劇場公開日 2022年3月25日

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「紛争の隣に日常がある、昔も今もどこの国でも」ベルファスト ニコさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0紛争の隣に日常がある、昔も今もどこの国でも

2022年3月24日
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鑑賞方法:映画館

 フルカラーのベルファストの風景の俯瞰から始まる、かつてのこの街の物語。
かわいらしい主人公の少年が映画館やテレビで様々な当時の作品に夢中になる場面や、彼が監督ケネス・ブラナーの幼少期の投影であることは、「ニュー・シネマ・パラダイス」を連想させる。
 彼のような子供たちが自由に駆け回る小さな地域社会、時に意見の違いがありながらもしっかりと愛情で結ばれた家族の描写には、ブラナー監督の郷土愛、家族愛を強く感じた。

 一方、本作ではそういった故郷の安寧を打ち砕く悲劇も鮮烈に描かれる。プロテスタント武装集団によるカトリック住民への襲撃だ。
 序盤でいきなり激しい暴動シーンが展開され、紛争が生活と隣り合わせにあることが示される。その上で、バディの学校生活や小さな恋、微笑ましい家族団らんの風景、くすっと来るようなやり取りが、「この世界の片隅に」を思わせるシンパシーとのどかさを漂わせつつ進行してゆく。平和な日常の脆さと尊さが際立つ。

 本作で描かれた北アイルランド紛争は、1920年のアイルランド統治法による北アイルランド分離に端を発する。もともとこの地域ではカトリック教徒が多かったが、移民としてプロテスタントが後から大挙して流入し、分離された時点では後者が多数派になっていた。プロテスタントは、カトリックの多いアイルランドとの合併ではなくイギリスとの統一維持を主張し、カトリック側はアイルランドへの合併を望んだ。カトリックのIRAによるテロと、プロテスタント側の報復の応酬が続き、状況は混迷していった。
 バディの祖父は「正しい答えがひとつなら紛争など起きない」と言った。宗教を根本原因とする対立は、複数の「正しさ」の存在が紛争を招く事例の最たるものかも知れない。

 とはいえ、過去の遺恨や自らの正義への執着がない幼いバディの目線で見る世界は、そんな状況にあっても常にどこか明るい。
 カトリックの家の女の子に恋をする。バディの家族は暴動に参加しないが、武装集団の家族(と思われる)の女の子に連れ回されて、言われるままチョコレートや洗剤を盗んでしまう。暴動の最中に律儀に洗剤を返しに行ってからのくだりはちょっと笑った。
 また、キアラン・ハインズとジュデイ・デンチ演じる祖父母の、アイルランドの良心を体現しているようなどっしりとした存在感とウィットのある言葉がよかった。

 全体としては紛争中の日常を描いたブラナー監督幼少期の回顧録という感じで、もし世間が平和な時に観ていたら、遠い国の昔話以上には感じなかったかも知れない。
 しかし、ウクライナ情勢が風雲急を告げる今この作品を受け止めて、原因は違っても暴力的な争いが招く結果は、市井の人々にとってはいつも同じなのだと改めて思う。隣人同士、近い関係のはずの人間同士が信条の違いで争う。穏やかな生活の場が破壊され、自分たちが根付いた土地から引き剥がされるように出て行かざるを得なくなる。
 「優しくて、フェアで、お互いを尊敬し合うこと」バディの父親のシンプルな言葉は、歴史の長い因縁がそこかしこに転がるこの世界では想像以上に複雑でハードルが高く、だからこそ崇高なのだ。

ニコ