仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダルのレビュー・感想・評価
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まだ観ていない人がいたら観るのちょっと待ってください
「いつかの明日に手がとどく」という煽り文句は決してファンに向けた言葉ではありませんでした。
長い間楽しみにしていた自分の気持ちを守るため、途中で脚本に不信感や不快感がよぎってもこのコピーを思い出して楽しんで物語を見届けるモチベーションを保っていました。
しかしクライマックスが過ぎ、エンディングも終わり、場内に明かりが戻った後に残っていた物は感動のない悲しみと失望でした。
1時間にも満たない尺の中でよくここまでまとめられたな、とは思います。しかしなぜこのルートに舵を切らなければならなかったのか。
他の部分はご都合主義てんこ盛りなのに対して何故物語の1番大切なパーツには適用されなかったのか。
制作陣営からの強いメッセージがあるにしても、10周年記念作品として、「いつかの明日に手がとどく」そんなコピーを前面に出してやる事がこれとはあまりにもファンを蔑ろにした乱暴な所業ではないでしょうか。
制作陣営の言いたい事はなんとなく分かります。しかしその結果に納得できるプロセスが無かったんです。
これを正史とするのは如何な物でしょうか。
キャストさんやCG班の仕事が素晴らしかっただけに本当に残念でなりません。
これから観られる方は期待を今の半分くらいにして行かないとダメージが物凄いと思われますので頑張ってください。観ないという選択も全然あります。
ようやくの伏線回収が…
このやるせなさを何とかするには、本編放送中のライダー40周年春映画のようにパラレルな世界の出来事だと思い込むしかないでしょうね。要は演者さん方がオーズと決別する為のシナリオかと。
皆様の感想が極端に分かれていたので期待せずに観賞してきました。
私もオーズは仮面ライダーの中でも好きな方でした。
確かに、後味は良くないかもしれませんが、これはこれでアリかも・・
ただ、矛盾点がいっぱいでした。
女の子を助けていったいどれぐらい時間が経過していたんだろう!
服は汚れたままだったし!
当時、子供に変身ベルト買ってやりたくてあんなに探したのに、映画ではどこから出てきたのか、もう一つ!
アンクは、今後どうするんだろう?
ヒナちゃんの兄さんの体を借り続けるのだろうか?
それならべ、映司に入っとけば、いいのに!
ま〜1時間では、語れなかったのかな?
もう少し内容を濃くして時間伸ばしたらよかったのに!
ゴーカイジャーの方が面白かった!
驚きは、キャストの人達が全然歳を取ってないのはびっくり!
ヒナちゃんは、更に可愛くなってた!
アンクは、土屋アンナにしか見えない。
ま〜昔を思い出しながら、軽い気持ちで見るにはいいかも!ひょっとして、続編があったりして!
カタルシスが足りない
結末に全く不満はないけど、10周年でコンテンツに終止符を打つ作品にしてはカタルシスがなさすぎた。
見たかったのはアンクと英司の当時を彷彿させるやりとりの果ての別れだったのに、尺が足りなかったのかな。
いつかの明日はまだ来ない
この映画はオーズではなく、オーズの皮を被った何かだ。
オーズのテーマ、設定、キャラクターが崩壊しているのは他のレビューでも指摘されている通りで、オーズらしさは演者の演技だけだ。
それでもキャラクターの行動は脚本で定められたものなので、なぜ手を繋ぐことを知った映司が独りで戦うのか、なぜ比奈は映司の違和感に気付かないのか、なぜ医師である伊達が何もしないのか、不自然なところを挙げたらキリがない。
そのため、既存のキャラクターを脚本にそってただ配置しただけという印象が強い。
中途半端に崩壊した世界で、よくわからないまま不思議なことが起こり死んでいくため、一つの映画としても面白くない。
また、上辺の「映司が死ねば驚くだろう」、「映司とアンクの立場を入れ替えれば感動するだろう」、「ウヴァをこう扱えばウケるだろう」、そんな意図は透けて見えるのに、『オーズ』本編で繰り返し語られた、欲望との向き合い方や手を繋ぐことの大きさに関しては蔑ろにされているように感じた。
例えば、欲望とは行き過ぎれば身を滅ぼすが、それを持つこと自体は悪いことではなく、むしろ明日へ活力、未来へ進む力になるものだと教えてくれた。
47話で兄とアンク、アンクと映司の間で悩む比奈に対し、知世子が、そして『仮面ライダーオーズ』が出した答えは「もっと欲張ったっていいじゃない」だ。
震災の年に、何かを欲するのは決して悪いことではないと伝えることのなんと素晴らしいことか。
思えば夏映画でも、映司が敵から提示された選択肢を痛快に吹き飛ばし、全部を選び全部を救ってみせた。これこそが『オーズ』、これこそが火野映司だ。
少なくとも何かを手に入れるために何かを失わなければならないなんて話はしていなかったし、映司の死でアンクが復活というのは理論的にも感情的にも受け入れ難い。
しかも、本作のキャッチコピーは「いつかの明日に手が届く」、「欲望を満たせ」である。
『MEGA MAX』で示された「いつかの明日」とは、これから進む未来に必ずアンクがいるという希望だ。
ぼろぼろで、生きることすらままならないような絶望ではない。
いつかの明日といわれて、どれだけの人が映司の死を見たいと思っただろう。
確かに火野映司は誰かに手を伸ばさずにはいられないし、いずれその性質ゆえに命を落とすこともあるかもしれない。しかし、それをわざわざ10周年を記念した映画でやる必要があったのだろうか?最終回で手を繋ぐことに気づいた映司は、自己犠牲的な一面を脱したのではなかったか?どうしてそれをなかったことにして、映司の命を終わらせてしまうのだろう。それも念入りに。
『オーズ』は最終回でなお、物語は、人生は続くというメッセージを残したし、だからこそ終末を志向する真木が倒すべき相手となったのではないか。
オーズの完結編という、この企画自体が、オーズを否定しているような気がしてならない。(オーズの新作が見れること自体はとても嬉しいが)
これまでオーズを観ているとき、これは映司らしいだの、完結はオーズっぽくないだの、小難しく考えたりはしなかった。
何かを欲すること、誰かと手を繋ぐこと。ともすれば説教じみてしまいそうなことをキャラクターを通して感じ取る。ただただオーズに夢中になり、オーズを楽しみに今日を頑張ることができる。そんな作品だった。
それなのに、この映画を見たとき、とてもそんな気持ちにはなれなかった。なぜ映司が死ななければならなかったんだろう?なぜ独りで闘うのだろう?なぜ誰も映司に手を伸ばしてくれないのだろう?そんなことばかり考えていた。
映画を観てから一ヶ月が経ち、自分なりにオーズについて考え、他の方のレビューを読んで、結局これはオーズではなかったと思うことにした。
だって、こんなのいつかの明日じゃない。途方もない願いを叶えようとするからこそ、”いつか”の”明日”だ。映司とアンクと比奈がいないいつかの明日なんて認めたくない。手を繋ぐって死に際に手を取ることではない。ずっと一緒じゃなくても、ときに対立しても、共に生きてほしい。
どうか、映司が、アンクが、比奈が、みんなが、戦いの果てに手に入れたものを安易に奪ってくれるな。完結させるにしてももっとやり方があったはずだ。
だから、オーズの完結編などなかった。今も映司は旅を続けている。いつかの明日はこれからだ。
これからこの映画を見る方へ。
絶対に本編を予習してから見ないでください。
10年前に放送見た時どんなんだったっけ〜?
OOOかぁ〜懐かしいなぁ〜もう10年も前か〜。
くらいの軽い気持ちで見てください。
じゃないと耐えられないと思います。
パラレルワールドとして僕は見たので楽しめました。
伊達さん最高!!!
仮面ライダーOOOという作品に矛盾で出汁をとったスープをぶっかけた作品でした。
お茶漬け感覚で見ましょう。
古い
末期の二次創作みたいな内容。
これ系が好きな人もいると思うけど、自分は古臭いなぁと思った。
映司虚無すぎ。アンク泣きすぎ。
脚本も演出も演技も全てやり過ぎ。
何考えて作ったんだろう?ちょっと意味がわからない。
渡部秀仮面ライダーオーズ卒業作品として
ストーリーや矛盾点、演者によるキャラクターの解釈違いについては言及しません。
仮面ライダーオーズという作品は本編でこれ以上なく美しく完結していたと思います。
あれを覆した上で視聴者全員が納得する完結編を描くのは、本編の脚本であった小林靖子にゃんでも至難の業かと思います。それくらい美しい最終話でした。
それほどに完成されていた作品で、もう一度アンクに、映司に会いたい!という渡部秀の欲望によって本作が生まれたのは、ある意味では非常に仮面ライダーオーズらしいと思います。
ビジュアルはそのままに、演技力が上がったキャスト陣に☆5、今の映像でオーズの変身シーンが見れたことに☆5、映画館で本編のOPが見れたことに☆5、古代オーズ、ゴーダ、タジャドルエタニティの造形の美しさに☆5、ストーリー上気になることが多すぎたので☆-17で☆3です。
2022年に仮面ライダーオーズに出会い、その年に映画館で仮面ライダーオーズが見れることが嬉しくていっぱい映画館に通いました。
仮面ライダーオーズという作品に出会えて本当に良かったです。
これで本当にいいのか?
アンクは復活したけど映司は死にました、ちゃんちゃん。
え?これでいいの?
上映中ずっとそう思いました。
10周年記念作品であり、完結編がこれでいいのかと。
尺が足りないからか800年前のオーズとグリード達の復活についての説明が何もなかったし、なんで800年前のオーズの中にプトティラメダルが入っていたのかもわからないし
映司も本編前にすでに戦闘で死んでましたとか全然感情移入できません。
これが本編中に死んだとかならまだ理解できますが、久々に出てきたと思ったら主人公死んでて中身は別人ですとか「は?」って感じです。
バースXもまともな活躍なかったし、タジャドルエタニティの変身も最終回のオマージュで、「これやっとけばファン喜ぶだろ」っていう感じがして素直に感動できませんでした。
終始、え?とは?ってなることばっかりで、終わってもこれが完結編でいいんか?としか思えませんでした。
春映画みたくパラレルの話ですってことにならないですかね?
(脚本家見たら春映画書いてる人でなんか納得してしまいましたが)
映司、アンク、比奈の3人で手を繋いで大団円じゃダメだったのかと思ってしまいました。
えいじだけがハピエン...
最初から最後まで重くて...重くて...
個人的にはめっちゃ好きな内容でしたが、光1つ残さない終わりかたが何とも言えない気持ちになりました。
オーズが好きなので鑑賞しましたが、最終回で満足している人にはあまり勧められない作品です。
ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。 この作品を単体で...
ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。
この作品を単体で見るなら「まぁそうなるだろうな」という感想です。
序盤の様子から見て、多分こうなるんだなと全て予想がつく展開でした。特に驚きは無かったです。
しかし、オーズの本編の続きだと考えると、矛盾点が多すぎるのと、本編を理解していないのかなという感じがしました。
リスペクトがあまりにも足りていないなと思います。
オーズ本編の脚本家である小林靖子さんが書き上げたオーズの世界観を汲み取れずに、別の脚本家が全く違う解釈で書いたという感じですね。なら納得がいきます。
ファンはきちんと小林靖子さんの本編を汲み取っているのでそこでズレが生じています。
火野映司の自己犠牲型で死に急ぐような考え方は、本編と、本編最終回でその選択が全てではないことを火野映司自身が知ったはずです。
なのにそこから、なんら今までと変わりのない火野映司が、映画でそのまま死を選んでしまいます。
よく「火野映司ならそうする」という意見を見ますが、そうではないと思います。
ヒーローなら誰でもあの少女を守り走ったでしょう。
死んでしまってからの行動がおかしいという話です。
最終回を迎えた後の火野映司は、少しでも生きる可能性があるならば、自分に手を伸ばす人の手も取ったはずですし、あそこでアンクを突き放すのにはかなり違和感があります。
前日譚の「アンクを復活させる方法」が死が条件だったとしても、火野映司は最後まで「俺とアンクのいる明日」である二人の未来を諦めるような男ではなかったと思います。
信吾が重症で、どちらを助けるか、のような展開ならまだわかりますが、信吾はあの時点で重症ではありませんし、あそこでアンクを突き放すのにはやはり違和感がありました。
むしろ最終回でのあのシーンがあるなら、アンクに手を伸ばして欲しかったです。
そもそもこの作品、設定がガバガバです。
800年前の王が復活した正確な理由もわかりませんし、鴻上ファウンデーションが作った剣を使用している理由もわかりませんし、作中にオーズドライバーが3つ存在している点や、最終回ではなく本編中にプトティラで破壊したはずのコアメダルが存在していてタカメダルが3枚ある点など、ツッコミどころが多すぎます。
前日譚を見ればわかるかなと期待しましたが、そちらでも何もわかりませんでした。
むしろバース編では後藤さんがレジスタンスに入ることを一度断るというありえない事態になっています。
彼は世界を救うことが欲望として描かれていたのに、突然無から生み出された女と結婚し、子供を産み、大事なものに気付いた(家族)という理由でレジスタンス入りを一度断っています。
わざわざこの描写を入れる必要も無ければ、ここでも本編のリスペクトが全く足りていない、後藤というキャラクターへの解釈がガバガバだなと感じました。
前日譚で、映司が既にアンクの復活方法を掴んでいたからなんなのでしょうか?復活方法がなんなのかは明確に書かれていませんが、恐らく監督の発言からして「映司の死」というものが代償なのでしょう。
もはや「欲望には代償が必要」という時点で、小林靖子が書いていたオーズの欲望というものの解釈が違いますし、たとえその方法を見つけていたとして映司がそれを選ぶことにも違和感があります。本編を乗り越えた彼なら他にも方法があるはずと最後までそれを諦めることはしませんでした。
あと「いつかの明日」という言葉を使っている割には、MEGAMAXや平成ジェネレーションズfinalでの出来事は無かったことになっているので、時系列もぐちゃぐちゃです。
オーズの本編中にいつかの明日という言葉は出ませんし。
脚本の方の小説を読んだ時も思いましたが、アンクのキャラ崩壊がすごいです。
映画中、映司の中での会話シーンで号泣するアンクは「人間に近い存在になっているから」という理由で片付けるには少々苦しいかと思います。
役者の方は恐らく最後の戦いというオーズの最後に涙してしまったのかと思いますし、最後だからと監督もそれにOKを出したのかもしれませんが、アンクというキャラクターを保持するならあれだけ泣くアンクを出すのは不自然でした。
本編で知世子さんが言っていた「アンクちゃんかお兄ちゃんかどっちかに決めなくちゃとか、アンクちゃんと映司君、どっちか戻ってくるなんて、そんなの認めちゃだめよ!」という言葉の通り、ファンは二人が帰ってくるのを待っていたと思います。
この作品に、ファンが求めているものじゃなかった、ファンサービスが少ない、などという意見も見ますが、僕はそれ以前の問題だと思いましたね。
復活のコアメダル最高!だと言っている方の中に「ファンが望んでいた結末じゃなかったから文句を言っている人がいる」と批判側を叩く人がいますが、設定に矛盾点が無く、火野映司に死ぬことにきちんとした意味があり、それをきちんと説明できない時点で作品として終わっているなと思います。
「復活のコアメダル」単体で見るならまぁ面白いかもしれませんが、「オーズの続編であり完結編」を名乗るなら最悪の作品だと思います。
「最終的に映司が死ぬ」という結末に持っていくために作ったとしか思えませんね。
恐らくここ数年のVシネの傾向からして、死んで輝く、死んで完成する、死こそ救済だと思っているのでしょう。そのせいで設定がガバガバです。
オーズは仮面ライダーの中でもかなり好きな作品だったのですが、今後はこれを含めて「仮面ライダーオーズ」になってしまいます。
人にあまり勧めたくなくなってしまい残念です。
ふざけんな
映司とアンクの最後の闘いに心を震わせ、待ち望んだ10年はこんなものじゃない。
みんなが笑顔で手を繋げる未来が見たかった。これから新たな敵が現れても、アンクとオーズがいればきっと乗り越えていける。
そんな希望に溢れた大団円が見たかった。
例えどんな結末でも、主要キャラを殺してはいけなかった。
これが毛利氏の本気で描きたかったものだったとしても、ウイルス、戦争、災害、悲しいことが立て続けに起こる今の世の中であのような結末を描くべきではなかった。本当に許せない。悲しい。
脚本家の方だけの責任ではないと思う。毛利氏をはじめ、この内容にゴーサインを出した多くの大人達が許せない。
少なくとも、担当した脚本家とプロデューサーは2度と仮面ライダーに関わらないで欲しい。
この10年、私自身も少年から大人になっていく中で、様々な形で仮面ライダーという作品を応援してきた。
それら全てを裏切られ、突き放された気分になった。金輪際東映やバンダイにお金を落とすことは絶対にしない。
Blu-rayもグッズも全てキャンセルした。もうすぐ届く予定だったオーズとは無関係のプレミアムバンダイ商品もキャンセルした。
これでPBでの買い物はできなくなるが、1ミリたりとも後悔はしていない。
この作品の為に集まってくださった演者の方々には非常に感謝しているが、彼ら以外の関わった人間全てを許すことはないだろう。
ifや一時的ではなく、本当の意味でアンクと映司のコンビが蘇る時が訪れるまでは。
評価が難しい
熱心なファンの方が落胆するのも無理はないと思います。私も少しがっかりした一人です。
単純にオーズの新作を見られたことは嬉しかった。また、当時のキャストもグリードも含めて再登場は胸熱でした。ただ、それだけに残念。
多くの方が触れられている通り、オーズという作品のメッセージ性と一致しないと思ってしまう点が色々ありました。ただ、映司の自己犠牲に関しては、少女の命を助けるために身を捨てた様に見えますが、自分の命も完全に諦めたと言うわけでもないと解釈できるため、その点に関しては私はそこまで気になりませんでした。
私が最も気になったのは、アンクをはじめとするキャラクターの心情と言葉です。(あくまで私の解釈ですが)
アンクはあんなにウェットなキャラクターではないと思う。心のなかに熱いものはあっても、あんなに言葉や態度には出さないと思います。尺の都合もあるのでしょうが、どうしてもそこが気になりすぎてしまいました。
比柰にしてもお兄ちゃんそっちのけでアンクばかり気にするのも不自然。
そう言った点が多すぎます。
また、60分と言う短い時間で仕方ないのですが、登場人物の扱いが雑です。オーズ本編の断片だけを切り取って、
・「歌は気にするな」と言わせたいだけ
・ウヴァは「かませ犬だったよね」と答え合わせしただけ
・鴻上会長には「ハッピーバースデー」と言わせたいだけ
これでは薄っぺらく感じてしまいます。
あれだけ見事に着地した作品ですから、続編は確かに難しかったと思います。おそらく今回のような結末であっても、お祭り作品であっても賛否はあったでしょう。
ただ、この作品を待っていた客層の多くはコアなファンです。お祭りかもしくは原作リスペクトを望んだでしょう。今回はそのどちらでもありませんでした。
私は小林靖子さんの作品が好きなので、片寄ってしまうかもしれないのですが、小林さんはキャラクターの心情をとても丁寧描かれています。毛利さんにそこを望むのは筋違いかもしれませんが、どうしてもそこは残念でした。ストーリーがではなく、キャラクターがです。
昨年のゴーカイジャーが比較対象になるでしょう。
見事に着地した作品を、コアなファンの望むように仕上げた会心の作品であったと私は思っています。メインライターの荒川さんが書いたと言うことも無関係ではないのではないでしょうか。
リスペクトがないとは言いませんが、もう少し何とかできた非常に惜しい作品です。
誰より納得していないのは渡部秀さんかも知れませんね。
私は平成ジェネレーションズファイナルをオーズの続編として認識することにします。
感想
オーズ放送中当時6歳の男性の感想です。
端的に言えば設定などをあまり知らない人、オーズのテーマを知らない人等が見れる作品だと思います。
映画を見る前にレビューの星を見て何があった?となりましたが、映画を見た後では理由がよく分かります。
皆さん悪い点ばかり上げてますが、上記に当てはまる自分からすれば、変身のCGや昔のスーツの再利用等と100悪い内容だったとは思えません。
最終的に見てください。見て自分の感想を持つことが1番だと思います。
以上です。異論は認めます
求めていなかったいつかの明日
全部が全部否定に値する映画だとは思わない。
限られた予算と上映時間の中で、説明不足とツッコミ所を多々残しながらも、1本のストーリーとしては出来上がっているし、何より当時のオリジナルキャストを揃えて新作を作ってくれたことは素直に嬉しく思っている。
だがこれがオーズの物語の終着点として受け入れられるかというと話は全く別だ。
およそ10年前、1年もの間、映司やアンクが戦い必死に生きてきた姿をテレビの前で見てきた。フィクションの世界ではあったが、彼らから確かに元気や感動をもらって生きてきた。その結末がこれなのか。
百歩譲ってこれがゲームのエンディングの一つのルートであるならばまだいい。
だがこれは粉う方なき公式が出したオーズの戦いの行く末、その答えだ。
果たしてこの映画を通じて何を感じてもらいたかったのだろうか。
現実は厳しいという事も、楽して助かる命はないという事も痛いほどよく分かっている。
だからこそ、たとえご都合だとしても物語に救いを求める事がそんなに悪いことなのだろうか。
劇場が明るくなった時そこにいた多くの人は、自分を含めかつてリアルタイムでオーズを視聴していたであろう人たちだった。
見渡してみても満足そうな表情の人は誰もいない。
一体この映画は誰に向けて作ったものなのだろうか、今となっては全てむなしい。
仮面ライダーの映画なんてこんなもん
10年前のキャスト集合、TVシリーズをオマージュした演出など作品への愛を感じる部分はあった。
欠点を挙げるならばストーリーが残念。
これが90分の映画でもっと丁寧にストーリーやキャラクターを描けていれば違った評価になっていたと思う。
劇場版の仮面ライダーの悪いところがモロに出てしまった。
ゴーダを見せられても
オリジナルキャストが勢揃いする中
なんで60分の大半を火野ではなく
ゴーダを見なくてはならないのか
火野として60分見せてくれて
最後に女の子を庇ってからのあのシーンであれば
受け入れられたかもしれない
正直、ジオウオーズの方が楽しめた
おすすめはできない。
「世界は美しいうちに終わらせなければならない」
真木博士の言葉です。これが正しかったなんて思いたくなかった。
「批判」を書くのは慣れていませんので手を震わせながら書いています。でも、実際に同じような思いをする人がいる可能性があるとしたら、書かなければならないと思いました。
仮面ライダーシリーズではオーズが好きだったので、10周年、完結編という謳い文句に乗り見に行きました。
映画館にはおそらく同世代、10代後半〜20代の方、そして子供連れの方もいましたが、終わった後は全員シーン…と静まりかえった様子。
首を傾げる方も。
・説明不足が多い。
どうして王もグリードも復活したのか、どうやってゴーダが生まれたのか、どうやって主人公に取り憑いたのか?全て分かりません。
まあ、これは想像すれば良い、でいいでしょう。
・表現がチープ
どうも所々に予算の無さが伺えます。
特に気になった2点。
下からカメラで写しているだけにしか見えないタジャドルのジャンプシーン。そして、鴻上コーポレーションに保護されていたらしいにも関わらずボロボロのままの少女。
・時間の短さによる犠牲
最初10分見た段階で、60分でどう収めるんだ?とずっとソワソワしていましたが、予想通り短すぎました。各グリードやチヨコさんたちの個性、サゴーゾとシャウタ、本編にあったギャグ展開…全然無い。敵との戦闘もあっけなかった。
・その後は?
これが「完結編」
映司どころかグリードの仲間すら失ったアンク。いつまでも泉兄についてるわけにもいかないでしょうし、どうするのか。
荒廃した世界、登場人物たちがどうするのかも分かりません。
この最後にして流れる「Anything goes」(全ては続いていく)。皮肉にしか聞こえません。
これを見に来るのはオーズ世代。現在は20代くらいのはずです。満足できないでしょう。
かといって仮面ライダーが好きな幼児、児童に見せるにはダークがすぎます。どこをターゲットにしているんですかね…?
期待度が非常に高かったためにこの結果は酷すぎます。
まあ良いと思った点は、アンクの成長。メダルの塊が感情を持つまでに至ったということ。でも、「解釈違い」という方もいるのでは?
個人的には、メダルがあったにもかかわらずビカソ、ムカチリコンボが見られなかったことが残念で仕方ありません。
賛否両論あると思います。でも、「賛否が分かれている」この時点で、オーズとしては成功とはいえない。そう思います。
本編の終わりか、いつかの映画のゲスト出演の終わりで良かった。もしくは、この作品に続きがあるならまだ救いはあった。
これが「完結」であることが全てを残念にしているような気がします。
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