仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルのレビュー・感想・評価
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ただただ残念な気持ち
まずはじめに、仮面ライダーオーズという作品を愛し続け、10周年のために集まって最高のヴィジュアルと演技をみせてくださった演者の皆様には感謝の気持ちしかないということをお伝えしておきます。
これだけのオリジナルキャストが集まって良い演技をして下さっただけに……今回のストーリーには残念という気持ちしか出てきません。
端的に言うと、今回の制作陣から火野映司という主人公を殺したいという意図が見えるだけでした。
他の方の感想やレビューにも書いてあると思いますが、キャラクターやストーリーの不自然さ、設定の破綻などが大変目立ちます。
主人公一人とってもツッコミどころはとても多いです。とても火野映司らしいと評する方々は、おそらくTVシリーズ初期の彼の印象が強いのでは。
確かに最初は、昔子供を目の前で助けられなかったというトラウマを持ち、自分の欲望もよくわからずすぐ一人で突っ走って自己犠牲の権化みたいな人間でした。
しかしそこから48話かけて、トラウマを乗り越え、自分自身の大きい欲望と向き合い、人に頼り人と協力することを覚え彼は成長しました。
ですが残念ながら今回のVシネではその成長がなかったことにされ、本編では映司を1人にさせないために必死に頑張った比奈ちゃんや後藤さんも何故か映司に興味をなくしたかのように彼1人を戦わせ、あまつさえ自己犠牲を賛美するようなセリフまで言わされました。
映司が死ぬシーンもガバガバで、何故か突然現れて棒立ちする少女、古代オーズに襲われる少女をかばって映司がボロボロにやられているシーンを見ていたのにその後どうなったかわからないと言う比奈。
かばっていたはずの少女は急に消えるし、その後すぐ古代王立ち去ったのに誰も助けに来ない仲間たち。やられるシーン見てたはずなのに……?
周りで戦いが起こっている様子もなく不思議な力でアンクのメダルを復活させそのまま息絶える映司。
どうして誰も助けに来ないんですかね……?
その後、アンクが憑依したまま身体を回復させればいいのに何故かアンクを追い出す映司。追い出されたところにたまたま置いてあった信吾さんに憑依し直すアンク。そのまま手を取り合い涙ながらに死を見届ける。もうその絵面撮影したかっただけだよねというご都合感。ていうか信吾さん降ってきた瓦礫避けようとして何故かアンクに憑依されたままだったけど大丈夫だったのでしょうか。
そしてタイミングよく映司が死ぬところを助けた少女に見せつける里中さん。
元気な信吾にずっと憑依したままのアンクもおかしいし、比奈ちゃんも話の都合で鈍感にされ、あれだけ本編で描かれていた取り憑かれた兄への心配も皆無。
本編と鏡になったようなオマージュも、怪人のアンクならわかるけど何故人間の映司が?と疑問の残るものだったり……人気だったシーンのこれをやっておけばみんな喜ぶでしょ?というのが透けて見えてしまいました。
今回火野映司を殺す舞台をつくるためには、様々なキャラ改変と設定破綻をさせなければ成立が難しかった。殺すことをテーマに作られただけで、その死は不必要なものであったと感じている人が多くて否定意見が多いものだと思います。
10年のうちに仲間たちは疎遠になっていたという設定だそうなので、(何故かメダルが増えたとかドライバー分裂とかは一旦置いといて)ガバ設定を好意的に解釈するなら、その10年で映司は成長を忘れ仲間たちは人の心を失ってしまったのかもしれませんけど……。
人は簡単には変わらないと主人公の成長は全否定しておきながら、他人に対しては簡単に心変わりして疎遠になり、命の危機にすら目を背けて助けない。人とはそういうものだと言いたいのでしょうか。
確かにそういう思想を持つ人もいるのでしょうけど、じゃあそれをわざわざ仮面ライダーオーズ10周年のファンサービスとしてやる必要はあったのか?と更に疑問を感じます。
演者さんも多くの視聴者も、本来ならもっと10周年を幸せな気持ちで祝いたかったと思うのですけど、これ純粋に大喜びしてる人いるのでしょうか……?
演者さんが泣きながら脚本を受け入れられないと訴えてもねじ伏せられたという話も耳にしました。
どうして設定破綻させてまで本編全否定の作品を出そうと思ったのかただただ疑問です。
仮面ライダーオーズという作品はかの大震災に見舞われた年のライダーとして、特別な作品でもありました。
本来の映司の性格から彼が死亡するエンディングも視野にあったものの、時勢的なものを配慮して希望のあるラストが選択されたと聞いています。
彼はトラウマや試練を乗り越え、他の人と手を繋ぐことで世界中に自分の手が届くことを覚え、成長しました。これからも困っている人がいれば手を伸ばすことには変わりないけど、もう自己犠牲からではなく仲間と助け合って生きていく。欲望とは生きるためのエネルギーであり、みんなもっと欲張って生きていこうという前向きなメッセージがこもった作品でした。
それを、まだ疫病や戦争で不安定なこのご時世に全否定する意味はあったのでしょうか。
大きすぎる欲望を持つのは人として過ぎたこと、業であるから死ぬしかないと、死ぬことでしか救われないのだと、そんな酷いことをどうして言えてしまうのでしょうか。
本編と今回のVシネをカレーに例えていますけど、本編を甘口カレーと評しているのがもはや失礼だと思います。まさか時勢に日和って生存した本編は甘口だから、大人向けの辛口として殺してやろうってことだったのですか?
本編のストーリーで映司たちに与えられた試練はとても過酷なものであったし、そこを乗り越えるまでの苦難は決して甘口ではありませんでした。アンクとの別れも辛く切ないけれど納得のいく終わり方が描かれ、完成された素晴らしい作品でした。
単純に生存が甘口、死ねば辛口なんて思っているのならそれは作品を理解出来ず冒涜していると私は感じてしまいました。
今回のストーリーは一つのテーマとしてはありかもしれませんが、仮面ライダーオーズという作品を全否定して、オーズ10周年のお祝いとして作るべき作品ではなかったと思います。
例えもし納得の行く理由で火野映司の死をテーマにすることが企画で出ていたとしても、本編の時は震災で苦しむ人々の心に寄り添うため、10周年では疫病が流行し疲れた人々に希望を与えるためのストーリーが作られた。オーズとはそういう運命の元に生まれてきたヒーローだったのかもしれない……みたいになった方が良かったのではないかなと私は思いました。
書きたくないのに書かされたから完全に終わらせたとしか見えない
・自分の引き出しにあるネタを消費したくない
・二度とオーズ関係の話を出来なくなるようにする
・ファンに叩かれたくない
この映画は脚本家のこの3つの思いを根幹に作られた作品だと感じた。
実は物語の大筋自体にはそこまで拒否感は無い。
結果として映司が死ぬのも、もっと言えばもしアンク共々だったとしても文句はつける気は無かった。(矛盾云々を言われるだろうからアンクは生かしておくしか無かったとは思うが。)
何故ならば映司は最終回で他者に頼ること託すことを覚えたから、映司の何かを継ぐ後進のためにやむを得ず力尽きるのであればそれは本懐を遂げたと言って遜色無いものといえる。
結論から言ってしまえばそうではなかったから不満だらけなわけだが。
まず徹底的に描写が足りてない。
映司については最低限描かれていたが、サブキャラ達どころか敵のボスについての描写が鴻上から雑に語られるのみ。
そのくせ本編の映像を初っぱなにダラダラと流し続ける。
早い話が70分でまとめられない話をなぜ無理矢理やったのか。
(余談だがこの脚本家がメインを務めたキュウレンジャーでもその傾向は見られた。)
具体的に言えば、復活の詳細、映司に起きた異変の経緯、映司の願いが具現化した理由、ここら辺がほぼまったく語られていない。
そういった細かな描写をせずに過去回想や最終回との対比を安易に使う様は、これやっておけばどうせファンは満足するんだろという姿勢が透けて見えた。
そもそもこの脚本家は本編を理解しているのかすら怪しい。先に書いたように映司は一人で抱え込むことをやめて頼ることを覚えた。
にも関わらず初代に一人で立ち向かい、最後も少し回復したのに少女一人を命と引き換えに助けただけで満足するという一話の映司に逆戻り状態。
そんな体たらくで映司を完全に死なせたのはそもそもオーズをやる気がない、やりたくないという意思表明としか思えない。
本来なら星をつけたくもないが、出演者の方々(特に印象深いのはアンク役の三浦さん)の細かな演技表現にかけた情熱分を買って評価を星2としたい。
ただひたすら悲しい
よかったところ
・役者さんの演技
・当時のキャストが集まって作られている
・ゴーダのキャラクター性
悪かったところ
・ラストで火野映司が死ぬ
・本編と設定が合っていない(ベルトの数、変身の資格、メダルの数など)
・火野映司がほとんど出てこない
・バースXの活躍がほとんどない
・アンクが火野映司にメダルを渡すシーンがない
・全体的にキャラそれぞれの見せ場が少ない、ほとんどない
・本編後にディストピアになっているという設定
他にもたくさんあった気がしますが忘れました。
オーズはリアルタイムでは本編はたまに観るくらいで、本格的にはまったのは最終回を観てからです。
映画は将軍とMEGAMAXは映画館で観ました。
レッツゴー仮面ライダーも映画館で観たと思います。
本編は放送が終了してから全編観ました。
自分ではライトユーザーだと思います。
だからどんな内容でも楽しめるだろうと思って観に行きました。
先行上映のライブビューイングの舞台挨拶付きを観ました。
観ている最中はそれなりに楽しめていたのですが、ラストが全く受け入れられませんでした。
舞台挨拶を観れたのでまだマシだったと思います。
あの終わり方で劇場が明るくなっていたらと思うとゾッとします。
終わり方が違えば、他の悪い点は受け入れられたと思います。
仮面ライダーはキャラクターが死ぬことがあるので、耐性がある方だと思っていましたがこの作品は受け入れられませんでした。
描き方が違えば納得できたのかもしれません。
ただひたすら悲しかったので、ネット上で色々な方の感想を読みました。
肯定派と否定派がいるのもわかります。
私は普段ネットの感想はあまり読まないので、色々な見方があることがわかったのはよかったです。
それでもやっぱり受け入れられる内容ではなく、時間がたった今もとても悲しいです。
もっと別の話が観たかったです。
役者さんの演技はとても素晴らしかったので、なおさら残念です。
当時のキャストが揃うというだけでもすごいことなので、贅沢をいってはいけないのかもしれませんが、もっと明るい話が観たかったです。
オーズはシリアスさとギャグがちょうどいい、明るく爽やかな作品だと思っていました。
火野映司、アンクをはじめとしたキャラクターがどれも魅力的でした。
明るい昨風なのに、映司のトラウマやバックボーンは重かったりと、バランスがいいと思っていました。
欲望がテーマで、欲望を否定せずに描いているのも面白かったですし前向きでいいなと思っていました。
今作では欲望を否定しているように感じられました。
映司の欲望は女の子を助けてアンクを復活させることだったのでしょうか?
本編では果てしなく大きな欲望で、世界中の人を助かるほどのことに感じられたのですが。
今作では800年前の王が人々を殺しているようでした。
いわゆるディストピアですね。
そんな世界観の作品だったかと不思議に思いました。
本編は現実世界に近い世界観に思えたのですが。
コロナ禍など世界情勢を踏まえてあえてディストピアなのだろうかと観ていたら、ラストで火野映司が死んでしまうではありませんか。
世界が復興していくところまで見届けなくてはいけないのでは?と不思議でした。
映司は世界を見捨てるような人ではなかったはずです。
自分が死んでしまう状況を変えることはできなくとも、仲間たちに託すことはできたはずです。
手を繋ぐこともテーマですし。
しかし、映司が仲間たちに世界を託すようなシーンもないのですよね。
そもそも、映司一人に全てを任せるような仲間たちではなかったはずです。
800年前の王が蘇ってから皆で協力して立ち向かっていたはずなんです。
その割に、映司が女の子をかばって重傷になったことを誰も知らないままなんですよね。
伊達さんと後藤さんは別の場所で戦っていたのでしょうか。
それならそういったシーンをいれてほしかったです。
私の記憶違いでしょうか?
傷を負った後行方不明になったという流れで、女の子を庇ったことは皆知っていたんですかね?
覚えておらずすみません。
叩きたいわけじゃないんです。
自分の理解力が足りていないのかもしれません。
ただ、わかりやすく安心して観れる話がよかったなと思っています。
引っかかるところが結構あって、考えながら観ていたので。
あえてそういう話にしているのかもしれませんね。
何度も観てほしいということかもしれませんし。
先行上映を観るまでは、放映開始したらリピートするつもりだったんです。
しかし、あまりにも辛い内容なので観る気になれません。
もう一度観たいシーンもあるのですが、映画館で通して観るのは辛いのです。
あとお金を払う気が起きないというのもあります。
正直、いい映画だとは思えないので。
悲劇であっても観る価値のある映画なら何度も観たくなったりするんですが。
そもそもオーズに悲しい話を期待していないんですよね。
途中までは辛い悲しい話でもいいと思うんですが、最後は爽快感があってほしいんです。
そういう昨風だと思って今まで観ていたんですが。
せっかく当時のキャストが揃っているのにどのキャラも活躍シーンが少ないですね。
知世子さんが戦っているシーンがありましたが、こんな状況でもクスクシエをやっていて皆に食事を振る舞ってくれるとかいうのが見たかったです。
避難所みたいになっていて色々な人が身を寄せあっているみたいな。
そういう、このキャラクターならでは!みたいなシーンが観たかったんです。
映司にアンクがメダルを投げるシーンも欲しかったです。
アンクが復活するのはもっと後だと思っていたので、冒頭から出ていたのは意外でした。
アンクが復活する過程をじっくり観たかったです。
タイトルからそういう内容かと思っていたので。
映司がピンチの時に復活するとかだとベタすぎるかもしれませんが、私が観たかったのはそういう話なんです。
ところどころツッコミ要素があってもいいから、ご都合主義でもいいからオーズの活躍が観たかったなあ。
オーズなのに映司が変身して戦うシーンがないんですよね。
ゴーダ自体は割と好きなキャラなんですが、簡単に敵になるし扱いが雑に思えました。
本編当初のアンクのようなキャラクターなのかと思いながら観ていたんですが。
とても小物キャラとして描かれてしまっているのが残念です。
映司とアンクとの関係の対比として、ゴーダとアンクが描かれるのかと思っていたのですが。
映司にはなれないというのを掘り下げても面白ろかったかもしれません。
短い上映時間の中で描くのは難しいとは思うんですが、もったいないと感じました。
ヒロインの比奈のシーンも少なくて、アンクとアイスを食べるところはよかったと思うんですが、映司は結局帰ってこないのでちぐはぐではありませんか?
あと比奈はいわゆる戦うキャラクターではありませんが、映司に全てを任せるようなヒロインではありませんよね?
ただ待っているだけではなく自分ができることを精一杯するキャラクターだったと思うんですが。
今作では映司を頼っているように見えました。
むしろ映司が一人にならないようにしてませんでしたか、本編では。
信吾を心配するシーンもなかった気がします。
アンクが信吾の体をずっと使っているのも不思議です。
確か、人間に擬態できたと思うんですが。
キャラクターが多すぎると話を展開しづらいからでしょうか。
後藤さんや伊達さんの活躍もほとんどなくて、映司を助けようとするシーンもなかったように思います。
伊達さん医者なのに。
ゴーダを警戒していた割になんの対策もなかったようですし。
バースXもちょっと出てきただけでしたよね?
映司、伊達さん、後藤さんが3人で協力して戦うシーン観たかったです。
せっかくバースXあるのに。
オーズ対オーズやるのに映司の戦闘シーン少しですし。
オーズ、ベルト1つのはずなのに説明がなくて困惑しました。
ゴーダが変身するシーンもありましたよね?
映司の体なしに。
確かオーズは封印を解いた者しか変身できない設定だったと思うんですが。
あえて設定を変えて描くなら何かしらの説明がほしかったです。
戸惑うと話を追いづらくなるので。
敵が現れてオーズとバースが戦う、アンクが蘇って一緒に戦うという話ではだめだったのでしょうか?
アンクがどう復活するのかを描いてほしかったです。
何度も同じことばかり書いてすみません。
映司が死ぬならその後の仲間たちの話も観たかったです。
あの世界がどうなるのか全くわからないままですし。
一般市民が復興のために頑張る姿が映るとか、映司の意志を仲間たちが引き継いでいるとか。
そういったシーンが少しでもあればまだ受け入れられたと思います。
復活した後のアンクのことも気になります。
グリードのままのようですし、あのままあの世界にいるのは辛いだろうなと。
他のグリードはほとんど出てこなかったですね。
すぐに退場してしまいました。
コンボも全ては出てきませんでしたね。
サゴーゾとシャウタは出てきませんでしたよね?
王とグリードたちを相手に戦うオーズを観たかったです。
ゴーダは敵側でも味方側でもよかったんですが。
やっぱり上映時間が短かすぎるのでしょうか。
映司が死ぬシーンがなければその分別の描写ができたのでは?
映司はどうしても死ななければならなかったのでしょうか?
本編の最終回と対比しているのでしょうか?
アンクは復活するかもしれないだとか、実は映司の側にいるとか本編や映画で描かれていたので、かなり意味合いが違いませんか?
映司は人間なので、生き返らないし幽霊としているのもおかしいというのはあるかもしれません。
それにしても映司の死はどういう意味を持って描かれたのでしょう。
映司が死んでも仲間たちや助けられた人々が意志を引き継げば、手は繋ぎ続けられるとか?
そういうシーンがなかったので違いますよね。
どこまでも届く腕とはなんだったのでしょう。
映司が仲間たちに思いを伝えるシーンもないですし。
アンクとは精神世界?で話すシーンがありますが。
しかしアンクを追い出す意味もよくわからないのですよね。
パンフ読んでないのですがネットでは死期をさとったからだというのを見かけました。
映画の内容が全てだと思っています。
もしパンフレットやその他のインタビューで解説していたとしても、より深く知りたい人のためのものだと思います。
映画を観ただけではわからないというのは作品としてどうかと思います。
本当は、オーズ本編を観ていなくても楽しめるほどの映画であってほしかったです。
本編とは別物なのに一つの映画としてもいい作品とは思えないのが残念です。
アンクが泣いたシーンが意外でした。
泣かないと思っていたので。
役者さんの演技は素晴らしいと思いますが本編と同じキャラクターとは思えないシーンもありましたね。
アンクが泣くシーンは、長い月日の中で変化していったと考えるべきなのでしょうか。
アンクは死んでからも映司と一緒にいましたし。
しかし本作ではアンクは復活するまで意識がなかったように見えるんですよね。
アンクって泣くようなキャラクターではなくて、むしろふざけるな!とか怒り出しそうな気がするのですが。
映司が死ぬことを受け入れると思えないんですよね。
もし仮に、アンクが復活した時に映司が死んでいたとしても簡単には受け入れないような気がするんですが。
映司はすでに死んでいるのではなくてゴーダが離れれば死ぬという状況だったと思うんですが、あっているんでしょうか。
アンクと映司が話すシーンがあそこだけなのも非常に残念です。
コミカルなシーン全くありませんしね。
二人が普通にやりとりするシーンも観たかったです。
映司と比奈は話しているシーンなかったですよね。
主人公とヒロインなのに。
そもそも映司が出てくるシーンがあまりにも少なすぎませんか。
主人公なのに。
ゴーダを出すにしても映司が活躍するシーンは入れてほしかったです。
アンクが戦うシーンでエフェクトのように出てくるのも不思議でし
個人的には言われているほど悪くはなかった。
事前に賛否あることがわかってたので、びくびくしながら見ましたが、
個人的には、そこまで破綻はしてなかったかなという印象でした。
オーズの設定などを100%熟知しているわけではなので、コアなファンからすると「違うだろ!!」
という部分があったのかもしれないけど、
問題点は、頭で補完しながら見たので別に違和感はなかったですけど、
そこが気になって仕方ない人が多いみたいですね。
説明不足の部分がもやもやする方がいるようですが、これは映画ではなくVシネだということで割り切って見るしかないと思います。
この映画の中で王自身が棺になるシーンがあったので、王の復活はこの映画ではTV1話が布石で、グリードが復活したのに王が復活しないのはおかしいし、王の顔にヒビがあるのは体が完全に修復するまで時間がかかったとか、そういうふうに見ました。
TTFCのネット版に今回の映画の前日談があり本編に入れても良いような内容でしたが、そこで世界を旅する中でアンクの復活のカギをエイジが見つけたことが語られます。←本編ではない
個人的にも、王がコアを復活させてグリード復活とかどうやったんだよwwとか、つつこうと思えばつつけるけど、粗探ししてたら作品楽しめないし
予算とか時間とか制約がある中で、新作だしてくれただけでも俺はうれしかったです。
役者を傷つけてまでやる内容であったか?
オリジナルキャストが集合し、制作陣も本作縁の面々…にも関わらず「メインキャストが内容を受け入れるのに時間がかかった」という(しかもあえてそこを作り終えた後の本人達が、本心だとしても受け止めづらい側の視聴者へのフォローだとしてもその口から発言している)のが、そもそも完成度の低い筋書だということを示してしまっているのでは?
10周年記念という 多くの人間が祝いの場だと思っていた作品の披露の際、喜びの涙ではない泣き顔や言葉を飲み込むメインキャストを誰が見たかったというのか。
メインキャストの舞台挨拶の涙はどう捉えても喜びの涙ではなかった。少なくとも今までの主演は言葉に詰まるタイプではない。
今作を「完結編」と銘打った上で主人公の死を描いた結果、他キャラクターのスピンオフは出来ても主人公の居る続編はもう二度と作られないという可能性も生んでしまった。これが「いつかの明日」だとすれば「明後日」は来ない。少なくともそこに主人公はいない。せっかく揃ったキャストを笑顔にできず、楽しみにしていたファンの大多数にも渋顔をさせておいて10周年おめでとうとは。もはや10周忌の方がしっくりくる。
私がここに賛否の否のレビューを投稿する理由は何よりも観た周りの人間と「観てよかった」を言い合えない悲しみだ。
キャスティング、スタッフの調整、尺や出さざるを得ないキャラクター、アイテムなどは一度決まれば易々と変更できるものでもない。ただそれをどうまとめるかが構成する脚本家の役割であり、演出する監督の手腕だ。
正直、よく詰めたとは思う。ファンから、制作会社から、スポンサーから要求されたものを出来うる限り全て並べたのだろう。肯定派であるが「この要素は必要だったか」という人、否定派の中にも「この場面はよかった」などと意見分かれが起こるのは多くの要素が盛り込まれたゆえのことと思う。
否定派の一人である私にとっては、その要素の並べ方やマイナスのしかたがまずかった。メインとして出したかったのであろう悲しみの感情を立たせるためか合間にあるはずの些細な演出はかなり削がれ、設定を説明するセリフや根拠となるシーンもことごとく省略。(もしくは初めから入れる予定がなかったのか)本編でのキャラクターを否定、または設定を変えてしまう絵面が残った。そしてその削られた部分はほぼ視聴者の想像力と推察力に頼る形となった。
そうするとどうなるか。制作が劇中で明かしていない苦労など知る由もない、ハッピーエンドを求めていた視聴者からの「何故」が大量に生まれるのだ。多くの否定派の第一声は「どうして」だったように思う。
作品の主人公が死ぬのは珍しいことではない。本作の主人公もどちらかといえば作品の完結として死を迎えてもおかしくないキャラクターである。
しかしながら一度は笑顔でファンに別れを告げ、その後も10年間愛され続けた主人公を1時間で殺すというのなら、その劇中で理由や根拠を示す必要があった。死を目前にした命と引き換えに蘇らせられた彼の涙だけでは、圧倒的に説明が足りていない。なぜなら本編で彼は自身の死を是としていたのだ。それを覆すだけの説得力があったか?短尺ではそれをする余裕がないと言うのならば、そもそも選ぶべき結末ではなかった。もしくは整え方が間違っている。
否定派ではあるが、なかったことにして欲しいとは思わない。涙を飲んで作り上げたメインキャストを讃えたい気持ちもあるし、完成し世に出たものを人々の記憶から消すことは不可能だからだ。むしろ昨今の情勢の中で制作に努めてくれたすべての人に感謝しつつ、また今作を観返すこともあると思っている。
視聴者の声は、明日に活かしていただきたい。
あれに荒れまくっている口コミで不安になりながら鑑賞しました。
10年前TVシリーズは見ました。
あれに荒れまくっている問題作。期待と不安を抱え鑑賞しました。
全体的にわかりやすい映画です。最近の幼稚なレベルの低い仮面ラーダーTVシリーズで、不満だらけだったので、見る事さえ少なくなりましたが、久々にちゃんとした仮面ライダー作品を見れた気がします。子供から大人まで楽しめる作品だと思います。
仮面ライダーの映画の多くは、60分程度に詰め込み、内容が薄い作品が多い中、頑張って集約されていたと感じました。
伊達さんは相変わらずかっこいい。
これからは、仮面ライダーを楽しむ大人達も、見れる作品を手掛けてほしいです。子供向けは戦隊ものだけで十分です。
少し前の良き日の仮面ライダーの様に、ドラマ性をもたせ、子供から大人まで楽しめるTVシリーズの復活を期待します。
最近のライダーは、ガチャガチャトゲトゲしすぎww。ドラマ性もなくオモチャメーカーに忖度しすぎ。
☆ここからネタバレを含みます☆
火野映司が何故、死ななければなかったのか。ここを理解できない方には不評だと感じました。
◆最後に火野映司がアンクを突き飛ばし、比奈の兄の体に戻した事が、唯一意味がよくわからなかった所です。
①以前は兄の命をつなぐ為に憑依していたが、今は兄は元気で、兄に憑依するさせる必要性があったのか?
②あのまま憑依していても、火野映司は復活する事はないほどのダメージを受けていたので、仕方なく?
いつかの明日はまだ来ない
この映画はオーズではなく、オーズの皮を被った何かだ。
オーズのテーマ、設定、キャラクターが崩壊しているのは他のレビューでも指摘されている通りで、オーズらしさは演者の演技だけだ。
それでもキャラクターの行動は脚本で定められたものなので、なぜ手を繋ぐことを知った映司が独りで戦うのか、なぜ比奈は映司の違和感に気付かないのか、なぜ医師である伊達が何もしないのか、不自然なところを挙げたらキリがない。
そのため、既存のキャラクターを脚本にそってただ配置しただけという印象が強い。
中途半端に崩壊した世界で、よくわからないまま不思議なことが起こり死んでいくため、一つの映画としても面白くない。
また、上辺の「映司が死ねば驚くだろう」、「映司とアンクの立場を入れ替えれば感動するだろう」、「ウヴァをこう扱えばウケるだろう」、そんな意図は透けて見えるのに、『オーズ』本編で繰り返し語られた、欲望との向き合い方や手を繋ぐことの大きさに関しては蔑ろにされているように感じた。
例えば、欲望とは行き過ぎれば身を滅ぼすが、それを持つこと自体は悪いことではなく、むしろ明日へ活力、未来へ進む力になるものだと教えてくれた。
47話で兄とアンク、アンクと映司の間で悩む比奈に対し、知世子が、そして『仮面ライダーオーズ』が出した答えは「もっと欲張ったっていいじゃない」だ。
震災の年に、何かを欲するのは決して悪いことではないと伝えることのなんと素晴らしいことか。
思えば夏映画でも、映司が敵から提示された選択肢を痛快に吹き飛ばし、全部を選び全部を救ってみせた。これこそが『オーズ』、これこそが火野映司だ。
少なくとも何かを手に入れるために何かを失わなければならないなんて話はしていなかったし、映司の死でアンクが復活というのは理論的にも感情的にも受け入れ難い。
しかも、本作のキャッチコピーは「いつかの明日に手が届く」、「欲望を満たせ」である。
『MEGA MAX』で示された「いつかの明日」とは、これから進む未来に必ずアンクがいるという希望だ。
ぼろぼろで、生きることすらままならないような絶望ではない。
いつかの明日といわれて、どれだけの人が映司の死を見たいと思っただろう。
確かに火野映司は誰かに手を伸ばさずにはいられないし、いずれその性質ゆえに命を落とすこともあるかもしれない。しかし、それをわざわざ10周年を記念した映画でやる必要があったのだろうか?最終回で手を繋ぐことに気づいた映司は、自己犠牲的な一面を脱したのではなかったか?どうしてそれをなかったことにして、映司の命を終わらせてしまうのだろう。それも念入りに。
『オーズ』は最終回でなお、物語は、人生は続くというメッセージを残したし、だからこそ終末を志向する真木が倒すべき相手となったのではないか。
オーズの完結編という、この企画自体が、オーズを否定しているような気がしてならない。(オーズの新作が見れること自体はとても嬉しいが)
これまでオーズを観ているとき、これは映司らしいだの、完結はオーズっぽくないだの、小難しく考えたりはしなかった。
何かを欲すること、誰かと手を繋ぐこと。ともすれば説教じみてしまいそうなことをキャラクターを通して感じ取る。ただただオーズに夢中になり、オーズを楽しみに今日を頑張ることができる。そんな作品だった。
それなのに、この映画を見たとき、とてもそんな気持ちにはなれなかった。なぜ映司が死ななければならなかったんだろう?なぜ独りで闘うのだろう?なぜ誰も映司に手を伸ばしてくれないのだろう?そんなことばかり考えていた。
映画を観てから一ヶ月が経ち、自分なりにオーズについて考え、他の方のレビューを読んで、結局これはオーズではなかったと思うことにした。
だって、こんなのいつかの明日じゃない。途方もない願いを叶えようとするからこそ、”いつか”の”明日”だ。映司とアンクと比奈がいないいつかの明日なんて認めたくない。手を繋ぐって死に際に手を取ることではない。ずっと一緒じゃなくても、ときに対立しても、共に生きてほしい。
どうか、映司が、アンクが、比奈が、みんなが、戦いの果てに手に入れたものを安易に奪ってくれるな。完結させるにしてももっとやり方があったはずだ。
だから、オーズの完結編などなかった。今も映司は旅を続けている。いつかの明日はこれからだ。
これからこの映画を見る方へ。
絶対に本編を予習してから見ないでください。
10年前に放送見た時どんなんだったっけ〜?
OOOかぁ〜懐かしいなぁ〜もう10年も前か〜。
くらいの軽い気持ちで見てください。
じゃないと耐えられないと思います。
パラレルワールドとして僕は見たので楽しめました。
伊達さん最高!!!
仮面ライダーOOOという作品に矛盾で出汁をとったスープをぶっかけた作品でした。
お茶漬け感覚で見ましょう。
これで本当にいいのか?
アンクは復活したけど映司は死にました、ちゃんちゃん。
え?これでいいの?
上映中ずっとそう思いました。
10周年記念作品であり、完結編がこれでいいのかと。
尺が足りないからか800年前のオーズとグリード達の復活についての説明が何もなかったし、なんで800年前のオーズの中にプトティラメダルが入っていたのかもわからないし
映司も本編前にすでに戦闘で死んでましたとか全然感情移入できません。
これが本編中に死んだとかならまだ理解できますが、久々に出てきたと思ったら主人公死んでて中身は別人ですとか「は?」って感じです。
バースXもまともな活躍なかったし、タジャドルエタニティの変身も最終回のオマージュで、「これやっとけばファン喜ぶだろ」っていう感じがして素直に感動できませんでした。
終始、え?とは?ってなることばっかりで、終わってもこれが完結編でいいんか?としか思えませんでした。
春映画みたくパラレルの話ですってことにならないですかね?
(脚本家見たら春映画書いてる人でなんか納得してしまいましたが)
映司、アンク、比奈の3人で手を繋いで大団円じゃダメだったのかと思ってしまいました。
ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。 この作品を単体で...
ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。
この作品を単体で見るなら「まぁそうなるだろうな」という感想です。
序盤の様子から見て、多分こうなるんだなと全て予想がつく展開でした。特に驚きは無かったです。
しかし、オーズの本編の続きだと考えると、矛盾点が多すぎるのと、本編を理解していないのかなという感じがしました。
リスペクトがあまりにも足りていないなと思います。
オーズ本編の脚本家である小林靖子さんが書き上げたオーズの世界観を汲み取れずに、別の脚本家が全く違う解釈で書いたという感じですね。なら納得がいきます。
ファンはきちんと小林靖子さんの本編を汲み取っているのでそこでズレが生じています。
火野映司の自己犠牲型で死に急ぐような考え方は、本編と、本編最終回でその選択が全てではないことを火野映司自身が知ったはずです。
なのにそこから、なんら今までと変わりのない火野映司が、映画でそのまま死を選んでしまいます。
よく「火野映司ならそうする」という意見を見ますが、そうではないと思います。
ヒーローなら誰でもあの少女を守り走ったでしょう。
死んでしまってからの行動がおかしいという話です。
最終回を迎えた後の火野映司は、少しでも生きる可能性があるならば、自分に手を伸ばす人の手も取ったはずですし、あそこでアンクを突き放すのにはかなり違和感があります。
前日譚の「アンクを復活させる方法」が死が条件だったとしても、火野映司は最後まで「俺とアンクのいる明日」である二人の未来を諦めるような男ではなかったと思います。
信吾が重症で、どちらを助けるか、のような展開ならまだわかりますが、信吾はあの時点で重症ではありませんし、あそこでアンクを突き放すのにはやはり違和感がありました。
むしろ最終回でのあのシーンがあるなら、アンクに手を伸ばして欲しかったです。
そもそもこの作品、設定がガバガバです。
800年前の王が復活した正確な理由もわかりませんし、鴻上ファウンデーションが作った剣を使用している理由もわかりませんし、作中にオーズドライバーが3つ存在している点や、最終回ではなく本編中にプトティラで破壊したはずのコアメダルが存在していてタカメダルが3枚ある点など、ツッコミどころが多すぎます。
前日譚を見ればわかるかなと期待しましたが、そちらでも何もわかりませんでした。
むしろバース編では後藤さんがレジスタンスに入ることを一度断るというありえない事態になっています。
彼は世界を救うことが欲望として描かれていたのに、突然無から生み出された女と結婚し、子供を産み、大事なものに気付いた(家族)という理由でレジスタンス入りを一度断っています。
わざわざこの描写を入れる必要も無ければ、ここでも本編のリスペクトが全く足りていない、後藤というキャラクターへの解釈がガバガバだなと感じました。
前日譚で、映司が既にアンクの復活方法を掴んでいたからなんなのでしょうか?復活方法がなんなのかは明確に書かれていませんが、恐らく監督の発言からして「映司の死」というものが代償なのでしょう。
もはや「欲望には代償が必要」という時点で、小林靖子が書いていたオーズの欲望というものの解釈が違いますし、たとえその方法を見つけていたとして映司がそれを選ぶことにも違和感があります。本編を乗り越えた彼なら他にも方法があるはずと最後までそれを諦めることはしませんでした。
あと「いつかの明日」という言葉を使っている割には、MEGAMAXや平成ジェネレーションズfinalでの出来事は無かったことになっているので、時系列もぐちゃぐちゃです。
オーズの本編中にいつかの明日という言葉は出ませんし。
脚本の方の小説を読んだ時も思いましたが、アンクのキャラ崩壊がすごいです。
映画中、映司の中での会話シーンで号泣するアンクは「人間に近い存在になっているから」という理由で片付けるには少々苦しいかと思います。
役者の方は恐らく最後の戦いというオーズの最後に涙してしまったのかと思いますし、最後だからと監督もそれにOKを出したのかもしれませんが、アンクというキャラクターを保持するならあれだけ泣くアンクを出すのは不自然でした。
本編で知世子さんが言っていた「アンクちゃんかお兄ちゃんかどっちかに決めなくちゃとか、アンクちゃんと映司君、どっちか戻ってくるなんて、そんなの認めちゃだめよ!」という言葉の通り、ファンは二人が帰ってくるのを待っていたと思います。
この作品に、ファンが求めているものじゃなかった、ファンサービスが少ない、などという意見も見ますが、僕はそれ以前の問題だと思いましたね。
復活のコアメダル最高!だと言っている方の中に「ファンが望んでいた結末じゃなかったから文句を言っている人がいる」と批判側を叩く人がいますが、設定に矛盾点が無く、火野映司に死ぬことにきちんとした意味があり、それをきちんと説明できない時点で作品として終わっているなと思います。
「復活のコアメダル」単体で見るならまぁ面白いかもしれませんが、「オーズの続編であり完結編」を名乗るなら最悪の作品だと思います。
「最終的に映司が死ぬ」という結末に持っていくために作ったとしか思えませんね。
恐らくここ数年のVシネの傾向からして、死んで輝く、死んで完成する、死こそ救済だと思っているのでしょう。そのせいで設定がガバガバです。
オーズは仮面ライダーの中でもかなり好きな作品だったのですが、今後はこれを含めて「仮面ライダーオーズ」になってしまいます。
人にあまり勧めたくなくなってしまい残念です。
ふざけんな
映司とアンクの最後の闘いに心を震わせ、待ち望んだ10年はこんなものじゃない。
みんなが笑顔で手を繋げる未来が見たかった。これから新たな敵が現れても、アンクとオーズがいればきっと乗り越えていける。
そんな希望に溢れた大団円が見たかった。
例えどんな結末でも、主要キャラを殺してはいけなかった。
これが毛利氏の本気で描きたかったものだったとしても、ウイルス、戦争、災害、悲しいことが立て続けに起こる今の世の中であのような結末を描くべきではなかった。本当に許せない。悲しい。
脚本家の方だけの責任ではないと思う。毛利氏をはじめ、この内容にゴーサインを出した多くの大人達が許せない。
少なくとも、担当した脚本家とプロデューサーは2度と仮面ライダーに関わらないで欲しい。
この10年、私自身も少年から大人になっていく中で、様々な形で仮面ライダーという作品を応援してきた。
それら全てを裏切られ、突き放された気分になった。金輪際東映やバンダイにお金を落とすことは絶対にしない。
Blu-rayもグッズも全てキャンセルした。もうすぐ届く予定だったオーズとは無関係のプレミアムバンダイ商品もキャンセルした。
これでPBでの買い物はできなくなるが、1ミリたりとも後悔はしていない。
この作品の為に集まってくださった演者の方々には非常に感謝しているが、彼ら以外の関わった人間全てを許すことはないだろう。
ifや一時的ではなく、本当の意味でアンクと映司のコンビが蘇る時が訪れるまでは。
評価が難しい
熱心なファンの方が落胆するのも無理はないと思います。私も少しがっかりした一人です。
単純にオーズの新作を見られたことは嬉しかった。また、当時のキャストもグリードも含めて再登場は胸熱でした。ただ、それだけに残念。
多くの方が触れられている通り、オーズという作品のメッセージ性と一致しないと思ってしまう点が色々ありました。ただ、映司の自己犠牲に関しては、少女の命を助けるために身を捨てた様に見えますが、自分の命も完全に諦めたと言うわけでもないと解釈できるため、その点に関しては私はそこまで気になりませんでした。
私が最も気になったのは、アンクをはじめとするキャラクターの心情と言葉です。(あくまで私の解釈ですが)
アンクはあんなにウェットなキャラクターではないと思う。心のなかに熱いものはあっても、あんなに言葉や態度には出さないと思います。尺の都合もあるのでしょうが、どうしてもそこが気になりすぎてしまいました。
比柰にしてもお兄ちゃんそっちのけでアンクばかり気にするのも不自然。
そう言った点が多すぎます。
また、60分と言う短い時間で仕方ないのですが、登場人物の扱いが雑です。オーズ本編の断片だけを切り取って、
・「歌は気にするな」と言わせたいだけ
・ウヴァは「かませ犬だったよね」と答え合わせしただけ
・鴻上会長には「ハッピーバースデー」と言わせたいだけ
これでは薄っぺらく感じてしまいます。
あれだけ見事に着地した作品ですから、続編は確かに難しかったと思います。おそらく今回のような結末であっても、お祭り作品であっても賛否はあったでしょう。
ただ、この作品を待っていた客層の多くはコアなファンです。お祭りかもしくは原作リスペクトを望んだでしょう。今回はそのどちらでもありませんでした。
私は小林靖子さんの作品が好きなので、片寄ってしまうかもしれないのですが、小林さんはキャラクターの心情をとても丁寧描かれています。毛利さんにそこを望むのは筋違いかもしれませんが、どうしてもそこは残念でした。ストーリーがではなく、キャラクターがです。
昨年のゴーカイジャーが比較対象になるでしょう。
見事に着地した作品を、コアなファンの望むように仕上げた会心の作品であったと私は思っています。メインライターの荒川さんが書いたと言うことも無関係ではないのではないでしょうか。
リスペクトがないとは言いませんが、もう少し何とかできた非常に惜しい作品です。
誰より納得していないのは渡部秀さんかも知れませんね。
私は平成ジェネレーションズファイナルをオーズの続編として認識することにします。
ゴーダを見せられても
オリジナルキャストが勢揃いする中
なんで60分の大半を火野ではなく
ゴーダを見なくてはならないのか
火野として60分見せてくれて
最後に女の子を庇ってからのあのシーンであれば
受け入れられたかもしれない
正直、ジオウオーズの方が楽しめた
おすすめはできない。
「世界は美しいうちに終わらせなければならない」
真木博士の言葉です。これが正しかったなんて思いたくなかった。
「批判」を書くのは慣れていませんので手を震わせながら書いています。でも、実際に同じような思いをする人がいる可能性があるとしたら、書かなければならないと思いました。
仮面ライダーシリーズではオーズが好きだったので、10周年、完結編という謳い文句に乗り見に行きました。
映画館にはおそらく同世代、10代後半〜20代の方、そして子供連れの方もいましたが、終わった後は全員シーン…と静まりかえった様子。
首を傾げる方も。
・説明不足が多い。
どうして王もグリードも復活したのか、どうやってゴーダが生まれたのか、どうやって主人公に取り憑いたのか?全て分かりません。
まあ、これは想像すれば良い、でいいでしょう。
・表現がチープ
どうも所々に予算の無さが伺えます。
特に気になった2点。
下からカメラで写しているだけにしか見えないタジャドルのジャンプシーン。そして、鴻上コーポレーションに保護されていたらしいにも関わらずボロボロのままの少女。
・時間の短さによる犠牲
最初10分見た段階で、60分でどう収めるんだ?とずっとソワソワしていましたが、予想通り短すぎました。各グリードやチヨコさんたちの個性、サゴーゾとシャウタ、本編にあったギャグ展開…全然無い。敵との戦闘もあっけなかった。
・その後は?
これが「完結編」
映司どころかグリードの仲間すら失ったアンク。いつまでも泉兄についてるわけにもいかないでしょうし、どうするのか。
荒廃した世界、登場人物たちがどうするのかも分かりません。
この最後にして流れる「Anything goes」(全ては続いていく)。皮肉にしか聞こえません。
これを見に来るのはオーズ世代。現在は20代くらいのはずです。満足できないでしょう。
かといって仮面ライダーが好きな幼児、児童に見せるにはダークがすぎます。どこをターゲットにしているんですかね…?
期待度が非常に高かったためにこの結果は酷すぎます。
まあ良いと思った点は、アンクの成長。メダルの塊が感情を持つまでに至ったということ。でも、「解釈違い」という方もいるのでは?
個人的には、メダルがあったにもかかわらずビカソ、ムカチリコンボが見られなかったことが残念で仕方ありません。
賛否両論あると思います。でも、「賛否が分かれている」この時点で、オーズとしては成功とはいえない。そう思います。
本編の終わりか、いつかの映画のゲスト出演の終わりで良かった。もしくは、この作品に続きがあるならまだ救いはあった。
これが「完結」であることが全てを残念にしているような気がします。
評価が難しい
この映画で1番悪い部分は上映時間の短さだと思います。1時間の中でやりたい事が多すぎて、結局できなかった感じがしました。ディレクターズカット版などが発売されればもう一度見たいと思いました。
アンクが蘇りましたが映司は死んでしまいました。正直、本当にこれで終わりなのかと思いました。実はこの物語には続きがあるのではないかと思っています。
映司がアンクを助ける為に旅をしていたように、今度はアンクが映司を蘇らせる為に行動をするのかなと勝手に予想しています。
また、今後オールライダー的な映画などが公開された際、オーズの扱いはどうなるのかなとも思いました。
ここまで賛否両論分かれるライダー映画は初めてだと思います。色々な意見が生まれる事も想定してこの映画が制作されていたと思いますので結果としては成功なのかなと思いました。
悲しい…でもやっぱりオーズ大好き
まず、オリジナルキャストが欠けることなく再集結されたことには感謝と感激しかない!
その上で、あの終わり方はやっぱり悲しい。
劇中でアンクからひなちゃんに
「兄のときも諦めなかっただろう。だから映司のことも諦めるな」
的な台詞があったから、諦めなければ最後には映司くんも戻ってくるのかと思ってたのに…
ご都合主義でもいいから、映司くんには生きてて欲しかったな。
…いや、正直まだ諦めてません(苦笑)
渡部秀さん、「科捜研の女」では少し丸くなった?という印象でしたが、しっかり映司として戻ってこられましたね。
演じ分け(映司、ゴーダ、アンク)も見事でした。
皆さんのレビューを全て拝見し、それぞれがとても大切にされてきた作品なのだと泣けてきました。
改めて、やっぱりオーズが大好きです。
まだ気持ちの整理はできていないです
オリジナルキャスト勢揃いでたった59分の中に愛を詰め込みオーズを完結させてくれたことも伝わってきて映画としては星5だったのですが結末が辛すぎて悲しみで星0.5減らしてます…
そもそも映司は1話でアンクに助けられてなかったらヤミーに投げられて壁に激突して死んでたし、本編でもここでアンクが制御してなかったりバースが助けたり止めてなかったら死んでたっていうシーンは山ほどあったので、
放っておくと自分の命より他人を優先させて直ぐに死んでしまう印象はずっと持ってはいました。
本編後もいままで映司が死なずに旅していれたのは変身して戦う程の人智を超えた敵はいない世の中になってたからかなとか。それでも長生きは出来なさそうだなーとか。
そのため、アンクが横に居ない状態でオーズとして強敵と戦ったら命を落とす展開になってしまうのもなんか納得してしまう自分もいました。それでもアンクを復活させたい、もう一度会う方法を探す気持ちがいままでは多少の歯止めとして少しはあったのが、復活させる方法を見つけてしまった後だったので助けられる命にとっさに手を伸ばしてしまう要因ともなった(TTFC限定の前日談的にも)とか考えてしまいました。
映司にアンクを憑依させたままそのまま一緒に生きてて欲しかったけど、追い出した理由については自分の身体がもう復活の余地はなく、死にかけというレベルでなく間もなく完全に死ぬことを理解してしまってたからその前に自分の目で実物のアンクの復活を見たかったとか、いろいろ考えてましたが、アンクにもう一度会うっていう1番の欲望が叶えられて満足してしまった(テレビ版アンクがただのメダルが死ぬとこまで来れたことに満足してしまったことの対)なのでしょうね。
もし映司があの状況に放り込まれたらこうなってしまうのはわかる…という感じではあったので映司らしい終わり方なのかもしれません。
でも心の底から映司にはもっと生きてて欲しかった…せめて、映司の命を代償に復活した変わりにアンクにも五感が与えられていることを祈るばかりです。
(古代オーズ復活の理由とか、ゴーダはいったいどのタイミングでどうやってとりついたんだろうとか、砕けたメダルは…とかありますが、細かな矛盾点や荒なんて仮面ライダーシリーズのテレビ本編や特に劇場版ではよくあることなんであまり気にしてませんでした。そこも考察したり保管して考えることも醍醐味だと思っているので)
何でここまで荒れてるかわからない。
僕はすごく好きでした。
主人公が死んでしまって悲しいからって怒るのは違うと思います。
叩いてる人はバッドエンドが嫌いなだけで解釈が違うやら、脚本がと批難してる感じがします。
ひなちゃんがアンクを見てお兄ちゃんの心配をせずアンクの再開に喜んだのも、尺の都合もあります。
バッドエンドが嫌いなら、ジオウのブレイドみたいに、映司も生き返ってグリードはいなくなりアンクは人間の姿で人間として復活してお兄ちゃんも元に戻れたら満足なのでしょうか。
オーズの結末
映画の結末にも、主人公の行動にも納得はいくが、感情的な面では未だ受け止め切れていない。
1時間の間、ずっと感情に心が追いついていかなくて、ぐちゃぐちゃな気分だった。
古代オーズとの戦い後、倒れている映司がメダルを握りしめるシーンがあるが、地面は草原になっている。テレビ版のオープニングではずっと砂漠を歩き続けて、最終回で砂漠に少し植物が見え始めていた、映司の心情風景ともいえるものが、ここにきてようやく青々とした草原に変わった。欲望を押し隠して、乾ききってしまった彼の心がようやく満たされたのだと思うと、本作で少なくとも彼は救われている。それでもやはり悲しい。ただ、彼が命を救った少女とアンクがこの世界に生きている限り、映司の伸ばした手はまだ未来へつながっていると信じたい。
星が1つついていないのは、ハッピーエンドを願ってしまった自分の最後の悪あがき。でも、結末が無難なハッピーエンドに落ち着いていた場合、こんなに心に深く刻まれはしなかったとも感じる。
本映画に賛を唱える人も否を唱える人も、オーズという作品を愛していることにきっと変わりはない。
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