金の糸のレビュー・感想・評価
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善きグルジア人だろうに、なぜ突然「何だ、神田!の明神下」なの?
金継ぎを三千年前の器に施したのだろうか?紀元前1000年って弥生時代の後期。器が中国なら分かるが、弥生時代の器はある意味に於いて、縄文土器よりも日の目が当たらない。グルジア人にきちんと説明すべきだと思う。日本古来の技術ではないと。
「過去を乗り越えたなら、あとは未来を楽しむだけ。」
アブハジア自治共和国や南オセチア紛争の問題はもう解決したのだろうか?戦後のスターリンによる弾圧は70年以上前の話。グルジアとして独立したのも30年。しかも、スターリン派はスターリンの死後に粛清されるが、まさかそれが彼女の母である可能性は無いのか?いずれにしてもの、年老いた三人の老人が喧々諤々と議論する話でもない。「あとは未来を楽しむだけで良いのでは」それには共感する。
グルジアはスターリンの故郷である。
話の中にローザ・ルクセンブルクの話が出てくるが、1919年にポーランドで謀殺されている。彼女達との接点は一切無い。
この映画はロシアとグルジアの争いに乗っかった何処かの国の内政干渉なファンタジーと思って良いと思う。国家社会主義の矛盾をアイロニーするのは良いが、屁理屈を語り好き。
そして、絶対に忘れてはならないのは、大国の論理をかざした国はソ連ではない。ロシアなのだ。そしてそして、残念ながら、ロシアは社会主義の経済ではない。それは、ウクライナもエストニアもリトアニアもそしてグルジアも同じ事。
日本人が数世紀も前に壊れた器を金で繋ぎ合わせるように、金の糸で過去...
日本人が数世紀も前に壊れた器を金で繋ぎ合わせるように、金の糸で過去を繋ぎ合わせるならば、過去は、そのもっとも痛ましいものでさえ、財産になるでしょう。 ─ラナ・ゴゴベリゼ監督
女性作家エレネとその人生に関わった人々の過去、 そしてソヴィエト連邦下の記憶。
伝説的な女性監督 #ラナゴゴベリゼ が91歳にして、 日本の“金継ぎ”に着想を得て描いた過去との和解の物語。
#トビリシ という古都へのラブレター。
かつてグルジアと呼ばれていたジョージアの首都、トビリシ。
旧市街の古い石畳から一歩中に入ると、中庭をかこむように古い木造の集合住宅がある。
住人たちは中庭を囲んでいまだ人情を感じさせる付き合いをしている。
そこに主人公エレネの家がある。
力にもなる忘れられない思い出
老いること
執着を手放し
受け入れる
誰もが行く道
劇中の景色·会話·音楽は美しく
遠い記憶を呼び起こすような
心に残る素敵な作品でし
老いと愛と建物と出会い
岩波ホールがいよいよラスト間近ということで、このシアターの赤い椅子で見るだけでも映画に付加価値がつく
ジョージア、旧ソ連の影をさまざまに背負う人生の終盤。
失われた時を求めて。
求めても戻ることはないがそれでも手に入ることもあるのだ、と最後幻想のタンゴを踊る。
中庭がある集合住宅。どこかアジア的で完璧なプライバシーがない空間。喧嘩も丸見え。住民は皆知り合いで世代を超えた大声での呼びかけたり、そっと見守ったり、目配せもある。そこで人は出会い育ち気配を感じ、人生の軌跡を残す。
電話でやりとりする古い恋人。さまざまな感情の往来があるが、わたしたち、という一言が全てを拾い繋げ、人生最後のひとときに、失われた時が失われていないと感情溢れる。
つらい母のシベリア強制収容も、権力を持っていたものとの確執も、自分を重ね祈るように慈しむひ孫の未来さえも繋がることができる。
衝撃的なパンの人形、極寒シベリアに佇む絶望の母子たち
パステルナークの詩、路上のタンゴ、バルコニーの植物、幼い子の詩の朗読や歌声、赤い髪、ブロンドの元官僚老女の歩き方彷徨い、、
心に残る作品。そしてこれはまさに岩波ホール向けの作品。
壊れてしまった人生を継いでいく
主人公エレネのゴージャスな赤毛にハッとする。失われた時はこの映画の大切なテーマだ。
室内のシーンが多く、アパートの住人を中庭越しに観察したりされたり、舞台のような感じ。
旧ソ連の国ではまだまだ社会主義の時代の傷が、生々しい世代が高齢とは言え残っている。
この映画の最も高齢の世代には、加害者と被害者がいる。その子どもたちは被害者だけ。その孫はやっとその意識から脱したけれど故郷への帰属意識は薄いかもしれない。まだ子どものエレナはどんな風に育つのかな?
事前予習かパンフレット必須レベル。かなりの難易度。
今年79本目(合計352本目/今月(2022年3月度)21本目)。
大阪市では2週間遅れで個人的に公式サイトでは今週は本命枠に入れていました。
…が、かなり理解が難しい問題です。主人公といえるのは高齢者の方で、今のジョージア(グルジア)と、彼女・彼らが青春時代を暮らした時とでは国の体制自体が異なるからです。
このため、「金の糸」(日本の文化の一つ)も、映画内では2か所(実際に「日本からの文化」としての紹介と、「相互理解と修復」という観念で登場)だけで、ほかは何ら登場しないところです。
明確に政治思想としてあると思えるのは他の方も書かれている通りの「出したかった小説?を発禁処分にされた」という部分(日本では、表現の自由や検閲の禁止が該当)で、ほかはほとんど見当たらない状況です。実際、高齢者の方が主人公ですが、若い時は違う体制の中で生きてきたという事情もあるため、かなり共産主義的な発言が多く、完全に理解しきるのは、もう相当、ジョージア(グルジア)の歴史などに精通していないと無理ではないか…と思います。
さらに環をかけて混乱させるのが登場人物の妙な多さで、「名前だけは登場するが、出てくるように思えない」人が相当います(リザ(リーザ)さん(おそらく女性?)など)。セリフ的に登場人物は多めのように見えますが、実は「セリフ内に言われるだけで出てこない人物」はかなりいます。
一般的に高校世界史では現代史になるようなこのこと(グルジア(ジョージア)とロシアの関係)は扱わず、一般知識扱いになるかと思いますが、相当な知識がないと厳しいです(何を言わんとするのかわからない点が多数登場する上に、辛うじてわかる主張点が小説?の発禁処分ということ)。
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▼ (減点0.8)
かなりの部分、やはり字幕がわからなかったり、何を意味するのか分かりづらい点がかなり多いです。「金の糸」も2回しか登場せず、大半が共産主義がどうだのテニスがどうだの(テニスはそこそこ出る)、そこに「名前だけ登場する人がセリフ内に登場する」ため、何が何か大混乱を招きます。
先週の「メモリア」等は、「セリフがなさすぎてどうにでも解釈できてしまう」というパターンでしたが、こちらは「セリフが多すぎ、かなりの前提知識を要求する」というタイプで、両極端です(大阪市では今、これを2つ同じ映画館でやっているのです)。
おそらくはパンフ購入前提か、数回観るのが前提かな…という気がしますが、1度目で見て復習して2回目見に行くかどうか…は微妙なところかなと思います(鑑賞代として。ただ、映画内では不快にするような発言・表現はないため、そこだけは救い)。
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日本の観客にとってまさにコンテンポラリーな作品
主人公エレネにとって、ミランダは娘の夫の母親である。だから娘が結婚するまでは赤の他人だった。娘の娘、つまり孫はアメリカの大学に通っている。孫の娘、つまりエレネにとってのひ孫はエレネと一緒に暮らしている。
本作品は個人主義の主人公エレネに、全体主義者のミランダを対比させることで、ソ連時代のグルジアのありようを浮かび上がらせている。
エレネの両親も、かつて恋人であったアルチルの両親も、ソ連の粛清によって殺されてしまった。しかしエレネもアルチルも自由な精神を失わず、エレネは作家に、アルチルは建築家になった。エレネが好きな小説はマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」であり、パステルナークの詩が好きである。パステルナークは映画「ドクトル・ジバゴ」の原作者として有名だ。ちなみにソ連では発禁処分になっている。その点も反骨精神旺盛なエレネがパステルナークを好きな理由のひとつなのだろう。
映画「ドクトル・ジバゴ」は大評判で、特にそのテーマ曲「ララのテーマ」がつとに有名だ。誰でも聞いたことがある馴染みのメロディである。
ミランダはソ連の官僚であった。官僚機構というヒエラルキーの上位にいたことだけが彼女のレーゾンデートルであり、世の中で最も尊いのが政治だと、いまだに思っている。エレネのひ孫娘に向かって、エレネはこれでも知られた作家なのよと、見下した言い方をする。権力が彼女の拠り所であり、権力に逆らう者はおしなべて馬鹿者ばかりだという考え方だ。
年老いたミランダは自分が権力者だった過去のことだけを自慢気に話すだけだが、その裏では、財産を処分して貧しい子どもたちの施設に寄付をしている。ソ連は崩壊した。ソ連のせいで閉じ込められていた貧しい子どもたちの才能は、開花させなければならない。そんなふうな反省があったのかもしれない。
ドラマらしい場面は一箇所だけ。若い時分に書いたエレネの小説が発禁となり、その後エレネは20年もの間作品を発表できなかったのだが、その発禁処分を下したのが自分だったという事実をミランダが告白したシーンだ。発禁処分はエレネの娘が結婚する前の話であり、エレネとミランダは赤の他人だった。
随分と昔から、エレネとミランダは個人主義と全体主義、検閲される側とする側という対立関係にあった訳だ。それが何故か、いまでは縁戚関係にある。
金継ぎの話はひ孫とエレネ、アルチルとエレネの会話にそれぞれひと言出るだけだが、エレネとミランダの決定的な決裂が再び関係性を持ったという人間ドラマとして、象徴的な使われ方をしている。
ウクライナに侵攻したプーチンは、かつてのソ連を取り戻したいようである。そういえば日本にも「日本をトリモロス」とテレビCMで言っていた阿呆もいた。しかしプーチンの真の動機は、ソ連が西側諸国によって蹂躙されたという被害妄想にあると思う。再びソビエト社会主義共和国連邦(USSR)を復活させることが、被害妄想のプーチンが溜飲を下げることができる唯一の道なのだろう。もしプーチンを取り巻く官僚たちがプーチンの異常さに気づかなければ、このまま第三次世界大戦となる。
本作品は2019年の製作だ。ミランダのような権力亡者の異常な精神性が芸術も人命も蹂躙してしまったことを描いている。製作者はまったく予期していなかっただろうが、プーチンのウクライナ侵攻と同時期に上映されたことで、日本の観客にとってまさにコンテンポラリーな作品となった。
三千年じゃ土器です
老齢女性の過去の恋愛とプライドのマウンティング合戦の話?
79歳の誕生日を迎えた作家の女性が娘家族と暮らす家に、アルツハイマーの気が見え始めた婿の母親を呼び一緒に暮らすことになり巻き起こっていくストーリー。
誕生日を誰も憶えてないとぼやく主人公に聞き覚えのある男性の声で電話が掛かってきてノリノリだけど、この男も良い歳して…まあ、下心じゃないと思いたいw
そして旧ソ時代の高官だった経歴を持つ婆さんはアルツハイマーがどうとはいうけれど、黙ってりゃ良いのに鼻持ちならないし…。
そんな偶然ありますか?な繋がりがみえるまで結構時間がかかり、やっとこ話が動きはじめたけれど…う~んその程度の波ですかあ。いっそコメディにしたら良いのに。
女性、特にある程度年配の方にはハマるのかも知れないですね…。
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