母性のレビュー・感想・評価
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はじめは面白かったが期待外れ。予告ほどドロドロ感、シリアス感はほぼない。
はじめはまあまあ楽しめたものの、後半はちょっと飽きてきてしまった。はじめの二転三転する、視点が細かく変わりながら、20分毎くらいでそれぞれの視点に移り変わるスタイルとあの雰囲気がずっと続いたらよかったのに、後半は少し逸れてきている感があった。
予告編ではかなり激しく、ドロドロサスペンスのように見えたが、実際はだいぶ落ち着いた展開で、正直ちょっと期待外れだった。シリアスなハラハラした雰囲気も冒頭だけで後半は個人的にあまり強く感じられなかった。
考えさせられる系の、ちょっと大人向けの若干知的?な映画。
スゴいところ✨と、残念なところ💧
娘の視点と母の視点…で、違うように見えるのはどう描くのか期待して見てみました。
戸田恵梨香さんと永野芽郁さん、それぞれの絶妙な、微妙なお芝居の違いで「母からはこう見えるんだ…」「娘からするとこんな感じに見えるのか…」と女優さんのお芝居のクオリティに感心しました。
特に表情!微妙な目つきとかすごい!
アングルやカメラワーク、灯りの当て方ももちろん上手に組み合わさっていると思います。
何度も見返したくなるようなシーンがいくつもありました。
残念だったのは「予算」なのかなぁ…
※以下、ネタバレ可能性あり!
1つはキャスティングと、もう1つは一番重要なシーン(大地真央さんとの火災での別れのシーン)の作り方がどうにも…という感じ。
肝心なポジションは顔の見える役者さん(というとご本人方に失礼にはなりますが)だといいのかなぁ…と個人的には思います。
「誰、この人?◯◯さんっぽいけど違うよな…」が気になって、作品に集中できないことがあるんだと実感しました。
「この人は誰っぽいな…」とかも考えちゃう。
そこに時間取られたくない。
脇役と言うにはあまりに大事なポジションですし…
でもこれらは予算の都合で、顔のある役者さんがもうツモれなかったのだろうと推測しました。
それと火災のシーン。
あれはおそらく原作を読んだら「ここはどう描くんだろう」とみんなが期待するところかなと。
にしては残念すぎる。
かなりタイトに見せていて(広範囲で火災の絵は作れなかったのだろうと思いますが)、スケール感がこじんまり…。
これも予算かな…とか気になるともう集中できない。
余計なことを考えさせない作品ってつくづくすごいんだなと思います。
期待が大きかった分、落胆も大きくなっちゃうかな。
そんな感想です。
マザコン娘の話
母性って..
母性ってやっぱり元々備わってるものではないし、ひとりひとりによって違うものだと思う。
生きた時代も違う、育った環境も違うからこその様々な母性があって、母娘であっても別人格の人間であって、改めて子育ては一筋縄ではいかないのだろうなぁと思った。
ラスト、みんな幸せでよかったーと思ったら、ルミ子が律の家に消えていったときはちょっと戦慄。ルミ子の"ずっと娘でいたい"って想いはかなっと言えるのかもしれないけど..
映像化はやはり難しかったか
湊かなえ先生の原作がとてもよかったので、映画も楽しみにしていました。映画では俳優の表情や台詞(モノローグ)でその時の気持ちを伝えなければいけないので、映像化で全てを表現するのは難しいだろうなとは思っていました。実際カットされてるところも多く、ルミ子の苦労が半減されてしまったというか、悲劇の一旦を見ただけで物足りなさはあります。もっと深く悲しく、そして強さもあった。旦那と義父の父性についてもほとんどスルーされてしまって、母性のみにスポットが当てられていた。タイトルとしてはいいけど、原作で伝えたかったことを台詞として言っているのにあまり重みはなかったかも。ルミ子の友人と義妹の憎たらしいこと。一定数の観客には感情移入半端ないでしょうね。
戸田恵梨香さんと永野芽依さんの親子は違和感がなく、素晴らしかった。また大地真央さんや高畑淳子さんの名演も濃い、というか恐さを出したかったんだろうけど、やり過ぎな感じも…舞台をみてるみたい。映画の雰囲気作りを演者に任せ過ぎなのかと。脚本と演出が原作より劣ってしまったのは否めない。
最後のシーン(ルミ子と義母)が一番好きなので、いろいろ思うところはあれど観れて良かったです。
期待ハズレもいいところ
興行成績が振るわず苦戦している、予想を遥かに下回る結果に。
怖いもの見たさで観賞。何が悪いって、全てですねっていうほかない。有名小説家の名を借りた工夫も演出も何もない映画。
まず誰一人としてキャラクターに感情移入出来ない。母にも子にも全く心が動かない。キャラクターが生きていない。想像で適当にこんな感じだよねって映画作ったらこうなる。小説から出ない、生きた役者が演じても深い設定ではないのではまらない悪循環。
火事のシーンを大きな見せ場にしているがリアリティなさすぎて引く。
母と娘のキャスティングミス。全く親子に見えない。
「告白」での衝撃が大きかっただけに残念。
ここは中島監督の再登板だったのでは。せっかく外資が入っているのなら予算は中島監督でもハマったのでは?
女には2種類しかいない
2022.85本目
演者がとにかくまるっといい!!
特に義母の怪演にはゾクゾクしました!
嫌味たらしい憎き姑でしたが、最後の最後に死の淵で娘の名前を呼び続けた彼女は、たしかに母性のある母親だったのだなと。
いつまでも娘のままな母もとてもリアルだった。自分で認識している言動と、娘からみた母の言動が、微妙なニュアンスの違いで大きな違いを生んでいるのも面白かった。
女には2種類しかいない。娘か、母か。
子を産んでも母になれない女性が一定数いる。
みたい言葉があって、えらく納得してしまった。笑
私の母は、どこか幼いところがあって、母でありながら娘のような雰囲気もあったから。なんというか、こういうニュアンスは女性にしかわからないかもしれない。笑
愛って何だろうと
聖地丸ピカにて鑑賞。
そこに愛はありました。
でも"そこ"がどこなのか。
矛先。熱量。裁量…。
全てにおいて判断力が試される映画母性。観る人によって証言が変わる面白さ。誰が悪くて、可哀想で、愛されて。議論し甲斐のある映画。
みんな誰かに愛されて、誰かを愛して。それが相思相愛であれば何より。でもそれが上手く交わらないのが現実。そのもどかしさを痛いほど母性から汲み取れる。心のどこかでその愛の行方に気づいているけど…。自分を愛してほしい。そのマインドは皆同じで。
だけど愛してくれない。自分の母であっても。けどどこかに愛は存在している事実。その愛が時に気遣いを。やさしさを。それを例え愛娘であっても強要というかたちで求めてしまう。ジレンマだけどやめられない。気づかない。
育児、教育として教科書レベルの教材とも言うべきミステリアスかつ教養的なストーリー、議題。母、娘のそれぞれの証言が導き出す愛のかたちとは。答えのないその議論に私たちが見出す未来とは。良い意味で頭が痛いほど考えさせられます。
ハッピーエンド、スッキリして劇場を後にすることが出来ないかもしれない。だけど確かな何かを感じとれるのは事実。それは愛なのか。やっぱり観る人によって変幻自在。それがこの映画の醍醐味であり、悩ましいところ。実に面白い。これこそ映画母性わたしの証言。
母親が及ぼす魔力
え?このラストで正解なの??
戸田恵梨香さんが凄まじかった…。
もう本年度のアカデミー主演女優賞は戸田さんしか思い浮かばない。
纏う空気感が尋常ではなく、それを継続させる表現力も卓越し円熟してる。彼女を観れただけでも眼福だと思える。
なのだけど…物語がよく分からない。
まるで「詳細は小説にて」とはぐらかされたような気分になってる。
タイトルは「母性」
大きく包み込むような愛情を連想しはするが、今作をみる限り支配者のように見えてくる。
自分の価値観を子供に植え付け、自分が死んだ後にでも変わらぬ影響力を放ち続ける呪詛…いや、まぁ、確かに子育てのプロセスは変わらないとは思うけど、与える価値観が歪んでしまえば、こんなに取り返しのつかない事はないのではとは思う。
コレは警鐘なのか?
歪んだ価値観が蔓延してる現代で、それをまさに空気のように吸収してきた世代たち。
極端ではあるが、自主性を放棄させられ親の言葉に盲従してきた者達への。いや、それも浅はかな詮索かもとは思う。
戸田さんの役を思い返すに、母親と呼ばれる女性たちの業を一身に背負っていたように思う。
極端だとは思うけど、根源にあるものは変わらないんではないかと思えてしまう。大なり小なり降りかかるもので、戸田さんの場合は極大だった。
彼女が唯一、彼女として向き合える対象が娘だった。
それ以外の彼女は常にベールを纏ってる。
我慢しか選択肢がないような状態だ。
その生気のない顔からは読み取れるものがない。
唯一、娘にだけ不満を露わにする。血縁とはこうも強固で厄介なものかと思えてしまう。
本作では、異なる視点からなる解釈が描かれはするのだが、見終わって思うのは、それすら主観でしかないのではと思う。どちらも何かが抜け落ちてるのではないのかと思う。核となる認めたくない何かを巧妙に回避する為の正当性の付与…記憶の改竄にもそういうものが含まれる場合もある。
本質を語らない事こそが、もしくは語れない状況こそが、この作品の本質なのかと考えてしまう。
戸田さんの懺悔における一言が印象的だった。
「私が間違っていたのです」
その一言を発する彼女は死霊のような空気を纏う。懺悔が許される空間で牧師から懺悔を促されソレが肯定される。そんな中でも彼女は本心を吐露する事はなく、あるべき姿に殉じたように見えた。
「母性」という戒め。
そんな側面を垣間見た気になった。
なぜかハッピーエンド感が漂うエンディング。けれど、何一つ解決されず、何一つ明かされないままに思う。そんな本作だからこそ小説に興味が湧いた。
映画としてはどうなのだと思うけれど、戸田さんは絶品だった。
愛の形
原作は未読です
母性が人の持つ本能のように先天的に備わっているものなのか、後天的に携えていくものなのか────
主人公である娘の子が居酒屋でディベートしていることが映画のテーマのようにみせていますが。娘の子の中では 人には2種類いると言っているように明確に答えがあるようですね
そう結論付けるのが落とし所だったんでしょう
ただ 第三者視点で観ると 母親は終盤ある事件を機に、娘に愛情をちゃんと注ぎ出したように見えました
その上で娘がこの結論にいたったのは、違和感がありました
劇中 何度かありましたが。どうやら 娘の人は母親に愛されたいという想いが強い反面、実際 愛情を向けられると認識できないようです
娘にとって母親は言うことをきいて褒められることがあっても、絶対愛してくれることはない対象だからです
あそびがないんですね
祖母にあたる方も 最期に自分の過ちに気がついての決断だったと思います。劇中でも ほぼ唯一の非常に頭の良い常識人に描かれていますが、それでも間違ってしまったのは人の幸せに自分も当たり前に含めてしまったからかもしれません
この映画を観て 人の為を考えた時に 自分が居なくても良い環境を整える必要がある....と感じてしまったのですが、それはあのクズ親父さんと同じ⁉︎かもしれないと気がつきました...
母は無条件に子を愛すという社会通念を括弧に入れて〈母〉を問う
もっと悲劇的な母娘模様を想像していたので、鑑賞し終わった際、胸を撫で下ろすような気持ちであった。
テーマは、タイトルにもあるように「母性」であり、言語化してしまうと陳腐に聞こえてしまうかもしれないが、「女は娘であるか母であるか」といった言葉に表象できるようなテーマであると思う。
「母」や「母性」と聞くと、絶対的に無条件に子を愛してくれる存在なるものを思い浮かべてしまうが、そうした自明視された母性像を、剥ぎ取った上に成り立った映画であり、それゆえこの映画は、そういった社会通念に疑問を投げかけるのにも一役買っているように思われる。
社会通念を一旦留保した状況に鑑賞者を連れて行き、本当に「母」は無条件に愛を注いでくれる存在であるのかを問うという仮構。
この映画には、そうした仮構が備わっているように感じた。
私個人は、答えは出ていないし、今後出ないかもしれないが、考えさせられる部分が多かった。
私の母親はすでに他界したが、母親は子に愛情を寄せるのが当然だと思っていた。
しかし、母親もひとりの人間であるし、娘でもあるのだ。
そう考えると、私の母親はよく頑張って子供を育てたものだと思えた。
観てよかったと思える映画であった。
実は2人の男性が奮闘している。
3つの“母と娘”を描き母性とはなんぞやを追及してゆく湊かなえ原作のミステリー。母の視点、娘の視点により同じ出来事が違った物語に見えるって手法なんですけど、正直なんかいまいちだった。
それぞれにもっと激しい感情の動きとか、剥き出しの敵意があってもよかったのかな。永野芽郁のあの可愛らしい口調が母親との確執をぼんやりさせてしまった印象。全員高畑淳子くらい振り切ってたらもっとドロドロして面白かったかも。
あの何もしないのに下衆い父親に三浦誠己の配役はめっちゃ納得。私の中では誰よりも存在感があった。亨君も人格者で良かった。最後はみんなそれぞれ母性が育ってゆくよね、めでたしめでたしみたいな軽さで、やっぱなんか違ったかな。
狂
最後の2、3分まではとても面白く見れた。
同じ事件を別の人物の視点から描くのは邦画だと「ミセスノイズィ」や洋画だと「最後の決闘裁判」なんかでも使用された表現方法だが飽きることがない。
殊に今回は戸田恵梨香さんというスーパー演技派の女優さんがいらっしゃることでよりその変化が際立つ。
特に目が素晴らしい。
母を見る目と母以外を見る目の落差にはゾクっとする。
母も娘も母から受けた仕打ちは真反対なのに母に執着する。
永野芽郁さん演じる清佳だって母から愛されようと「手が気持ち悪い」と言われれば執拗に手を洗う。
最後居酒屋でも念入りに手を洗って出てきたところからもまだ母に対する執着があるのかもしれない。
そんなふうに想像できる描写があったのに、ラスト清佳に「私はどっちかな」なんて言わせるのは途端に作品がチープになる気がして少し残念だった。
永野芽郁さんは高校生と妊娠した母の姿を的確に演じ分けていて今作でも安定の演技力。
清佳が父と父の浮気相手に対して正論をぶつけるところはスカッとした。
ここでも鳴くザリガニ
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