母性 : インタビュー
すれ違う母娘を演じた戸田恵梨香&永野芽郁 互いになくてはならない存在となった撮影の日々
ベストセラー作家・湊かなえ氏が、「これが書けたら、作家を辞めてもいい。そう思いながら書いた小説」と明かすほど、思い入れの強さを見せた作品「母性」。そんな衝撃作を、廣木隆一監督が映画化した「母性」が公開中だ。すれ違う母娘を演じたのは、戸田恵梨香と永野芽郁。ドラマ「ハコヅメ~たたかう!交番女子~」の先輩・後輩役でもおなじみだが、このドラマよりも前に撮影された本作で、初共演を果たした。
戸田は「自分を奮い立たせるために挑戦させて頂いた」、永野は「戸田さんが母じゃなかったら、撮影を乗り切れなかった」と振り返る。ともに難役に挑み、互いになくてはならない存在となった撮影の日々を語った。(取材・文/編集部、写真/間庭裕基)
まずは、「母性」「ハコヅメ」という2作品で共演した互いの印象について。
永野「『ハコヅメ』より先に『母性』の撮影があったので、初めて戸田さんと共演したのがこの作品でした。目の前でお芝居されている姿を見て、自分の勝手なイメージの戸田さんと全然違って、毎度びっくりしながら過ごしていました」
戸田「私は先に『母性』にインしていたんですが、最初に会ったのは、『ハコヅメ』の情報解禁用の写真撮影だったんですよ。そのときに、『母性の現場はどうですか?』と聞いてくれたテンションや、一緒に写真を撮っている雰囲気が、本当に気さくで。何の気負いもなく、はつらつとして、一緒に楽しくできそうだなという印象を与えてくれました」
インタビューの冒頭から、顔を見合わせては、笑顔をこぼすふたり。撮影のなかで、互いに頼もしさを感じ、刺激を受けた場面はあったのだろうか。
戸田「『母性』では、お互いに悩みながら撮影が進んでいました。当時32歳で、私自身はまだ(自分の子どもへの)母性を抱くということは、経験していません。最初に脚本を読ませてもらったときは、年齢的にも、私にはまだ早いんじゃないですかと問い質したくらい、違和感があったんです。どう成立させれば良いのか、試行錯誤しているなかで、撮影中の『母の日』に、芽郁ちゃんがプレゼントをくれて。母として見てくれている安心感が生まれて、あまり考え過ぎなくてもいいかなと思わせてもらえました」
戸田「『母性』での苦楽をともにしたので、『ハコヅメ』のときはお互い、本当に楽しくできました(笑)。芽郁ちゃんは『関西人ですか?』というほどのギャグセンスをお持ちなので、すごく楽しかったです。10歳差も全く感じなかったですし、一緒にいて楽ですね。芽郁ちゃんは芸能界に長くいて、たくさん苦労も知っているはずなのに、いつも笑顔でいるから、すごいなと思います。現場を良い雰囲気に保ってくれるので、頼りにしています。私は真顔になるタイプなので(笑)」
永野「私は、頼もしさしか感じていなかったです。戸田さんは、いてくれたら、絶対に大丈夫と思わせてくれる方。お芝居もそうですが、佇まいが本当にパワフルで、周囲をすごく見ていて、さっと支えてくださる。私はずっと、ちょこまか戸田さんにくっついていく感じでした。いま、新しい別の現場に入っていくなかで、戸田さんがいないから、不安なんです。『次の現場にもいてください』と言ったりして(笑)」
戸田「去年の半年間、ずっと一緒にいたから、いるのが当たり前になっていたんですよね(笑)。半年という期間は、すごく大きかったです」
永野「戸田さんが母じゃなかったら、撮影を乗り切れなかったと思います。戸田さんは、すごく大変な役どころだったと思うんですが、その大変さを私たちに見せることなく、一緒に乗り越えてくださいました。大先輩ですが、『ずっと一緒にいて、離れないで』と思っていました」
本作は、語り手となる母娘の証言が次第に食い違い、衝撃的な結末へと向かう物語。戸田は、娘を愛せない母・ルミ子を演じたが、「理解し難く共感の難しい女性」だったという。出演を決意するまでには、かなり迷いがあったそう。
戸田「脚本を読んで、(永野が演じた娘・)清佳を演じるには年をとっているし、ルミ子を演じるには若いし、『私、どこに立っているんだろう』と思ったんです。大学生や、結婚して間もない頃のルミ子は演じられるかもしれないけれど、清佳が高校生になったら、私はお芝居できないんじゃないかと。でも、プロデューサーの谷口(達彦)さんが、なぜ私なのか、長い時間をかけて語ってくれて。お世話になっている谷口さんに何かをお返ししたいという思いもありましたし、ここまで言ってくださるんだったら、何かを見出せるかもしれない、と。いままでは、脚本を読んであまりにイメージができないものはお断りさせてもらっていたんですが、久しぶりに挑戦するべきだなと思いました。自分を奮い立たせるために挑戦させて頂いた、というのが正直なところです」
戸田「私のなかでは、自分自身とルミ子が一致しなかったんです。例えば私が実際に子どもを産んでいて、子を持つことへの愛情や葛藤を考えることがあれば、恐らく心理的に表現できることがあると思うんですが……。明らかな経験不足を感じていましたし、容姿をどこまで持っていけるかという部分も、不安でした。ルミ子は、感情移入することは決してできない役どころだったので、感情ではなく理屈でつめていかないと、成立しない作品だなと思いました。いまの自分の能力勝負というところに賭けてみたという感じです」
母に愛されたい娘・清佳に扮した永野は対照的に、ある理由で、出演を即決した。
永野「ルミ子さんが戸田さんで、原作は湊さんだというだけで、脚本を読む前に、出演を決めました。戸田さんとはいつかお芝居でご一緒したいと思っていたので、戸田さんについていこうという思いで、演じていました」
手探りで挑んだ撮影を経て、完成した作品を見たときは、どのような感想を抱いたのだろうか。
戸田「かなり頭で考えながらお芝居をしていたので、成立していたのかなという心配もあり、完成した作品を客観的に見ることができなかったんです。ただこの作品をきっかけに、誰かのモヤモヤした気持ちに、はっと答えが導き出されれば良いなとは思っていました。これまでは、出演した作品も、一鑑賞者として見られることが多かったので、この感覚は久しぶりでした。挑戦した甲斐があった、ということなんでしょうか。きっと公開されて、多くの方たちの感想を聞いて、ようやく分かるのかなと思います」
永野「私も、最初に脚本を読んだときと同じ難しさを、撮影中も感じていました。『これで合っているのかな?』と試行錯誤して、自分のなかでも『これだ!』と思えるものがなかなかなかったので、完成作を見てもなお、その難しさを感じました。でもきっとこれは、見てくださる方が、それぞれ思いを馳せる部分なのかなと思います」
鬼気迫る演技で、母の内なる狂気を表現した戸田。母への愛、母から愛されないことの苦しみで、引き裂かれそうな娘を体現した永野。現場に入ってから「役を理解できた」と思った瞬間や手応えはあったのだろうか。
戸田「撮影中は、脚本にも携わっていたプロデューサーの谷口さんと改めて答え合わせをしながら、確認をとりながら、間違いがないように進めていました。1番難しかったのが、予告編にもある『私が間違えていたのです』というセリフ。ルミ子は、自分の美学を娘に押しつけてきたから、本心では自分の育て方や、かけてきた愛情が間違っていたとは思っていないはずなんです」
戸田「では、なぜ彼女が『私が間違えていたのです』と言えたのか。それはやっぱり、『お母さんにはこういう風に言ってあげることが正解なんだ、喜んでもらえるんだ』と考えて何十年間も生きてきて、娘にも『おばあちゃまがどうしたら喜ぶのか考え、発言し行動するのよ』と教えてきた人だから。神父様と向き合ったときにも、『私は間違いを認めないといけないんだ』と考えたと思うんです。ある意味、神父様に言わされているんだと説明を受けたときに、ようやくルミ子の人間性を理解できました。序盤に撮影した神父様とのシーンで、その部分を腑に落ちた状態にできたことは、良かったなと思います」
永野「私の場合は、清佳が母を守るために怒ったり泣いたりするのは、すごく理解できるんです。でも、彼女を取り巻く環境には理解しがたい部分があり、やっぱりすごく難しい役だなとずっと思っていました。ただただ疑問に思うことを戸田さんに相談すると、母の視点も交えて答えてくださったので、自分のなかで少しずつ気持ちをつないでいくことができました」
永野「成長した清佳は、ルミ子さんとは全然性格が違うじゃないですか。どこからこの性格になったんだろうと思っていたら、廣木監督は、『清佳は育った環境がすごく複雑だから、一筋縄でいく女の子ではない』とおっしゃっていて。ルミ子さんに育てられたと考えると、違和感もあったんですが、それとは違う部分で、彼女なりに成長していると考えて、納得していました」
物語を解き明かすカギは、「母と娘のすれ違う視点」。同じ出来事を回想しているはずなのに、母は「娘を抱きしめた」、娘は「母に首を絞められた」と証言する。ふたつの視点が交錯する、複雑な構造を追っていると、“真実”とは、それぞれの感情や思い込みで歪む不確かなもので、「人の数だけ真実が生まれる」ということを、改めて認識させられる。そんな人間の業や本質が、戸田と永野の巧みな演じ分けによって、観客に生々しく焼きつけられていく。
人間関係においては、非常に近しい親子という関係であっても、伝え方や受け取り方によって、誤解が生じるもの。ふたりがコミュニケーションのなかで気をつけていることを聞いてみた。
戸田「普段は、言葉足らずにならないように気をつけています。ただ言葉が足り過ぎて、相手にしんどい思いをさせている可能性があるなと、これまでの人生で、何度か思ったことがあります。ある意味、映画やドラマって、それぞれ感じ方が違うから面白い。感じ方が違うことが個性になるので、強制することはできないですよね。誤解が生まれたときに、ちゃんとその誤解を埋めるように努力することが大切だと思います。人に対してちゃんと向き合うことが、どれほど大事なのか、実感してきました」
永野「言葉は大切にしないといけないなと、いつも思っています。自分が発する言葉はもちろん、誰かから何かを言われたときに、勝手にポジティブに変換して、自分で自分を守ろうとしたり、相手に求めすぎたり。そのなかで生まれた誤解や、傷付けてしまうようなこととは、ちゃんと向き合っていくしかないかなと思い、過ごしています」
原作者の湊氏は、「女性は子どもを産めば、必ずしも母性が芽生えるわけではない」と語っている。その言葉通り、「娘であり続けたいまま母となり、娘にうまく愛を注ぐことができない」というルミ子の人物像は、ある人にとっては信じがたいものかもしれないが、ある人にとっては共感を抱くものかもしれない。最後に、本作を通して考えた“母性”や“親子”について、語ってもらった。
戸田「母性が芽生えない女性というのは、すごくリアルだなと思います。ただその人にとって、幸せだったらいいなと思うんです。そして清佳のように、何とかもがきながらもしっかり立って、『自分はこうしたいんだ』ということが見つけられる強い子だったらいいなと思います。でも世の中には、そういう現実を前に、自死を選ぶ人もいると思うので、本作が、その選択を回避するきっかけになるといいなと思います。定期的にニュースで、親が子どもに手をかけてしまうような事件を耳にしますが、何か本作のなかに、救いになるものがあったらいいなと思います」
永野「清佳は母性を注がれない、過酷な環境で育ったわけですが、ルミ子さんがいてくれることで、与えてもらっていたものもあると思います。ふたりは、世間的に幸せといわれる家族像や親子像とは違うのかもしれないけれど。しんどいこともありながらも、『そんなお母さんのことが好き』という思いは常にあったと思います。清佳を演じていて、『母性による愛情を与えてもらっていないから幸せじゃない』とは、思わなかったです」
永野「『この人、母性本能があるよね』という言い方を、よくするじゃないですか。でも、母性本能って結果的に何なんだろうと。この作品を見ても、『母性って?』という問いへの正解は分からないけれど、どこかすっきりした気持ちになれますし、親子や愛情というものを、より理解できるようになると思います」