「悲しみの連鎖を生むありえなさ」仮面ライダーオーズ 10th 復活のコアメダル いりごまさんの映画レビュー(感想・評価)
悲しみの連鎖を生むありえなさ
この映画については、私も記憶を消去したいと思っています。
これをオーズの正史とすることはどうやっても無理です。自分の好きになったオーズという作品を丸ごと否定されます。オーズを大事にしたい人こそ観ないでほしい。そう願ってしまうほどです。
一体何をどう考えればこんな内容になるのでしょうか。
映画としても設定のアラや説明不足、違和感のある時間経過など、はっきり言ってお粗末です。ただ本当の問題はそんな映画としてのお粗末さではありません。
これがオーズの結論として納得できる?ふざけんな。TVシリーズ本編の何を観てきたんだ?
本編が全編かけて否定したことを考えなしに肯定するという最悪さ。もしかしたら脚本家同士の嫉妬や意趣返しみたいな悪意に巻き込まれたんじゃないかと疑うほど。
映司の死というラストがダメなのではありません。その死に何も意味がなく、その必要性もなくただ死という事実のためだけの死が許せません。
こんなにも愛されたオーズをそんな扱い?未だに信じられないし、信じたくありません。
本編のアンクの消滅には意味がありました。生を渇望してもその実感を得られないグリードという存在。それが他者とかかわることで自分の存在を感じ、そして「死」によって生き物としての生をまっとうすることができた。アンクの死は悲しかったけど、物語として完成する、納得できるラストでした。
今回のは…アンクの生と引き換えの映司の死ですか?
納得できるような背景も何もないのに?
安易な等価交換に呆れて声も出ません。馬鹿にしてるのかな?それともファンは東映に憎まれていたんでしょうか?そういう悪意を感じるほどの作品には初めて出会いました。
「映司なら絶対そうするから納得した」という声も見ます。
たしかに映司という人間はそうするでしょう。目の前に攻撃されそうな誰かがいたら身を呈してでも助けるでしょう。その選択は正しいですし、そこに矛盾は感じません。
だけど死ななくて良い設定があると誰もがわかる世界観の中で、どうして死なせなければならなかったんですか?アンクが入ったままになっていれば、信吾さんの時のように生かし続けることができましたよね? 信吾さんはもう回復した体を持っているし、アンクが憑いている必要はないんですから、今度は死にかけの映司に憑いて、ふたりでひとつの体を喧嘩しながら共有すればよかっただけです。
それが死ぬほど嫌だった???死ぬほどですか??
私が思う映司なら「しょうがないなぁ。ちょっと気持ち悪いけど、体が回復するまで頼むよ、アンク」
なんですけどね。
この、ラストで映司がアンクを突き放した理由は一切、何も、語られないですよね?
特撮作品のヒーローの死がご法度だというつもりはありません。ただその場合、子供にも納得できる状況である必要があるでしょう。そうでなければ犬死なんですから。
この場合逆に、子供でも「アンクが憑いてりゃよかったじゃん…」と思うんですが?
それでも、アンクを復活させ続けるには映司の死が必要だったとでもいうんですかね?作中では一切語られないですけど。映司はアンクと引き換えに死んで、ゴーダは映司とアンクを会わせる繋ぎだったんだろうことはわかるんですけど、ゴーダがいたからラッキーだったじゃないですか。映司の体を生かしておいてくれたんだから。ゴーダを追い出してアンクが入ってふたりで生きてきゃ良かったですよね?それともなんですか?お兄ちゃんとは決定的に違う何か物理的事情でもあったんですか?何も語られないですけど。何も語られないですけど!?
それともあのままアンクを復活させ続けるには映司の肉体の死がなければならなかったんですかね?あのアンクの復活はプレ復活で期間限定でしたとでも?それだって随分お粗末な話ですが。
そもそも自分が死ぬのがわかっていてアンクひとりをあの荒廃した世界に生かすことが映司の欲望なんですか?平ジェネで映司が言っていたのは「俺とお前が一緒にいられる未来」じゃなかったですか?映司がいなかろうか、世界が荒廃していようが、とにかく生き返りたいとアンク自身が願っていたというなら自分が死んでもアンクをあの世界に残す意味もわかりますが、そもそもアンクを蘇らせたいのは映司や比奈ちゃんの願望であって、アンクは別に望んでなかったですよね?
本編終了以降に登場するアンクのスタンスは「お前らが俺をそんなに呼び戻したいんだったらいてやってもいい」だと私は解釈していたので、映司を死なせてまで生き返ることは望まないし、それを映司も理解していると思っていました。それを理解できるのがあの日々で得た相棒の絆なのだと。
アンクの気持ちなどなにも介せず自分勝手な自己満足で生き返らせるような男が「映司らしい」んですか?それが「映司らしい」と思ってオーズを観てきた人が羨ましいくらいです。私が観ていた映司はそうではなかったので。
どれだけ納得できるように脳内保管しようとしても無理です。
公式が「アンク復活するには映司が死ぬって悲劇的でエモいじゃーん」という安易な等価交換の設定ありきで作ったとしか思えません。
映司は子供を助け、アンクを復活させて死んだわけではありません。
映司は公式に見殺しにされました。
明確な殺意を持って殺されました。
でも、この映画については、観なかったことにして記憶も消去するよう努力するのでいいんです。
ただ、あんなにも愛されたオーズがこんなにもたくさんの人を悲しませる存在になってしまったことがただ悲しい。そしておそらくは、キャストさんたちもこんなファンの悲しみを悲しんでしまうんじゃないでしょうか。それがただただ悲しい。
こんな悲しみの連鎖を、あのオーズが生んでしまうなんて。
本当に、ただただ。悲しいです。
最後に。
素晴らしい熱演を見せてくださったキャストさんたちには感謝以外の言葉はありません。特に「映司ではない何か」を演じた渡部さんの演技は素晴らしかったですし、涙するアンクの姿はこの映画の記憶を消してたとしてもそこだけは残しておきたいと思っています。本当にありがとうございました。