン・モリソン、が音楽を担当、それに、この映画は北アイルランドのベルファストで育った、ケネス・ブラナーの話のようで(映画の最後)で、彼が監督してるんだね。ケネス・ブラナーは子供の時、『チキチキ・バンバン』や『失はれた地平線』(おばあさんが好きだった?)ジョン・ウェインの映画などを見て育ったんだね。当時のエンタメと言ったら、ゲームやネットがあるわけでなく、家族で映画を見に行くのが最高の楽しみだったのではないか?子供の頃の興味が彼のキャリアになったわけだが、三つ子の魂百までの例えがあるように、人間形成・興味などは子供の時に受けた影響に左右されるのだろう。 私も、ハリウッド贔屓の大正生まれの父親に育ったので、よくコタツのお前で、映画鑑賞させられた。父との最後の映画はミニシアターで観たロシア映画の『父帰る』だった。その後、映画・読書から離れることがなく、今でも続けている。 こんなもんさ!!
家族の影響は多大だよ!
多くの人が見ていて、レビューを書いているので、みなさんのコメントを読んだ方がいいと思うが、
好きなシーンはバディ(ジュード・ヒル)が『バイオロジカル』という洗剤をいつまでも大事に抱えているシーン。不思議なくらい可愛く見えた。それに、この主役の笑い顔はケネス・ブラナーとよく似ている。なんで、スーパーマーケットに母親に連れられて行った時、洗剤を置いてこれなかったのか不思議だった。多分、私はそのシーンをよく理解できていなかったのかもしれない。
ケン・ローチ監督の『ジミー、野を駆ける伝説(2014年製作の映画)Jimmy's Hall』 『麦の穂をゆらす風(2006年製作の映画)THE WIND THAT SHAKES THE BARLEY』 などでアイルランドの宗教・政治闘争の歴史は少し学んだが、ベルファストを観た時、何もかも忘れていた。北アイルランド(イギリス領)の中心地ベルファストで、かなり昔のイメージがあったピューリタン革命、同じキリスト教でもカトリックに対する迫害の強さはこの北アイルランドでは何年も繰り返し起こったんだね。ケネス・ブラナーの家族はおばあさんを除いて、イングランド本土に移住していく。複雑だけど、この移住がケネス・ブラナーにより映画の道を進ませたのかもね。 それに、テレビに出ていたけど、ハロルド・ウイルソンが首相だったんだね(18歳以上の男女に選挙権を与えた首相)。
いい映画なのに、『カモン・カモン』を観た後だっから。
史実を残すための記録映画
そこで生まれ、育たないと分からない、人の気配、匂い、感情まで詰め込んだ映画でした。
その街の歴史博物館の一角の室で永遠に上映されるべき作品だと思います。
ただ、映画としてどこか特筆すべき点や、個人的に変化をもたらされたものはありませんでした。
レイトショーで見ましたが、10人ほどいて、3人くらい寝ていたのが確認できました。
有り難うグランマと、静かに言いたい
音楽も映画もテレビドラマもコミクスも、オモチャも懐かしいけれど盛りすぎ。回想が全然ついていけない。ラクウェル・ウェルチ! ジョン・ウェイン、サンダー・バード…
◉右も左も対立ばかり
プロテスタントとカトリックの対立と、プロテスタントの中の急進派と穏健派の対立があって、更にベルファストの存在するアイルランドとイングランドの反目がある。
だがしかし、そうした剣呑な周囲に振り回されてしまう家族の話ではなく、圧力を受けながらも頑張る一家の話。
◉軽く傷つきながら生きていけ
パパは渋い渋い顔でバスに乗り、ママは美脚をバタバタさせて騒いで、兄は黙って俯き、バディは真剣な眼差しで人や街を見つめる。で、グランパとグランマは家族全てのことを呑み込んだ上で、表面は面白く可笑しく暮らしている。
人生は軽く傷ついたり胸を張ったりしなきゃ生きていけないんだから、あまり深く考えすぎないで行動してみろと、孫に悟すグランパ。ストッキングのパチ物を作ったグランマは、可憐だったんでしょうね!
孫を挟んで二人が並んで座ったシーンは、熱くはなくても、本当に温かでした。
◉長く生きていりゃ
でも、長く生きていくうちには、嫌でも悲しいことがたくさん起こる。笑ってる子供が、いつも心まで笑ってる訳じゃない。
それでも、この場所でまた立ち上がって生きていくしかない。何か気の利いた飾り言葉でも付けたいけれど、それだけのシンプルセンテンス。イングランドへ住まいを移そうと言うパパとて、止む無くそう思うだけだ。
グランパは亡くなりグランマを残して、家族はイングランドへ。それでも、バディの彼女が、うん待ってると小さく言った時は、泣けましたね。
グランマの、さぁ皆行きなさいの言葉には本当に力づけられました。有り難う、おばあちゃん。
一家の季節は、大半が春でした。
「敵があらわれた。どうする?」 > たたかう or にげる 争いを無くす呪文があればいいのに。と、本気で思います。
ボスターのデザインを一目見て
それからず~っと気になってました。
観る機会ができたので鑑賞です。
舞台は北アイルランドの都市 ベルファスト。
1969年に起きた紛争を、その町で生まれ育った
少年バディを中心に描いた作品です。
アイルランドの歴史を紐解くと
どうしても紛争の史実に行き当たります。 う~ん
イギリス VS アイルランド
1960年代後半、ベルファストの中でもまた内紛が…
プロテスタント VS カトリック
この作品では、その紛争に巻き込まれていく
バディとその家族の姿が描かれます。
その描かれ方にはすごくリアリティがあります。 怖いです。
環境の急激な変化に対してバディが見せる反応が
時には達観した様子で
またある時には年相応で…
"なんでこんな争いが起きてしまうんだろう"
そう思わずにはいられません。
観て楽しい内容ではありませんが
観て良かった。
◇あれこれ
印象に残った会話
スーパー襲撃に巻き込まれてしまったバディに母親が…
母 「なんで洗剤なんか持ってきたの?」
バ 「環境に優しいから…」
あぁ なんて素敵なすれ違い会話。
バディ。 その感性のまま大きくなってほしい。
しみじみとそう思いました。
キャサリン
という名前が何度も出てくるのですが
その名前が呼ばれるたびに
別の作品が頭に浮かんで困りました。 うーん。
(※ひとつ前にレビュー書いた作品です…)
改めてポスター
剣と盾を持ち空を駆ける少年 …の図案。
これは、闘いをイメージしたものではなく
自由に駆け回る少年の心を
象徴しているのかなぁ などと思いました。
※「ゼルダの冒険」 のリンクみたい
なんてことも思いました
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
本年の米国アカデミー賞脚本賞受賞のケネス・ブラナー監督作品。ウクラ...
本年の米国アカデミー賞脚本賞受賞のケネス・ブラナー監督作品。ウクライナで戦争が勃発してしまって、ちょっと心が誤動作するような感じがしました。
1969年、北アイルランドの首都ベルファスト。
9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)は利発な少年。
英国ロンドンに出稼ぎに行っている父さん(ジェイミー・ドーナン)は2週に1度の割合で帰って来る。
その間は、母さん(カトリーナ・バルフ)と兄との三人暮らしだけれど、近くには、じいちゃん(キアラン・ハインズ)もばあちゃん(ジュディ・デンチ)もいるし、母さんの姉さん一家も住んでいる。
なにせ、みんなベルファスト生まれのベルファスト育ちなのだから、気心は知れたもの。
けれどある日、プロテスタント系の若者が暴徒化し、カトリック系住民を攻撃し始めた。
なにがなんだかわからない。
暴力にはおびえるが、クラスで一番の美少女ちゃんは気になるし、週末家族で観る映画は楽しい。
でも、やっぱりこの暴力的な世間は愛想が尽きた、家族がいちばん、ということで、父さんはベルファストを離れる決意をした・・・
といった物語。
基本的には、郷愁の映画。
紛争暴力があり、離れざるを得なかったけれども、やはり故郷は故郷・・・といった思いを描いたもの。
なのだけれど、ウクライナで戦争が勃発してしまって、それ以上の何かを感じなければならないのでは?と心が反射動作を起こします。
それが、この映画にとっていいことか悪いことかはよくわからない。
観ている方にとっても、いいことか悪いことはわからない。
映画は作り手のものでもあるが、観る側のものでもあるから。
そのことはさておき、客観的な観点でいうと、映画はオープニング、エンディング、劇中の一部を除いてモノクロで、モノクロ映像の美しさが光っています。
オープニングとエンディングのカラー映像は、「現代」=いま、ということで、特にオープニング、カラーの空撮から看板をドローンアップすると、看板の向こうに60年代のモノクロのベルファストの街が登場。
で、ありゃ、これはスピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』と同じ手法で、ちょっと苦笑しました。
その後のモノクロ映像の美しさは先に記しましたが、構図がやや狭苦しくて、観ていて苦しい。
ベルファストの街が狭いのかもしれないけれど、映画的にはもう少し引いて撮って欲しくて、特にバディ登場のシーン、歩く彼の脚もとを追って撮ったシーンからして足元だけの画では狭苦しく、街の狭さを表わすならば、構図が違うんじゃないかしらん、と思った次第。
その後も、登場人物の台詞のシーンの寄りも、やや寄りすぎの感があって、バストショットぐらいでいいのに・・・と感じました。
と、こういう息苦しさの息抜きをするのがカラーシーンで、カラーシーンは専ら映画館でのカラー映画のシーンで使われています。
つまり、オープニング、エンディングとは別の、ファンタジーとしてのカラーなわけです。
ちなみに、家のテレビで観る古い映画は、当然のこととしてモノクロです。
暴力紛争があり、離れざるを得なかったけれども、やはり故郷は故郷・・・ その想いは伝わりました。
役者陣では、ジュード・ヒル少年、ジュディ・デンチばあちゃん、キアラン・ハインズじいちゃんが良く、特にじいちゃんの「ロンドンではトイレが家の中にあるのかい。トイレはやっぱり外がいいよ」という台詞がよかったです。
2022年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
この映画、北アイルランド出身者には堪らないでしょうね…(涙)
*ヴァン・モリソンの歌声が映画全編に響き渡ります…出来れば、コロナ禍以前に観たかった(笑)
…どうしたって、余計なバイアスがかかってしまいます、コロナ禍で彼の声を聞くというのは…(笑)
どうせなら素直な耳で聞きたかった…笑
いや、もちろん、彼の曲は素晴らしいですけどね…笑
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