「ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。 この作品を単体で...」仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル 横田さんの映画レビュー(感想・評価)
ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。 この作品を単体で...
ここまで賛否が別れる作品も珍しいなと思いますね。
この作品を単体で見るなら「まぁそうなるだろうな」という感想です。
序盤の様子から見て、多分こうなるんだなと全て予想がつく展開でした。特に驚きは無かったです。
しかし、オーズの本編の続きだと考えると、矛盾点が多すぎるのと、本編を理解していないのかなという感じがしました。
リスペクトがあまりにも足りていないなと思います。
オーズ本編の脚本家である小林靖子さんが書き上げたオーズの世界観を汲み取れずに、別の脚本家が全く違う解釈で書いたという感じですね。なら納得がいきます。
ファンはきちんと小林靖子さんの本編を汲み取っているのでそこでズレが生じています。
火野映司の自己犠牲型で死に急ぐような考え方は、本編と、本編最終回でその選択が全てではないことを火野映司自身が知ったはずです。
なのにそこから、なんら今までと変わりのない火野映司が、映画でそのまま死を選んでしまいます。
よく「火野映司ならそうする」という意見を見ますが、そうではないと思います。
ヒーローなら誰でもあの少女を守り走ったでしょう。
死んでしまってからの行動がおかしいという話です。
最終回を迎えた後の火野映司は、少しでも生きる可能性があるならば、自分に手を伸ばす人の手も取ったはずですし、あそこでアンクを突き放すのにはかなり違和感があります。
前日譚の「アンクを復活させる方法」が死が条件だったとしても、火野映司は最後まで「俺とアンクのいる明日」である二人の未来を諦めるような男ではなかったと思います。
信吾が重症で、どちらを助けるか、のような展開ならまだわかりますが、信吾はあの時点で重症ではありませんし、あそこでアンクを突き放すのにはやはり違和感がありました。
むしろ最終回でのあのシーンがあるなら、アンクに手を伸ばして欲しかったです。
そもそもこの作品、設定がガバガバです。
800年前の王が復活した正確な理由もわかりませんし、鴻上ファウンデーションが作った剣を使用している理由もわかりませんし、作中にオーズドライバーが3つ存在している点や、最終回ではなく本編中にプトティラで破壊したはずのコアメダルが存在していてタカメダルが3枚ある点など、ツッコミどころが多すぎます。
前日譚を見ればわかるかなと期待しましたが、そちらでも何もわかりませんでした。
むしろバース編では後藤さんがレジスタンスに入ることを一度断るというありえない事態になっています。
彼は世界を救うことが欲望として描かれていたのに、突然無から生み出された女と結婚し、子供を産み、大事なものに気付いた(家族)という理由でレジスタンス入りを一度断っています。
わざわざこの描写を入れる必要も無ければ、ここでも本編のリスペクトが全く足りていない、後藤というキャラクターへの解釈がガバガバだなと感じました。
前日譚で、映司が既にアンクの復活方法を掴んでいたからなんなのでしょうか?復活方法がなんなのかは明確に書かれていませんが、恐らく監督の発言からして「映司の死」というものが代償なのでしょう。
もはや「欲望には代償が必要」という時点で、小林靖子が書いていたオーズの欲望というものの解釈が違いますし、たとえその方法を見つけていたとして映司がそれを選ぶことにも違和感があります。本編を乗り越えた彼なら他にも方法があるはずと最後までそれを諦めることはしませんでした。
あと「いつかの明日」という言葉を使っている割には、MEGAMAXや平成ジェネレーションズfinalでの出来事は無かったことになっているので、時系列もぐちゃぐちゃです。
オーズの本編中にいつかの明日という言葉は出ませんし。
脚本の方の小説を読んだ時も思いましたが、アンクのキャラ崩壊がすごいです。
映画中、映司の中での会話シーンで号泣するアンクは「人間に近い存在になっているから」という理由で片付けるには少々苦しいかと思います。
役者の方は恐らく最後の戦いというオーズの最後に涙してしまったのかと思いますし、最後だからと監督もそれにOKを出したのかもしれませんが、アンクというキャラクターを保持するならあれだけ泣くアンクを出すのは不自然でした。
本編で知世子さんが言っていた「アンクちゃんかお兄ちゃんかどっちかに決めなくちゃとか、アンクちゃんと映司君、どっちか戻ってくるなんて、そんなの認めちゃだめよ!」という言葉の通り、ファンは二人が帰ってくるのを待っていたと思います。
この作品に、ファンが求めているものじゃなかった、ファンサービスが少ない、などという意見も見ますが、僕はそれ以前の問題だと思いましたね。
復活のコアメダル最高!だと言っている方の中に「ファンが望んでいた結末じゃなかったから文句を言っている人がいる」と批判側を叩く人がいますが、設定に矛盾点が無く、火野映司に死ぬことにきちんとした意味があり、それをきちんと説明できない時点で作品として終わっているなと思います。
「復活のコアメダル」単体で見るならまぁ面白いかもしれませんが、「オーズの続編であり完結編」を名乗るなら最悪の作品だと思います。
「最終的に映司が死ぬ」という結末に持っていくために作ったとしか思えませんね。
恐らくここ数年のVシネの傾向からして、死んで輝く、死んで完成する、死こそ救済だと思っているのでしょう。そのせいで設定がガバガバです。
オーズは仮面ライダーの中でもかなり好きな作品だったのですが、今後はこれを含めて「仮面ライダーオーズ」になってしまいます。
人にあまり勧めたくなくなってしまい残念です。