「納得出来ないがオーズの完結として1つの正しい形」仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル チアキさんの映画レビュー(感想・評価)
納得出来ないがオーズの完結として1つの正しい形
※長文ですご注意ください
今回の劇場版では確かに納得できない点が多くありました。王の復活の理由やウヴァ以外のグリードの扱い、バースの新フォームの活躍などはもっと深堀されるべきだったと思います。それこそバースの新フォームで残り3人のグリードを足止めするとか。まあ、それをやると60分じゃ足りないわけですが。
ですが結末として、エイジが命を落としたというのには、納得せざるを得ませんでした。オーズ本編で伊達さんに指摘されていた通りの結末だったからです。結局のところエイジの根本は「自分より他人の命」であり本編完結後はそこにアンクの復活が追加されたわけです。それは映画でエイジが死に体で少女を守ったこと、死に際にアンクの復活を願ったところからも伺えます。そうして見ると最後にエイジはどちらの欲望も叶えています。アンクは蘇り、オーズではなく自分の力で少女を守れたのですから。エイジがアンクを自分の中から追い出したのも、もう無理に生きながらえる必要が無いほど満足したからなのではないでしょうか。
またゴーダについては特に批判が多いですが、私はあれでよかったと思います。ゴーダはエイジの欲望でできたと言っていましたが、エイジの欲望を完全に写し取ることは出来なかったのではないでしょうか。だって自分の命をなげうって誰かを助けたいなんて欲望でグリードが生まれても、すぐにその欲望に殉じてしまうからです。そのためエイジの欲望である「人を助けることが出来るだけの力が欲しい」という願いを「全てを思いどうり(生死の判断を自分でくだせる)にできるほどの力が欲しい」と書き換えたのだと考えました。そのため最初はエイジに扮してアンクのサポートがあるオーズの力を、最後は王の力を求めたのだと考えます。
以上のことからこの映画はオーズの完結としてはどこまでも正しいのだと考えます。それが非常であったとしても。納得が’できない’というより’したくない’、そんな映画でした