ベルファストのレビュー・感想・評価
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かつての日本の暮らし、原風景がそこにある
個人評価:3.7
日本の原風景がそこにある。日本とは似ても似つかない町並を見て、どこか懐かしさを感じるのは、そこに住む人達の暮らし方に、懐かしさを感じるからだ。
地域の人は皆知り合いで、親は子供を放ったらかしでも、ご近所の大人の目があった。夕方には軒先に出て、ゴミを焼いたり、食事の用意やお喋りなんかを始める。そんな豊かな暮らしがそこには有った。
本作は北アイルランド問題を描くと同時に、忘れられた地域の絆や生活を、ベルファストを舞台に描いていると感じる。その絆は同宗教の繋がりよりも、もっと大事な生きた絆だと。
バディが幾つも挙げた街を離れたくない理由。その順番こそが、本当に大事な優先順位だと、純粋な子供の目線を通して気付かされる。
ベルファスト15のバディ
1969年8月のベルファストを舞台に、大人の信仰やアイデンティティを垣間見る少年の話。
プロテスタントの暴徒がカトリック住民達を襲撃し騒乱に陥ったベルファストで巻き起こるストーリー。
「お急ぎですか?」「別に急いでいませんよ」のベルファストですね。
実際の事変のことは知らなかったけれど、ベルファストといえばアイルランド島と言っても北アイルランド、つまりはイギリスという土地柄、この辺りもアイデンティティに対する考えの背景にはあるんでしょうかね。
信仰心のある方を否定するつもりは毛頭無いけれど、個人的には信仰心なんてこれっぽっちもなくて、そんなものは自分で持っていれば良いことだし、そもそも自分の好きなお伽話を主張しあって喧嘩するとか???12月25日は祝うのに4月8日がなんの日かも知らない日本人ぐらいの感覚が丁度良いという考えです。
話はそれましたが、そんな中でみせる両親や爺ちゃん婆ちゃんの想いや考えは、多くの日本人には当たり前に近い感覚で、安寧な情勢じゃない中でもそれをみせていく様や、それを受けた少年の成長をちょっぴり笑いを交えつつみせていく感じはとても面白かった。
ただ、思想の強さをみせる輩に対する嫌悪感を強く感じさせる始まりだった割にその後の展開が大人し過ぎたからか、中盤ぐらいまで少しストーリーに没入しきれなかった。
残った者と去った者 --- そのすべてに向けられたケネス・ブラナーの温かな眼差しとありったけの愛、そして彼自身の歩いてきた道
ノスタルジアとリスペクト、そうした情熱がこの私的プロジェクトをこの上なく普遍的なものにする映画の魔法で、こみ上げてくるものがあった一家の移住をめぐる"西部劇"。
彼はいつだって映画(演劇)人・表現者として誠実だった。そして今回はシェイクスピアやアガサ・クリスティの原作でもなく、遂に自らの半自伝的な物語を大事に --- 今まで長年第一線で培ってきたものをぶつけ込めて --- 紡ぎ描いてみせた。例えばジョン・カーニーが『シング・ストリート』を撮ったように(あるいはアルフォンソ・キュアロンが『ローマ』を撮ったように)ごくごく私的で、それゆえに特別な思い入れの強さとドラマとしての普遍性を感じさせる、素晴らしい傑作に仕上がっている。だから決して揺るがないものがある。監督としても脚本としても本当にいい仕事していると思う。微塵も嘘偽りのないドラマと絶妙なコメディセンスによって、多くの類似性を持った作品群を比べても出色の出来として輝いているドラメディ。演出、撮影、編集、そしてヴァン・モリソンの音楽も最高で、よく合っている。
ここで育って生きてきた。ここでならみんな顔見知りでどこでも遊べるし、面倒見てくれる。そんな場所から月=宇宙という未知なる世界・西部へと飛び立っていく。街の歴史、名もなき命たちへの尊敬の念と人生讃歌。ベルファストの空模様や寒々しさを表すようなモノクロ撮影と正面から捉えた撮影の相性良すぎて既に名作感あるし、そういう歴史あっての現代や映画の映像のカラーの挿し込まれ方も実に自然かつ秀逸で意味を感じる。日本での公開は結果的にウクライナ情勢とも重なってしまったけど、本年度賞レース賑わせていた作品としてはスピルバーグ版『ウエストサイド・ストーリー』とも通ずるものがあるテーマ。
勝手に関連作『シング・ストリート』『ローマ』『ギャング・オブ・ニューヨーク』『ラジオ・デイズ』
P.S. 流石は"老害の巣窟"ことシャンテ…。隣には"鼻フンお笑い老害(おじさん)"がいて、事あるごとに"分かってますよ"感アピール含めオーバーに笑ってみせたりしていた。『リバティ・バランスを射った男』『真昼の決闘』等など劇中で出てくる映画のシーンとかでいちいち笑うの意味不明すぎるし。
激動の時代のベルファストと家族との思い出
監督がかつて住んでいたベルファストを描いた作品。
監督自身の愛情に溢れた思い出は観ているこっちも幸せな気持ちになった。
が、そんな幸せな日々も分断による影響を受けてしまう…
北アイルランドの失業率の高さも原因なのかな、心の余裕がなくなり暴動に発展したのかなぁ。
対立•分断から何もかも元通りなんてのはない…本作のラストから苦く少しやるせない気持ちになった。
家族で映画を見ているシーン、みんなのリアクションが大好き。
主人公バディの無邪気さも良い。好きな子のために頑張る姿が健気で可愛らしい。おじいちゃんのアドバイスもそれ良いの?ってなったし、頑張った結果も笑っちゃった。
今作はおじいちゃんとおばあちゃんの関係性がとっても良い。
ロマンチストでちょっと悪いことも教えちゃうおじいちゃん。現実的でたくましいおばあちゃん。
そんな2人だからバランスが取れていて、観ていて微笑ましかった。
おばあちゃんを演じたジュディ•デンチにアカデミー賞助演女優賞とってほしい!
じいちゃん。ばあちゃん最高だった!
何と言っても ばあちゃん、じいちゃんが良かった。
しみじみと、暖かくて、優しくて、貧しくても明るく逞しく家族の為に働き続けてきた、人達。そんな大人に見守られて育ったら、いい子になるだろなぁ、と思いました。
ジュディディンチが、ほんとに素晴らしかった。007のM役と同じ人と思えない、ベルファストの老婆になりきってた。役者だなぁと感心しました。
ジュディ・ディンチ 最高
ゴヤの名画と優しい泥棒 でヘレン・ミレンのおばあちゃんの演技に喝采を贈った皆様
今度は ジュディ・ディンチが夫婦漫才しますよ!
こういうのに助演女優賞を投票するアカデミー会員は多いと思うので当日迄に見ておきましょう!
北アイルランド問題をよく知らなくても大丈夫(たぶん)…普遍性のあるテーマには、歴史的な背景や文化の違いを超えて訴えてくるものがあるからです。
アカデミー賞のライバル⁉️
ということで、よし、敵情視察でもしてくるか❗️
みたいな軽いノリで先行上映に行ってきました。
すみません。まずはお詫び申し上げます。
作品本体の持つ訴求力のようなものが、とても深くて強いので、場外のことはどうでもよくなりました。
特に、ウクライナで起きていることを日々リアルタイムで見聞きしている今は、余計にこの映画の世界で起きていることが現実感を伴って沁みてきます。
国家的な戦略(領土拡大とか)であろうが、指導者の個人的野心であろうが、宗教的な確執であろうが、最後に暴力的手段で解決を図ろうとするのはいつも男ども。そして、犠牲になる民間人の多くは、子どもと女性とお年寄りや病人などの社会的弱者。
そして、暴力的手段を主導する勢力が暴力的手段を正当化する過程で奪っていくのは、いつでも自由と人権。
この映画の中でも、直接的表現ではないものの、結局選択肢が狭まっていくことで自由が奪われていきます。
子ども心にも、何か大切なものが失われていることが分かるのです。
だから、月まで行けば自由でいられる‼️
あの宿題がキャサリンと自分の将来の希望であることにはそんな気持ちも込められているのです。
何気ない日常。
コロナ禍以降、盛んに使われる言葉ですが、これこそが自由であることの証でもある、そう思います。
軍事攻勢やインフラ設備の破壊によって生命、生活から安心を奪い、挙句に住処から追い出す。
どこにも正当性のカケラすらありません。
話がウクライナの方に寄ってしまいましたが、この映画は、ベルファストという限定的な場所のことを描きつつ、人間自身が、他者から大切なものを奪ってしまうという人間性の愚かさと、その中でもなんとか回復させようとする市井の人間の尊さを教えてくれます。
『ドライブ・マイ・カー』と『ベルファスト』
日常生活と一種の戦時下、という環境の違いはあるにせよ、何かを奪われたり失っていく心の在り方、そこからの回復、など、人間性の普遍的なテーマを描ききるという点でどちらも素晴らしい作品だと思います。
ケネス・ブラナーも『チキチキバンバン』はじめ数々の映画に救われていたのですね。
あの紛争の中でも、映画館があって良かった、救われた、という人がたくさんいたということにも感動です。
ベルファストを見つめる家族の視線
北アイルランド紛争の中心であるベルファストを舞台に、ケネス・ブラナーの少年時代を瑞々しく描いた秀逸なドラマでした。少年の視点で描かれているので、政治的、宗教的カラーはおろかノスタルジーさえ抑制したタッチがかえって効果的です。一方で、隣人が迫害される事への少年の素朴な疑問は、いまだに世界中で繰り広げられる非寛容性を鋭く突いてきます。そんな少年の問いをしっかりと受け止め、間違った行いは厳しく糾す両親の姿勢は、慈愛に溢れていて感動しました。決して暗いシーンばかりでなく、歌ったりダンスしたりと当時のベルファストの住民の生活感が、美しいモノクロ画面で見事に映し出されますが、彼らの視線はどこか寂しげです。役者は全員当て描きしたような適役だけど、あえて言うならジュディ・デンチ。ラストの大写しに、女優魂を感じました。
前提知識(北アイルランドの問題)がないとわかりづらいかな…。
今年78本目(合計351本目/今月(2022年3月度)20本目)。
場所を移動してこちらに。tohoシネマズ梅田でのみ先行上映されていたようです(ほか、試写会で当たった方なのかな?)
お話「それ自体」はケネス・ブラナー氏の「自伝的内容」になるので、どこまで取るかは難しいです。ただ、趣旨として、ベルファストがあった北アイルランドで起きた色々な問題点(イギリスとの対立、暴動など)が起きたのはこれもまた事実です。よって「実話にほぼ沿う、実話ものベース」という扱いになるのでしょう。
実際、事前に調べていかないとわかりづらい点がかなり多いです。17世紀ごろの戦争は実際に「プロテスタントかカトリックか」でモメた戦争もありましたが(三十年戦争/映画「シラノ」はこちら)、20世紀、それも今から60~70年くらい前で、まさか「カトリックかプロテスタントか」でモメる地域があるのか…というとあります。ここ(北アイルランド)です。この問題はそもそも「北アイルランド地方の歴史」から触れなければならず、それを書くと優に5000文字超えるので書きようがない状況です。「北アイルランド 歴史」で調べて見に行くだけでもだいぶ違う印象です。
映画そのものが、試写会以外では私が見られたように一部の映画館が先行上映しているだけのようで、あれこれ書くとネタバレになってしまうので、ばっさり切ります。
ただ、下記の点は気になりました。
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(減点0.1) この映画は、他の試写会で見られた方も書かれていますが、大半モノクロ映画です(あえてそういう描写にすることで、「自伝的内容」ということを明確にしたかった)。このため、そのモノクロと、字幕とが重なって、事実上字幕が見えないところがいくつかあります(字幕自体が見えないケースや、字幕にふられたルビなどが見えないケース等)。
また、アイルランド英語は理解がそこそこ難しいので(無理ではないが…というレベル)、字幕なしだと英語力が試されますが(それ以前に、イギリス英語→アイルランド英語という流れはあるので、イギリス英語を理解しているのが前提で、その方言としてアイルランド英語があります)、この聞き取りは結構きついです。上記のように、プロテスタントとカトリックの対立ということを扱った映画であるため、出る語彙がマニアなら話し方のアクセント・ピッチもかなり独特なので、聞き取りがかなり苦労します(英検準1で7割は聞き取れますが、本映画だと5割くらいに落ちる)。
この「字幕が見にくいのでは」という点はどうしてもあげざるを得ないと思います。
※ ほか、映画のストーリー的には余り関係しない「今週の競馬で何とかの馬の単複を買った」という「単複を買う」も、この字幕の読みづらさも入って「なぜ突如、競馬(ギャンブルのほう)をするんだろう…」という部分など、「わかりにくさを増幅させる要素」が強いです。
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普通の人も紛争に巻き込まれていくのが何とも・・・
昔読んだ高村薫の「リヴィエラを撃て」の主な背景になったのが北アイルランド紛争で、その中心地「ベルファスト」と監督ケネス・ブラナーに引かれて何の前知識もなく見に行った。
「リヴィエラを撃て」のあらすじは忘れてしまったが、ベルファストの荒涼としたイメージや決して豊かではない土地で敵味方に分かれて繰り広げられる不毛な戦いが強く記憶に残っていた。
映画の中では先鋭化した連中の殺し合いは描かれず、9歳の少年の家族の日常に突然入り込んできた紛争が描かれていた。宗教の違いなどほとんど気にしていなかった町の人たち、町中の人たちが知り合いで等しく貧しそうで、でも明るいコミュニティがだんだん壊れていった。少年の学校生活と小さな恋、毎日寄り道する祖父母の家でのこと、父母のお金の苦労、厳しい毎日ながら週末の映画を楽しみ、親戚との集まりも楽しく、昔の日本も似たようなものだったなーと想い出した。町長選挙とかあると町を二分する騒ぎになっていたが(私の経験)、終わると元に戻っていた。しかしベルファストの紛争は恐ろしく長い込み入った歴史がバックにある。少年はいとこに引っ張られて過激な破壊活動に巻き込まれ、泥沼に否応なく引きずり込まれてしまった。土地に強い愛着があった母親もついに父親の出稼ぎ先だったロンドンへ逃げ出す決心をする。その間に炭鉱労働者だった祖父が肺の病で死に、葬式を終えて家族四人ベルファストを出て行くためにバスに乗り込む、それを見送る祖母の姿で映画は終わる。
監督のケネス・ブラナーの幼少期の記憶が元になっているそうだ。この映画の何気ない日常が本当に心に残る。それを演じた役者が皆すばらしい。何十年も苦節を共にしてきた祖父母の会話が達観していてたまらない。ジュディ・ディンチも相手役もまさに適役。父母役の二人による現役の苦悩もよく描かれていた。しかし何より特筆すべきは9歳の主人公を演じた少年。何の加工もないただのその年頃の少年にしか見えなかった。小賢しくなく家族に愛されて育った素直な少年がそこにいた。
内容は違うが、ロシアによるウクライナ侵略がひどさを増す現実の中、逃げ惑う普通の人のことを思わずにはいられなかった。
この手の出来事、即ち、宗教の違いや積み重なった民族の恨みに直面したことがないし、踏みつけられる立場にもなったことがないので私には理解できないと思っていた。しかし少年のように、心の底に何の憎しみも積年の思いもなくても巻き込まれて分断されていくのだなと改めて考えさせられた素晴らしい映画だった。
ケネス・ブラナーが育った環境の変化を子どもの目線から描いた半自伝的物語!!
今作は、『ナイル殺人事件』や『TENET テネット』など、監督・俳優として知られるケネス・ブラナーの少年時代の体験談を描いた、半自伝的作品である。
少年時代を描くことで、徹底している点は、常に視点が9歳のバディの感覚から見えていたものにしていることだ。
近所の人がみんな知り合いで、祖父母も親戚も近くに住んでいる。町のみんなで子どもを見守り育てていたベルファストが、ある日、同じキリスト教だというのに、宗派の違いによって暴動が発生し、平和な日常が破壊と暴力の絶えない日々に一変してしまうのだ。
しかし、9歳のバディにとっては、国がどうなっている、暴動が何故起きているか…….といった、根本的で政治的な問題に関して考える余地もないため、子どもながらに感じる変わりゆく日常を描いている。
ベルファストで起きていることは、危険極まりないことだが、バディにとって大切なのは、家族がみんな幸せでいることと、初恋の相手のこと、大好きな映画やテレビ番組のこと……。
常に目線は子どものものとなっていることから、悲惨な状況を描いていながらも、全体的にコミカルなテイストとなっているのも特徴的だ。
ベルファストが、あえて奥行の少ない、例えばラース・フォン・トリアーの『ドッグヴィル』のような、箱的な空間にされているのは、バディにとっての視野の広さの限界が表されているからではないだろうか。
映画やテレビ番組が大好きという点が、ケネス・ブラナーの自伝的という部分が色濃く出ているともいえるだろう。日常のシーンはモノクロ映像で展開されるのだが、『恐竜100万年』や『チキ・チキ・バン・バン』、「クリスマス・キャロル」の舞台といった、映画や舞台を観ているシーンはカラーで表現されている。
これは、人間は辛い記憶よりも、楽しいもの、美しいものを見たときの記憶は、色鮮やかな記憶として残る。それをもっと多くの人にも感じてもらいたいという、ケネス・ブラナーが映画作家になろうと思ったきっかけが、なんとなく伝わってくる作りになっているのだ。
そんなバディの目にもわかるほどに、ベルファストの変化が無視できなくなってくる。両親は赤ちゃんの頃から知り合いというほど、ずっとベルファストで育ち、ベルファストから出たことがないが、父の仕事をきっかけに、避難もかねてベルファストを出ることになる。
バディにとっても、ベルファストから出ることは、大好きな祖母や初恋の相手とも別れなければならない。
しかし、子どもながらに、両親と兄弟が一緒にいるには、それしかないと確信にいたる、クライマックスの”あるシーン”は、感動しないではいられない。なぜかというと、どこに行っても、家族さえ一緒にいれば、何とでもなるという、普段見えなくなっている”あたりまえの幸せ”が感じられるシーンだからだ。
ケネス・ブラナーの記憶、故郷ベルファストを投影させた作品。
主人公の少年の姿に監督であるケネス・ブラナーの記憶を投影させた作品。街ぐるみで顔見知りかつ平和な日常と、宗教の対立が齎す紛争。少年の無邪気な視線から大人の苛烈な世界を覗き見るような… それでいて、家族の繋がりは温かく、1つひとつの場面が故郷への愛に溢れてた。良作。
劇中でも、家族で映画を観るシーンがとりわけ好き
素晴らしい!
素晴らしい〜!ストーリー良し、音楽良し、演技とても良し!特に主人公の少年が素晴らしい。弾ける様な笑顔など可愛いらしいだけでなく、暴力を目の当たりにした時の複雑な表情が忘れられません。少年時代というテーマとモノクロームの映像からアルフォンス・キュアロン監督「ローマ」の様な淡々とした作品を想像していましたが、紛争などの要素もあり、もっとドラマチックな展開。そして、家族愛、初恋、大人/子供の悩みetc、色々な要素が盛り込まれ、とても濃い内容の作品だと思いました!
時代とのシンクロ
試写会にて拝見。
笑い、涙し、鳥肌が立ちました。
1969年、のちに1998年(2007年とする言説もあり)まで続く北アイルランド紛争の始まりに、生まれ育った街に残るか出て行くか悩む一家を、子どもの目線で描いたわけですが!
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんの言葉が一つ一つ突き刺さるんですよ。
やっぱり、寛容と、理解と、愛ですよね。
分断はいけない。
イスラム系でもロシア系でもアフリカ系でも、各地で発生する紛争・戦争の愚かしさともシンクロするし。
また、外出禁止令とともに、暴動に怯えて家に閉じこもらざるを得ないのは、コロナ禍におけるロックダウンともシンクロするし。
時代とのマッチングが半端ないです。
さらには、1969〜70年の様々なテレビ番組や映画、音楽も取り入れていて。
あの番組のテーマとか、あの番組の服とか、あの映画のミニカーとかでも、ちょっと涙腺を刺激されちゃって。
あと、ブラナーの写し身であろう、主人公の子ども=バディが読んでいたある漫画本に大笑い。
ネタバレしたくないので、この辺で切り上げ!
とにかく、いいものを観ることができました!
試写会当選に感謝するとともに、公開したらもう1〜2度観たいとも思いましたよ!
ケネスブラナー 1960年12月10日生まれ 俳優・監督・演出家と...
ケネスブラナー
1960年12月10日生まれ
俳優・監督・演出家として活躍するケネスブラナー
出身地北アイルランド・ベルファストを舞台に
激動の時代に翻弄されるベルファストの様子や
困難の中で大人になっていく少年の成長など
自身の幼少期の体験を投影し描いた自伝的作品
1969年8月15日
プロテスタントの武装集団がカトリック住民への攻撃を始め、この日を境にベルファストは分断される暴力と隣り合わせの日々の中で故郷を離れるか否かの決断を迫られる
「今作は、ロックダウンの静けさから生まれたと言ってもいい。普通だと思っていたことから引き離され、親しくしていた人たちと会うことができなくなると、人は自分の内面と向き合うものだ。パンデミックで、人はたくさんの犠牲を払った。あの時、あのコミュニティも、やはり多くを犠牲にした。僕は9歳の自分に戻って、自分の両親がどんなことを乗り越えようとしていたのかを考えてみようと思ったんだ。故郷を離れる時、そこには喪失がある。辛いが、そこから美しい何かが生まれることもある。人生とは、そういうもの。そういったことを振り返ってみたかったんだよ。世界中で人々が喪失を感じている時に ────ケネス・ブラナー」
当時9歳だったブラナーが体験したのは決して恐ろしいことばかりではない
楽しかった思い出もたくさん
非常事態の中でもベルファストの人々は、できるかぎり日常を保とうとして生きていた
北アイルランド出身
アイルランドの血が流れている俳優陣
ベルファストは
この土地で生まれ育った人たちの大切な地
ケネスブラナーが愛した場所
愛した人たちを描いた作品
過去にしてはいけない。
叙情的な郷愁。ケン・ローチのアプローチが怒りと喪失であるのに対して、ケネス・ブラナーは慈しみと捨離でアイルランドを描く。トロント映画祭で観客賞?当然だろう。英連邦の悲劇の歴史に同胞として、刺さったのであろうから。
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