「本年の米国アカデミー賞脚本賞受賞のケネス・ブラナー監督作品。ウクラ...」ベルファスト りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
本年の米国アカデミー賞脚本賞受賞のケネス・ブラナー監督作品。ウクラ...
本年の米国アカデミー賞脚本賞受賞のケネス・ブラナー監督作品。ウクライナで戦争が勃発してしまって、ちょっと心が誤動作するような感じがしました。
1969年、北アイルランドの首都ベルファスト。
9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)は利発な少年。
英国ロンドンに出稼ぎに行っている父さん(ジェイミー・ドーナン)は2週に1度の割合で帰って来る。
その間は、母さん(カトリーナ・バルフ)と兄との三人暮らしだけれど、近くには、じいちゃん(キアラン・ハインズ)もばあちゃん(ジュディ・デンチ)もいるし、母さんの姉さん一家も住んでいる。
なにせ、みんなベルファスト生まれのベルファスト育ちなのだから、気心は知れたもの。
けれどある日、プロテスタント系の若者が暴徒化し、カトリック系住民を攻撃し始めた。
なにがなんだかわからない。
暴力にはおびえるが、クラスで一番の美少女ちゃんは気になるし、週末家族で観る映画は楽しい。
でも、やっぱりこの暴力的な世間は愛想が尽きた、家族がいちばん、ということで、父さんはベルファストを離れる決意をした・・・
といった物語。
基本的には、郷愁の映画。
紛争暴力があり、離れざるを得なかったけれども、やはり故郷は故郷・・・といった思いを描いたもの。
なのだけれど、ウクライナで戦争が勃発してしまって、それ以上の何かを感じなければならないのでは?と心が反射動作を起こします。
それが、この映画にとっていいことか悪いことかはよくわからない。
観ている方にとっても、いいことか悪いことはわからない。
映画は作り手のものでもあるが、観る側のものでもあるから。
そのことはさておき、客観的な観点でいうと、映画はオープニング、エンディング、劇中の一部を除いてモノクロで、モノクロ映像の美しさが光っています。
オープニングとエンディングのカラー映像は、「現代」=いま、ということで、特にオープニング、カラーの空撮から看板をドローンアップすると、看板の向こうに60年代のモノクロのベルファストの街が登場。
で、ありゃ、これはスピルバーグの『ウエスト・サイド・ストーリー』と同じ手法で、ちょっと苦笑しました。
その後のモノクロ映像の美しさは先に記しましたが、構図がやや狭苦しくて、観ていて苦しい。
ベルファストの街が狭いのかもしれないけれど、映画的にはもう少し引いて撮って欲しくて、特にバディ登場のシーン、歩く彼の脚もとを追って撮ったシーンからして足元だけの画では狭苦しく、街の狭さを表わすならば、構図が違うんじゃないかしらん、と思った次第。
その後も、登場人物の台詞のシーンの寄りも、やや寄りすぎの感があって、バストショットぐらいでいいのに・・・と感じました。
と、こういう息苦しさの息抜きをするのがカラーシーンで、カラーシーンは専ら映画館でのカラー映画のシーンで使われています。
つまり、オープニング、エンディングとは別の、ファンタジーとしてのカラーなわけです。
ちなみに、家のテレビで観る古い映画は、当然のこととしてモノクロです。
暴力紛争があり、離れざるを得なかったけれども、やはり故郷は故郷・・・ その想いは伝わりました。
役者陣では、ジュード・ヒル少年、ジュディ・デンチばあちゃん、キアラン・ハインズじいちゃんが良く、特にじいちゃんの「ロンドンではトイレが家の中にあるのかい。トイレはやっぱり外がいいよ」という台詞がよかったです。